2011年
「NKT……」
2011年4月。ようやく引っ越し作業を終えて、俺は天井を仰いで呟いた。
「えぬけぇてぃ? 何それ? ……日本海テレビ?」
「長く苦しい戦いだった、の略だ。TAS動画ぐらい見ておけよ、お前の方が家にいる時間長いんだから」
東京から離れた地価の安い土地。俺はようやく、そこに買った一軒家に引っ越してきた。購入、リフォームしてから数年。たまに掃除に来るぐらいでしか訪れていなかった。やっと自分の城に収まることのできたのは感慨深いものがあるな。
まあ、工事費なんかでまだまだローンが残っているわけだし、なんなら回線工事費はまた発生したし、今後の機材にかかる金もあり、資金状況は苦しい。
社会的信用を維持するために外で働いている俺と違って、悪魔は翻訳サービスを継続させ、空いた時間で仕込みの手伝いをさせていた。なので暇はこいつのほうがあるはずなんだよな。まあ俺には前世知識があるしな。Vtuberの動画はいくらでもループできるんだが、他のコンテンツはどうもな……羽ばたきの影響が足りないからか、新しいゲームもアニメも全然出てこないし……。
「とにかく、長かった。いくつかの職場は前世並のブラックだったしな……時間が経つのも長く感じるというものだ」
「それは僕の台詞だよ。で、ようやく動きはじめるのかい?」
「ああ。状況は整った」
バーチャルYouTuberになるためのツールが揃いつつある。
「まずは既に作り上げている3Dモデルアバターだ」
これは無料の3Dモデリングツールなどを使用し、学校や仕事の合間を縫って作った。有料のソフトを使っても良かったんだが……維持費が高いので、気合を入れて食らいついた。いいんだ。後世では超有名アニメスタジオも採用するんだし。
「既にいろんな衣装のモデルがあるのは何でだい?」
「衣装を作るのは時間がかかるからな。時間のあるうちに衣装や小物は用意してストックしておかないと間に合わなくなる」
「僕に延々と小物を作らせているのはそういう事情なんだねえ」
「お前がもっとクリエイティビティを発揮してくれりゃ楽なんだが?」
この悪魔は言われたことしかやらない。小物のモデリングまでは見本を用意すればやってくれるのだが、何か創造しろというと途端に何もできないのだ。どうやら例の制約らしい。おかげで衣装は全て俺の仕事だ。……まあ手伝ってくれるだけマシか。
「まあまあ。で、他のパーツは?」
「アバターを動かす仕組みにはKinectを採用した」
去年末に発売されたXbox 360の拡張機器、Kinect。深度センサーつきのカメラを使い、プレイヤーの動きを取り込んでゲームに反映する機械だ。当然Xbox 360専用機器だが、これをハッキングしてPCで使う試みがすでにネット上のギークどもによって成されている。
まあ来年まで待てばマイクロソフトが正式にSDK、ソフトウェアデベロップメントツールを出して開発をサポートしてくれるんだが……それじゃ間に合わないので、年末からギークどもとハッキングに勤しんでいた。最近何とか形になり、アバターが動かせるようになった。
――実は夏まで待てば同じ機能を持ったソフトも有志によって開発・公開されるのだが、やっぱりそれも間に合わないので自作だ。未来を知ってるが故のフルコミットでズルして先に行った感じだな。
「アバターの表情の切り替えだが、FaceRigという人の表情を読み取ってアバターに反映するソフトは3年後ぐらいからなんだ。だからスイッチを使って切り替えるしかない」
「何かしらで操作するってこと? で?」
「この時代でもBluetoothの無線コントローラーは色々あるんだが、ここは先人にあやかってWiiリモコンを使う」
任天堂のWiiは2006年発売だけあって、すでにリモコンのPC利用に関する知見は得られている。軽い片手用のコントローラーとして考えるととても優秀なデバイスだ。
「そしてアバターが動いている画を作り出すのが、Unityだ。後年になればそういうアセットも増えて行くんだが、今私のやりたいことを実現するためには自分でコードを書く必要があった」
個人利用なら無料のゲーム制作汎用エンジンのUnity。来年のバージョン4が待ち遠しい。
「君がプログラムの才能が欲しいって言ってた理由ってわけだ」
