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星の加護クズおじさんガンと診断されてビビり散らかす

作者: たのすけ

「変な意味は無いんだ。信じて欲しい。変な意味があってこんなことを言っているのではないんだ。むしろ、変な意味でこんなことが言えるものか。これは単純シンプルに今の僕の衷心からの願いなんだ。それを本当に純粋ピュアピュアに言っているだけなんだ。それを口にしているだけなんだ。ね、分かるだろ? だから、お願いだ。ね、ともかく下の毛を綺麗に処理して欲しいんだ。範囲を狭く、そして短く整えて欲しいんだ。んで、その状態で、どうか僕が入院しているこの病院まで来てほしいんだ。そんなお毛毛状況の君から、僕は心づくしの差し入れをもらいたいんだ。もちろん、ここは病院だから、本当に綺麗に処理しているかなんて確かめようがない。確かめるつもりもない。だからさ、だからね、これはプラトニックラブなんだよ! 本当の、ただただ至誠極まるプラトニックラブなんだよ! ね、だからお願いだよ。ね。絶対に変なことしたりしないから。ね。ね。下の毛、ね」

「……」

 電話だから冬美の表情は見えぬが、しかし、その顔に浮かんだ困惑の色は沈黙に乗ってタノスケの元へしかと届いた。

 冬美からしてみればタノスケは、九年もの間、一つ屋根の下に暮らしたが、しかし、もうこれはダメだと意を決して捨てた男である。その男から緊急事態の報を受け、仕方なしに連絡を取ってみたら先のふざけた懇願である。相変わらずの愚物だとシンプルに呆れると同時、妻子に捨てられたという強烈なショックによっても微塵も変わらぬその下劣な稟性の、その圧倒的強靱さを前に、何故に自分はもっと早期に矯正不可能の烙印を押し、塵芥弊履のごとく捨てるという決断ができなかったのだろうかと、そんな自責の念もあったかもしれない、しばし絶句の後、それでも少し気を取り直したのか、ようやく冬美は口を開いた。

「あ、あのさ、そんなことより、タノくん。病状はどうなの?」



 タノスケは癌だった。

 冬美、夏緒、春子と暮らしている時から

━━痛いなあ……━━

 と思うことはあった。痛いのは、右膝の横あたりだった。そこの皮膚が擦り傷のようになって爛れ、痛くて、何もしなくても痛いが、動かすと何倍も痛くなるので、気軽に膝を曲げられないという状況だった。そして、その症状は時を経ても一向に治癒へと向かわないのだった。何やらそれは、治癒過程という自然の摂理からまったく置き去りにされるという、まるで悪夢の凝縮のように思われたが、今から思えば、そのような非常に相対したならば直ぐにでも人間の叡智の結晶たる科学にすがるべきだったのだ。人間に降りかかる悪夢へと決然と挑み、もっともそれを打ち砕いてきた実績のある科学にこそタノスケは苦難脱出の可能性を見るべきだったのだ。

 しかし、タノスケは膝の痛みを放置した。〝眼を動かす筋肉だけ何故かマッチョ星〟の下に生を受け、視姦時ばかりか、自身の問題(性病を疑う小倅ドリチンかゆかゆ症状は除く)から目を背ける時にもそのマッチョ筋力を発揮するおぞましさで、タノスケは膝の痛みからも目を逸らしたのだった。

 そも、タノスケは病院が嫌いである。医療職の方々はすべて世間の皆から頼りにされている存在だ。その存在の中に、世間の誰からも必要とされていない無価値な自分の身を置くと、全身が、魂までも縮こまるような苦痛をタノスケは感じるからだ。だから病院というものが嫌いで、タノスケはなるべく、性病以外ではそんな所には行きたくない、だから自身の膝の痛みから目を逸らしたのだった。

