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第二部(2)

しかしその次の日、もっと予期せぬことが起こった。

彼女のクラス—―栗毛の先輩のクラスでもあるけれど――が学級閉鎖になった。クラス全員が欠席したらしい。皆、体調不良なのだとか。

一体、何が起きているのか。彼女の呪いとも思えてしまう出来事に、僕は詳細を追究したくなった。


栗毛の先輩は、立花 銀次(たちばな ぎんじ)という渋い名前だった。僕は格好良いと思ったけれど、本人はあまり好きではなさそうだった。

まぁそれはいいとして、学級閉鎖が解除された頃、僕は、回復した立花先輩に会いに行った。


立花先輩はげっそりとしていた。元々、目つきが悪かったのに、更に眼光鋭くなっている。まるで手負いの狼のようだ、と思った。

「酷い目に遭った」

と先輩は言った。

腹痛、嘔吐、下痢、発熱、眩暈、手足の痺れ等々の症状が表れ、まるで毒を飲んだようだった、と。

先輩は運良く回復したけれども、実はクラスの7人が昏睡状態に陥ってしまっている。

昏睡、というのは、僕の中では死までの猶予期間という印象だった。

僕の左眼を撃ったあの狐野郎が、熊君に首根を押さえつけられて全体重をかけられた後、昏睡状態に陥り、その後しばらくして死んだ、という経過を聞いたからだ。

僕はそれを知った時、心の底で笑う自分がいることに気がついた。同級生から重傷を負わされたにも関わらず僕の精神がある程度安定しているのは、加害者が死んで気が晴れたから、というのもあるかも知れない。

「犯人に心当たりがある」

と先輩は言った。

少し前まで不登校だった女子がいるらしい。クラス内の苛めが原因で不登校になっていたところを、委員長の藤堂さんが粘り強く働きかけ、登校できるまでに回復したそうだ。

しかし藤堂さんが亡くなったと知らされた次の日、つまり学級閉鎖になった日、彼女だけが体調不良ではなく登校拒否を示したのだという。それ以来、一度も登校していない。

犯人、と言うにまだ不確定なことが多すぎる気がするが、実際に苦しい思いをした立花先輩からすると、怒りをどこかにぶつけたくなるのだろう。

「彼女に会いに行く」

先輩は昏い目でそう言った。

僕は、不穏な空気を感じたから、僕も連れて行ってください、とお願いした。

何故だ、と先輩は反対したが、僕は引き下がらなかった。

これ以上、何かが起きるのは見たくなかったからだ。


その人は、片倉 暖里亜(だりあ)というらしい。花の名前だ。素敵だと思った。

彼女はクラスの一部の女子から苛められていたようで、それを皆、見て見ぬふりをしていたことは、立花先輩も認めた。反省している、と。

クラスの皆にその反省を促したのが、委員長の藤堂さんだと言った。

彼女は正義感も責任感も強く、クラスの人間に、苛めが如何に愚かなことかを説明し、皆の意識を変えるように尽力すると共に、片倉さんへも働きかけ、登校できるように説得したのだという。

素晴らしい人だった。そんなに素晴らしい人だとは知らなかったから、僕は、彼女の瞳だけを見て一目惚れしたことを少し恥じた。

彼女の尽力の結果、片倉さんは登校できるようになり、苛めも無くなり、とても平穏な日が続いたのだという。

「ではどうして藤堂先輩は自殺を……」

「それはわからない。ただ、藤堂さんと一番親しくしていたのは片倉さんだから、それも含めて話を訊こうと思っている」

立花先輩は冷静さを取り戻していた。不穏なことにならずに済みそうでよかった、と心から思った。


片倉 暖里亜さんの家はまるで洋館のようだった。

クラシックなレンガ調の外壁に、周りをぐるりと囲む黒い柵、背が高く大きな窓には唐草模様の装飾がなされている。

少々臆してしまう雰囲気を醸しているが、立花先輩は意にも介さず、門扉に付いているインターホンを押した。


実は立花先輩は何度か此処を訪れたことがあるらしい。

此処に来る道中で話を聞いたのだけれど、委員長の代理で、暖里亜先輩――素敵な名前なので、心の中では下の名前で呼ぶことにする――と話をすることもあったという。

どうして代理を?と僕が訊くと、副委員長だからだ、と先輩は答えた。

副委員長なんていう立場があるのか、と思うと同時に、なんだか嫉妬にも似た幼稚な感情が湧き起こりそうになったが、その時すでにこの洋館が見えてきたところだったから、取り敢えずそれは丸めて捨てた。

