2015年、2014年、2015年
2015年5月。
「やっと終わった……」
「ああ、お疲れ」
作業部屋から出てダイニングに降りていくと、座椅子でゴロゴロとしていた悪魔がひらひらと手を振った。
「何してたの?」
「4周年記念の動画の編集。さすがに気合を入れないとな」
「ああ、もう4年になるんだねえ」
悪魔は憎たらしい顔で頷く。
「流行らないのに」
「うるさい」
トーカのチャンネル登録者数は海外視聴者を中心に増え続けている。しかし日本では話題にはなっていない。そんな状況だった。
「私単体としてはそうだが、全体としてはだな! 出てきただろ、新しいVtuberが!」
「確かに出てきたよね」
今年の1月から、バーチャルYouTuberが1人増えていた。他にもYouTube以外の媒体で動きが見えつつあるが……とにかく、バーチャルYouTuberとしては1人。
「でも君より流行ってないよね」
「なんでだよ……! キャラモデルのクオリティ高いじゃないかよ……! どうして伸びないんだ――ミチノサキちゃん……!」
ミチノサキ。俺がこの世で初めて観測したVtuberだ。金髪ツインテという王道に、青薔薇のシュシュ。全身を無数のベルトで締め付けたロック風の衣装。そして唯一締めつけられていない豊満な胸。
「あの胸めちゃくちゃ技術力かけて自然に揺らしてるのが見てわからんのか……! 頭についてる薔薇よりポリゴン使ってるぞ!?」
「わかんないよ普通の人は」
露出はほぼゼロと言っていいトーカに比べて、ミチノサキちゃんはスカートだしミニだしノースリーブだしと隙だらけ。そのベルトはいったい何を隠しているんだいオジサンに見せてみなげへへ……ってなもんなのに……。
「なぜ伸びないんだ」
「どうしてなんだい?」
「……まあ動画のネタがな……なんか普通っていうか……」
機材やモデルに金をかけているのは見て取れるし、かなり気合の入ったプロジェクトのようだが、どうも企画側があまりうまくないようだ。なんか他のYouTuberの二番煎じみたいな感じだし……声がいいから歌えばいいと思うんだが権利関係がクリアできないのかほとんどないし……投稿頻度も多くないし。だが。
「それでもいい、頼む、毎秒投稿してくれ……!」
「不可能でしょ……ああ、そうそう」
悪魔はスマホの画面を見せてくる。
「今日かな。新しいバーチャルYouTuberっぽいのを見つけたよ」
「待てっ!」
俺は悪魔とスマホから顔を背ける。
「……よし。まず……名前は? ゆっくりだ! ゆっくりとな!?」
「えーと、北方少女モチ」
「よし!」
「何なんだい、いったい」
「前世にいたバーチャルYouTuberだったらなんか気まずいから」
北方少女モチなんて聞いたことないし大丈夫だろう。
「なんか北方棲姫みたいな名前だな」
「おっ、何かのパクリかい?」
「この程度でパクリになるなら何事もパクリだよ。完全に何も連想させない創作なんてない。北方少女モチね、いいじゃないか、よし……み、見るぞ」
覚悟を決めて、再生する。
『ズドラーストヴィチェ。はじめまして、北方少女モチです』
映ったのは、銀髪の小さな少女のいる部屋だった。窓の外では雪が降っている。家の中でもファーのついたもこもこのダッフルコートを着ていて寒そうだ。しかし……。
「……うーん」
「どうかしたかい?」
「いや……声は問題ない。前世で聞いたことがないから大丈夫だ」
中性的な声だな。北方少女、と書かれていなかったら性別に迷ったかもしれん。
「ただ、顔が……なんか私に似てないか? 小学生ぐらいの」
「そう?」
「……まあアニメ的な美少女を求めたらこうなるのかもしれん」
「お、ナルシスト発言だったかい?」
「うるさい」
そんなことをやっている間に、モチちゃんは淡々と、たどたどしく自己紹介をした。北の方に住んでいて、祖父以外とは人との交流がないこと、趣味は暇つぶしをかねてゲーム、夢はみんなに見てもらえるアイドル。
『よかったら、モチーチカってよんで、ね』
「うおおー! モチーチカちゃーん!」
「うるさいよ?」
いやー、いいな。いいキャラだ。寒がりで防御力の高いロリはいい。ステージ衣装がどこまで大胆になるのか今からオジサン楽しみだよ! アイドルになってくれ! モチーチカ!
