【01】オレの婚約者が「ブサイク」として広まってしまった理由
話の都合上「ブサイク」という単語がとてつもなく連呼されます。ご注意ください。
元々短編予定だったので、全体的に味付けは薄味です。
ペデュール王国の端にある、エルウィズ伯爵家の領主の館にて、一人の青年が透き通る爽やかな朝の空を見上げながら、酷く重たい溜息をこぼしていた。
「……ついに、今日か……」
目を覚まして一言目、ジェイコブは青い空を見上げながら、そう呟いた。
「やっと、ローゼマリー嬢と顔を会わせられるという訳だ」
はあ、と吐き出される息は、岩のように重い。
婚約して、五年。ジェイコブの婚約者であるローゼマリーはペデュール王国の令嬢ではなく、隣国、ジュラエル王国の令嬢である。
生まれ育つ国が違う事もあり、ジェイコブは婚約者に会った事が一度もない。手紙のやり取りはしていて、その内容をそのまま信じて良いのであれば、おとなしい令嬢という印象だ。
ただ、ジェイコブの胸には、憂鬱な気持ちがあった。それは、初めて会う婚約者に緊張しているとか、そういう類の感情由来のものではない。
これから先にあるだろう、さまざまな出来事を思って、気が重くなっていたのだ、
ジェイコブの婚約者であるローゼマリー・カシテライト伯爵令嬢は、ペデュール王国では「ブサイク」として有名なのである。
さて、どうしてその噂がペデュール王国で広まったのかについて、説明を挟もう。
その為には、ジェイコブとローゼマリーの婚約が結ばれた経緯について説明をしなくてはならない。
二人の婚約は、どこにでもあるような、政略的なものを発端としている。
◆
ペデュール王国では、青という色は高貴な色として人気が高い。
自然と、王国では青色のものが高級品として好まれた。様々なものを青く染められる染料は重宝されていた。
エルウィズ伯爵家は昔から、染料を作って販売していた。エルウィズ伯爵家は隣国にして大国でもあるジュラエル王国に面した領地の特色を生かし、隣国から仕入れた珍しい原材料を使った染料を販売していた。
ただ、そうしたものは他領でも作れるし、大抵のものは仕入れ値が高い。下世話な言い方になるが、あまり儲からなかった。
そんなエルウィズ伯爵家を救ったのは、学者肌で結婚もせず国内、諸外国をフラフラしていた叔父である。名をエドワードという。
エドワードは隣国ジュラエル王国に咲いている、とある野花に着目し、その野花を使い新しい青の染料を生み出したのだ。安定して作れるようになったその染料を、ジェイコブの父は王家御用達の職人に売り込んだ。その青は気に入られ、職人はその染料を使ってドレスを作り、それを王妃に売り込んだ。
王妃は透き通る透明感がありながら深くもある青を大層気に入った。新しい青は王妃の名シャルロットを頂き、「シャーリーブルー」と名付けられた。
シャーリーブルーはエルウィズ伯爵家に莫大な富をもたらした。
己こそがファッションリーダーだという自負のある高位貴族はこぞってシャーリーブルーのドレスを求め、エルウィズ伯爵家にはひっきりなしに注文が舞い込み、領地の職人はてんてこ舞い。その代わりに、しっかりと給金がもらえるとあり、職人たちは張り切って働いた。
このシャーリーブルーの唯一にして最大の欠点は、原材料の野花がペデュール王国内では入手不可能という点であった。
原材料である野花……ジュラエル王国ではペパポと言われている花は、ある地域でよく見かけるごく普通の野草である。特別なものではなく、たくさん生えているので摘んだところで咎められる事もない。
だが、このペパポの花、どういう訳かペデュール王国ではうまく育たないのだ。苗の状態で持ち込まれた花は、蕾を作るところまではいっても、花を咲かせす事なく、一代で枯れてしまう。エルウィズ伯爵家としては領地の一角にペパポの花の畑を作り自家製産したかったが、どうにも土が合わないのか水が合わないのか、上手くいかなかった。
ペデュール王国で育てられないのであれば、輸入するしかない。
しかしペデュール王国でその名が広まったシャーリーブルーの原材料がペパポの花という点は、既にジュラエル王国内にも広まりつつあった。幸いにも製造工程が漏れてはいない為、シャーリーブルーを他所に作られる事はなかったが、ただの野草が価値のある花になった事で、ペパポの花の価格は上がった。これでは、いくらシャーリーブルーが高く売れるとしても実質的な収入は高くない。
