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6・それは、水に映った単なる幻だったのです!

 最近、町のあちこちが地面に沈み込む事件が多発している。酷い所では家が少し傾いていた。その原因を調べるために町の近くにある洞窟を調べに行ったら、中で恐ろしい魔物を見たとか「魔王様のためにぃ」とものすごく音痴な歌が聞こえるとか、そういう噂で持ち切りになっていた。何者かが善からぬことを企んでいるのだろう。

 この噂を耳にしたときから、アトリスはなんだかいやな予感がしていた。その予感通り、向うからにこにこ笑顔のしゅりるりがやってくるではありませんか。

「勇者、勇者。この事件、魔王の手の者のにおいがする。行こう、行きましょう♪」

「う、うん!」

「やっぱり、勇者は消極的ね」

 そういうわけで、3人は洞窟に向かったのでした。


 洞窟は人の手によって彫られたものではなく、天然のものだ。一行は魔法で作り上げた灯りを持って洞窟に潜る。

 この前、くぢらを助けた時の洞窟よりも深く暗く、このようなダンジョンらしい場所を探索できると、しゅりるりはとても喜んでいた。


 洞窟内は滑りやすく、地底深くに落ちることが出来る崖や穴がある。ちょっとした高さから落ちても、石筍が生えた床は、それだけでとても痛そうだ。落ちないように気をつけなくてはならない。

 洞窟内は蝙蝠の住処になっている。黒い蝙蝠がキキと音を発しながら、影から影へと飛び回っていた。

「なんかネズミっぽいのが、たくさんいる! すごい! 飛んでいる!」

 アトリスは蝙蝠をこんなにも近くで見たことがないようだ。

「あなた、蝙蝠も知らないの?」

 ありすは呆れたように言う。

「本物は見たことがないんだ」

 家に引きこもりっきり、夜もすぐに寝る生活を少し前までしていたの。この夜の住人には馴染みがないのも仕方がない。無知とはなんてあどけないことだろう。


 侵入者に驚き襲い来る蝙蝠たちを、適当に蹴散らしながら先へ進んでいく。

 そして、なにやら蝙蝠以外にも奇妙な音を発しているモノがこの先に。

「ハネのはえたクロネズミだけのせかいだー。ほかにダレもいなーい、ナニもなーい」

 蝙蝠のような金切り声が、聞こえてくる。

「だー! おそーい! なーにやっているのだろー、あいつはー。まーさーかー、あなほりにムチューで、その他のことは、ガンチューになかったりしてー。がーん!」

 暗闇に溶け込むような鴉色の服をまとった人物が、右往左往している。無駄な動作によって超音波を発しているのかもしれない。

 意味も無く、右手を上げたり、下げたり、左手を上げたと思ったら、回していたり、どう見ても無駄な動作ばかりをしているように見えた。それは、遠くから見てもそれが誰なのか判ってしまうような、見覚えのある独特の陰である。


「あんまり奥にススムと、マヨウしなぁ……」

 そう呟くそれはどう見ても悪魔飴である。今回はどうがんばっても避けようがない。仕方ないないので近づいた。

 人の近づく気配に気がついた悪魔飴は振り向きながらしゃべりだす。

「スティラ! おーいーぞー! はやく……?」

 悪魔飴の動きが止まった。目線がゆっくりと3人に向けられる。

「うわー! オマエラは~」

 悪魔飴は後退りした。勢いがつきすぎて、後ろの壁にぶつかった。鈍い音がした。壁が凹むほどの衝撃、本当に勢いよくぶつかったようだ。

「イテー」

 悪魔飴は後頭部を押さえる。痛いですむような音ではないように思えたのだが悪魔飴は人間ではないので、そこは丈夫に出来ているのかもしれない。


「オマエラは……」

 悪魔飴は気を取り直して言う。

「ダレだっけー? 分からないけど、なんか知っているヒトっぽいからキミたちでもいいや、伝言たのまれてくれる? ハヤク来て~って、アラシャに伝えておいて~。多分、この先にいると思うんだけれど」

