1997年
「よし描けた、完成だ」
「へえ、これが君のバーチャルYouTuber?」
自室でイラストの仕上げを済ませると、悪魔が横からモニターを覗き込んできた。
「そうだが、お前は仕事してろよ」
「いいだろ息抜きぐらい」
半年前に立ち上げた翻訳サイトは、そこそこの顧客を獲得していた。対応言語の多さが売りになっているようで、対日翻訳だけでなく海外からの依頼も多い。まあ支払いが面倒だから怪しいところからの依頼は断っているが。
ともかく、翻訳作業に関しては悪魔に手伝わせている。金稼ぎは重要だからな……。
「そう、金は重要だ……このペンタブも2万ぐらいしたしな……」
128×96ミリ。これだけのスペースでこの値段、未来を知っているとめまいがしたものだ。技術の進歩はすごいな。
まあ翻訳サイトのおかげでこの時代にしては最新の環境を揃えることはできている。今後もどんどん出費がかさむわけだが。
「はいはい。ところで全身の絵じゃないんだね?」
「全身を公開するのはもっと先でいい。設定画は仮のものがあるが……衣装をもうちょっと考えたいからな」
イラストソフトで仕上げた絵は、眠るように目を閉じた少女の上半身だ。まあ上半身もほとんどケープで隠したが、最大の特徴である頭の後ろのリボンがキャラクターを主張できている……と思う。
「衣装の何を悩むことがあるんだい?」
「3Dモデルを作る場合、あまり動きに干渉するような衣装は困る。揺れモノがたくさんあるのもダメだ。動かすときに重くなるからな」
今の時代のPCスペックじゃリアルタイムにレンダリングできるグラフィックは弱すぎる。2011年でも調子に乗って揺らしまくるとマズい。今から省エネは考えていないと。
「あとはTPO対策だな」
「TPO対策って?」
「正直3Dモデルで軽い衣装となると、一番はラバースーツとかスク水なんだが……嫌だろそんな親分」
「変態だね、TPOがなってない」
「というわけで服を着るわけだが……美少女モデルではあるが、長いスカートはモデルが破綻するから避けたい。かといってミニスカにすると必然、パンツ問題があるわけで、スパッツを履かせてなお性的だと言われるだろう」
「そういうものかなあ?」
まあ俺は中身がオジサンなのでパンツが見えるのはむしろ歓迎なんだけどな。俺のパンツを見ろ!
「となるとショートパンツとかそれに類する下半身にしないといかん。上半身は上半身で、脇が問題だ。脇を覆う服は破綻しやすいからな。ノースリーブ系の服がいいだろう。それでいて下品でないぐらい露出は抑えて、メディアに出やすいようにしないといけない……」
ほんと、前世での親分の衣装はよく計算されている。
「やはり露出を抑えるという点では、絶対領域の演出できるニーソは外せないのか? 2011年ならそこまで陳腐ということもないだろう。腕はどうするか……アームカバーもいいが片方の手首に何かパーツがあるほうが描き分けが容易か?」
「なんというか、計算高いねえ」
悩む俺に、悪魔は小馬鹿にしたような顔をする。
「せっかく転生してチートもあるんだから、自分の好きなように作ったらどうなんだい?」
「お前は何も分かってない」
この間も言ったと思うがな。
「バーチャルYouTuberの親分を目指すなら、大衆受けを目指さないとダメだ。そりゃあ私だって、せっかくバ美肉するんなら自分の性癖を特盛にしたキャラに受肉したいさ。だがな」
だがしかし。
「お前、バーチャルYouTuberの代表的なキャラクターが、キツネ耳メガネ腹肉肩幅デカ尻ふたなりちょいブサチョロオバさんwith触手って嫌だろ?」
「なんて?」
「どうしたって世の中のスタンダードはスリムな美少女だからなあ……私の性癖に世界がついてきてくれさえすれば……誰かと硬い握手をかわしたいものだ」
「……スタンダードの感覚自体は持ち合わせているようで安心したよ」
普通を知ってこそのニッチなエッチだからな。