立花先輩は深刻な面持ちで言った。

「彼女の家で出されたものは、お茶であろうが菓子であろうが一切手をつけるなよ。何が入っているかわからないからな」

そうだ、先輩は彼女を疑っているのだった。

僕はしっかりと頷いた。


インターホンが鳴った後しばらくすると返事があった。

女性の声であることはわかるけれども、消え入りそうな静かな声だった。

先輩はインターホンに顔を近づけ、驚くほど優しい声色で言う。

「立花です。最近、欠席が続いているから、具合が良くないのかと思って様子を見に来たんだけど……」

それは彼女を本当に心配しているようだった。疑っていることなど微塵も感じられない。いや、実際、少しは心配もしているのかもしれない。副委員長として。

彼女は少し戸惑っていそうなことがインターホン越しでもわかった。突然、家に来たのだ。その気持ちはわからないではない。少しの沈黙の後、

「ありがとう。心配かけてごめんね」

と言った。先輩は続ける。

「よければ少し話がしたいんだけど、都合はどう?」

ふふっ、という笑いが微かに聞こえた。しかしその後やはり、何か逡巡しているような間が続く。

少しした後、意を決したように、さっきよりは幾分はっきりとした声が聞こえた。

「いいよ。中へどうぞ」

彼女はどんな人なのだろう。家の外観に臆した僕は、少し緊張した。


門扉を開けて中へ入ると、間もなく玄関のドアが少し開き、小柄な女子が姿を見せた。

きれいに切り揃えられた赤毛のボブヘアに、丈の長い真っ黒なワンピース。ワンピースの裾や袖口には繊細なレースが施されており、それはゴシック調の洋服を連想させた。

これは武装だな――と僕は思った。外見を特徴的にすることで他者を拒絶する。逆に言うと、他者に踏み込まれたくない何かを内面に抱えている。

顔色は病的に青白く、まるでヴァンパイアのようだと思った。

「やっぱり具合、良くないのか」

「うん……最近あまり眠れなくて……」

そう言って彼女は、先輩の半歩後ろに居た僕の方に目線を向けた。

「あぁ、彼は後輩なんだが、藤堂さんのことが訊きたいらしく、ついてきてしまった」

「藤堂さん――」

彼女は言葉を詰まらせ、今にも泣き出しそうな表情を見せた。それだけ仲が良かったということなのだろう。僕も胸が痛んだ。

しかしここでふと疑問が浮かぶ。こんなに弱っている人が、学級閉鎖を招くほどの破滅的な行為をすることができるものだろうか、と。彼女は精神的にも肉体的にも限界に近いところまできているように見えた。

僕はなるべく、波風立てぬよう穏やかな声色で挨拶をする。

「はじめまして。朝倉 知景(ちかげ)と言います」

「朝倉君……よろしく」

彼女はやっぱり、消え入りそうな声で微笑んだ。


僕たちは、玄関を入ってすぐ脇にある応接の間に通された。と言っても部屋になっているわけではなく、此処からダイニングやリビングまでが見通せる。どちらかというと、広々とした空間の片隅に応接セットが置かれている、といった感じだった。

暖里亜先輩は自然と「お茶を入れるね」といって奥のダイニングへ向かおうとしたが、それを立花先輩が腕を掴んで止める。

「お茶はいい。座ってくれ」

そう言って彼女をソファに座らせた。玄関口での会話とは違い、シビアな口調になっている。僕も立花先輩の横に座った。暖里亜先輩は、ソファに置いてあったクッションを抱いた。

「単刀直入に訊く。皆に毒を盛ったのは君だろう」

クッションを抱く指先に力が入る。彼女は僕たちから少し目を逸らし、黙り込んだ。

「どうしてそんなことをしたんだ。藤堂さんが亡くなったことと何か関係があるのか」

立花先輩の声色は思いのほか穏やかに聞こえた。それは悪いことをしでかした生徒に理由を訊く先生のような。いや、もしくは、取り返しのつかないことになって音を上げる、情けない声にも聞こえる。

彼女は僕たちから顔を背け、右眼から静かに涙を流した。あくまで無表情のまま、涙だけが流れる。

「藤堂さんには死んでほしくなかった。だけど彼女を追い詰めたのは私なの」

僕は息を呑んだ。そしてここから、彼女の懺悔が始まった。


「私は或る3人の女子から苛められていた。理由はわからないけれど、私に何か原因があるのだと思った。だってクラスの誰も、私の擁護はしてくれなかったから。クラスのみんなが彼女らと同意見なのだと思った。

だから私は、学校に行けなくなった。居場所が無かったから。

でも家に居ても、頭の中で彼女らの言葉が繰り返されるの。

彼女らが正しい、私が間違っている。

みんなの仲間に入れない私には価値がない。生きる価値がない。

そして私は、次第に無気力になっていった。生きる気力も無いけれど、かといって死ぬ気力も湧かない。もう全てがどうでもよくなって、生きているという実感が湧かなくなっていった。

そんな時に藤堂さんが家を訪ねてくれるようになったの。

彼女は真っ先に謝った。私が不登校になるまで傍観してしまったことを。

でもその時の私は全てがどうでもよかったから、彼女の言葉は全く頭に入ってこなかった。本当に、右から左へ流れていくだけだった。

だけど彼女はその後、毎日のように来るようになった。

その度に、貴女は悪くない、とか、クラスにはこう働きかけている、とか、そういう話をするようになった。

私は心底どうでもいいと思ったのだけれど、それでも彼女が毎日懸命に来るものだから、少し愛着が湧いてしまったのかもね。クラスの話はいいから勉強を教えてほしい、と言ったの。

