2014年
2014年5月中旬。
「私は悟ったんだよ」
俺はもやし炒めの中のわずかな肉を悪魔と奪い合いながら言った。
「プロVtuberになんかなる必要ないって。本職がコンビニバイト、趣味でVtuberでいいんじゃないかって」
「君の目もだいぶ前世と同じぐらい死んできたねえ」
「ハハハ、そんなことないだろ? 最近はいい動画ネタも入ったし」
「ああ、ゲームだっけ?」
「そうそう」
蝶の羽ばたきの影響か、ゲーム業界にささいな変化が起きていた。「ガブガブゲームス」という名前の、新しいゲーム制作会社が現れたのだ。
古今東西あらゆるゲームを前世では知ってきたが、こんな名前の会社は見たこともない。見つけたときは「もしかしたら見逃していたインディー系の会社か?」と思っていたのだが、悪魔に前世世界の情報を検索させて確定した。ガブガブゲームスは、前世にはなかった。
つまり、まったく新しいゲームが遊べるということだ。
「どうあがいても私はオタクだからな……新作ゲームが遊べないのはとてもストレスだったようだ。ガブガブゲームスのどんなゲームでも愛おしい」
まだ会社の規模が小さいため、アイディア勝負の低価格ゲームしかリリースしていなかった。だがそれがいい。リリース期間が短いのは嬉しいことだ。
「動画を撮っているとき楽しそうだよね。それにしても、そんなにかい?」
「新作補正もあるが、荒削りながら『わかっている』ゲームを作っていると評価しているぞ」
オタクのコレ遊んでみたい! を刺激する企画にあふれている。ニッチかもしれないが、楽しいから遊べよ、というパワーを感じる。
「だからプレイ動画を投稿して応援したいわけだ」
「ふーん。そのわりに他のゲーム動画も投稿してるよね?」
「一社だけに集中したらステマだと思われるだろ」
カモフラ用の動画も新作のためと思えば辛くない。
「新作の『The 倉庫スタッフ』もいい感じだぞ」
あまりに楽しくて90秒動画とは別シリーズにした。長めの尺をとってなるべく無編集で。ゲームの楽しさが伝わったのか、わりと再生数が伸びている。
「巨大ECサイトの倉庫スタッフになるゲームでな、顧客の注文から商品をピックアップして梱包するんだが紛らわしい商品が並んでいて難しい。そのうえタイムアタック的な要素もあって、つい無限にスコアアタックをしてしまう。だが本番はストーリーモードだろうな。極貧の主人公、商品をちょろまかす先輩、やがて主人公も空腹から盗みに手を出さざるを得なくなる。そしてある日奥まった場所にある商品をピックアップしようとして見つけてしまうんだな、箱詰めされた少女の死体――」
「つまりさ」
悪魔は白けた顔でもやしをフォークに巻き取る。
「オタカツができるようになったから、もういいやって諦めたのかい? 親分になるって目標を」
「ッ……忘れてなんかは……いない」
真のタイムリミットは2016年11月末。ここまでに蝶の羽ばたきを十分に巻き起こせなければ、きっと世界線は収束する。前世と同じ親分が誕生し、俺はよくて始祖呼ばわりされて推しの間に挟まる邪魔者になるのだ。
それは分かっている。しかし、分かっていても、覚悟を決めていても、無傷というわけにはいかなかった。わずかな傷の積み重ねが、心を摩耗させていく。
「未だに再生数も登録者数もない。海外からは『The 倉庫スタッフ』シリーズで少し増えたが、コラ画像用の素材扱いだ」
微妙にまぬけな顔したところをきれいに切り抜かれてSpace Cats的な扱いをされてる。
「3年やってこれだ。まだ……まだやれる……いや、やり続ける。だが、何をどうしたらいいんだ」
「キャラが悪かったんじゃない? 別のキャラを作ってみるとかさ。いろいろやってみなよ」
「別キャラは絶対に駄目だ」
彩羽根トーカこそが俺のアバターなのだ。
「別キャラなんてやってみろ。もしバズったとしても、その後でトーカを流行らなかった前世として持ち出される。そんな親分は嫌だ。私は、トーカが、親分になるんだ……ん?」
「君はワガママばっかりだなあ」
悪魔はじとりとした目で睨んでくる。俺は――それを見返さない。
「いいかい、僕は力を得るために君に協力しているんだ。君にお願いした立場ではあるけど、君が非協力的だというなら僕にだって考えが……」
「待て」
見返さない。
悪魔を見ている場合じゃない。
「ん?」
口を閉じて、悪魔も気づいた。机を揺らす異音。その発生源――スマホに。
「うわ、何? 止まらないけどアラームかい?」
「いや、違う。これは――通知だ!」
チャンネル登録者数が増えるとスマホに通知が行くようにしていた。これまで、時折思い出したかのように震えるだけだったスマホが――止まらない。
ガガガガガガガガ!
