2014年
1/20 六桁→五桁に修正(数が数えられていませんでした)
2014年12月。
「もうひと伸びがない……」
俺は暖房の効いた部屋でコタツに入りつつボヤいた。
「そうかい? 大躍進じゃないか」
対面の悪魔がカップアイスを舐めながら言う。スプーンを舐めるな汚いな。
「チャンネル登録者数も五桁の大台に乗ったし、収益化もできただろ? 君の金で食べるアイスはおいしいねえ」
「それはコタツで食べるアイスが美味いだけだ。俺にもよこせ」
「これで最後だね」
悪魔め。いずれ1個百円もしないやつじゃなくてハーゲンダッツを目の前で食ってやる。
「で、何が不満なんだぃ?」
「……確かに登録者数は増えた。だが、Twitterのフォロワーは増えていない」
ギリギリ四桁というところだ。
「投稿している動画の再生数も、通常で三桁いくかどうかだ」
「伸びてるのもあるじゃないか」
「『The 倉庫スタッフ』のプレイ動画な……」
前世にはなかった新作ゲームの実況ということもあって、力を入れていた。毎日投稿している90秒動画の枠ではなく、それとは別に30分程度の動画シリーズにして。
「……もうクリア済みで、動画のシリーズ完結も半年前なのに、このシリーズだけ未だに伸びているんだよな」
なんなら新作動画の一日の再生数を上回っている。このペースだと十万再生は堅いかもしれん。
「……健全じゃない。それに、この状況はまだブームとはいえない」
「何が健全じゃないのさ? なんとかとかいう事務所から所属しないかってお誘いを断ってまで独立を保ってるのに?」
「マルチチャンネルネットワークな。YouTuberを集めて広告を請け負うタイプのやつ。まあ誘われたのはテレビで紹介された瞬間だけだし、リアルYouTuberなんて陽キャの集団に混じれるわけないから断ったが……そういうことじゃない」
少し状況を整理してみるか。ちょっと自信ないが……。
「まずは……客層の問題かもしれない」
「おっ、ファン否定かい?」
「そうじゃない。バズに至る客層じゃないんじゃないか? というだけだ。日本からの登録者はだいたいがテレビ報道をきっかけなんだが……つまりその人たちは朝の報道番組のYouTuber特集を見ていた人、というのが起点になっている」
SNSでも多少は拡散されたが、全く別の客層にリーチするには至らなかった。
「YouTuberを見る客層はリアルの人間に興味を持つ人たちだ。人間が表に出てきてやるから面白いんであって、キャラクターが出てくることには興味はない。またどちらかというと消費者気質で、二次創作、再生産に動く人は少ない……という印象がある」
「つまり?」
「あのバズで獲得した登録者の大多数は、物珍しかったから登録しただけで、その後は放置してるだけじゃないか? リアルの人間じゃないトーカには興味がないから、拡散やファン活動にも熱心じゃない」
もちろんSNSでファンアートを描いてくれるありがたい人もいるのだが……トーカの知名度と相まって、伸びないのだな。で、反応が少ないので次が描かれない。当然だ。
「私は、バーチャルYouTuberのファンというのは……リアルの人間を重要視しないオタク気質の人間が、そのキャラクターに触れて、次第に魂の輝きを知って形成されていった層だと考えている。架空の内面ではなく実在の内面に興味をもつようになった新しい種類のオタクだと。つまり、原動力はどうしたってオタクなんだ。オタクに響かないと意味がない」
「じゃあ今のところオタクに響いていないってこと?」
「そうだ。実際オタクには全く流行っていないと思う。……上っ面が陽キャ文化のYouTuberだからな。いくら顔が良くても、敬遠されているんだろう。魂の輝きを知るまで追ってはくれない」
俺の魂が輝いているかどうかという問題もあるが……あ、やばいな、そこ結構自信ないぞ? ……とりあえず棚上げしておこう。
「ゴホン。まあそういうわけで、今のところトーカのファン層はバズにつながらないというのが私の見解だ。最近の登録者もだいたいが海外からだしな……『The 倉庫スタッフ』実況動画からの」
「ふーん、難しいもんだねえ」
悪魔はいつの間にか剥いていたミカンを食べながら言う。
「おい、ずるいぞ一人で」
「ほら」
一房投げつけてきたのを口でダイレクトキャッチ。うむ、甘酸っぱい。
「それで? 問題が分かってるなら、次はどうするんだい? 現状でも企業案件が入ってくるようになって、金銭面では少し楽になってきたけど」
