ダンジョン令嬢 ~不潔な女は出ていけと婚約破棄されたので、心置きなくダンジョンに潜れます~
シンシアは、ハーゲン・ハストバーン伯爵の婚約者だった。
ハストバーン家の領地にはダンジョンと呼ばれる魔物の巣窟があり、そのダンジョンを目当てに訪れる多数の冒険者たちによって領地の経済は潤っていた。
特に最近は、ハストバーン領のダンジョンは初心者でも簡単に攻略できるとして、より多くの冒険者たちが足を運んでいたのだった。
ある朝、シンシアはハーゲン伯爵の部屋に呼び出された。
いったい何事だろうと、シンシアはそれなりに品のある洋服に着替え、伯爵の部屋へ向かった。
ノックをして部屋に足を踏み入れたシンシアは目を疑った。
部屋の中にいたのはハーゲン伯爵と――その傍らに立つ金髪巨乳の女性がひとり。
「あの……呼ばれたので来ましたけど、そちらの女性は?」
伯爵は自慢の髭をいじりながら、もう片方の手で女性の腰に手を回す。
「カーミラ・ヴィレオルド嬢。由緒正しきヴィレオルド家の令嬢だよ」
ヴィレオルド。
シンシアにとって初めて聞く名前だった。
「それで、その女性がどうしてここに?」
「シンシアよ。お前に質問を許した覚えはないぞ。まずは私の問いに答えてもらおうか」
不機嫌そうに鼻を鳴らすハーゲン伯爵。
シンシアは黙って伯爵の次の言葉を待った。
「お前は夜な夜な屋敷を抜け出しているそうだな?」
「い、いえ、まさか」
「とぼけるな!」
伯爵が怒鳴り、言葉を続ける。
「良いか、侍女も執事も目撃しているのだ、夜になると屋敷を出ていくお前の様子を。そして早朝、日が昇る前に帰って来ているというではないか。一体何をしているのだ?」
「そ、それは……」
「答えられまい。どうせ別の男と密会でもしていることだろう。なんと不埒な女だ」
「違います!」
「ふん。お前の話など信じられんわ。高名な騎士の家系であるウーダンウェルドの令嬢だからと婚約をしたものの、そのようであれば信用できんな」
「話を聞いてください、伯爵。実は……」
「加えてその首筋のあざ! どこの男に付けられたられたものだ?」
伯爵は汚いものを見るような目で、シンシアの首元を見た。
確かにそこにはあざがあった。まるで熱烈なキスをされた跡のような……。
「こ、これは……!」
「ねえ伯爵、私の言った通りでしょう?」
豊かな胸を揺らしながら、甘ったるい声でカーミラ嬢が伯爵に言う。
伯爵は相好を崩し何度も頷いた。
「そうとも。こんな女と婚約した私が間違っていた」
「誤解です、伯爵。どうか私の話を――」
「ええい、うるさい! 良いか、シンシア・ウーダンウェルドよ。私はここに、お前との婚約を破棄することを宣言する!」
「そ、そんな」
「今すぐこの屋敷から立ち去り私の目の前から姿を消すが良い、この淫乱で不潔なメス猿め!」
伯爵の目は吊り上がり、とても話が通じる様子ではなかった。
「……分かりました」
シンシアは仕方なく、何も言わずに伯爵の部屋を出ていった。
◆◇◆◇
シンシアは自室に戻ると荷物をまとめ始めた。
替えの下着や僅かな化粧品。
周辺の地図と心もとない額の金銭。
それから―――剣と鎧装束。
対魔物用の魔具と薬草類。
キャンプで使うランプや携帯食料等。
「まったく、何も分かっていないのね、あの伯爵は」
ハストバーン領のダンジョンは、本来ならば熟練の冒険者でようやく太刀打ちできるレベルのものだった。
それを初心者でも安心して挑めるような難易度に落としたのは、他でもないシンシアだった。
身支度を終えたシンシアは部屋を出て、敷地の端にある厩舎へ向かった。
「シンシア様、お出かけですか?」
厩務員がシンシアに声をかける。
「ごめんなさい。事情があってこの屋敷にはいられなくなったの」
「は? しかし、シンシア様がおられなければダンジョンは……」
「仕方ないのよ。伯爵から婚約を破棄されて、出て行けって言われちゃったんだから」
「そ、そんな馬鹿な。これまでどれだけシンシア様がこの領地のために尽くしてこられたか、旦那様はご存じないのですか?」
「ご存じないのよ、きっと。だからその駄賃に一頭、貸してもらえるかしら?」
「それはもちろん。口裏を合わせ、放牧中に失踪したということにいたします」
「助かるわ」
「では準備を」
厩務員は厩舎から、シンシアによく懐いている一頭の馬を連れてきた。
「ありがとう。遠慮なく借りていくわ」
