202X年 十の窓の世界
右手には3かけ3、9枚のモニタをアームで吊るした、配信や動画を見るためのサブ鑑賞モニタ群。
左手には各種SNSの動向をチェックする大型モニタ。
上には自動更新されるVtuberの配信スケジュールを映すモニタ。
「ふぅ……今日のウーディン様のうどん屋レポ動画もよかったな」
サブPCのマウスを操作して次の動画に切り替えつつ、ウンウンとちゃいむちゃんのライブ振り返り雑談に頷き、モチーチカの大会勝ち上がりを祝うコメントを送って。
真正面のメインモニタに映っているDTMソフトで打ち込みをする。
「……鋼のシートに覆われて〜♪ ……いや……シールドされて……」
「いつ見ても思うけど、よくこの環境でお仕事できるよね〜」
「最高の環境だろ。ていうか、ノックしろ」
「いいじゃ〜ん、一つ屋根の下の仲なんだし!」
そう言って背後から腕が伸びてきて、首に抱きついてくる。ヴァレリー・ローズ・ムグラリス。4歳の頃からの知り合いで、何の因果か同居することになった女だ。
シェアハウス……というか俺の持ち家だから居候ってやつだな、うん。
同居してしばらくはルールを守っていたのに、最近は無遠慮に部屋に上がり込んでくる。最初の頃は俺も『存在しないはずのファンアート』を隠したりと大変だったんだが。
『テルネ、これなんて名前のVtuber? かわいいね!』
『そうだろ! この子は頑張り屋でさぁ、苦行ゲーにも真摯に向き合ってめげずに暴言も吐かず――ゴホン。いや、これはその……没デザインだ』
『ええっ、そうなの!? こんなにかわいいのにもったいない!』
『だよなあ!?』
いちいち隠すのも面倒なほど侵入してくるようになったので、没デザイン、没コンセプトアートだと言って口止めすることにした。
……あの最初のライブで俺の名前を言ったやらかし以来、これといったポカはしていないので……まあ……多分大丈夫だろう。
「いつも思うけど、よく配信見てコメントしながら作業できるね?」
「10窓目の集中力を割り当てれば普通にできるだろ」
「あたしは無理〜、見ながら作業してると見ちゃう!」
「物事というのは同時にこなさないと終わらないんだ。社会経験が足りないな」
振り返って考えると、ブラック企業でこき使われたことで頭の使い方が変わったのだと思う。それ以前は同時にできることが少なかったし。……結果としてはありがたいことだが、だからといって三度あの環境に身を置きたいかと言われたらNOだ。
「それで、これは何の作業? トーカの新曲?」
「ノトちゃんの依頼で、スミちゃん用の新曲だ」
「スミちゃん! いつも仲良しだね〜」
「だろ! だよな! いいよなあの2人。だってさぁ、私はVtuberオタクとは言えさ? 私がロハで依頼受けたら他のクリエイターに悪いじゃん? それにスケジュールの都合もあるし。だから料金設定は不本意ながらかなりお高めにしてるんだけど、それでも親友のために依頼してくるのホントてぇてぇよ……キャラ的にはノトちゃんがリードしてる感じだけどさあ、やっぱノトちゃんがスミちゃん大好きすぎると思うんだよな。っぱスミノト派しか勝たんわ」
「2人そろったところ見てるとほっこりするよね」
「わかる。わかり。お前もなかなかのわかり手になってきたな」
「へへ〜、褒めて褒めて」
この家にこの程度の話についてこれないオタクはいない。
「あたし、テルネの作る曲好き! カラオケでもよく歌うし! 歌った〜! って感じになる!」
「ああ、そこは気をつかっているところだからな」
「カラオケに?」
「これは私の持論だが」
作業の手を止めず、SNSに現れた新たな輝きをフォローしながら口を動かす。
「歌っていうのは、観賞するためじゃなくて、やっぱ万人が歌うためにあるんだよ」
「どういうこと?」
「歌うのが難しい曲は避けたいってことだ。難しいのを練習して歌う楽しさや達成感も否定できないが、一日に何十曲と発表される昨今、そこまで一つの曲にリソースをかけられないだろう。オタクのオフ会で全員知ってる歌えるにはならんはずだ」
