1998年
1998年。俺は二度目の小学五年生だ。
大学までエスカレーターのこの学校は、いわゆる富裕層、エリート向けの学校だ。なので前世ではお目にかかることのなかった設備もあったりする。例えば今いるカフェテラスとか。
学食じゃなくてカフェテラスだぞ。カフェどころかテラス。世界が違うな。最初のころは意味が分からなかった。まあ、どういうわけか今は常連なんだが。
そんなわけで今日は放課後、おしゃれなカフェテラスでひとつのテーブルを囲んでいる。
「ねえねえ、テルネ」
隣に座る、ブルネットの髪を腰まで伸ばした少女、ヴァレリーが話しかけてくる。
「テルネがやってるゲームで、日本人の集まるところができるって聞いたわ。それならテルネと一緒に遊べる?」
「私は遊んでいるわけじゃないぞ。最新情報の翻訳をやっているんだ」
世の中ではMMORPGが流行りはじめていた。サービス提供元はアメリカで、そうなると最新の更新情報、パッチノートも英語で配信される。そのパッチノートの翻訳の依頼がよく寄せられるようになっていた。
すでにMMO廃人もいるようで、どこよりも早く翻訳をよこせとか、他には非公開にしろとか注文をつけてくる。まあ非公開にする分には、他のところからも同じ依頼が来るから構わないんだけどな。個人からだけじゃなく、雑誌の編集からも依頼が来たりするし、今後海外産MMOが増えていけばだいぶ稼がせて貰えそうだ。
ちなみに遊んでいるわけじゃないとは言ったが、プレイしてないわけじゃない。ゲーム系の翻訳は実際に中身を見ていないとなんのことかわからないことが多いからな。調査に必要な分は触っている。
「日本にサーバーはできるが、ゲーム内テキストは英語だぞ。お前プレイできるのか? 英語で」
「うっ……」
こいつ英語できないからな……それどころか使う機会が減ったからか、最近フランス語もあやしい。
「あらあら」
ヴァレリーが黙ってしまうと、コロコロと笑い声があがる。
「ヴァレリーさん。英語の勉強はしたほうがいいですわよ」
向かいに座っている褐色の女がからかうように言った。
「ち、中学から勉強するからいいのよ!」
「そうですか? 身につけばいいですけど」
ため息をついて頬に手をやる仕草は、癪だがサマになっている。
「テルネさんも、こんな向上心のない小娘との付き合いはやめたほうがよろしいのではなくて?」
「私はこの場にいる時間こそ無駄だと思っているよ、ラトナ」
「まあ」
俺の本音を受けてもコロコロと笑うこいつの名は、ラトナ・アンゴド。
「テルネ。消す?」
「消さんでいい」
ヴァレリーの反対側の隣に座る金髪ロシア人の男の娘ルーニャと同じく、他国から亡命してきて、担任が俺に世話を押しつけたやつだ。
「貴重なインドネシア語の練習台だからな」
「福建語もでしょう? いつでもお付き合いいたしますわ」
ラトナはインドネシア通貨危機による暴動から身を隠しにきた華僑。故郷ではかなり儲けていたお嬢様というところだ。
それにしてもなんで毎日お茶会につきあわされなければいけないのか。やはり初手福建語で話しかけたのがまずかったか?
「時間の無駄なんてひどいわ! 習い事減らしたんでしょう? ならもっとあたしと遊びなさいよ!」
減らしたのは事実だ。俺が目指すのはバーチャルYouTuberの親分であって、その他のスキルのプロじゃない。ある程度自主練で維持できると見切ったものは教室をやめていた。
だがそれは仕事やら他のスキルの習得のためであって、遊ぶためじゃあないんだが。
「あらあら、ヴァレリーさん。わがままはいけませんよ。テルネさんは今はわたくしとお話をする時間ですのよ?」
お前だけと話す時間でもない。女の子らしくおしゃべり好きなのは分かったが、オジサンには付き合いきれない。
「おい、なんの話をしている? くだらんゲームか?」
――ラトナの隣から英語で話しかけてきた男と話す時間でも、もちろんない。
「オレにわかる言葉で話せ」
「アラビア語と英語しか使えないお前が悪い。このメンツでの共通語は日本語だ。さっさと日本語をマスターしろ」
英語で言ってやると、天然リーゼント頭の男は苦い顔をした。
ヴァレリーは英語ができないし、ラトナもああは言っているがカタコトレベルだ。ルーニャも同様。俺と悪魔はこのメンツそれぞれの母国語が使えるが、それでは一対一のコミュニケーションしかとれない。
そういうわけでこの集まりでの会話は日本語を使うことになっている。
それを、最近加わったこのエジプト男だけが不自由にしていた。
「おい、ナルト。キサマの姉の横暴をなんとかしろ」
「この件に関してはテルネの言うことが正論だと思うよ? 留学生なんだから、カリームも早く日本語を覚えなよ」
悪魔はエジプト男からの肘鉄を器用に避けて言う。
エジプト男、カリーム・ジブリール・サイード・ジャウハリーは、このご時世に珍しく日本に留学しにきたボンボンだ。日本に送り込まれるあたり複雑な事情がありそうだが、面倒くさいので深くは聞いていない。
というか天然リーゼント頭のくせにイケメンでムカつく。たぶん年をとったらヒゲとモミアゲが似合うやつだ。クラスでは石油王っぽいとか言われていたな。エジプトに石油はほとんどないが。
「あとゲームをくだらんというのはやめろ」
日本語のリスニングは多少できるはずなので、練習がてら日本語で注意してやる。