「そういうわけで、残念ながらスタンダードな美少女でいく。まあ自分の産んだキャラクターだ、愛着もあるしモチベーションには問題ないだろう。問題は……名前だな」
「君の名前はテルネだろ?」
「本名でバーチャルYouTuberをやる馬鹿がどこにいるんだ。このキャラクターにふさわしい名前をつけなきゃならん。まあ、苗字と名前に分解できるタイプがいいだろうな。オタクは苗字呼びしたがるもんだ」
「なんで?」
「名前呼びは恥ずかしいってやつもいるんだよ。童貞の気持ちを察しろよ童貞」
「ええ……僕まだ10歳なのにそんなこと言う?」
ナチュラルボーン童貞め。
「名前は短いほうがいいが短すぎるとエゴサしづらい。苗字+名前ならある程度問題を回避できる」
「それも計算かい? それで、なんて名前にするんだい?」
「ずっと考えているんだが……」
俺はメモ帳を呼び出してキーを叩く。
「まず、苗字は決めた。彩る羽根と書いて彩羽根(さいばね)だ。やはりインターネット的な名前が好ましいと思うんだよな」
「さいばね、ああ、サイバー?」
「で名前なんだが、ここをあまり奇をてらうとな……」
長すぎると苗字がある意味もなくなるし。
「なかなか思い浮かばなくてな」
「ふうん」
「そこでキラキラネームの始祖たる父さんに相談しておいた」
「どうして? どうしてあのセンスを頼ったのさ?」
ナルトにテルネだからな。まあ気の迷いだ。
「新しく妹が生まれたらなんて名前にするか聞いてみた。出てきた案が、トオカだった」
「あれ、意外とまともだね」
「由来は10日間考えたからだそうだ」
「前言撤回するよ。君の家族は頭がおかしい」
失礼な。おかしいのは父さんとお前だけだ。
「まあ苗字と繋げるとサイバーネットになるし、トーカ、と伸ばす音の表記にすれば完全に創作名になる。だからそれでいこうかと思う」
バーチャルネットアイドル、彩羽根トーカ。
「うん。イラストもできたことだし、さっそくサイトを作るか」
「どんなサイトにするんだい?」
「バーチャルネットアイドルのコンテンツはニュースサイトだったりテキストサイトだったりするが、実のところそこまでアクセス数を稼ぐ気はないんだ」
始祖名乗りをするためだけの布石だからな。あくまで盛り上げたいのはバーチャルYouTuberであって、バーチャルネットアイドルではないし。
「予告、ティザーサイトみたいなものでいいだろう。永遠に予告のまま、頓挫した企画だと思わせておくぐらいでもいい。……今ネットアイドル活動が忙しくなっても困るからな」
「長い予告だねえ。君の予定じゃデビューは2011年だから、14年後かい? 忘れられちゃわない?」
「………」
「ん? どうしたの?」
「ああいや。忘れられるのは構わないんだ。14年後に検索して見つかる、という展開でもかまわない。どうせGoogleが来年ぐらいに出てくるはずだから、キャッシュもされるだろうし。ただ……」
「ただ、何さ?」
「いや。バーチャルネットアイドル、でいいのか? と疑問を感じてしまってな」
「は?」
バーチャルネットアイドルは、バーチャルアイドルとネットアイドルのあいのこだ。
バーチャルアイドルとはすなわちアニメやゲームに登場するフィクションのアイドルであり、創作されたキャラクターだ。
対してネットアイドルとは、インターネットを舞台にしてブログ――は2002年頃か。まあ日記やらグラビアでファンを獲得するアイドルであり、実在の人物だ。
この2つはどちらも昨年頃から概念が浸透しはじめている。
そしてバーチャルネットアイドルはそのあいのこ。仮想世界に実在するキャラクター、という設定でアイドルをするものになる。
「アイドル活動――まあ別にアイドルっぽくなくてもいいんだが、なんらかの活動をしてファンを増やすのがバーチャルネットアイドルだ。だが私が最終的に目指すべきところはバーチャルYouTuberであり、ネットアイドルとはちょっと違う」
「はあ。僕には違いがよくわからないけど、それで?」