「来たか!」
「え、何!?」
「バズだ! このスマホ、飛ぶぞ!」
「バイブレーションでスマホが飛ぶわけがないだろ!? えーと」
悪魔が自分の端末を操作して事態を追う。
「ふむふむ……はぁ、なるほどね」
「原因はなんだ!?」
悪魔はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
「朝のテレビの情報番組の、YouTuber特集とやらで取り上げられたらしいよ。普通の人間の中に混じって、色物として数秒だけ動画が出てきたって」
「YouTuber特集……そうか!」
2014年。YouTuberと超有名男性アイドルグループの共演が放送された。これをきっかけにテレビ側でも大きくYouTuberが扱われるようになる。
その余波が、彩羽根トーカにおとずれていた。バーチャルYouTuberを名乗っていたがゆえに、異色のYouTuberとして取り上げられて。
……なんというかこう……棚ぼた的なアレだが……実力でなんとかしたかったが……いや、贅沢を言うまい。きっかけは掴んだんだ。ここからだ!
「よし、よくやったぞ、テレビ! 事前連絡とかまるでないが! 今日だけは無断利用を許す! ……そうと分かったら!」
「どこに行くんだい?」
「決まってる、動画の撮影だ!」
タイトルは『テレビデビューしました!?』か!? SNSを漁れば放送のキャプチャ映像が出てくるだろうから早く探さねば。もちろんそのまま使うと、俺のコンテンツを無断利用したにもかかわらず俺が無断利用で訴えられるから、再現映像を作ってだな!
「テルネ、スマホ!」
「わははは、バッテリーが尽きるまで放っておけい!」
「いやそうじゃなくて、電話だよ」
「は? 電話……?」
電話帳に登録した番号以外は着信を拒否している。つまり俺が連絡をしないといけない相手で――通知を見ると、コンビニの店長だった。
「……はい、テルネです。……はい、いえ、ええまあ……いや実はちょっと作業……ああ、そうなんですか? ……いえ、大丈夫です、行きます……」
通話を切る。
「なんだって?」
「……オバサンが風邪をひいた」
「つまり?」
決まってる。
「シフトの穴埋め――出勤だ」
死にそうな店長をこれ以上働かせられるか。……オバサン、昨日めっちゃ元気だったが……いや、邪推はよそう。動画はストックがあるからそれを出せば……くそ……世知辛い……。
◇ ◇ ◇
【西端匡の記録】
西端タスクはサラリーマンである。少なくとも自分ではそう定義している。勤めている企業が声優事務所で、多少マネジメントの権限があるからといって、特別な人間などではない。取引先に頭を下げ、上司と声優の機嫌をうかがう、激務で薄給のサラリーマンだと。
「はあ、参ったな」
現に今もタスクは上司と取引先から押しつけられた無理難題に頭を悩ませていた。
「声がよくてデビュー前の新人を長期間拘束したいって……馬鹿かな?」
なんでもいちキャラクター専任の声優が欲しいという話だった。まあ気持ちは分からなくもない。伝説の大御所の中には何年にも渡って同じキャラクターだけを演じ続け、それ以外の仕事をそのキャラクターのイメージを守るために断り続けていた人もいる。特別なキャラクターに専属の声優は欲しいと思うものだ。
だがそれは長期プロジェクトになることが確実で、それ一本で食えていけることが明白だからやれることだ。話を聞けば給料は出来高で、継続性も不透明、そのうえ声優は非公開にするという。
「新人の仕事じゃないだろ……」
声優は様々な役を通じて演技の幅を広げていくものだとタスクは考えている。それがいきなり一つの役に固定、しかも経歴には載せられない? 時間を棒に振るようなものとしか思えなかった。事務所としては未来ある新人を出すわけにはいかない。
だが、ニシバタタスクはサラリーマンである。与えられた仕事はこなさなければならない。声優を守るため何らかの条件緩和を訴えるか、あるいは――
「おはよーございます!」
タスクが唸っていると、事務所の扉が開いてデカイ声が響いた。少なくないスタッフが仕事中だったが、みんなそれを聞いて苦笑するだけで注意はしない。
「おはよーおはよー! あれ、シバタさん、元気ないね!? どうかしたの?」
「ニシバタです」
タスクはため息を吐いて、息を吸い直す。
「おはようございます、ヴァレリーさん。今日も元気ですね――」
――27歳にもなって……という言葉は飲み込んだ。年齢は人のことを言えない。
「シバタさんは元気ないね? 大丈夫? ヨシヨシしようか?」
「やめてください。セクハラですよ」
「えー」
大の男がヨシヨシなどされるものか、とタスクは突き放した。唇を突き出してブーたれるヴァレリーを見て、二度目のため息を吐く。
ヴァレリーはこの事務所の所属声優である。大声でも耳が痛くならない声質は天性のものだし、性格は明るい。多少のことにはめげないし、何よりスレンダーな美人だ。演技力も歌唱力も問題ないし、声優事務所としては売り出していきたい人材だった。
だが、売れていない。
というか、売り出していない。