「だいたいソシャゲの宣伝だけどな」
あまりにお色気寄りなやつはお断りしているが、とにかく企業案件はソシャゲが多い。おかげでローンや光熱費の支払いに泣くことはなくなってきた。そろそろ悪魔にやらせている翻訳サービスも引き上げて活動に集中したいところだ。
「どうするか……というと、続けるしかないと思う」
「バズらせる方法は?」
「分かっててバズらせられたら苦労はないだろ。まあいろいろやっていくしかないな。ゲーム実況動画が伸びているからって、他のゲームをやっても全然反応なかったし……」
ガブガブゲームスの次の新作が待ち遠しい。伸びるにしろ伸びないにしろ、新作をプレイできるのは嬉しいことだ。
「あれはどうなの? 生放送とかいうやつ」
「YouTube Liveな。申請は通ってるからできることはできる」
トーカが活動を開始した直後は登録者数が一定以上ないと生放送できなかったのだが、今は申請し認証さえされれば誰でもできる。
「生放送をやることはもちろん考えた。ファンとコメントを介してリアルタイムにやり取りができるし、放送後はアーカイブを公開するだけで動画が一本出来上がりだ。90秒の動画の編集よりはるかに時間がかからない。YouTube Live以前でもニコ生とか、それこそいろいろ方法はあったが」
「メリットしかなさそうだね。なんでやらないんだい?」
「そりゃ、お前」
画質とか視聴者の時間を考えてとかいろいろあるが、最たるものは。
「バイトがあるからだよ。いつ呼び出されるかわかったもんじゃない」
「あぁ……うん」
コンビニバイトは継続中だった。収入面ではそれほどの比重ではないが、唯一安定性のある財源でもあるので、地味に効いている。無職じゃなくフリーターという立場が手に入るのも今は助かる。
それにしてもコンビニって激務だ。いや大体呼び出しがかかるのは例のオバサンのせいなんだが。オバサンは最近特に勤怠が悪く、そのせいでシフトは乱れに乱れ、最終兵器俺が前触れなく呼び出される。どうして。
「飢えないためにもバイトは続ける。店長のこともあるし」
「貧乏暇無しだね。そんなことで親分になれるのかい?」
「……継続は力なりだ」
たぶんきっとめいびー。
「信じて続けて、『次』の機会を待つしかない」
◇ ◇ ◇
【ニコライ・ダニーロヴィッチ・ポロンスキーの記録】
東京都内のボロアパートの一室を改装したセーフハウスで、ニコライは端末に表示された報告を見てため息を吐いた。
終わった。これでこのくだらない計画もおしまいだ。これを将軍に報告すればチームは帰国を命じられるだろう。せっかくオタクの国、日本に来たというのに。
ため息。頭を抱えて丸くなる。その背中に――
「何ごと、ニコライ」
天使の声がかかった。
「報告を」
「はいっ」
落ち込んでいた気分は一気にふっとんだ。ニコライは軽やかに返事をして振り向き、『天使』を視界に収める。
青い目、金色の髪。年齢を感じないきめ細かい肌。小さい顔に反してスラリと伸びた背丈、手足。そしてなにより、ニコライの鼓膜をくすぐる中性的な声。
「報告します」
同性であることを忘れてしまう美貌の天使に、ニコライは高揚する気持ちを抑えながら口を開いた。
「ルサールカ作戦におけるメインオペレーターのナターリャですが、先程入国管理局に拘束されたと報告がありました」
「なぜ」
「パスポートの偽造が発覚したとのことです。近いうちに本国に送還されます」
「……そう」
天使は悩ましい顔をする。ニコライは作戦失敗を嘆くべき立場にもかかわらず、その表情を見て神に感謝した。
「代わりの人員は」
「いません。てん――少佐もご存知でしょう。我々のような非合法な組織にナターリャのような若い女は二人といません」
ナターリャが特殊なケースだったのだ。確か将軍――と自分を呼称する気の触れた老人に、無実の罪で投獄されるところを救われたとか。本当かどうか知らないが、あの狂人の理論に言いくるめられて部隊に入れられ、今日までやってきたのだから変わり者であることには変わりない。
それを言ったらニコライも似たようなものだ。ちょっと集めていたものがアレだったからといって逮捕して実刑まで食らわせる必要はなかっただろうと考えている。施設への収容間際に将軍に助けだされなければ、今頃はシベリアの大地をベッドにしていただろう。
この狭いセーフハウスに詰め込まれたチーム全員、誰もが似たような境遇で、本国に合法な居場所はない。
