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10 僕らしからぬ失敗













   10 僕らしからぬ失敗
























   片瀬大生













 暎万のことはずっと忘れられずにいた。小学生の頃の苦い思い出として。


 暎万は小学生の時は割とおとなしい子だった。後々デブなんていじめられるようなことになってしまったけど、そんなに太っていたわけじゃない。ちょっとぽっちゃりとしていたぐらい。そして、華やかな顔立ちの女の子だった。

 暎万に一生懸命ちょっかいかけていじめていた隆も、本当はただ暎万が気になっていたんだと思う。本来は隆のあの行為は、幼稚な男子のよくある歪んだ愛情表現だったんだ。僕も男だから、横で見ていてそれに気がついていた。だけど、いろいろ言われている暎万はそんなことわかるわけがなく、隆に何か言われるたびにまともに受けて落ち込んでいた。


 そんな彼女が心配だった。


 だから、何かの時に、僕は暎万に声をかけたんだと思う。励ますような何かを言ったのだと思う。はっきりとは覚えていないのだけど。すると、暎万は僕に心を開いた。

 小学生の頃の暎万はどちらかと言うと、女の子の友達とは話すけど、男子とはそんなに話す子じゃなかった。だけど、僕にだけは自分から話しかけるようになった。


「たいせい君」


 誰が呼び出したのか、本名はひろおなのに大生という漢字を見て、だいせいと読んだ奴がいて


「てんてんとったらたいせいだ。」


 たまたまそれがその時はやっていた漫画の主人公の名前だった。面白がって呼び出したやつのせいでそれが定着して、別にいいかとそのままにしていた。だから、中学生になって片瀬君と呼ばれるようになる前は、みんなの間で僕の名前はひろおではなくたいせいだった。

 暎万が男子の中で僕にだけは自分から話しかけることが、隆には面白くなかったんだと思う。女子がいないような陰で僕までいろいろ言われるようになった。


「お前ら怪しい。イチャイチャしやがって」

「別にそんなことないだろ」

「いや、隠れてイチャイチャしてたぞ。俺、見た。この前お前ら二人っきりでキスしてた」


 本当にうんざりした。全くのデタラメをヤイヤイ言うようになって、そのうち黒板に相合傘をかいたりとか、そういうおきまりのことをやりだす。女子のいる前でも、キスしてたとかなんとか言って、僕と一緒に暎万に対しても似たようなことを言い出すのは時間の問題だった。

 僕は、暎万と話さないようになった。

 自分のためだったのか、或いは、隆たちの行動がエスカレートして暎万が一緒にからかわれるのを防ぐためだったのか、後になってから何度も考えた。自分の良心の痛みを軽くするために、あれは暎万のためだったと僕の心は思いたがった。


「たいせい君、おはよう」


 小学校の下駄箱のところで、いつものように笑顔で声をかけて来た挨拶を無視した。暎万は悲しい顔をした。

 何度かそういうことがあって、彼女は僕に話しかけてこなくなった。


「なんだよ。お前ら、喧嘩したの?」

「別に」


 そしてまた、普通の日々に戻った。でも、隆は相変わらずしつこく暎万につきまとっては時々嫌がらせをしていた。僕はやっぱり暎万のことが心配だった。少し離れたところから彼女を見ていた。でも、今度は声をかけられなかった。


 そしてある日、隆はまた、最悪なことをした。

 とある放課後、隆と取り巻きの奴らがヒソヒソ話ししながらにやけて、校門とは別の方へ走っていく。体育館の裏の方へ。すごく嫌な予感がして、ついて行った。

 隆たちは体育館の角の壁際に揃って隠れて、首を伸ばして向こう側を覗いている。


「うわ、やべ。いるぞ。あいつ」

「バッカだなぁ。いくら待っても来ないのに」

「あいつ、やっぱりたいせいのこと好きなんじゃねえの?」


 自分の名前が出たので、黙って見てられなくなった。


「どういうことだよ」


 くるりとこっち向いた。3人一緒に。


「なんだよ。誰がバラしたんだよ」

「俺、言ってない」

「いいから言えよ。どういうこと?」


 隆はつまらなさそうな顔になると、


「やーめた。やめた。なんか盛り下がった。帰ろうぜ」


 そう言って行ってしまった。


 あいつらが行ってしまった後で向こう側を覗き込んだ。体育館の裏には、やっぱり暎万がいた。一人でランドセルを背負って、誰かを待っていた。


「暎万」


 僕が呼びかけると、彼女はパッとこっちを見て、笑った。久しぶりに暎万が笑うのを見た。


「たいせい君」

「どうしてこんなとこにいるの?」

「え?どうしてって……」


 彼女はスカートのポケットから二つに折られたノートの切れ端を出して見せた。


『話があるから放課後体育館の裏に来てください。たいせい』


「これ、隆のいたずらだよ」

「え?」

「僕が書いたものじゃない」


 彼女の顔に浮かんでいた笑みが消えて、その後、彼女は紙片をもう一度ぼんやりと見た。そして、僕は気の利いたことを何も言えないままで、


「それじゃあ」


 背中を向けて一人で家へ帰った。


 そして、次の日の朝、また黒板に大きく相合傘が書かれていて、周りに色々なくだらないことが書いてあった。


 どうすればよかったと言うのだろう?