すると彼女の表情が明るくなったのがわかった。それと同時に、私の中にも少し気力が戻っていることを実感した。

私が休んでいた間に進んだ箇所を、彼女が先生代わりになって教えてくれた。

そして私は家で勉強するようになった。

次第に、進んだページ数だけを聞いて、自分で勉強するようになった。

その頃になると、立花君が代わりに来てくれることもあった。

立花君の目を見て、クラスが少し変わっていることを実感した。彼女の成果だと思った。


大体半年ぐらいかな、休んでいたの。私は再び学校に通い始めた。

私を苛めていた3人は謝ってくれた。そしてその後はとても平穏だった。

だけどね、私の心の傷はそう簡単に癒えるものではなかったの。

何事もなく平穏に過ごしているあの3人が、クラスのみんなが、無性に腹立たしく思えて、憎しみを募らせるようになっていった。

私はこの感情を抑えきれなくなって、藤堂さんに話したの。復讐がしたいって」


ここまで話して、暖里亜先輩は立花先輩の目を見た。立花先輩も復讐の対象だったと言いたいのだろう。涙はもう乾いている。

彼女は話をしながら、当時の感情を追体験しているようだった。

彼女は続ける。


「藤堂さんは勿論反対した。復讐なんて意味が無いって。私がその話をする度に何度でも説得しようとしてきた。

それで私、思ったの。言ってわからない人には体験させるしかない、って。同じ体験をすれば、きっとこの感情を理解してくれる筈だって。

だから私は、藤堂さんに嫌がらせを始めた。

彼女は強いから、何度だって私に抗議してきた。直接言える彼女が羨ましくもあった。私はあの3人に、やめてって言うことができなかったから。

でもね、彼女は絶対に反撃してこないことを知っていた。私はそれを存分に利用して嫌がらせを続けた。より過激に、より辛辣に。

彼女は苦悩していたと思う。自分が手を差し伸べた人が、自分に害をなす存在になるなんて、って。

彼女は責任感が強かったから、自分で解決しなきゃと思ったのね。誰にも言わず、だから周りの誰も気づかなかったと思う。

彼女に私を憎んでほしかった。そうすれば私の憎しみもわかると思ったから。

だけどあと一押しが足りなかった。

だから私は、その一押しをあの3人にしてもらうことにしたの」


僕はこの時点で吐き気を覚えていた。胸糞悪いとでも言おうか。

立花先輩は一度深く目を瞑って息を整えた。さらに凄惨な状況を聞く覚悟をするかのように。


「そそのかすのは簡単だった。あの3人にとっては苛める対象は誰でもよかったの。彼女らは一度は反省したけれども、ちょっとしたきっかけさえあればすぐに元の愚かな人間に戻ってしまう。いえ、もともと人間はみんなそういう資質を持っているのかもしれない。みんながそれぞれ努力し続けないと平穏なんて成し得ない。だけど彼女らは努力し続ける能力が低かったの。すぐに堕ちていった。

私はこんな人達に虐げられていたのかと思うとますます怒りが増した。だって私は、自分に原因があると思い込んで苦しんでいたのだから。


藤堂さんも数には敵わなかった。みるみる疲弊していった。

だから或る日、私は彼女に毒を渡したの。私の憎しみがわかったなら、あの3人の水筒にこの毒を入れてみせて、って。

以前の彼女なら絶対に受け取らなかった。だけどよほど疲れていたのね。何も言わずに受け取った。

私の水筒に入れるかも知れないとも思った。でもそれでもいいと思った。彼女がついに手を汚すかもしれないと思うと、胸が高鳴った。


だけど彼女は、自分でそれを飲んだのよ」


――狂ってる。魔女だと思った。なんて惨いことを。

図書室で見せた哀しい目の背景にこんな出来事があったのかと思うと、言い様のない息苦しさが僕を襲った。


しばらくの静寂の後、立花先輩が先を促す。

「それで……皆に毒を盛ったのは復讐か」

「……よくわからない。彼女が亡くなって、私は自棄になってしまった。もう、全てを壊してしまいたくなった。みんな死ねばいいと思ったの。……愚かだったわ」

「そうだな。お前は愚かだ」

立花先輩は目線を落とし、抑揚のない声でそう言った。その後、再び彼女を見やり、頭を切り替えたように、今度は穏やかな口調で言う。

「全部話せたか?」

「うん……聞いてくれてありがとう」

暖里亜先輩も、元の消え入りそうな声でそう言う。

「お前は死のうとするなよ。もう人の死は見たくない」

「わかってる。私は、自分の罪を償うの。これからはその為に生きる。本当に悔いているから」

「じゃあしっかり食べて眠ってくれ。俺たちは帰る」

そう言って立花先輩は立ち上がった。僕も立つ。

簡単な別れの挨拶をした後、僕たちは外へ出た。


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