出来る限り安価でペパポの花を仕入れる為に結ばれたのが、エルウィズ伯爵家の嫡男ジェイコブと、カシテライト伯爵家の次女ローゼマリーの婚約だった。
カシテライト伯爵家とエルウィズ伯爵家との縁組を作ったのは、シャーリーブルーの生みの親であるエドワードである。
エドワードは人嫌いとかではないのだが、研究以外に強い興味を持たない性格をしていた。そのためいまだに結婚もしていないのであるが、そんな彼がふらふらと色々な所に行けるのは、彼の度胸と、愛嬌故である。
シャーリーブルー開発前の、実家に生活費の大半を担ってもらっていただけの時期ですら、呆れる者はおれど本気でエドワードを嫌う家族はいなかった。
「仕方ないなぁ」
と周りに言わせてしまう、不思議な人だった。
そんな愛嬌は他国人にも効くらしく、ジュラエル王国にて染料を研究していたエドワードを気に入ったカシテライト伯爵は、彼の研究を支援していた。
元々、シャーリーブルーの開発はカシテライト伯爵家の援助あっての成果でもある。どこかと輸入の為に交渉をするのであれば、最も話が早い相手でもあった。
カシテライト伯爵は、次女ローゼマリーをエルウィズ家の跡取りに嫁がせる事を条件に、安価にペパポの花を売ると約束した。
他よりも安く、しかもシャーリーブルーの製作者であるエドワードが簡易的な品種改良も着手し始めていたカシテライト伯爵家の領地から買い付ける事はエルウィズ伯爵家としてもメリットしかなく、ジェイコブとローゼマリーの婚約は結ばれたのである。
◆
この婚約の少し後、カシテライト伯爵家とエルウィズ伯爵家を行き来する商人から、こんな噂が流れ込むようになった。
それが、ローゼマリーがブサイクだという噂だ。元の噂では更に下品な言い方もされていたという。
正直言って、ジェイコブがその話を聞いた時に思ったのは、まあ残念だな、という気持ちであった。
ジュラエル王国は精霊と契約した国である。王侯貴族も精霊と契約をしており、その結果他国より美しい容姿を持つ者が多いと言われている。
当然、ジュラエル王国人と言われたら、美人を想像する訳だ。
だからこそ、ブサイクという噂には、少し肩を落とした。
とはいえ、これは政略的な婚約。ブサイクだから嫌だなんて言える訳もないし、言うつもりもさらさらなかった。
今やジェイコブはペデュール王国内でも名の知れた伯爵家の嫡男というそれなりの肩書の持ち主でそれなりに高価格で売れる存在であるが、顔だけで見た時、上玉だとは自分でも思わない。若いころ美人だったとそこそこ名が売れていた母のおかげで平均やや上ぐらいの、ちょっと印象に残り辛い顔をしている。
自分がその程度なのに、相手にだけ高いレベルを要求するのは、おかしな話だ。
ただちょっと若者なりに夢見ていたのが、本当にただの夢だったと残念なだけ。
それに、本人がブサイクだとしても、家格はあちらが上である。
肩書上の爵位は同じ「伯爵」であるが、ペデュール王国とジュラエル王国の国力の差は歴然。そこから考えれば、ジュラエル王国の伯爵は、ペデュール王国の侯爵位以上に相当すると考えられる。
ローゼマリーの立場からすれば国内でもっと良い家柄も選べたかもしれないのに、政略により格下のエルウィズ伯爵家に嫁ぐ事になったのだ。文句の一つ出てもおかしくないだろうが、婚約してから始まった手紙のやり取りでは、そういう怒りやマイナス的な感情は全く見えて来ず、むしろ初々しさを感じていた。
(おそらくかなり大事に育てられた箱入り娘)
というのが、ジェイコブが手紙から最初に抱いたローゼマリーのイメージである。
それぐらいの印象しかなかった頃に流れてきたのが「ブサイク」という噂だった。当然、それが「ローゼマリー」「ジェイコブの婚約者」の第一印象になってしまった人が多かった。
とはいえエルウィズ伯爵家やシャーリーブルーに関わる人々からすれば、カシテライト伯爵家は恩人だ。あっという間に、変な噂を流す相手に対する圧が生まれて、ローゼマリーがブサイクという噂はほんの一時、伯爵領の一部で流れただけで終わった。
――ハズだったのだが。
これが、ジェイコブの従兄弟であるロドニーという男のせいで、やたらと社交界で広まってしまった。
実の所広めたのがロドニーであるという証拠はないのだが、ジェイコブはロドニーが犯人だと確信している。
ローゼマリーがブサイクだという噂は極めて限定的な範囲でしか流れていないはずで、それを聞けた上でそれなりの社交界で噂をバラまける人間は限られるからというのが一つ。