 僕が気づかずに延々と暎万が一人で待ち続けて、それを見てあいつらが楽しんだ方が良かったのか。それとも、こんな風にまた、からかわれた方が良かったのか。

 いつまでも終わらない。そして必ずそれはエスカレートする。どんどん少しずつ酷くなっていく。同じ程度のことをやっても、当人たちが黙って我慢をしていると、つまらなくなってもう少しひどくなる。

 僕はあの日、何を考えていたんだろう?あまりよく思い出せない。教室で休み時間に前の方へ行こうとしてちょうど目の前に暎万が立っていて通れなかった。


「暎万」


 どけてと言おうとした時にそばに隆たちがいて、


「おい、見ろよ。夫婦でなんか話してるぜ」


 暎万がその声に振り返って、僕と隆を交互に見て困っているのがわかった。

 ただ一方的にからかわれることに対して僕はイライラしていた。僕が怒っていたのは隆たちのしつこさに対してであって、暎万に対してではなかった。それなのに、その怒りを幼かった僕は暎万にぶつけてしまった。


「どけろよ。デブ」


 たった一回、たった一言だった。

 僕は後にも先にも、そんなひどい言葉を女の子に対して言ったことはない。時々兄弟喧嘩をする姉に対してだって、デブだなんて言ったことはない。

 暎万に対してだけ、自分らしからぬ乱暴さで、僕はひどいことを言ってしまった。

 それで横で囃し立てていた奴らが驚いて静かになった。そして、目の前にいた暎万は……。


 僕はその顔を何年も忘れられない。暎万がかわいい顔を歪めたあの顔。

 すぐに涙が滲んで、彼女は教室を駆け出して行ってしまった。


「暎万ちゃん?」


 驚いた暎万の友達の絵里が、僕のことをきっと睨んだ。


「たいせい君、ひどい。こんな人だと思わなかった」


 そう言い残すと、暎万を追って彼女も出てった。


 それから隆たちの新しい遊びが始まった。彼女をデブと呼びながら追いかけるようになった。そんなことがどのぐらい続いただろう?暎万は立て続けに三日学校を休んだ。


「ねえ。絵里」


 僕をひどいと言って睨んだ女の子に聞いた。


「暎万、病気なの?」

「たいせい君には関係ないでしょ」


 絵里はこの前からまともに口をきいてくれてなかった。でも、僕が困っていると、しばらくたってポツリポツリと教えてくれた。


「帰り道で隆たちにいじめられてるところに、暎万ちゃんのお兄ちゃんが来て、その日は二人で帰ったんだけどそれから休んでるの。わたしも心配でお家に行ったら、きっとしばらくしたら学校にも行けるからっておばあさんに言われて、暎万ちゃんには会えなかった」


 僕はその日の放課後に暎万の家へ行った。チャイムを押す勇気がなくて、ただ家の前でずっと立って、暎万の家を見ていた。

 ただ、一言ごめんなさいが言いたくて。


 暎万に放ってしまった一言に対する罪悪感が日に日に重くなっていた。暎万が学校に来なくなってしまったことも心配で。自分はきっと取り返しのつかないことをしてしまったのだと思う。その償いがしたかった。


 しばらくすると、暎万のお兄さんが帰ってきた。僕の話を一通り聞いた後でお兄さんは言った。

 やってしまったことってもう変えられないんだよ、と。

 その言葉が僕に刺さりました。


 たった一回、たった一言だった。でも、それは暎万に刺さり、そして、結局は僕にも刺さった。ごめんなさいを言っても、暎万を傷つけてしまったことには変わりがないのだと、その時知った。そして、帰れと言われて僕は大人しく帰った。


 しばらく経つと、暎万は学校に戻ってきた。先生から注意でも受けたのか、隆たちは暎万をからかうことを一切やめた。そして、暎万は男子と一切話さなくなった。隆たちだけでなくて、全ての男子。もちろん、僕も含めて。

 話さないだけではなくて、目すら合わせなくなった。

 廊下や教室の中で通り過ぎる時に、まるで僕がいないように彼女は振る舞った。自分は彼女にとって透明人間になった。

 