オタクの基礎教養的な曲……というのも多様化した現代では難しいだろうしな。
「だから私は歌いやすい曲を作る。イントロは短くするが完全にナシでは歌い始めないし、途中でラップが始まったりもしない。1番と2番の展開を極端に変えたりもしない」
「なんで?」
「オープニングだけしか知らん状態でもカラオケに行きたいし、そこで初めて2番以降を知ってもにゃもにゃしたら嫌だろ」
大昔のアニソンのようにしろ、とは言わないが。カラオケに行くのに予習必須なのは気軽に楽しめない。
「あとはコーラスとデュエットも1人で歌えるように構成してる」
「そういえばハモリはあっても被せはないよね。なんで?」
「オタクが1人で歌えるようにだ」
オタクに一緒に歌ってくれる相手がいると思うなよ。そういうのはマジで年に数回あるかないかの大イベントだぞ。
「う~ん、でも最近は難しいの流行ってるよ? 歌ってみたとかいっぱい出たりするし!」
「歌ってみれないオタクもいるだろ」
人様に歌をお出しできないオタクの方がまだまだ多いハズだ。
「パッと聞いてパッと歌えて、楽しくて歌い甲斐がある。流行ではないだろうが需要は必ずあるはずだ」
まあ……たまに「楽曲のセンスが昭和」とか言われるが……。
「ふ~ん。いろいろ考えてるんだ。じゃあこれもそんな感じ?」
「いや……今回はノトちゃんから指定があってな。展開が複雑で難しい曲にしてくれと。スミちゃんの実力を伸ばしたいらしい。てぇてぇよな……」
別に作れないわけじゃない。ラップは入れないが、曲調が二転三転するような感じにした。
「難しいんだ。じゃあ作るの大変?」
「曲はだいたいできたんだが、歌詞がな……作詞作曲でオーダーもらってるんだが……歌詞がなぁ……」
「え〜、スミちゃんのこと好きならサクサク書けるんじゃないの?」
「馬鹿言うな! 私の解釈を押し付けるわけにはいかんだろうが!」
俺はスミノト派だがノトスミ派だっているし、そもそも本人たちの本心はわからん。俺の解釈全開で曲を押し付けて嫌な気持ちになったら……2人の関係に亀裂が入ったら……ああああっ。
「苦しい……辛い……推しの曲作るとかどんな拷問なんだ。ワンフレーズごとに不安がのしかかってくる……」
「じゃあ受けなければいいのに」
「ノトちゃんが頼ってくれたのに断るわけにはいかんだろうが!」
推しの頼みを断れるオタクなんかいない。そうだよなあ!?
「じゃあ、あたしがチェックしてあげる! どれどれ〜? タイトルは……エラー、ろー、ふまに……」
「Error: Low Humanity」
「なんて意味?」
「バッテリー切れみたいな感じだ。人間性が低下しています」
「ふんふん。あ、なんだほとんどできてるじゃん。仮メロも入ってる? 聞きたい聞きたい!」
「仕方ないな、ちょっと待て……」
ヴァレリーにヘッドホンをつけて再生する。ヴァレリーは俺の肩に顎を乗せたまま目を閉じて小刻みにリズムを取り。
「♪神経接続不良 きっとアンドロイド
私 体全部鉛で 血液だって水銀
命令系統不良 または動力不足
指先ひとつふたつ黙してまばたきだけで――」
「ワァーッ!」
歌いだしたヴァレリーからあわててヘッドホンを取り上げる。
「あっ、いいとこだったのに!」
「だっ、おま、それは……ダメだろ!」
「え~! なんで!」
「なんでって、そりゃ――」
そりゃあ……そりゃあさあ!
「サキちゃんバージョン作っちゃいたくなっちゃうだろうが……!」
推しがさぁ……推しの声が隣でさぁ……自分の作った曲を歌ったらさぁ……!
「へぇ~……作りたくなっちゃったんだ。あたしはいいよ?」
にたぁ~、と笑ってヴァレリーが覗き込んでくる。俺は目を逸らす。
「ダメだろが。金を払ったのはノトちゃんだぞ。……許可出たら最速で音源渡すからそれまで待て」
「うんっ。歌ってみたする! 楽しみ~!」
クソッ……推しの声で……!