「いつ返しに来られても結構ですので」
「それじゃ、さようなら。世話になったわね」
シンシアは颯爽と馬に跨ると、一気に屋敷の門をくぐり街道を駆けた。
……ダンジョンに挑む冒険者で、シンシア・ウーダンウェルドの名を知らぬ者はいない。
攻略不可能と言われたいくつものダンジョンを制覇した、類まれな実力の持ち主の名を。
馬で野原を駆けながら、シンシアはハーゲン伯爵と婚約した頃を思い出していた。
シンシアの父は、名家に嫁ぐのが女の幸せだからと、彼女が冒険者であることを隠し伯爵との婚約を勝手に決めてしまった。
そして流れのままにハストバーン家の屋敷へやって来たシンシアは、その領地における財政が致命的な赤字をたたき出していることを知った。
嫁いだ以上は妻としての使命を果たさなければいけないと、領地の財政を正常化させるべく、シンシアはハストバーン領唯一の名所ともいえるダンジョンに目を付けた。
そして単身ダンジョンに乗り込み、手強い魔物たちを一掃して、初心者でも安心して挑めるダンジョンに変えてしまったのだ。
もちろんダンジョンの周辺に宿屋や飲食店を整備することも忘れなかった。
その結果ハストバーン領には数多くの冒険者が訪れるようになり、さらにシンシアがダンジョンから持ち帰った豊富な貴金属も合わさって、財政も圧倒的な黒字を叩き出すようになったのだ。
だが問題は、一定の時間が経てばダンジョンの魔物たちが復活してしまう点にあった。
だからシンシアは夜な夜な屋敷を抜け出してダンジョンに潜り、初心者では太刀打ちできないような強力な魔物たちを退治して回っていたのだ。
首筋に出来た痣も、昨晩の戦闘で魔物からダメージを受けたせいで出来たものだった。
「実家にも帰れないし、どうしようかな……」
そう呟いたシンシアの脳裏に、とあるダンジョンが浮かんだ。
国境のはずれにあるダンジョン。
『地獄の入り口』と呼ばれるそれは、出現する魔物があまりにも手ごわく、未だかつて攻略に成功した者はいないというダンジョンだった。
「せっかくだし、行ってみるか」
シンシアは婚約を破棄された。
その代わりに自由を手に入れたのだ。
彼女は馬の進路を、『地獄の入り口』へと向けた。
◆◇◆◇
「……送れるのはここまでじゃ。お嬢さん、気を付けてな」
「ええ、ありがとうおじいさん」
それから数日。
シンシアは親切な村人に荷馬車で送ってもらい、『地獄の入り口』へ通じる洞窟に到着していた。
『地獄の入り口』周辺は、意外にも資源が豊富である。
農業を営むには最適な気候と広い土地、そして清浄な水が流れる川。近隣の山からは貴重な鉱石も採取できる。
それでもこの辺りの土地に誰も手が出せないのは、やはり『地獄の入り口』が危険すぎるからだ。
シンシアは早速ダンジョンに乗り込んだ。
松明に火を灯し、薄暗い洞窟を奥へと進んでいく。
「不気味な気配だわ」
嫌な予感がしてシンシアは足を止めた。
その瞬間、ヒトの形をした巨大な土の人形が彼女に襲い掛かった。
ゴーレムだ。
「こんな浅いフロアで、こんな魔物が!?」
他のダンジョンなら最深部に潜んでいてもおかしくない魔物だが、『地獄の入り口』では第一フロアで現れる。
その事実は、ここがどれだけ危険なダンジョンなのかを示していた。
ゴーレムが振り下ろす拳を紙一重で躱し、シンシアは剣を抜いた。
そして剣に魔力を込め、一気に振り下ろす。
「『獅子斬』!」
ウーダンウェルド家に伝わる必殺の一撃は、見事にゴーレムを一刀両断した。
「……やはり『地獄の入り口』。手ごわそうね」
音を立てて崩れ落ちるゴーレムの亡骸を踏み越え、シンシアはダンジョンの先へと歩みを進めていった。
そんな彼女の顔には、手ごたえのある獲物を前に喜ぶ獣のような笑みが浮かんでいた。
◆◇◆◇
一方、ハストバーン領では。
「何!? 冒険者たちが次々にダンジョンからリタイアしているだと!?」
ハーゲン伯爵に届いたのは、ハストバーン領のダンジョンから冒険者たちが次々と離れて言っているという知らせだった。
冒険者たちがいなくなれば、当然その周囲の宿屋や観光地も収益を上げられなくなる。
「は、はい、その通りです伯爵。なんでもダンジョンの難易度が急激に上がったとか」
「……ふん。たまたまレベルの低い冒険者のリタイアが続いただけのことだろう。またすぐに元通りになる」
伯爵は自慢の髭を撫でながら言った。