 そうなってしまってから、ニコニコと笑いながら僕に話しかけてきた暎万の笑顔を時々思い出した。失ってしまった笑顔。たいせい君と呼びかけてきた彼女の声。あの子は僕をとても信頼していた。その信頼を僕は裏切った。本当は、暎万のことをずっと心配していたのに。嫌ったことなんて一度もなかった。でも、彼女は誤解してしまい、傷つき、そして、僕に心を閉ざした。


 もう、一生僕を許すことも、もう一度信頼することも、心を開くこともないだろう。


 そういう状態で小学校の残りの時間が過ぎて、暎万は公立の中学には進まず、僕たちはバラバラになった。それから暎万には会っていなかった。大人になって再会するまでは。


 時間が経てば普通は、平気になるものなのだと思う。

 誰だって子供の頃に、忘れられないようなちょっとした嫌な経験の、一つや二つ、持っているものではないだろうか。でも、僕はなかなか忘れられずにいた。


 生まれて初めてだった。自分を心から信頼してくれた人を裏切ったことが。人には誠実でいたい人間で、愚直と言われてもいいほどに。そんな自分にとって、この経験は重かった。まだ、子供で純粋だった自分の心を傷つけました。

 僕は本来、自分で言うのもなんだけれど、優しい人間なのだと思う。

 一般的な基準よりも少し多めに優しい人間なのだと思う。だから、人を傷つけることは苦手で、できるだけ避けて生きてきている。

 その僕が起こしてしまった数少ない失敗だからなのだろうか。 


 それは、唯一の僕らしからぬ失敗だった。未熟さゆえに巻き起こした僕の失敗。


 高校卒業して製菓の専門に通っている頃に小学校の同窓会があった。そこで、隆と再会した。一次会が跳ねた後に二次会とは別に二人で飲めないかと言われた。

 別に僕と隆はそんなに仲良かったわけではないから、ちょっと驚いたけど応じた。

 近くの適当な店のカウンター席に収まると、隆はすぐに僕に謝った。


「あの頃は、ごめん」

「何のこと?」

「言わないとわかんない?もう、お前は忘れたの?」

「ああ、暎万のこと?」

「うん」


 この時、隆は殊勝な顔をしていた。


「俺は別に。というより、謝んなきゃいけないのは暎万にじゃない?俺も、お前も」


 そういうと、酒を飲みながら苦い顔で笑った。


「暎万は間違っても俺にはもう会いたくないだろ」


 タバコに火をつけて深く吸って吐いた後に隆は続けた。


「がきだったなぁって思うよ。自分でも何で必死にあんなことしてたのか、信じらんない」

「お前、暎万のこと、ほんとは好きだったんだろ?」

「お前はどうなんだよ」


 質問に質問で返された。僕はただ笑って答えなかった。


「俺には死んでも会いたくないだろうけど、たいせいには会いたいんじゃない?」

「それは絶対ないだろ」


 即座に否定した。


「でも、間違いなく暎万はあの時、お前のこと好きだったぞ。まぁ、子供の好きだけどな」


 それは気づいていた。気づいていたからこそ、あのことがあった後に、僕は……。


「だから、余計に傷つけたし。やっぱり暎万は俺にも会いたくないんだと思うよ」

「元気にしてるのかな」

「今日も噂、聞かなかったね」

「中学行ってからは、小学校の友達とは遊ばなくなったみたいだな。近くに住んではいるみたいだけどな。今でも」


 僕は隆の言葉に、あの暎万の家を思い浮かべた。遠い昔、立ち尽くしたあの家。


「会おうと思えば会えるくらいの近さなのにな」


 隆がそう言った。


「近くて遠いな」

「ああ、勇気ないな。今でもこっちから会いに行く勇気は」


 しばらくしてから、手を振って別れた。


 隆は変わったと思う。あれを機にと言っていいのかわからないけど、中学になったらあんな風に女子をからかうことはなかった。今日だって、終始穏やかだった。暎万にすまないと思ってる気持ちに嘘はないんだと思う。

 こっちはこの重いものを下ろせるなら下ろしたい。だから、できるなら暎万に会いたい。会って謝りたい。だけど、それは俺たちにとっては希望することであっても、暎万にとってはどうなのか。やはりいいことではない気がする。

 それならせめて、元気にしてるという噂を聞きたかった。許されるなら、元気にしてる様子をどこか遠くから眺めたかった。


 あの昔、暎万が僕を好きなことは何となくわかっていた。そして、戸惑っていた。人から好きになられたことが初めてだったからだと思う。暎万のこと、嫌いではなかった。傷つけたくなんてなかった。

 気をつけてはいても、時に不可抗力で人を傷つけたことは、人生のうちで何度かあって、その中でも一番に人を傷つけてしまった記憶、それは暎万との出来事。


 それ以外にはありえない。あの顔。あの暎万の顔。歪んだ顔。そして、溢れた涙。

 いつまでも忘れられない苦い記憶だった。色褪せない絵だったんです。それは僕の。


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