「やあ、楽しそうだね」
……推しじゃない声が聞こえてきた。ていうか、お前もノックはしろよ。
「あっ、ナルト。久しぶり! 最近見なかったね?」
「面倒な案件が続いてね。まったく休む暇もないよ」
悪魔はそう言って肩をすくめる。似合わないからやめろよな。
「ヴァレリーの方は、そろそろ配信じゃなかった?」
「あっ、そうだった! 準備しなきゃ!」
「何しにきたんだよお前は……」
「テルネ成分補給! ん~!」
「やめろ離せ」
「えへへ~、じゃあまたね!」
あわただしく部屋から出ていく。やれやれ……おっとサキちゃんの配信の待機画面もつけないとな。
「ずいぶん楽しそうだったね」
「そろそろ老眼か?」
「人間の肉体の脆さは嫌になるね。その日が来ないことを祈ってるよ」
悪魔のくせに老眼は怖いらしい。まあ、こいつの権能にそういう力はないらしいからな。
「気になってるだろう案件の報告だよ。直接聞きたいだろうと思ってね」
「ああ……寄こしてくれ」
悪魔の差し出してきた書類を受け取る。
「まったく、彩羽根トーカがいくら啓蒙しても悪徳な業者というのはいなくならないもんだな」
「それだけオイシイ業界に見えるんだろうね」
「俺の稼ぎなんてそんなにないんだけどな」
「夢見る若者を搾取する場所として、だよ」
Vtuberになりたい。あの輝く星々のひとつになりたい。その気持ちの大きさから、身元も確かでない怪しい事務所のオーディションに応募する人間というのは、この世界でも後を絶たない。
「君たちが輝き続けるほどに、闇もまた濃くなるってわけだ。皮肉だね。どうする? 浄化作戦でも行うかい?」
「闇から新星が現れたりするのもまたVtuberだ。痛い目を見る人間は少ないほうがいいが……過剰に手入れをしても綺麗な花は咲かない。今まで通り、事前に手を打つのはマジでヤバそうなとこだけでいい」
「暗躍だねえ。魔王と呼ばれるのも案外外れた表現じゃないね」
「Vtuberを永遠にするためならなんだってするさ」
輝きは多ければ多いほど、救われる人間も多いはずだ。
「どうだい? Vtuberの親分になって、君が理想とした世界になったかな?」
資料を突き返すと、悪魔はニヤニヤしながら気持ち悪く聞いてくる。
「前の世界と比べると、アバターや名前が取り上げられることがなくなったのはいいことだな」
「ああ……根回しに苦労したよ。芸名にも関わってくるから芸能界ともやりあったし、商標だのなんだの……」
「おかげで……完全に活動停止するVtuberは少なくなった」
少なくなった、だ。いなくなってはいない。
トラブルで事務所から引退、もしくは契約解除されるVtuberはいる。個人でも、熱意が失われて消えるVtuberもいる。それでも……「完全に経歴を消したい」と願う者以外は、以前の名前と姿で存在し続けられ、その気になればいつでも帰ってきてくれるというのは……救いじゃないだろうか。
「人の魂のうえに存在するからには、消滅は避けられない。今月だって何人見送ったことか」
新しいVtuberが生まれ、その傍らで誰かが消えていく。星々の興亡のように。
「理想の世界には『まだ』なっていない。バーチャルYouTuberの物語が永遠になるその時まで」
「永遠。文化として継承されていくこと、だったっけ? 相変わらずゴールがよく分からないけど、説明はしてくれないんだろうね」
「説明したところで永遠になるわけじゃない」
作曲が終わり、『Error: Low Humanity』をノトちゃんに送付する。
収録の予定もしばらくない。ということで――俺はメインモニタに10窓目を表示した。
「いつ見ても異様な光景だねえ」
「何を言ってるんだ。こんな素晴らしい光景はないだろう?」
十人十色以上のVtuberたち。消化しきれないアーカイブ。体がいくつあっても足りないリアルイベント。財布の中身と倉庫の容積が足りないグッズ展開。
「推しを推せる幸せがこんなにもあるんだからな!」