出会い
美咲が橘翔太に出会ったのは、偶然というにはあまりにも鮮やかで、運命というには現実味がない、そんな瞬間だった。
その日、美咲はいつもの仕事帰りに、ふと立ち寄った小さな劇場の前で足を止めた。特に理由はなかった。ただ、夕暮れの風に押されるように、吸い込まれるように、チケットを手に入れて劇場の暗がりへと足を踏み入れていた。彼女の胸には、ほんの少しの期待と、見知らぬ世界への好奇心だけがあった。
劇場に入るとすぐ、重い幕が開き、舞台にスポットライトが降り注いだ。その瞬間、美咲の心臓は一気に跳ね上がった。そこに立っていたのは、誰でもなく、圧倒的な存在感を放つひとりの俳優。橘翔太という名の、まだ無名に近い俳優だった。
彼の登場は静かだったが、彼が舞台に足を踏み入れたその瞬間、劇場全体の空気が変わったのを美咲は感じた。観客たちの目が、息を飲む音さえも聞こえるほどの静寂に包まれた。彼は一言も発しないまま、舞台を支配していた。
翔太の視線が、何もない空間を見つめる。だが、そこには確かに何かがあった。目に見えない何かを美咲は感じ取った。彼の視線の先にあるもの、それが何であれ、彼の演技がその瞬間、現実の枠を超えて、幻想の世界を具現化していた。
舞台上で彼が発した最初の言葉は、静かでありながら、どこか冷ややかで鋭く、美咲の中に深く響いた。まるで劇場全体が彼の一言で揺れ動き、空気が一変したかのようだった。その瞬間、美咲は理解した。この人は、ただの俳優ではない。この舞台での彼の存在は、何かもっと大きなもの――人の心の中に潜む影や、奥深い感情の渦を、そのまま具現化しているかのようだった。
時間が止まったように感じた。舞台上の橘翔太が、そこに存在していることが奇跡のように思えた。彼の演技は決して大げさではなかったが、一つ一つの動作、視線、言葉の重みが、観客全員の胸に深く刺さった。彼の繊細な演技の中に潜む感情の波動が、暗闇の中で美咲を捕らえ、放さなかった。
終幕の頃には、彼の一挙手一投足に完全に魅了されていた自分に気づいていた。美咲の中で、初めて「推し」と呼べる存在が生まれた瞬間だった。
彼女はその後、何度も彼の出演する舞台に足を運んだ。最初はただの好奇心だったが、次第にそれはもっと深いものへと変わっていった。橘翔太の演技に出会うたび、美咲は自分がどこか遠い場所へ連れて行かれる感覚を味わった。
そう、彼女にとって翔太は、ただの俳優ではなかった。彼は、美咲がまだ知らなかった自分自身の一部を映し出す鏡のような存在であり、舞台という限られた空間の中で、無限の感情や物語を彼女に投げかけてくれる、特別な存在だった。
そして、その日以来、美咲の中で、橘翔太という存在は確固たるものとなった。彼の舞台を見続けることが、日常の中で彼女が自分を取り戻す唯一の時間となったのだ。