「はあ……そういうことであれば」
「よい、下がれ。そのような些末な報告はしなくてよい」
「は、はあ……」
伯爵に追い返され、使用人は部屋を出て行った。
それを待っていたように、伯爵の背後に控えていたカーミラが彼に甘え始める。
「ねえ伯爵、大丈夫よねえ?」
伯爵の顔に頬を寄せ、カーミラは囁くように言った。
「なあに、心配いらぬさ。私たちの邪魔になるシンシアはもうここにはいない。すべてがうまくいくに決まっている」
そう言って伯爵はカーミラを抱き寄せた。
シンシアがいなくなったハストバーン領のダンジョンで、無数の魔物たちが湧き始めていることも知らずに。
◆◇◆◇
果てしなき戦いの果てに、ついにシンシアはダンジョンの最奥部に到達した。
万端に整えてきた彼女の装備もかなり消耗しており、薬草や食料も底をつきかけていた。
全身が疲弊しているのを、シンシア自身も感じていた。
だが。
それでも彼女が歩みを進めるのは、この奥にさらなる強大な敵が待っているからという狂戦士じみた理由だった。
胸の内からとめどなく湧き上がる高揚感がすべての疲れや傷の痛みを感じなくさせていた。
古代文明の遺跡を思わせる通路を奥へと進むシンシア。
そのとき、通路の先から爆発のような音が聞こえた。
続いて、男性の怒号のような声が。
何が起こっているのか確かめようと、シンシアは通路を駆け抜けた。
そして大広間のような場所へ出た瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは巨大な翼を持ったドラゴンの姿だった。
「この魔物が、『地獄の入り口』の主――!」
ダンジョンの最奥でドラゴンが待ち構えていることは、これまでもシンシアは経験していた。
しかしこのドラゴンは違う。
純白の鱗に覆われた神々しい竜。
「伝説の『白竜』か……っ!」
シンシアは驚愕した。
だが、さらに驚くべきことがあった。
「うおおおおおおっ!」
全身の鎧もひび割れ、身体のあちこちに傷を作った男が、なおも白竜めがけて剣を振りかざしていたのだ。
男が剣を振り下ろす寸前、白竜の吐いた炎が男を掠め、男は転がるようにして白竜から距離を取った。
「ち……畜生! もう少しだってのに!」
男はシンシアの目の前で体勢を整え、剣を構えなおす。
「……ねえあなた、何者?」
シンシアが声をかけると、男は驚いたように振り向いた。
「えっ!? なんでこんなところに人間がいるんだよ!?」
「それはこっちの台詞よ。あなた、何してるの?」
「俺の名はエルヴィン・シェデール。伯爵だ――『元』、な」
「『元』?」
「婚約者に騙されて領地を奪われちまったんだよ。途方もない額の借金と引き換えにな。で、どうしようもなくなった俺はこうしてお宝目当てでダンジョンに潜りこんだってわけ」
「ここが最難関のダンジョン『地獄の入り口』だって分かっていての話?」
「……え!? そうなのか!? ここがあの『地獄の入り口』!?」
知らなかったのか、とシンシアは愕然とした。
とはいえ、ダンジョンを攻略するという目的は同じようだ。
「予定にはなかったけど、協力するわ。私はシンシア・ウーダンウェルド。シンシアって呼んでくれる?」
「分かった。じゃあシンシア、俺は左から回って隙を作る。あんたは右から回って攻撃しろ」
「了解!」
滞空していた白竜が炎を吐き、それを避けるように二人は左右へ別れた。
「こっちだぜ、ドラゴンさんよ!」
エルヴィンは大げさに剣を振りかざして白竜を呼び寄せる。
白竜がエルヴィンの方へと急降下する。
その瞬間、シンシアは地面を蹴って飛び上がり、白竜めがけて剣を振り上げた。
身体に残ったすべての魔力を剣に込め、シンシアは叫ぶ。
「ウーダンウェルド式剣術奥義―――『獅子王斬』!」
シンシアの斬撃が白竜の背部に直撃する。
その瞬間、白竜は甲高い悲鳴を上げて身を捩った。
「―――!」
白竜の尾が身体にぶつかり、シンシアは大広間の壁に叩きつけられた。
げほっ、とシンシアが咳き込んだ一瞬の隙に白竜は身を反転させ、シンシアめがけて突進を始めた。
動かなければ、と思うシンシアだったが衝撃で全身が痺れ動けなかった。
白竜の牙が目の前に迫る。
ここまでか、とシンシアが諦めたとき。
「うおおおおおおっっ!」
雄たけびを上げながら、エルヴィンが白竜の首筋めがけて剣を振り下ろす。