「……それは、そう」
例外はこの天使――将軍の孫ぐらいなものだろう。彼だけは偽造していない正規のパスポートで入国している。
「困った」
ニコライは天使が気の毒になる。
将軍を自称する気の触れた老人は、無駄に財力と人脈を有しており、ニコライをはじめとする脛に傷のある者たちを集めて私設の、非合法の特殊部隊を擁していた。そして祖国のためと言っては、わけのわからない作戦に駆り出すのだ。
その中心にはかならず天使が据えられ、彼は健気にも祖父に応えるため作戦を遂行する。今も祖父の期待に応えられないことに心を痛めて――
「日本に来たのに」
「は?」
「作戦は失敗。でも帰りたくない。日本がいい」
天使のワガママを聞いて、ニコライは――
「なるほど、承知しました」
あっさり天使への認識を変えた。彼は祖父に無理矢理従わされていただけで、遠く離れた地に来た今こそ自由を感じているのだと。であればニコライも天使の希望をかなえるのにやぶさかではない。将軍よりも天使が大事に決まってる。このチームの人間は皆そうだ。
「しかし、将軍から与えられた任務はルサールカ作戦です。これを継続できなければ、本国に帰るしかありません」
「……日本人の、協力者を」
「確かに東京には腐るほど女子高校生がいるし、ナターリャより美人なのは星の数ほどいます」
天使よりかわいい人間はいなかったが、とニコライは胸中でつぶやく。
「しかしこの作戦において必要なのは、ロシア語を喋る日本人ではありません。日本語を喋るロシア人でなければ」
ルサールカ作戦。狂人が立案したその作戦は、老人が考えるにしては気の長いものであった。内容を正確に表せば、「偶像による日本懐柔作戦」。具体的に言うと――
親日派ロシア人美少女アイドルにオタクたちを沼らせてロシアに対する好感度を爆上げし、ひいては北方領土どころか北海道の半分ぐらい占領しても歓迎される状況を作っちゃおう作戦だ。
ナターリャはそのためのメインオペレーターだったが……やはりあれで17歳というパスポートは不審しかなかったのだろう。
「では、どうしたら」
どうするか。
アイドル活動をするということは目立つということだ。隠密行動ではないから、表に見える実績を示さなければいけない。ウソをついてもすぐにバレてしまう。であれば……。
「少佐。一つだけ手があります」
ニコライは閃いた。自分が天才だと思った。そして必ずややり遂げるという意志に包まれた。
「あなたがアイドルになるのです、少佐」
「……ぼくは男」
「あなたはナターリャの日本語教育係だ。もちろん日本語はネイティブレベルで扱える。親日派ロシア人を装うのは簡単です。いやむしろ、ナターリャより適任と言ってもいい」
「ぼくは男で……背が高い」
「それこそ何の障害にもなりません!」
ニコライは胸を張って言った。もちろん自分は天使の性別を気にしていないが、そういうことではない。
「ご存知ですか、少佐。バーチャルYouTuberという存在を!」
「バーチャル……?」
「トーカちゃんという第二の天使を!」
「トーカ……第二?」
バーチャルYouTuber。3Dモデルの体を使ってアニメ的表現をする技術。休憩時間に動画サイトを巡っていて「彩羽根トーカ」という存在を見つけたニコライは、技術屋として強い興味を惹かれていた。ロシア語字幕もあったので視聴には苦労しなかった。そしていつの間にか推していた。
ここぞとばかりにニコライは、部隊のメンバーに向かってバーチャルYouTuberについて説明し始める。あれならば、可能性がある。必要な技術力も自分達にはある。天使をアイドルにすることができる!
「てん――少佐の声は美しい。我々の作る美少女モデルと合わせても違和感の一つもないでしょう。性別、外見、身長? そこはアバターを使う以上、いくらでもカモフラージュできます!」
「けど……」
「作戦の継続のためにはこれしかありません。お心苦しいでしょうが、少佐」
ニコライは天使の手をとった。柔らかく暖かい子供のような手だ。
「アイドルに――美少女になってはいただけませんか」
「ぼくが……女の子に」
「そうです! なあ皆、文句はないだろう!?」
ニコライはセーフハウス内の他のメンバーに呼びかける。誰もがすぐにうなずいた。彼らの目は言っている。天使のアイドル姿が見たいと。
「……わかった」
そして、天使は――ルカ・ウラジミルヴィッチ・スミルノフは、頷いたのだった。