 しかし、冬美が夏緒と春子を連れてタノスケの元を去り、その後右往左往の末、プロレス道場に入門した頃から、膝の痛みは我慢できないレベルのものとなった。これから頑張ろうというのに、痛みでまったく道場に通えなくなった。 それで、ついに観念したタノスケは医師に診てもらうことを決意したのだった。

 最初診てもらった近所の皮膚科では、老齢の医師が真摯な態度で診てくれたが、これは怪我だと、完全に見当外れなことを言われた。確かに、その頃のタノスケの皮膚はすっかり生々しい擦り傷のようになって痛々しかったが、これは次第に変化してそうなったものであり、決して怪我とか、そんな急性のものではなかったのである。

 回らぬ口で、けれど懸命にタノスケが経緯を説明すると、その老医師は診断に困っていたようだったが、思案の末、白いクリーム状の塗り薬を出してくれた。若干、その口調やら視線やらに当てずっぽう感を感じてタノスケは不安になったが、とあれその薬を指示通りに塗り続けた。

 だが、症状は悪化した。そして再びその近所の皮膚科に行こうとしたら、その皮膚科の医院は閉院していた。どうやら随分前から閉院することが決まっていたようである。

 それで仕方なくネットで調べて、家からは少し離れているが、比較的評価の高い皮膚科に行った。そこも前回と同じく町医者で、評価が高い割りには設備があまりにも乏しいように見えたのだが、藁にもすがる思いだったタノスケは機器に頼るのではなく生眼力の高さこそが皮膚科医の真骨頂なのだろうと都合よく考え、機器が少ないことはむしろこの医者の実力の高さを証明するものに違いないと、むしろ安心材料とした。

 今回の医者も前回の老医師同様、診断に困っているようだった。中年のマスクをしている医師だったが、マスクをしていても顰めっ面だとわかるほど顔を歪めながらタノスケの膝に顔を近づけ仔細に診察した。診察しながら、その医者は、前回の医者はどんな薬を出したかとタノスケに問うた。それにタノスケが白いクリーム状の、その薬の名称をうろ覚えにきっと若干間違えながら告げると、

「その薬じゃあ、悪化するでしょう」

 と呆れたように言った。このような、後出しジャンケン的に商売敵を落とすような発言に対しては、平生ならばタノスケは大いに鼻白むのだが、不安いっぱいで藁にも縋り付きたい心地のタノスケは、むしろそんな医者の後出しの言にも頼もしさしか感じなかった。この医者なら信じられる、と思った。

 だが、そうしたやり取りの末に出された透明な塗り薬は、まったく効かず、症状は再び悪化した。次回の診察は一週間後と言われていたが、痛くてとても待てず、二日後には再びその医院を受診した。

「こ、こんなはずない。そんな強い薬じゃないんだよ」

 予想外の事態に焦ったその医者は、今度はまた違った方面から攻める感じの薬を出してくれたが、それも一向に効かなかった。こんな感じの、反復運動のごとき同じような、すなわち処方された薬で悪化→それに医師が驚き→今度は違った薬を処方、という反復じみたことを四度繰り返した時、その医者はもはや打つ手なしと覚ったようだった。そして

「大きな病院を紹介する」

 と言った。

 それに対しタノスケは、

「手術ですか? 切るんですか?」

 と狼狽えるように問うた。膝の、痛い場所というのは直径八センチほどある。それだけの範囲の皮膚を切り取ることを想像すると、あまりに恐い! 絶対に嫌だ! と、タノスケはもう恐くて泣きそうだった。

「先生。塗り薬でなんとかならないですかね?」

 その怯えきったタノスケの様子に医者は、もはや自分の手元からリリースすることを決めている者の気安さで、

「大丈夫。絶対に適応の塗り薬あるよ。絶対、手術にはならないよ」

 と断言した。


 そして、紹介状を手にタノスケは大病院を受診し、最新の医療機器で検査された結果、実に呆気なく手術が決まった。

 三十才くらいの若い女性の医師だった。医師は断言した。

「手術しかないですよ。これは癌だから放置しても治らないですよ」

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