もう一つは、ロドニーがジェイコブを敵視しているというのが、あった。
ロドニーはジェイコブの父であるエルウィズ伯爵の弟の息子。父方の従兄弟という存在である。
このロドニー、どうにも幼いころからジェイコブの事が気に入らなかったらしく、とにもかくにも難癖をつけたり喧嘩を売ってきたり煽ってきたり、こちらをいら立たせて無様な姿を晒そうとする行動が多かった。
姑息なのが、こういう行動は大人の前では良い感じに隠して、同年代ばかりの場でのみするのだ。ジェイコブが下手に相手の煽りに乗れば、同級生の間でまずジェイコブの株は失墜する。さらにそこから親に話が行き、ジェイコブが叱られる事になる。
ジェイコブは馬鹿ではないので、幼いころに一度はめられてから学んだ。大人がいない場所ではロドニーに何を言われても気にしないようにした。
簡単に彼を出禁に出来なかったのは、エルウィズ伯爵とその弟(つまりロドニーの父)の仲は普通に良好だったせいもある。ジェイコブから見てもこの叔父夫婦は良い人たちで、どうしてロドニーがあれほどひねくれてしまったのか、さっぱり見当もつかなかった。
そんな訳でジェイコブからすれば理由が分からないが、やたらと自分を敵視していた従兄弟ロドニー。彼にとって、ジェイコブが大国ジュラエルから嫁を貰うという構図は許しがたいものだったのだろう。
そうして、あっという間にジェイコブの婚約者がブサイクという理論はペデュール王国の社交界に広まり、ジェイコブの名前を聞くと「シャーリーブルーの」か「ああ、あの婚約者が……」のどちらかの反応をされるようになってしまった。
せめてこの噂を払しょくする手立てがあれば良かったが、この手の遠距離での婚約でよく届く絵姿というものが、カシテライト伯爵家からは送られてこなかった。そのせいで、容姿に自信がないのではという疑惑はぬぐい切れず、噂の信ぴょう性は増すばかり。
エルウィズ家の人々も確証なく変な事を言えず、噂が風化するのを待つしかなかった。
だが噂は風化せず、常識のように根付き出してしまう。
いつしか、ジェイコブは、
「せっかく美形ばかりのジュラエル王国の貴族と縁づいたのに、ハズレを引かされた奴」
などと言われるようにまでなっていたのだった。
◆
「ジェイコブ坊ちゃま、そろそろ着替えてくださいませ」
「ああすまない」
信頼のおける使用人たちに着替えられながら、ジェイコブは眉根を寄せていた。
何度も繰り返しになるが、ジェイコブ自身はローゼマリーがブサイクだったとしても、全く気にしない。ローゼマリーが嫁ぐ事でエルウィズ伯爵家にもたらされる利益はあまりに大きいのだから。
だがしかし、嫁いできた後、ローゼマリーは言葉も文化も異なる国で、「ブサイク」という前評判を抱えて社交をしていかねばならない。
それが不安であった。
エルウィズ伯爵家はそこまで社交界に繰り出す事に積極的ではない家だが、シャーリーブルーを生み出して以降、関係を作りたいと接触してくる者は多い。そうでなくともシャーリーブルーを気に入っている王妃から呼び出されて伯爵夫妻は度々王都に出向くようになっていた。
伯爵たちの姿は、順調にいくのであればジェイコブとローゼマリーの将来的な姿である。
社交界への露出は避けられず、ローゼマリーは己を「ブサイク」と囁いてくる者たち相手にわたり合わねばならない。
(あの手紙の雰囲気からして、どちらかというと気弱な人にしか思えん。こちらに嫁いだ後に心が弱って、実家に帰りたいと言われたらどうする? 無理に引き留めるのは哀れすぎる。かといって、簡単に返して契約を反故にされても困る)
今の所、ジェイコブの最初の仕事は、嫁いできて緊張しているローゼマリーに、
「申し訳ないが貴女の事をブサイクと言ったものがいて、その噂が勝手に回ってしまっている」
と伝える事だ。
婚約者とやっと会えると言えど、好ましくない話をしなければならないのだ。盛り上がる気持ちでいられるはずもない。
着替えた後も窓際で黄昏ていたジェイコブであったが、時間は待ってはくれない。
「ジェイコブ様! エドワード様たちが乗っているであろう馬車が見えてまいりました!」
使用人の報せに、ジェイコブは両手で頬を叩いた。職人たちが気合を入れる時にしているそれは、貴族らしくはないが、ジェイコブからすれば身近な姿だった。自然と、気合を入れる時にその挙動をするようになっていた。
「……よし。――今いく!」