2015年
【西端匡の記録】
2015年12月1日。
言いづらいことを言うのはいつも自分の仕事だ。
「それでアバタさん、お話ってなに?」
収録後の控室。ミチノサキに合わせて髪型をツインテールに変えたヴァレリーが首を傾げる。タスクはいつものツッコミを飲み込んで、最初に言い切った。
「プロジェクトが終わるかもしれません」
「えっ」
ヴァレリーはキョトンとして――それから顔を青くする。
「なんで!?」
「儲かっていないから、ですね」
「だ、だからやめるの? そんな! ファンのみんなだって応援してくれてるのに!?」
「……経営が耐えられないんです。このグラフはミチノサキの登録者数の遷移ですが、このままだと予想ではこうなりますが、これでは足りません。最低、ここまで到達するか、その見込みが見えないと……銀行からの融資も受けられない」
動画の広告収入だけでなく、企業からの宣伝依頼を受けて収入を得ている。しかし人気のないものにはそれ相応の価値しかつかない。つまり足元を見て買い叩かれている。会社が商売がうまくないということもあったが、とにかく、ハッタリを効かせられる数字さえないのが現状だった。
理想のグラフと現実のグラフには、どうしようもない乖離がある。
「アバタさん、偉くなったんでしょ? なんとかならない? ファンのみんな、スタッフさん……そのためならあたしもなんでもするから! あたしが稼げば……あたし……だって、やだよ、サキをやめたくない!」
「できる限りのことはしますが……」
役員の一人が逃げ出して、その穴を埋めるようにタスクが社外取締役なんて役職についていた。名ばかり役員でしかないが、力を尽くしてきたつもりだ。しかし……。
「今年中に状況が変わらなければ……」
タスクは告げる。
「ミチノサキプロジェクトは解散になります」
◇ ◇ ◇
【ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】
秋葉原はいい、とニコライは強く思った。11月どころか12月に入っても、クリスマスに浮かれずに商売をしているのだから。
「あ……彩羽根トーカ」
パーツショップの店頭のポスターを見て、ニコライはつぶやきを漏らした。バーチャルYouTuber、彩羽根トーカ。どうやらこのパーツショップのキャンペーンガールをつとめているらしい。
思わず頭の中で金額を計算する。北方少女モチならこれぐらいの仕事だと……収入は……トーカなら? あまり変わらないだろう。人気YouTuberへの依頼料の相場を調べたこともあるが、まだまだトーカレベルでは費用と釣り合わない。
事務所――特殊部隊の滞在費は今のところなんとかなっている。ニコライが出向の時間を増やし、天使が自分で動画編集もやるようになったから。しかしそれでも足りない分はあり、それは本国のあの頭のおかしい老人から送金されている。
あの老人は孫が少女と名乗ってアイドルをすることに反対はしなかった。むしろ以前より強く作戦の成功を求めている。狂人の心境はよくわからないが、ひとつハッキリ言えることは――
――北方少女モチが成功しなければ、ニコライの首が危ない。あの狂人なら、物理的に首をすげかえることにためらいはないだろう。
「……だからってどうしろと?」
天使も今まで以上に協力してくれている。動画の幅は広げてくれたし、歌も踊りも練習してくれている。
しかし、動画は伸びない。登録者数も。企業からの案件もない。
追加人員が認められない以上、ルサールカ作戦はこの形で行くしかない。しかしこのままでは、未来はまるで見えない。
気晴らしに来た秋葉原で、ニコライはいっそう閉塞感をつのらせる。大きくため息を吐いて、事務所へと向かっていった。
◇ ◇ ◇
【ラトナ・アンゴドの視点】
わたくしはホラーというジャンルは怖くありません。
だって、所詮人が作ったイラストや映像でしかないですし、幽霊のうめき声はそこらのスタッフが収録したものなのですから。現実的に考えて、何を怖がる必要があるでしょう?