……モチーチカってなんだよ。エセロシア語にもほどがある。挨拶のロシア語の発音がよかったからびっくりしたが、設定のための一発芸だな、これは。
「よし、チャンネル登録高評価Twitterフォロー完了! そして!」
「そして?」
「バイトに行ってくる。動画を見たせいで遅刻しそう」
家から車で5分だから油断しがちだ。急いで――
「あ」
「なんだ?」
「北方少女からリプライがきてるよ」
「なんだと……!?」
うお、マジだ。Twitterのフォローを感知して@を飛ばしてきている。
「うおお、いいねえモチーチカ、Twitterでも設定を守るタイプかい、かわいいねえ!? うぐぐ、な、なんて反応を返そう……!?」
「いや、普通に挨拶したら?」
「そんな簡単にできたら苦労しないだろうが! こちらとらアイドルと話したことなんてない一般童貞オジサンだぞ!?」
「あぁ……うん」
ミチノサキちゃんに挨拶の@飛ばすときも3日ぐらいかかった。そのうえ反応もらえなかったし。オジサンあの時はちょっと泣いた。
「どうする、どうしようか……は、早く返信しないと向こうも不安だよな……!?」
「そうなんじゃない?」
それからなんとか返信文をひねり出して投稿した。これで一安心だ。
――バイトには遅刻したが。オバサンが正論で口撃してきてうざかった。
◇ ◇ ◇
@hoppo-shojo_mochi
@cyberne_to-ka トーカさん、フォローありがとうございます。モチ、トーカさんの動画を見て、やろうと思いました。仲良くしてくれると嬉しい、です。
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@cyberne_to-ka
@hoppo-shojo_mochi モチちゃん! こちらこそよろしくね! バーチャル世界の仲間が増えてとっても嬉しい!
◇ ◇ ◇
【ミチノサキスタッフの記録】
2014年11月。
まだこの会社名に「バーチャル美少女プロジェクト」とだけ銘打たれていた頃。スタッフは演者とそのマネージャーとの数回目の打ち合わせに臨んでいた。
「こちらがヴァレリーさんに演じていただくキャラクターデザイン案になります」
「どれどれ、見せて!」
机に広げた絵にヴァレリーが飛びつく。隣に座る声優事務所の男――西端タスクはその様子を見てこめかみをそっと抑えた。苦労していそうだな、とスタッフは同情する。
「うわー、かわいいしかっこいい! この青いのは!?」
「モチーフになる青い薔薇です。このプロジェクトの象徴ともいっていいですね、花言葉は『夢かなう』です」
「ゆめかなう……いいね! まるであたしみたい!」
ヴァレリーの事情はタスクから説明されていた。といってもデモテープを聞いてプロジェクトメンバー全員で「この子にしよう!」と決めた後なのでだまし討ち感があったが……本人には罪はないし、タスクもまだ引き返せる段階で明かしてくれている。なので。
「この子の名前は!?」
「まだ未定です」
受け入れた上でうまくやろう、とスタッフ全員で心得ていた。
「そうなんだ」
「いわばヴァレリーさんの第二の名前になるものですからね。慎重に決めないといけません。ヴァレリーさんが中の人であることが秘密、なのはもちろんですが……それよりも、この子はヴァレリーさんなんだと、そう思ってもらえると……性格とかも設定する気はないですし」
「この子はあたし……」
熱を帯びた目で設定画をヴァレリーが見つめる。
このタイミングしかない、とスタッフは切り出した。
「設定画で一つ確認があるのですが」
「なになに?」
「その、ここなんですけど」
指で示したのは――ミチノサキの主張の大きい胸部。
「その……これぐらい大きくても問題ないでしょうか?」
思わずスタッフはヴァレリーの同部位を見て言う。
そこは――平坦であった。
現実とアバターに、あまりにギャップがありすぎる。怒るかもしれない。それをなんとか納得させてこい、というのがこのスタッフに与えられた使命だった。
ヴァレリーはこの子のいわば中に入って操縦をする。気を悪くしないだろうか? しかしこれは差別化というか先行キャラクターに追いつくためにも必要な武器で――
