5 10年後か20年後の未来に
5 10年後か20年後の未来に
片瀬大生
「もうできたの?」
誰もいないはずの厨房に不意に声がして、顔をあげると武藤さんがいた。
「オーナー、どうしたんですか?珍しいですね」
「うん。飯食ってたんだけどね。シンと、タケと。帰りに通りかかったら奥の方まだ電気ついてたから、ヒロオがいるかなと思って、寄ってみた」
仕事中と違ってのんびりとした口調で話かけてくる。少し酔ってるんだろう。
先輩達は自分の家にちゃんとしたキッチンがあるから、なにか作りたくても家でつくればいいけれど、僕は一人暮らしでたいした部屋に住んでいない。家でまともにケーキ作るなんて不可能。そういう事情があるのわかっていて、就業後にお店で練習するのを特別に許してもらっていた。
このお店は武藤さんも入れて4人の職人がいて僕が一番下っ端です。もともとはもう1人僕と同時に入った哲也君という子がいた。同じ学校の出身で、僕なんかより全然やる気のある人だったんだけど、ある日いきなりあっさりと辞めてしまった。武藤さんみたいな伝説のパティシエになるってのが、口癖だったのに。
「ラム入れたの?これは……、フォンダンショコラ?」
「あ、はい」
武藤さんは、香りを嗅げばなにをつくっているか大体わかってしまう人だ。
「味見させろ」
「え?」
「なんだよ。嫌なのか?」
僕は観念した。武藤さんに逆えるわけがない。オーブンから焼きたてを皿に載せてフォークを添えて出した。一口食べて案の定変な顔された。
「お前にしては随分冒険した味だな」
「すみません。変なもの食べさせて。まだ冒険の途中で」
武藤さんの前に、グラスに水入れて置きました。口直しに。でも、飲まなかった。そして、驚いたことにもう一口食べた。
「オーナー、どうしたんですか?おいしくないでしょ?」
「いや。おもしろい味。それに最近のお前がおもしろい」
「どこがですか?」
武藤さんは目尻に皺を寄せて笑った。
「ヒロオはさ、列に真面目に並ぶ子。何度かお前もなんか作って持ってこいって言ったけど、自分なんかまだまだって言ってタケのこと立てて、なかなか何も持ってこないじゃない。テツなんか思い切り割り込みするやつで、やたら持ってきては俺にダメだし食らってたけどな」
驚いた。というか、いつもこの人には驚かされる。よく人のことを見ていて。
「前から機会があればききたかったんですけど」
「ん?」
「なんで俺のこと採ったんですか?応募して来た人、結構いたでしょう?」
エルミタージュはそんなに大きいお店ではないし、歴史のあるお店でもない。けど、オーナーの武藤さんがそれなりに有名な人で、武藤さんに憧れて応募して来た人がたくさんいたはずだ。僕の学校にも自分以外にも応募した人が結構いた。
「俺なんか他の人に比べて地味で目立たなかったんじゃないですか」
すると武藤さんは笑った。
「地味な奴がお前しかいなくて目立ってた」
「え?」
「なんかみんな月にロケットでも飛ばしそうな勢いのことガンガン言ってたのに、お前だけすげえ落ち着いていた。そんで、他の子はみんなここに骨埋めますとか言ってたけど、お前だけ馬鹿正直に……」
「ああ……」
そう。僕は面接で言った。実家がパン屋をやってます。いずれ父親が今よりもっと年を取った時には戻って後を継ぎたいと言った。そんなこと言わないほうがいいこと、わかってた。そこまで馬鹿ではない。でも、嘘をつくのが嫌だった。落ちると思いながら受けたお店だった。
「なんでもっとやる気のある子、採らなかったんですか?」
「なんだよ。採用されて不服だったってこと?」
僕は笑った。
「そんなわけないじゃないですか。ただ、純粋に不思議で。ダメだと思ってたから」
「あのさ、生物が進化して生き延びて来た秘訣って何か知ってるか?」
「なんで、話が急に飛ぶんですか?」
「なんだよ。文句言わずに考えてみろ。なんだと思う?」
僕はちょっと考えるふりをした。
「わかりません」
「全く最近の若い奴は思考力が足らん。いいか、あのな、人間は自分のDNAに足りない要素、つまり自分とは違う真逆な要素を取り入れることで、弱さを克服しながら生きて来ているんだよ」
さっぱりわからない。何を言いたいのか。
「テツはあの日来た中で一番元気な奴だから取った。でも、その後のもう一人も同じような奴を採ろうとは思わなかった。だから、真逆な奴を選んだ。テツと真逆な奴が応募して来た中でお前しかいなかった」
「はぁ」
わかったようなわからないようなだ。
「テツはさ、勢いよく燃えるけど、それがいつまで燃えるのかわからん奴だなと思ってた。ま、若さってそういうものじゃない。だから、試してみるしかないなと思った。反対にお前はさ」
「はい」
「下手したら一生火がつかないんじゃないかと思った」
「え?」
「その代わり一度火がついたらきっとお前はずっと長く静かに燃え続ける、そういう奴だと思ってた。結局はテツもお前も俺に取っては賭けだったんだけどな」
武藤さんがそんなこと考えてたなんて、全然知らなかった。
「テツは案の定、サクッといなくなっちゃったしさ。で、お前は何度焚き付けても、なかなかやっぱり火がつかない。こりゃ、二人ともぼつったかと正直思ってた」
そして、その後武藤さんはいい顔で笑った。
「それなのにそんなヒロオが突然毎日のように残って試作するようになったからさ。俺らは別に特別に何かした覚えがないし。俺たちがいくらやってもできなかったことをしてのけたのは誰だって話を、さっきみんなでしてたわけ」
「……」
そして、突然武藤さんは腕時計を覗いた。
「長居しすぎたかな。奥さんも待ってるし、もうそろそろ帰ろうかな」
立ち上がって出て行こうとする。
「あの、オーナー」
暎万さんのことを正直に言おうかどうか迷っていると、武藤さんが先に口を開いた。
「その人が誰なのかよくわからないけど、なかなか火のつかなかったお前がそんなに頑張ってるってことは、大切な人なんだろう?自分をそんなに変えてくれる人なんて、なかなか出会えるもんじゃない。大切にしなさい。それで、いつかみんなに紹介できる日があったら、紹介しろよ。会ってみたい。」
そして、武藤さんは今度こそ背中を見せて出て行った。自分で作ったお店のドアを開けて。カランとベルが鳴った。
自分の腕で、自分の居場所が作れる、そして更に僕たちにも居場所をくれる人。どうしたらこんな風に大きくなれるのだろう?体が大きいとかではもちろんなくて。武藤さんのような大人に自分がなれるのかどうかわからない。だけど、オーナーの何分の一かでもいいから、自分だけではなくて自分以外の人のためにも何かをしてあげられる人になれたらと思う。10年後か、20年後の未来に。
そんなことを思った夜でした。