なぜなら彼女には大きな欠点がある。
「そういえばさっきアヤノちゃんが出てったけど、何か新しいお仕事?」
「さあ」
「お仕事でしょ。教えてよ、ねーえ!」
「教えません」
絶対に教えられない。
なぜなら彼女には前科があるからだ。
新人時代のヴァレリーは、事務所から多大な期待を寄せられていた。声、性格、ルックス、すべてを持っている彼女は次世代の声優スター間違いなしだと誰からも思われていた。事務所は大事に彼女を育て、なんとか有名監督のオリジナルアニメのヒロインオーディションに送り込むことに成功した。
そこでヴァレリーは見事に期待に応え、審査員満場一致で合格し、それどころか明るい性格で監督、スタッフ、スポンサーの心を鷲掴みにした。いつの間にか監督もノリノリでこのアニメを彼女を世に送り出すためのプロジェクトとし、脚本もヒロインの出番が増え、オープニングはヒロインのキャラソンになり、主人公より前に出たプロモーションが計画された。
何もかも順調、このままいけばオタク業界に旋風を巻き起こすデビューになると誰もが考えていた中――事件は起きる。
以上のすべてを、ヴァレリーは声優学校の友達に話して回ったのだ。
おそらく誰も悪意は持っていなかった。あまりに普通に話すし、なんならもうすでに放送されたんじゃないかと思うような口ぶりで、誰もがそれを非公開情報だと気づかなかった。だから友達は友達に話し、その友達は友達に話してあっという間に拡散し、アニメオタクがまとめサイトに掲載するに至った。
結果、プロモーション内容どころか数話分の内容が漏洩し、企画は大幅な修正を求められた。情報漏洩したヴァレリーは当然降ろされ、オープニングソングは差し替え。炎上して逆に注目を浴びたことで収益がプラスに転じたこと、ヴァレリーに悪意がなかったこと(そもそも事務所もヴァレリーにねだられて「仲のいい友達になら話してもいい」と許可してしまっていた)、スタッフ全員がそれを理解して土下座するヴァレリーを許した(なんなら監督は強行採用しようとした)ので、責任をとって事務所が潰れるようなことにはならなかったのだが――
当然、こういう経緯があれば事情に詳しいスポンサーはヴァレリーの採用を許さない。
結果、ヴァレリーには役がバレても問題ないような仕事しか割り当てられないようになった。少女Bとか生徒その3とか妖精たちとか館内アナウンスとか。
しばらくすればほとぼりも冷めるだろう。そう事務所は考えていたのだが――ほとぼりは冷めてもヴァレリーの口の軽さは直らなかった。当人は黙っているつもりはあっても、ちょっと気が緩むとすぐにペラペラ喋りだすのだ。
そういうわけで、ヴァレリーに仕事の情報は与えられない。
端役しかもらえない彼女は――それでもバイトをしながら声優を続けている。そのガッツはタスクも認めるところではあるが、しかし流石にそろそろ、デビューには厳しい状態だ。
いっそのこと解雇して夢を諦めさせたほうが……という意見も出てきていた。期待が大きかったが故に、失望も大きい。
「ねえねえ、シバタさん、話聞いてる!?」
タスクは聞いていなかったが、ヴァレリーは何かペラペラと喋り続けていたらしい。
「聞いてませんでした。何でしょう?」
「何かお仕事ないの? って聞いてるの!」
タスクは別にヴァレリーの専属ではない。彼女の仕事の面倒をみる必要はない。彼女は自分で仕事を管理しなければいけない。事務所にできるのは仕事の紹介だけだ。
「そうですね……」
端役の依頼ならいくらでもある。演技力のあるヴァレリーならどれでもこなせるだろう。そのうちのどれかを紹介すればいい。しかし……事務所からは最近こう言われている。『端役だって大切な役だ。未来のある新人に回してくれないか?』。未来。ヴァレリーに未来がないと……?
「………」
「シバタさん、あたしさ」
タスクが迷って黙り込んでいると、ぐいっとヴァレリーがその視界に回り込んで目をのぞき込んできた。
「事務所とか、いろんな人に迷惑かけたじゃん。でもこうしてお仕事続けさせてもらってるの、すごく感謝してる。だから早くすごい役をやって、恩返ししたいんだ。そのためなら何の仕事だってやるよ!」
「……ヴァレリーさん」
「す、少しぐらいえっちな役でも大丈夫だよ!」
違う。そうじゃない。そういうことで悩んでたんじゃない。いや紹介できなくはないが。
「はぁ。あのですね」
少し説教しようとして――タスクはふと思い出す。厄介な仕事のことを。
「ヴァレリーさんは……これまで、名前つきの役はやっていなかったですよね?」
「うん」
「スタッフロールに載ったことも?」
「ないっ!」
つまりこうは考えられないか。
ヴァレリーは新人――のようなものであると。
「ヴァレリーさん」
例の騒動でも、ヴァレリーの名前だけは表に出なかった。ヒロイン予定の新人声優としか発表しなかった。つまり業界でも限られた人間しか知らないはずだし――バレたところでかまうものか。無理難題を言う方が悪い。誰にも回せない仕事なら、誰がやっても事務所は文句を言わないはずだ。
「バーチャルYouTuberっていうのをやる気はありませんか?」