天才の定義は渦巻きに飲まれた。
名札と防衛省のバッジがついた白衣が贈呈され、ついに初日が始まった。
まずは好きなようにやってくれ。と言われたから適当にAIが戦況を見定めてアルゴリズムで最善の戦法を出してくれるソフトウェアを作った。
一時間ぐらいで作ったが、これぐらい普通だろう。
しかもこのAIは従来のAIとは違う。春が一から作ったAIだ。
天才が作ったAIだから高性能に決まっている。
早速提出すると、「すごい!こんな斬新かつ役に立つ兵器は見たことがない。君はやはり天才だ。なんと言おうか・・・普通じゃない。」
と大絶賛をうけた。
天才の春からすればこれくらい普通なのだが、常人には違うらしい。
まあいい。
提出した後休憩していると、部長から声がかかった。
「君にはもっともっと働いてほしい。一日五つの兵器を作ってくれ。頼んだぞ。」
一日五つの兵器ぐらい余裕だが、戦争には協力したくないという気持ちが勝ってしまい、「それは厳しそうだ。」と出任せを言ってしまった。
すると、「ならアイデアを一日十二個出して、二つ作ってくれ。これならどうだ。」
思わずイエスと言ってしまった。
天才の頭脳を謝罪不可能病のおっさん達の尻拭いに使わされるのは屈辱極まりない。
そもそも天才とはなんなんだ。
ずっと、神から与えられた頭脳のことだと思っていた。
一種の才能だと思っていたが、違うのか?
心の底の渦巻きが笑い声を上げた。
天才の天とはなんだ?天だろ。
天才の才とはなんだ?才能だろ。
それを引っ付けて天才だから、やっぱり天の才能、神から与えられた才能のことではないのか?
そもそも俺はなんの天才なんだ?バスケットボールの天才や、努力の天才とかならわかるが、今まで俺は自分自身のことを漠然と天才と思っていたが、俺はなんの天才なんだ?勉学の天才?記憶の天才?それとも科学の天才か?
世の中では天才をありがたがる風潮が流行っているようだが、やっていることは天才を憚るのと同じことではないのか?
あまつさえ天才をこんな精神疲弊促進部屋に閉じ込めて、何をさせるのかと思えば兵器作りだ。
コンピューターを作った天才、ジョン・F・ノイマンは原爆や水爆の開発に喜んで参加したらしい。
やはり天才なら自分の才能を得意分野に活かしたいと考えるのか?
相対性理論を唱えた天才、アルベルト・アインシュタインは原爆の開発に加担したことを深く恥じた。
たとえ自分の才能を得意分野に活かしたとしても、結果が凄惨ならば悔いるのか?
つまり天才は自己満足か?
なら天才など意味がないのではないか。
春は頭に手を当てた。
悩んでいるときはいつもこの仕草をする。
これは天才を悪用しているのではないか?
被害国を援助するという建前、本当は加害国にも横流ししているのではないか?
嫌な想像が広がる。
今まで敵国が悪と勝手に決めつけていたが、敵国の大統領や戦争勃発に加担した軍人や政治家が悪いわけで国民はなんの罪もないのではないか?
やられたらやり返す精神で加害国に爆弾やミサイルを落としても戦争責任者に当たるわけではない。
罪のない子供や大人が犠牲になるだけだ。
いや大統領や政治家を選挙したのは国民だ。
ならば国民も自業自得か。でもそれはあまりにもかわいそうではないか。
天才は、戦争に協力したくないと思いながら兵器を作る手を休めなかった。
石原春は天才の意義に苦悩しながら矛盾だらけの作業をやめなかった。
心の渦巻きは春の心を支配しつつあった。