2011年
2011年7月。
「ただいま……」
「ああ、お帰り」
悪魔の声を聞きながら台所へ。テーブルの上にレジ袋を投げ置き、椅子にどしりと座る。
「いやぁ……」
天を仰いでつぶやく。
「バズらないなあ」
彩羽根トーカの活動を始めて一ヶ月。
チャンネル登録者数は16人。
Twitterのフォロワーもどっこい。
もちろん収益化の条件なぞ満たしておらず、俺は――今日もコンビニバイト帰りだ。
「大きなことを言ったくせにね。で、今日の食材はなんだい? ……えぇ、またもやし? 僕、そろそろもやし炒めは飽きたんだけど?」
「文句があるなら霞を食って過ごせ。ローンの支払いもあるし機材購入のための積み立ても必要だから、節約するにこしたことないだろ」
翻訳サービスは他の活動のため縮小させている。そもそも機械翻訳の精度も上がってきたので競争が激しい。悪魔の稼いだ金はほぼローンの支払いに消えている。
「ローンは分かるけど機材って……今でも十分じゃない?」
「技術革新は進む。ついていけなきゃVtuberをやってる意味はない。キャプチャだってKinectからは卒業したいし……」
「そのVtuberで稼げてないんだけど?」
「なんでバズらないんだろうなあ」
俺だったら即チャンネル登録フォローリツイートしてファンアートを漁るレベルだと思うんだが。彩羽根トーカは、なんてったって顔がいい。
「動画も床を貫通するUnity芸とか、柔軟で関節がおかしくなるトラッキング芸なんかも取り入れているのに」
「僕、あれの面白さがいまいちわからないんだけど」
「なぜなのか……」
……まあ。
「バズらないことは予想してた展開のひとつではあるんだが」
「ちょっと!?」
「いきなり大声を出すなようるさいな」
「いやいや、何でそんな余裕ぶっていられるんだよ? 君が片田舎のボロ屋で孤独死する物語なんて全然経験値にならないんだからね!?」
「私だって今ここで死にたいわけじゃない」
もはや俺の希望は、前世で見なかった新しいVtuberたちが出てくるのを推すことしかないのだから、それまでに死ぬわけにはいかない。
「とはいえ、私が――彩羽根トーカがバズらないことは、実のところ想定していた。そもそも私に面白い動画を作る能力があるかどうかは疑問だったし、それに動画が面白くないなら、それはそれで問題ないとも」
「問題だらけじゃない?」
「放っておいたっていずれ誰かがVtuberという発想にはたどりつく」
前世を考慮しなくたってそうだ。パーツが揃い、それを手に入れられる人間が増えるほど、新しい発想というものはどんどん生まれていく。
「その時までバズらなくとも、バズった時まで続けていれば、勝手に誰かが彩羽根トーカを発掘してくれるさ。そこでトーカが伸びなければ親分にはなれないが、始祖としては認められるだろう」
「……君はそれで満足なのかい?」
悪魔はズイと詰め寄ってくる。近い近い。
「バーチャルYouTuberの親分になるんじゃなかったのか?」
……まったく。そういうアツいキャラじゃないだろうに、何の影響だ?
「冗談だよ。もちろん、目指すのは親分だ。親分として有り様を示し、私の見たいてぇてぇを守る。それを諦めてはいない」
体を押し返すと、悪魔はフンッと鼻息を噴いて下がっていく。
「で、どうするのさ? そもそも、何でバズらないのか理由はわからないのかい?」
「時代のせいかな」
「ちょっと、真面目に」
「いや本当に。だってまだYouTubeってあまり流行ってないし、YouTuberも日本じゃ全然認知度ないしな」
テレビとか他のメディアで取り上げられてYouTuberがもてはやされるようになるのは、2013年ぐらいか? 2年も先だな。
「今は日本の動画サイトといえばニコニコ動画で、それと全然違う文化の、YouTuberっぽいノリの動画を投稿しても流行らないのは予想がつくだろう。まだまだ初音ミクとMMD、アニパロとMADの時代だよ」
YouTubeとニコニコに同時に投稿しているが、ニコニコでは「初音ミクのパクリかよ」ってコメントがついたしな。
「時代に合わせた動画をつくったらいいんじゃないの」
「そうだな……もう少し一般的なエンタメに寄せるか。まずは歌動画かな」
「いいんじゃない? 世界は取れなくてもある程度は通用するでしょ」
「選曲が難しいな。1分30秒以内に収めたいからフルは駄目だし」
「そういえば動画の再生時間、なんで全部その時間以下なんだい?」
「今は長くても見てもらえるかもしれないが」
将来もそうだとは限らない。
「いずれVtuberは何千人と出てくる。そうなったら長い動画は追いかけるのに邪魔だろう。トーカは隙間時間に見れる動画をメインにしていく。だから時間は短くないと駄目だ」
その分毎日投稿することでカバーする。一年分の動画が半日で振り返られるなら、そういう企画をやるというのもありだな。
「歌動画は曲の選出が難しいが、すでにJASRACと動画サイトは包括契約を結んでいるし、権利問題は少ない。それに画面を見なくてもいいというのはメリットだ」
「動画なのに画面を見ないでいいのかい?」
「動画というのは結局音が一番重要だからな。どんなに面白い動画でも、音質が悪かったり音量調節がおかしかったら見る気をなくすというものだ」