「ゲームは人の快楽を突き詰めた総合芸術のひとつだ。特にオンラインゲームは今後のトレンドになる。今はパソコンでやるものが主流だが……最近、携帯電話もインターネットにつながるようになっただろう? あれが普及してスペックも上がれば裾野はもっと広がる」
「携帯ならわたくしも持っていますが……これでゲームを? 画面も小さいしモノクロだし、ゲームをするのに向いていないのでは?」
「だよねー。電話でゲームするのって変!」
まあこの時点の認識はそんなものか。というか横道に逸れたな。
「とにかく、ゲームをくだらんと言うのはよせ」
ゲームは前世の俺にとっての救いだ。ネットゲームこそ社会人になってからしか触っていないが、それ以外のゲームはずっとやっていた。学校でイジメられても家に帰ればゲームが待っているのだと、あと半年生きれば最新作が遊べるのだと、俺を支え続けてくれたものなのだ。
「というか触ってもいないものを意見するのはやめろ。せめて百本はゲームをクリアしてから語れ」
「えっ。テルネ、そんなにゲームする時間あったの?」
「私はいいんだ」
前世でやってたからな。内容を覚えきってしまっているので、今生では触っていないが。それより逸れた話を大元まで戻すか。
「ヴァレリー、MMORPGをやりたいなら英語を勉強するか、日本語で遊べるものが出るまで待て」
たぶんヴァレリーには韓国産の2DMMORPGの方が向いてる。あと4年ぐらいしたら出てくるはずだ。
「あたしは今テルネと遊びたいのに」
「私は忙しい」
通う教室を減らした時間は、自習と仕事に割り当てているんだ。
「ナルトぉ……」
「テルネに言ってよ。僕は無理矢理つきあわされているんだから」
悪魔は肩をすくめる。忌々しいな。その姿には似合わないからやめてくれ。
「ですがヴァレリーさんの言うことも理解できます。テルネさんはもう少しわたくしとお話する時間を長くとるべきですわ。なぜそうも忙しくされていますの?」
「目標に届くための力をつけるためだ」
バーチャルYouTuberの親分をやるなら、まだまだ学ぶことがたくさんある。
「その目標を教えてくださいません?」
「言うつもりはない」
唇に指を当てて、ドキッとするような仕草で聞いてくるが、答えはしない。中の人の正体は最重要機密だ。
「では当ててみましょうか」
「えっ、ラトナわかるの!?」
「ええ。各国語に歌に楽器に絵画に踊り、そして護身術。これらは」
ラトナは妖艶に笑う。
「外交官や国の上層部……貴族や王族の夫人としてどこに出ても恥ずかしくない教養ですわね」
「――は?」
「つまりテルネさんは、ものすごい玉の輿を狙っていらっしゃるのですわ」
「へえ!」
へえ、じゃないんだ悪魔。ニヤニヤするな。というかその予想はなんだラトナ。ヴァレリーも納得した顔をするな。
「何? テルネは金持ちの嫁になりたいのか? それならオレがもらってやろう。テルネならオレの隣に立つのにふさわしい」
「黙れロリコン野郎」
10歳の少女、それも中身はオジサンに欲情して求婚するとか、変態の役満か。あと悪魔、なんで呆れた目で見る。
「オレの国ではテルネより若い娘でも結婚できるから問題ない」
「問題しかないだろが。誰がお前と結婚なぞするか。あと日本語をしゃべれ」
イケメンだからって女子をそうやってからかってると周囲の好感度が下がるぞ。
「そうよ! テルネを外国にお嫁になんかいかせないんだから!」
そうだそうだ。もっと言ってやれヴァレリー。汚いものを見る目を向けてやれ。だが抱きつくのはやめろ、暑い。
「フン。なら日本で結婚すればいいんだろう?」
「そうなりますと6年後ですわね。6年後のテルネさん、さぞ美しいでしょうね」
「そうよね! テルネはきっと美人になるわ! お化粧とかすればいいのに。クラスでも、もうしてる子たくさんいるよ?」
「勘弁してくれ」
俺のこの体の素材がいいことは否定しない。おそらくきちんと化粧をすれば美少女と呼ばれるだろう。前世ではさんざんだったのにな……双子の女側というだけでこうも変わるのか。遺伝子の奇跡だな。
だが、化粧はしない。面倒くさいからだ。俺の外見が評価されるべきはバーチャルYouTuberのアバターであって中身じゃない。中身にいくらコストをかけてもアバターはキレイにならない。化粧の腕を上げるよりも、デザインとモデリングの腕を上げるべきなのだ。
「まあまあヴァレリーさん、そう急がなくても、テルネさんもいつかきっとお年頃になりますわ」
なりますわ、じゃあないんだ。というか前から疑問なんだが、ラトナの日本語の教材はなんなんだ、このお嬢様口調は。
「フン。テルネがまだ子供ならしかたあるまい。大人になって女を自覚したら嫁に貰うとしよう」
「気持ち悪いこと言うな。誰が嫁に行くか」
「カリームなんかにテルネは渡さないわ!」
「抹殺しよう」
左右からヴァレリーとルーニャが抱え込んでくる。やめてくれ、暑い。
「あらあら。テルネさんは大人気ですわね」
ラトナがコロコロと笑う。
前世より賑やかで恵まれている今生ではあるが、なんか余計な厄介事を抱え込んだ気がするなあ……。
応援ありがとうございます。週間ヒューマンドラマ1位いただきました。月間はなんと2位でした。すごい(スクショしました)。みなさまのおかげです。
明日も更新します。あと3話で下準備編は終わりです。