わたくしが怖いものといえば――減っていく資本金の報告書ぐらいでしょうね。
「赤字が止まりませんね」
「なに、今だけだ」
わたくしに報告書を渡してきたリーゼントのエジプト男は肩をすくめます。
「来年にはコンシューマ向けのVR機器がいくつも発売される。PSVRも注目されているし、サマーレッスンなんかはキラーソフトになるだろう。間違いなく来年はVR元年、VR普及年になる」
「そこに、このソフトが刺さると?」
いちだん赤字の多い部分を指して問います。
「未だに発表さえしていないこの……人と喋るだけのソフトが?」
「時期を見ているだけだ。必ず需要はある。キサマもそれを信じたから投資したのだろう」
わたくしが信じたのはあなたではなく、彩羽根トーカ……の中の人ですがね。
しかし彼女も日の目を見ずに4年半過ごしていることを考えると……買いかぶりすぎだったのでしょうか?
「……とにかく、これ以上はわたくしだけで支えるのにも限界があります」
特に無駄遣いの趣味もないので貯めてきた資金ですが、そろそろレッドゾーンが見えてきました。
「別の出資者も探さないといけません。そのためにも発表はしていただかないと」
「分かっている……年内か、1月中には発表しよう」
その反応次第でしょうね……。
「さあ、それよりもそろそろ落ち着いたか? 収録の続きをするぞ」
「それですがやはり内容を変えませんか? こんなのは視聴者も望んでいないかと思うのですが」
「いいや、望んでいるとも。アンケートの結果だろう」
ええ、確かに、神望リリアに次にやって欲しいゲーム、でぶっちぎりでしたが……。
「業界を盛り上げるため、モデルケースとなるためにも、神望リリアが人気を得るのは重要だ」
エジプト男は――イヤらしく笑います。
「リリア初のホラーゲーム実況、公開日が楽しみだな?」
◇ ◇ ◇
「ハスムカイさん。出てきてください。迎えの方が来ています。帰っていただいて結構です」
「迎え……?」
誰だろう、と首をひねりながら、警察官の背中を追って檻の外へ出る。施錠された扉をいくつか抜けて警察署内に入ると、そこで待っていたのは細長いマッチ棒のようなシルエットの女性だった。
「店長……」
「ああ、テルネさん。大丈夫? お腹空いてない?」
心配して声をかけてくれる女性――バイト先の店長を見て、俺は急に申し訳なくなった。
「すいません。私が下手を打ったばかりに面倒なことになってしまって」
「そんなことないわ! わたしこそうまく警察に説明できなくて、テルネさんを連れて行かせてしまって……防犯カメラを確認してもらって、ようやく誤解がとけたのよ。遅れてしまってごめんなさいね」
なるほど、防犯カメラか。頭から抜けてたな。まあ、仕方ないだろう。
「……あの状況でオバサンの剣幕には誰も勝てませんよ」
事件は明け方に起こった。
なんとこの都会から遠く離れたコンビニに強盗がやってきたのだ。目出し帽をかぶり、包丁を突き出して、金を出せと。
警戒の緩む明け方、目出し帽。食い詰めた老人じゃない、計画的。そこまで判断したらスイッチが入って、一瞬のうちに強盗を制圧していた。包丁を持っていた方の手首はたぶん折った。痛みで強盗は悲鳴をあげるまでもなく気絶した。
いやあ、子供の頃変な道場に通っていたかいがあった。凶器を持っていたから手加減できなかったのが反省点か。日課の運動で体術の部分を少し増やして悪魔との組み手を入れるか。さてさて、強盗さんの素顔でも確認するとしよう。
なんて、少し高揚しながら強盗の目出し帽を剥いだ時だった。
『ひゃあああああ! 人殺し!』
バックヤードからオバサンが出てきて叫んだのは。
そこからはオバサンの独壇場だった。俺が無意識のうちに研修通りにボタンを押して呼んでいた警察が到着すると、オバサンは俺が客を殴り殺したのだと主張し始めた。見ていないのに状況を勝手に作り上げて脚色して話す。面倒なことに目を覚ました強盗がその話に乗っかる。自分は被害者だと。
いやいやお前包丁持って来たやろがい! と主張しようにも、これまた俺は無意識のうちに包丁を強盗から届かない場所に蹴り飛ばしていたらしく、どうも商品棚の下に滑り込んだらしいのだが見つからない。やっと騒ぎに気づいた店長が隣家からかわいらしいパジャマ姿でやってくるも、『テルネさんはいい人です、そんなことするわけがありません!』という主張だけでは証拠にならず、俺と強盗は別々のパトカーに乗せられて警察署併設の留置所にぶちこまれたのだった。それから取り調べだのなんだの……もうすっかり日が落ちている。
まとめると、オバサンが悪い。店長は悪くない。俺は――店長に迷惑をかけたので悪い。シフトだって穴が空いたはずだ。
「お店まで送るわね」
「すいません」
「いいのよ」
夫も正義感の強い人だったわ、なんて未亡人ジョークで和ませてこようとするのがまた申し訳ない。本当に店長はいい人すぎる。俺が男なら全力で再婚するのに。
「でも、いつものテルネさんらしくはなかったわね。最近、元気がない?」
「ええまあ……ちょっと」
少しハラハラする運転から意識をそらす。
「行き詰まっていて」
バーチャルYouTuber業界というものに。
国内のオタクの関心をひきたいのにどうもうまくいかない。俺の才能のせいかと思うのだが、他のバーチャルYouTuberは俺以上に不振だということを考えると……俺が示し後に続いた方向性が悪いのだろうか?