逆に音が良ければ多少は見てもらえる。そのわずかな時間で興味を引けるかどうかが重要だ。最初にガツンとくる曲がいいだろうな。
「……よし、方針がまとまってきた」
「それは良かったよ。ああ、そうだ」
悪魔はポンと手を叩く。
「実家から連絡があったよ」
「ああ、母さんも父さんも元気にしてるかな?」
前世通りなら、まだ何事もないはずだが。
「変わりないね。それで、ヴァレリーからの手紙を預かったって」
「ヴァレリーか……」
高校卒業してからすでに5年。こちらからはまったく連絡をとっていないのにも関わらず、親経由で近況を伝えてくるのがヴァレリーだった。あんなにしつこかったカリームもルーニャもラトナも、一年ほどで連絡が途絶えたにも関わらずだ。
両親には俺達の住所を黙っていてもらうように伝えている。二人ともそれを律儀に守ってくれているらしい。少し申し訳ないなと思う。
「で、なんだって?」
「またアニメの仕事が決まったって」
「役名は?」
「少女B」
「大丈夫なのかね、あいつ、24にもなって」
高校卒業後、ヴァレリーは声優養成学校に入った。アニメの主役になるのだとか以前の手紙には書いてあった。今はバイトで食いつなぎながら、少女Bだのの端役の仕事を受けているらしい。
「心配なら直接話を聞いてやったらいいのに」
「それとこれとは話が別だ」
あいつめちゃくちゃ口軽いしな。俺が彩羽根トーカだとバレるわけにはいかない。
「それぞれの人生だ。うまく行くも行かないも、自己責任だろう」
「まあそうだね」
「それに、俺も人のことは言えない」
時計を見る。時間か。
「飯を作ろう。食ったらまたバイトに行ってくる」
「あれ? 今日のシフトは終わりじゃないの?」
「オバサンが急に休むとかでな……店長からシフトに入ってくれと」
家が近いし若いからとかいう理由で無茶を頼まれる。これで店長がオッサンだったら断っているところだが、美人さんだからなあ……。
「動画の撮影時間とツールの開発時間もほしいが……睡眠時間を削ればなんとかなる」
「ブラックだねぇ」
「前世に比べたら家に毎日帰れているだけマシだよ」
「あぁ、うん……」
……俺だってもやし炒めは飽きてるんだよ、くそう。
◇ ◇ ◇
【一番の装備なら】たぶん大丈夫です!【El Shaddai】
天空に浮かぶ白い足場で、トーカが後ろを向いている。いつものリボンはなく、髪が降ろされていつもより少し長い。
「そんな装備で大丈夫か?」
トーカの声。それに振り向く笑みを浮かべたトーカ。
「大丈夫だ、問題ない」
やけに簡単でのっぺりした違和感しかないトーカのキグルミのデカイ頭部を被るトーカ。顔部分にあたる口は、着用者の顔が見えるように空いている。顔を上げ、キメ顔をすると、ドタドタと微妙にがに股で土台の端に向かって突進し、バッと身を投げ出す。
風を切って落下し、地面に――
「グベッ」
頭から墜落する。キグルミの頭部がバウンドし、再度激突。
「ヴァ!」
「イダッ!」
「ピィ!」
そしてスローモーションで最後の落下。角度が悪く、キグルミに挟まれて首が致命的に曲がり――
「神は言っている、ここで死ぬ定めではないと」
高速で逆再生される映像。土台を前に「Cy Berne」とオシャレなロゴが表示されてから、土台の上のトーカにカメラが寄る。
「トーカ。そんな装備で大丈夫か?」
振り向いたトーカは、キリリとして言う。
「一番かわいいのを頼む」
深呼吸をするトーカ。光が後頭部に集まり、いつものデカイリボンが装着される。
再びドタドタと若干がに股で土台から飛び降りるトーカ。しかし先程のスカイダイビングのようなポーズでなく、くるくるとスタイリッシュに回転して軽やかに着地。
そして決めポーズと共に、言う。
「神は言っている。資金が尽きぬ限り、動画投稿をし続けろと!」
◇ ◇ ◇
「伸びなかったなあ」
「普段の何倍も時間をかけて編集したのをその一言で済まされると気が抜けるね。原因は何なんだい? そもそもこれは何? 歌動画のはずじゃなかったの?」
「エルシャダイというゲームのPVのパロディだ。このPV一本で同人イベントが開かれて人が殺到するほどの人気だぞ」
「へえ。それがなんでこうも注目されないんだい?」
「盛り上がったのは発売前まででな……ゲームが発売された時点でピークは過ぎていた」
「つまり?」
「タイミングが悪かったというか、遅すぎたな。もう発売日過ぎてたんだなあ」
「………」
「そんな目で見るなよ。思いついたもんは仕方ないだろ。次こそは歌動画で巻き返すから」
「本当かなあ」
「大丈夫だ、問題ない」
◇ ◇ ◇
【私、歌います】ハレ晴レユカイ【踊るし弾きます!】
ノーマルのトーカ、メイドカチューシャ装備のトーカ、メガネ装備のトーカが踊り歌う。脇にはモノトーンカラートーカが二人いてこれも踊る。
◇ ◇ ◇
「検索したんだけど、この曲を使ったアニメって5年前に放送してたんだって?」
「認めたくない……ハルヒは最近のアニメのはず……」
「ねえ?」
「しかしな二期は2年前だし、そもそもこのハルヒダンスの動画は踊ってみた動画として人気が高く、オタクがリアルで集まってダンスオフするほどのパラダイムシフトを」
「伸びない理由」
「遅すぎたな」
「ねえ真面目に」
「わかってるわかってる。次こそはな……」