「バーチャルYouTuberにも呼び方問題というものがあった」
YouTuberとは要するにいち動画配信プラットフォームで活躍するもののことをいう。ニコニコ動画にしか投稿していないやつがYouTuberと名乗るのはおかしい話だ。まあ、動画サイトのシェア的に考えてバーチャルYouTuberに収まるのには納得しているが。
「そこでバーチャルタレントとか、バーチャルライバーなんて呼び方も作られていくわけだが……今時点でトーカはアイドルでもタレントでも配信者でもない」
「そうだね」
「であれば、今のトーカにふさわしい名乗りをするべきだろう」
キーボードを叩く。
「──バーチャルの住人、彩羽根トーカ?」
「仮想世界のいち住人、今はまだそれだ。ただの女の子がYouTubeを見つけてリアルと繋がっていく……それがバーチャルYouTuberとしての始まりになる」
こうして1997年の冬、彩羽根トーカはネットの片隅に産声をあげた。
その当時にしてはカウンターも設置せず、チャットも掲示板もメールアドレスも隠しページもないホームページ。誰かの目につく要素はないと、俺はそう思っていた。
◇ ◇ ◇
『彩羽根トーカの部屋』
こんにちは、人類。私の名前は彩羽根トーカ、バーチャルの住人、普通の女の子です。
バーチャルとリアルがインターネットで繫がって、私はこちら側の体をもつことができました。
このバーチャルの世界をもっとみんなに紹介したいんだけど……それにはまだまだ時間がかかりそう。
だから、待っててね。
トーカがみんなとバーチャルで会えるその日まで。
◇ ◇ ◇
「オタクっていうか、この時代の雑誌ってすごいな。これも買う、持ってくれ」
「いいけど、なんの話だい」
「彩羽根トーカが雑誌に載ってる」
PCソフトやアニメを扱う雑誌は、いち早くネットの世界に目をつけていた。この時代はまだまだインターネットの初心者も多く、せっかく接続しても何をしたらいいのかさっぱりという人間もいる。
そんな初心者に向けて、おすすめのサイトを紹介するコーナーが雑誌で展開されているのだ。サイトのトップ画像と長々としたURLが印刷されているのは、なんだか微笑ましい感じがする。ちなみに俺達の運営している翻訳サービスは、この手の紹介記事の常連だった。
で、そんな雑誌の中には、トーカの部屋を取り上げるものもあった。クオリティの高い謎の美少女のイラストサイトとして。
本屋を訪れて雑誌を立ち読みしていて偶然発見した。見つけたからには確保しておこうと、レジまで雑誌を悪魔に持たせているわけだ。
「どこにも宣伝してないし、相互リンクなんかもやってないんだがな……ジオシティーズを巡回して見つけたんだろうが……」
ジオシティーズは街をモチーフにした作りで、どこ街の何番地みたいな感じで一覧で見れるんだよな……知らんかったけど。
「雑誌に掲載するなんて連絡来てたっけ?」
「いや。トーカには一切連絡が取れないようにしているから、まあ無断掲載だな。この時代じゃそんなものだろ」
別に紹介されたくないわけじゃないから構わない。
「ふぅん……『謎の美少女イラストサイト。バーチャルキャラクター、彩羽根トーカちゃんのイラストを見ることができる。今後何かの展開が待っているかも!?』、か。こっちは何かのアニメか企画のサイトじゃないかって書いてあるね」
「あまり更新する予定はないし、そのうち忘れられるだろう」
ネットの世界は早い。更新がなければ客足が途絶え、すぐに人々の記憶から消えていく。
「今はまだ準備期間だ」
新しく発売されている技術書を、悪魔が抱えている雑誌の上に積む。プログラミング、モデリング。前世でまるで触っていなかったため、この世界の進歩に合わせて学ばなければならない。
「下準備をどれだけ万全にできるかにすべてがかかっている。まったく気は抜けないぞ」
応援ありがとうございます。日間1位どころか月間で4位にいてびっくりしました。明日も更新します。