想いの熱
美咲は仕事帰りにふらりと立ち寄ったいつものレストランで、一息ついていた。舞台のことを考えながら食事をしていると、ふと耳に馴染みのある声が背後から聞こえてきた。
「美咲さん?」
振り返ると、そこには翔太が立っていた。彼は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔に変わった。互いに稽古場でよく顔を合わせてはいるが、まさかこんな場所で再会するとは思ってもいなかった。
「翔太さん……偶然ですね。」
美咲も驚いたが、なぜか自然に笑みがこぼれた。こんな偶然があるものかと、内心少し運命的なものを感じたのだろう。彼は周囲を見回し、軽く肩をすくめながら問いかけた。
「一人? もしよければ、ここで一緒に食べてもいいかな?」
美咲は一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。翔太がテーブルに着くと、どこか緊張していた空気が、少しずつほぐれていくのを感じた。レストランのざわめきが遠くに感じられ、二人だけの世界が始まろうとしていた。
「ここ、よく来るの?」
翔太がメニューを眺めながら尋ねた。
「ええ、仕事帰りにたまに寄るんです。なんだか落ち着ける場所で。」
彼女の答えに、翔太は小さく頷いた。美咲がそう言うのを聞いて、彼自身もなぜかここが特別な場所に思えてきた。二人は互いに頼んだ料理が運ばれてくるのを待ちながら、静かに会話を始めた。
話題は自然と舞台のことに移っていった。稽古のこと、演技のこと、舞台裏の細かい動きやスタッフの役割――。二人は話すほどに熱がこもり、まるで舞台そのものがこのテーブルの上で広がっていくかのようだった。
「舞台って、本当に一瞬一瞬が命なんですよね。」美咲は目を輝かせながら言った。「俳優さんがセリフを発するその瞬間の空気、小道具が置かれるタイミング、音や光の変化……それが全て一つに結びついた時に、観客に感動が伝わるんです。」
翔太は彼女の話を聞きながら、心の中で感嘆していた。美咲の舞台への情熱は、ただのスタッフの仕事を超えて、舞台全体を愛している者だけが持つ深い思いだった。彼女が舞台裏の一つ一つの要素に込める情熱が、どれほど大切なものかを彼は改めて感じた。
「その通りだよ。」翔太は頷きながら言った。「観客には表面的なものしか見えないけど、その背後には君たちのような人たちの努力がある。俺たち俳優は、君たちの支えがあって初めて舞台に立てるんだ。」
翔太の言葉に美咲は照れくさそうに微笑んだが、同時にその言葉が心に深く響いた。彼が舞台の本質を理解し、ただの演技者としてではなく、舞台全体を捉えていることが嬉しかったのだ。
「でも……翔太さんの演技も素晴らしいです。稽古中に見ていると、本当に息を呑む瞬間があります。あれは、どうやって生まれるんですか?」
美咲が真剣なまなざしで尋ねると、翔太は少し考えるように黙り込んだ。そして、ふっと遠くを見るような目で、静かに語り始めた。
「演技って、結局は自分との対話なんだ。自分の中にある感情や記憶を引き出して、それを役に重ねていく作業。だから、毎回違うんだよね。同じセリフでも、その時の俺の気持ちや状況によって変わる。それが舞台の生きている部分なんだと思う。」
彼の言葉に、美咲は頷いた。彼の演技が特別である理由が少しだけわかった気がした。翔太は舞台の上で、ただ役を演じるのではなく、そこで生まれる瞬間瞬間を生きているのだ。
「だから、君たちが作ってくれる環境も大事なんだ。君が見てくれているおかげで、俺も役に集中できる。感謝してるよ、美咲。」
その言葉に、美咲は胸が熱くなった。翔太が、自分のことを「ただのスタッフ」ではなく、同じ舞台を作り上げる仲間として見てくれている。その事実が、彼女にとって何よりも嬉しかった。
「私こそ……こんなに素晴らしい舞台に関われて幸せです。」
その瞬間、二人の間に漂う空気が変わった。レストランのざわめきが遠くに感じられ、二人の視線が重なった。その静かな共鳴が、言葉以上に彼らの距離を近づけていた。
気づけば、夜は更けていた。外はひんやりとした風が吹き始め、二人はようやくレストランを後にした。歩きながらも、舞台への思いを共有した時間の余韻が、二人の心に静かに残っていた。
それは、舞台という一つの世界の中で、二人が少しだけ同じ灯りを見つめた瞬間だった。