「おっぱい?」
………。
「おっぱいのこと?」
「ああ、ええ、そうです……」
「そうだなー」
ヴァレリーは腕を組み、険しい表情をする。スタッフはつばを飲み込んだ。
「……もっと大きくしよう!」
「え?」
「おっきいおっぱいは正義! もうぶるんぶるん揺らしちゃおうよ! 男の子ってそういうの好きでしょ? あたしも好き! 大好き! ――あなたは?」
スタッフは立ち上がり、ヴァレリーの手をとった。そして心から叫ぶ。
「大好きです!」
「だよね! 大きいは正義!」
同志を得たヴァレリーは――隣に座るタスクに問いかける。
「シバタさんは?」
「……巻き込まないでほしいです」
「同盟ならずかー」
かくして、ミチノサキの胸部は強化された。より強調する衣装になり、ボーンが設定され、自然な揺れを求めてパラメータが調整された。
その努力が結実するのは、2015年1月のことである。
◇ ◇ ◇
【ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】
2015年3月。
東京都内の雑居ビルの一室で、ニコライは天使――ルカと打ち合わせをしていた。
特殊部隊に集まった様々な技術の持ち主たちにより、すでに部隊は『会社』という社会的立場を得ていた。法律に詳しいもの、経理のできるもの……それぞれの専門分野を活かして動いている。もともとアイドル事務所を立ち上げようとしていただけあって、そのあたりに抜かりはない。
ニコライを筆頭とする技術班は、新生ルサールカ作戦の中心となるチームだった。カモフラージュのため適当な人間が社長になっているが、メインオペレーターであるルカの決定こそがすべてを決める。
「こちらがモデルのラフです。いかがですか、少佐」
ニコライが提出したのは、北国の女子高生といった感じの子だった。コートの下から、ミニスカの制服が見えている。
「やはりアイドルといえばJKが王道です。北国の印象を与えるためにコート、そしてチラりとする制服、JKの矜持として生足。どうでしょう!?」
「これに、ぼくがなる……?」
「そうです!」
そのためJKといっても生意気な感じではなく、優しく天使のような顔立ちにしていた。まさに天使が演じるにふさわしい。
――しかし。天使の表情は晴れない。
「何か不満が?」
「……ない。みんなが作ったものを信じる」
天使よ。しかし。
「それでは駄目です、少佐。我慢はいけない。このキャラにはあなたがなるんです。つまり、この子はあなたなのです」
「ぼく……」
「少佐がなりたくない姿になる必要はありません。そんなことをしたら不満が残り、いずれ爆発するでしょう。作戦の成功が危ぶまれます」
「どうしたら」
「なりたい自分を教えてください、少佐。このキャラクターのことは忘れていただいても問題ありません。どこを変えたい……何になりたいのですか?」
天使はしばらく考え込むと、胸ポケットから手帳を取り出し、そこから一枚の古ぼけた写真を取り出した。
「これ……」
そこには何か不満そうな顔をした小学生ぐらいの年頃の少女が写っていた。髪は男かと思うほど短く、目つきは鋭い。顔立ちは整っているが、かわいいというより凛々しさを感じるとニコライは思った。
……というか、こんな日本人の小学生の少女の写真を大事にしまっているとか……。
「……少佐もなかなか業が深い」
「……?」
「いえなんでもありません。ええと、この少女の顔に似せればよろしいですか?」
「そう」
天使はさらに注文をつける。
「あと、体も、同じぐらい小さく」
「神よ」
「……?」
「いえ……いえ、分かりました。小さく、ですね」
「……難しい?」
「問題ありません」
実際の体格とは恐ろしくかけ離れている。モーションの取り込みの際にそのギャップが懸念される。しかし技術班として、なにより天使のため、やってやろうとニコライは決めた。
「そうなるとJKという設定は難しいですね。もう少し設定を変えていきましょう。例えば――」
技術班の努力が実り、ルカが北方少女となるまで、あと2ヶ月。