 後頭部強打によりほんのささやかな記憶喪失、記憶の混乱。

「はやく~はやく~」

 悪魔飴は催促する。この際だから従ったほうが良いのかもしれない。


 悪魔飴と別れ、だいぶ深いところまで降りてきた。地上の明かりはもう全く届いていない。水が澄んだ道を造っている。それに陰を映しながら進んでいく。


 すると耳が無駄に良い、しゅりるりが立ち止まる。

「こ、れ、は、魔物の気配♪ と言うか、歌。気をつけて近くにいるよ」

 もう少し下ったところに横穴がある。その中から全ての音が聞こえてくるようだ。


 気がつかれないよう明かりを消して横穴をそっと覗き込んだ。耳をすませば激しく音痴な歌が聞こえてくる。


「邪狗様の命令でぇい! あの町を地盤沈下で滅ぼすのさぁ~、あぁぁ。町は破壊するためにあるのだぁぁぁぁ!」

 見たことのない魔物が、歌を歌いながら両腕を振り回している。遺跡を構成する石壁を崩している。よく見れば、その指には湾曲した鉤爪がついていた。


「あいつが悪魔飴の言っていたアラシャかなぁ。うぅ、大きいなぁ」

 今までになく魔物らしい魔物にアトリスは怖気づく。

「そうみたいだね、伝言と伝えとく? そして帰っちゃう?」

 しゅりるりは嬉々としている。このままだと本当に伝言を伝えておしまいになりかねない。

 ありすは、しゅりるりを落ち着かせる。

「いや、それが目的では、ないでしょうに……でも、なんとかならないかしら」

 明かりも満足に無い不鮮明な、かつ、不安定な狭い足場という地形は戦闘には不向きであった。

「ありすは真面目だなぁ……」

 これはアトリスが言ったものか、しゅりるりが言ったものか、この暗闇の中でこの囁き声では分からない。


「いい考えが思いついた、任せて!」

 しゅりるりはおそらく笑顔だ。いたづらっ子の輝く笑みを浮かべていることが容易に想像できる。そういう笑顔をする時は決まって、ろくな事がおきない。

「さて耳を貸して」

 しゅりるりは思いついた作戦を実行にうつす。

「あの魔物。かわいそうに……」


 しゅりるりの作戦通り、3人は横穴に入った。アトリスは最後尾で震えている。やはりこの戦いでは役に立ちそうにない。

「こんなんで本当に大丈夫なのかしら」

 ありすは呟いた。


 横穴は光に照らされる。魔物が光に気が付いた。

「なんだぁ、おまえらは。四天王が一人、このアラシャ様の邪魔をするのか?」

「うん、邪魔しにきた~」

 相変わらずしゅりるりはノリが軽い。

 アラシャは場違いの空気に少し怯んだが、

「人間だろうとなかろうと邪魔する者は殺してやル、一番ひょろっこいお前から覚悟しな!」

 鎌状の鉤爪が問答無用で、しゅりるりに襲いかかる。

 しゅりるりは「わは♪」と言いつつ、頭を抱えしゃがみ込んだ。鉤爪は上をかすめ壁に突き刺さった。壁が塵となり地面にはらりと落ちた。

 しゅりるりは壁に爪が刺さっているその隙に、腹這いで脚の下をくぐる。アラシャはそれを見逃さない。すぐさま次の行動に移った。

 爪がしゅりるりめがけて突き刺さる。

 飛沫があがった。

 が、しかし、それはそう見えただけであった。そこには何もなかった。


「危ないなぁ、普通の人間だったら死んでるよ」

 あのような凶器を真正面から受けていたら、先ほどの壁と同じように塵や埃のように細かくなっていただろう。

「どこだ、どこいった?」

 アラシャの背後に、逆さに浮かぶしゅりるりはケラケラ笑っている。

「うしろか?」

 しかし、爪は空をきっただけだった。

「こしゃくな真似を!」

 ひょろっとした奴は、とらえどころがない。アラシャは気を取り直し、震えるアトリスに突進する。


 ――この怯えたやつなら。


 しかし、次の瞬間、血を流しているのはアラシャであった。背中には剣が刺さっていた。

「これは」

 それはアトリスの持っていた剣である。

「な、何がおきた? あの震えていた奴が、避けつつ刺したとでも言うのか」

 アラシャはわからない。自分がなぜ血を流しているのか。


「覚悟はいい?」

 困惑しているアラシャの前に、突然、目の前にありすが現れた。アラシャは完全に不意をつかれた。そして、この時を待っていましたのごとく炎の魔法が炸裂する。

 炎の魔法は直撃し、あたりに焦げの臭いを感じさせた。アラシャは炎の熱に体を焼かれながらも反撃しかけ、ありすを切り裂いた。


「……自分が切り裂かれるのを見るのは、あまりいい気分ではないねぇ」

 切り裂く爪の先から消え行く自分の虚像を見て、ありすは言う。


 アラシャはずっと空気と戦っていた。

 アラシャが見ていた3人の姿は、最初から水に映った幻だった。魔法の有効範囲外から見たら、アラシャがへたくそな踊りを踊っているように手を振りかざし、足を鳴らし、見ていてなかなか滑稽だろう。


