ねこひきのオルオラネ
夢枕獏の短編集「ねこひきのオルオラネ」を読んでいた。
おじいさんのだかおばあさんのだか分かんないんだが、とかくおばあさんの書庫から見つかった本で、他のいろんな本といっしょに貰ってきたのだった。おばあさんは自分の本棚を持っているので、おそらくはおじいさんのもんだろう。
2本目「山奥の奇妙なやつ」を読み終えた。己の成り立ちであるとか、在り方であるとかは自由でいいのだと学んで、良い読後感だ、ここらで寝ようとおもって次のページに目をやった。
折り目が付いていた。
おじいさんの家から貰ってきた本で、他のものにもこうした折り目がついているのを見たことがあった。おそらくは、おじいさんの癖だったのだろう。おれが生まれて1ヶ月で亡くなったおじいさんのことをおれはよく知らなかった。
おれの誕生とおじいさんの逝去が近かっただけに、おれはおじいさんの生まれ変わりではないかと昔から言われていた。生まれ変わりとは基本的に、昔死んだ人間がいまに生まれ直してくるものだが、すでに生まれているものに魂がやどる場合もあるのだという。じっさい、お祖父さんの葬式の際には、おれの顔がお祖父さんソックリになったそうだ。
そのおれが、今、かつておれであったかもしれないものが印をつけたところで、ふたたび印をつけようとしている。おそろしくなった。おれはもしかすると、本当にお祖父さんの生まれ変わりなのかもしれない。魂が同じだから、同じものに心惹かれ、同じところで区切りをつけるのだ。この、2本目の短編におぼえた感慨が、妙な説得力をもって真理をつきつけてくるような気がしてならない。
おれは本を閉じ、SNSを開こうとした。しかしこの感慨をそんなものに成り果てさせるのは勿体ないと思い、いま、こうしてここに書きつくった。
過去、おれが誰であったのかなど、いまのおれには影響しない。そう言い聞かせて、おれは瞼を閉じる。
昔集団就職で大阪に出て、広告業で一会社の主となり、22年前に肝臓を痛めて死んだかもしれないものが、いま一介の大学生として、明日を生きに行く。