捨て身のようなその攻撃は見事に白竜の急所を切り裂き、シンシアへ突進していた白竜はバランスを崩して、そのまま壁に衝突した。
「……あ、危なかった」
シンシアが胸を撫でおろす。
そんな彼女に、エルヴィンが手を差し出した。
「無事か?」
「ええ、おかげさまで」
ふたりは同時に白竜の方を見た。
壁に激突した白竜はそのまま絶命したようで、ぴくりとも動かなかった。
「何とかなったみたいだな。これでこのダンジョンも攻略ってわけか」
「やったわね」
「あんたのおかげだよ、シンシア」
「いいえ、私たちが力を合わせたからよ」
シンシアはエルヴィンの手を取り、立ち上がった。
お互いに傷だらけでひどい見た目だった。
大広間のさらに奥には、数えきれないほどの金銀財宝があった。
「これで俺も借金地獄からは脱出ってわけだ。しかし、どうしようかな。もう伯爵の爵位は失っちゃったわけだし」
「一体どこの誰に騙されたのよ」
「確か、カーミラ・ヴィレオルドとかいう女だったな。いつの間にか俺と婚約する手続きを終わらせていて、気が付きゃ乗っ取られてたんだ」
「……カーミラ?」
聞いたことのある名前だ、とシンシアは思った。
一体誰だろうと考えたが、そんな些細なことより『地獄の入り口』を制覇したことへの喜びの方が大きかった。
「とりあえず少し休んで、それから地上へ戻ろうぜ。お互いもうボロボロだ」
「ええ、そうね」
「地上へ戻ったら、シンシアはどうするんだ?」
「とりあえず……難関と呼ばれるダンジョンでも巡ってみようかしら。私も帰る場所がない身なの」
「へえ、同じだな」
エルヴィンはそう呟いて、剣を鞘へ納めた。
それから少し間をおいてから、言った。
「良かったらそのダンジョン巡り、俺もついて行っていいか?」
◆◇◆◇
「なんでこんなことになったのよッ!」
カーミラは夜逃げの準備をしていた。
シンシアがいなくなって以降、ハストバーン領のダンジョンでは魔物が増え続け、経験の浅い冒険者たちが何人も犠牲になった。
その結果、ハストバーン領を訪れる者はいなくなり、元の赤字領地に戻ってしまったのだった。
ついにはハーゲン伯爵も借金だらけで破産寸前となっていた。
そんな伯爵を見捨て、カーミラは屋敷を脱出する算段だった。
こんな赤字領地はさっさと捨てて次のカモを見つければ良いと、カーミラは従者たちに山のような荷物を持たせ馬車に飛び乗った。
まったく、役に立たない伯爵だったわ。スケベな割に夜の営みもヘタクソだったし……と、カーミラが心の中でハーゲン伯爵の文句を並べ立てていたとき、突然馬車が停まった。
「どうしたのよ! さっさと走りなさいよ!」
カーミラが御者に怒鳴る。
しかし御者は青い顔をして御者席から降りると、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。
「何が起こったっていうのよ……!?」
ぶつぶつと愚痴りながら馬車を下りるカーミラ。
そして前方を見た彼女は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは骸骨の兵士たち。ダンジョンで大量に発生した魔物たちが、街道まで溢れていたのだった。
「だ、誰か助けてよ! 誰かぁ!」
カーミラは骸骨たちに背を向け逃げ出そうとする。
そんな彼女の背中を骸骨の兵士の剣が襲った。
「嫌っ! 痛いっ! やめてよぉっ!」
背中を切り裂かれたカーミラは、這いずり回るようにして骸骨たちから逃げようとした。
しかしそんな彼女を弄ぶように、骸骨の兵士たちは少しずつカーミラを剣で傷つけ、そして最後には涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったカーミラの顔面に力づくで剣を突き立てた。
「――――っ!」
カーミラは恐怖の中、声にならない声を上げて絶命した。
◆◇◆◇
それから数日としないうちに、ハストバーン領は魔物に覆われた不毛の地と化した。
そんなハストバーン領のダンジョンは、『地獄の入り口』周辺の豊かな土地を治める新興貴族の若夫婦によって攻略され、以前にもまして冒険者たちが盛んに訪れる地へと変わるのだが――それはもう少し先の話である。
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