「任せて、て言うから行ってもらったけれど。最初、しゅりるり……やられたかと思っちゃったよ」

 岩の陰で経緯を見守っていたアトリスは囁いていた。声が震えている。

「しゅりるりのことだから仮に死んでも、倒れているのが暇だからと言って生き返りそうだけれどね」

 ありすは大して心配もしていなかったようだ。


「あの手の魔法をしゅりるりに使わせたら最後、相手は翻弄されて弄ばれて終わり……右に出るものはいないね」

 魔法を知っているありすでさえ、いつ、どこから、しゅりるりの幻劇場が始まっていたのか分からなかった。しゅりるりがいつ幻と入れ替わったのか、つまり、いつその魔法が発動したのかが全くもって分からなかったのだ。

 しゅりるりが魔物に近づき声をかけたその時、気がついたその時にはすでに幻のアトリスとありすが、幻と入れ替わったしゅりるりのまわりにいたのだから。

「敵には回したくないね」

 アトリスは言う。


「あっはは、なんかひどい言われよう♪」

 姿を隠していたしゅりるりが、いつの間にか戻ってきていた。


 ありすは思う。

 もしかしたら目の前にいるモノは実はそこには何もいなくて、本当はどこか遠いところで全てを見て笑っているのではないかと。この冒険がはじまった時から、そこにいもしない幻と旅をして来たのではないかと。

「十分ありうりるから、怖ろしいわ」


「何が恐ろしいって……ん?」

 ふと、しゅりるりが上を見る。洞窟はどこまでも暗く、地上の光も見えない。

「あ、なんか、面白いことが上から落ちてくる予感♪」

 しかし、しゅりるりは何かを感じたようだ。

「ちょこっと空間をいじって……」

 しゅりるりはさらりと呪文を唱える。


 するとアラシャの上に影が出来る。

「そこか?」

 はっきりとした気配にアラシャが一歩を踏み出した、その時である。

「ぬお!」

「わ!」

 なんてタイミング!

 悪魔飴が上から降りてきた。いや落ちてきたといったほうが正確だ。アラシャと悪魔飴とぶつかった。奇妙な悲鳴が二つ響いた。

 それにしても悪魔飴の丈夫さはアラシャの上をいっていたようだ。アラシャはピクリとも動かないのに対し、悪魔飴は何事もなかったかのように黒外套に付着した土埃を払う。

「イテテー」

 とくにダメージを受けた様子のない悪魔飴は言う。丈夫だ、丈夫過ぎる体だ。

「ナカナカ誰も来ないし、マヨッテ、シマッテ、ヤケになって、穴に落ちてミレバ……」

 彼は着地という行為について考えたことはあるのだろうか。


「あぁ、アラシャ! ナンテひどい姿に!」

 悪魔飴は目の前にいる、無残な塊に気がついた。

「……そうか、アラシャを、コンナ風にしたのは、オマエたちのシワザか!」

「とどめの原因は、あなただから……」

 いや、アラシャの上に悪魔飴を移動させたのは、しゅりるりだから正確にはしゅりるりなのかもしれないが。

 しかし、どちらにしろ物理的な本当のとどめは悪魔飴が落下してきたことなのである。


「むむむ、ナンカ体の調子が悪いし、アラシャはボロボロだし、今日のところは見逃してヤル~」

 悪魔飴の手の平に光が集まりだす。そして悪魔飴とアラシャを包みだす。

「では、このへんで~、チャラララン」

 魔物たちは消え去った。

 場所移動の魔法を使えるのだから、かなりの魔力の持ち主なのだろうが実力が行動に追いついていないというのは、こういうことをさすのだろう。


「いっちゃった」

 アトリスは思いがけない結果に目を瞬きさせている。

「それにしても、よく落ちる子だね~」

 しゅりるりは言う。

「なんだか壮大なコントに付き合っている気分になってきたわ」

 ありすは頭を抱えていた。

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