それでも俺は海外の登録者が増えているから多少の広告収入はあるが、他はどこも投資分を回収できていないだろう。企業は赤字ではやっていけない。
……いや、いちおう希望は見えている。さすがに30万も登録者数があると、その数字につられてやってくる人というのはいる。それでごくわずかではあるが、オタクにリーチしつつあるという感触はある。おそらくもう少し、もう少し耐えて続ければ……耐え……俺は石にかじりついてでも続けるが、他は、企業は?
「……世知辛いなあ」
「前から聞きたかったんだけど、それ口癖? なんだか古めかしいわね」
店長に笑われる。
「あ、いや、口癖というか前世からのお守りというかその……口癖です、はい」
「そうなの、ふふふ……あっ」
店長のバッグからスマホの呼び出し音が鳴る。
「ごめんなさい、出てもらえるかしら?」
「わかりました……もしもし?」
早く出たほうがいいだろうと相手も確認せずに通話を開始してしまった。
『やあ』
「……なんでお前が?」
「どなた?」
『君のスマホにかけても出ないからさ。君のスマホで連絡先を調べておいたのが役に立ったよ』
「……すいません、弟です」
「ああ。いいのよ、安心させてあげて」
俺のスマホはコンビニのロッカーの中だ。規定で業務中はそうしないといけないことになっているし、連行されるときにスマホを持ち出す暇なんてものもなかったし。おかげでしばらくネットに触っていない。
「で、どうしたんだよ?」
『バズったから知らせようと思ってね。君のチャンネル登録者数が急増してる』
「は? バズ!?」
なんで今急に!?
「え、最近ので何かバズるようなのあったっけ? いやどれも自信作だけど――」
『君じゃあないね』
俺じゃない?
『新しいバーチャルYouTuberが出てきてね、それがブログで紹介されてすごい勢いで拡散してる。君の登録者数が増えているのはその余波だ』
「新しい……? いったい……いや、待て、自分で確かめる。もう切るぞ」
車がちょうどコンビニに到着する。スマホを返し、店長に頭を下げる。
「送っていただいてありがとうございました、店長」
「いいのよ。あの、それでね、テルネさん」
「なんでしょう」
早く確認したい。家に帰って大画面で確認するのもいい。いや、それよりまずロッカーの中のスマホで概略を……。
「言いにくいんだけど……テルネさんのシフト、これからなのよね」
「………」
そういえばそうだった。
「テルネさんが警察にいる間、他の人たちにシフトを埋めてもらっていて……もうこれ以上は入れられなくて……その」
「……大丈夫です。留置所でたっぷり寝たので」
俺が出なければ、他は青い顔して今にも倒れそうな店長しかいない。そもそも、元からの予定が今なのだ。
「出ます……バイト」
重ねて言うが、バイト中は本部の方針でスマホはロッカーへ封印である。インターネットのひとかけらにも触れられない。
――世知辛い世の中だ。
応援ありがとうございます。次回、明日より、「黎明期の訪れ」編になります。