「2017年とは状況が違うからな……Ami Yamatoが2011年に出てこないならもう少し待ったんだが」
「Ami君も似たようなシステムを組んでるんだ?」
「いや、彼女は厳密にはVtuberじゃないし、どちらかというと3Dアニメーションの技術なんだ。おそらくだがモーションは手付けで、リアルタイムに取り込んでないぞ」
表情とかもな。アートって感じだ。
「……それなのに彼女より先に?」
「やれるなら、何事も一番乗りの方がいいだろ?」
材料は揃っているんだ。
「カメラもマイクもある。ゲーム実況がやりたきゃキャプチャボードだってある。動画編集ソフトももちろんある。アバターを動かす仕組みも作った。動画サイトやTwitterのアカウントも確保した。バーチャルYouTuberは2011年から始められる!」
「いいねえ。それじゃ早速」
「だが時期が悪い」
「時期? ああ」
2011年3月。東日本大震災。それからまだ1ヶ月も経っていない。報道は未だ震災が中心で、自粛ムードが続いていた。
「デビューは5月、連休を狙う。流石にある程度エンターテイメントを受け入れられる土壌になっていたはずだしな。それまでは――」
「それまでは?」
俺は椅子から立ち上がって気合を入れ直す。
「フリーターらしくアルバイトだ。近くのコンビニに受かったからな。今日が初日だ、行ってくる」
「ああ、うん。近くのね」
自動車で5分なら近くだろうが。
◇ ◇ ◇
「ということであっという間に5月だね」
悪魔はニマリと笑う。ムカつく。
「動画の撮影も編集も終わったんだろ?」
「ああ」
終わった。初回の自己紹介動画も撮ったし、毎日投稿するための一週間分のストックもできている。準備は万端だ。
「ということは、彩羽根トーカとしての活動がいよいよ始まるんだろう?」
「そうだな。この自己紹介動画を公開したら始まる」
「それじゃあなんで――公開しないんだい?」
俺の指はあとワンクリックで動画を公開するところで止まっていた。
「さっさとやろうよ」
「……公開したら、もう後戻りはできない」
指が動かないんだ。
「………」
「何をためらっているんだい?」
「……嫌だ」
「は?」
「嫌なんだよぉ!」
画面がにじむ。
俺はマウスとキーボードを乱暴にどけると、感情のままに机を叩いた。
「えぇ……? 何が?」
「何が、じゃあない。私はVtuber箱推し勢だぞ! Vtuberが好きだしずっと応援してきてた! Vtuberになることで夢を叶えてきた人たちの尊さといったらない。それが……私が出てくることで変わってしまうんだぞ……?」
未来の彼らの状況が変わってしまう。それになにより。
「私の好きなものがもう二度と見られなくなるんだ。これ以上悲しいことなんてあるものか。親分四天王岩本町芸能社にじさんじ天魔機忍verGメディカルテットばかよしホロライブENTUMアイドル部upd8個人勢企業勢全部全部全部だ!」
「後半のは何かの呪文かい……?」
「もう見れないんだ……てぇてぇコラボもなくなるんだ……」
「……えーと、そんなに嫌なら」
悪魔は引き気味に言う。
「そういう人たちが出てきてから混ざりに行ったら? 正直あと6年も待つのは退屈だけど、ここまで待ったなら別にいいかなって思うよ」
「推しの間に割り込むモブになんてなれるかよ! 関係性を台無しにする気か!」
「えぇ……?」
はぁ。この悪魔は何も分かっちゃいない。
「……Vtuberを始めるならもう、今しかない。私の推しがVtuberを始めようなんて思うよりも前に」
「よく分からないけど、やるならさっさと始めなよ」
「分かってる」
やると決めたときに決別は済ませている。今のは最後の愚痴だ。まったく人生二周目なんてやるもんじゃない。
「分かってる……大丈夫だ、やるさ、私は。そもそも私だって普通の人間だからな。ようやく作品を世に出せるのだと思ったら喜びもある」
人並みに自己顕示欲は持っているのだ。絵だって訓練のために数え切れないほど描いてきたが、前世特定を避けて何一つ表に発表して評価を得ることはなかったしな。これからは他人から評価がもらえるとなると嬉しいものがある。
「普通ねえ……まあ、やる気になってくれたようで何よりだよ。やっと展開が変わるわけだ」
「ふん、そんなのんびりしたこと言えなくなるぞ。自分で言うのもなんだが、彩羽根トーカは可愛いからな。すぐに人気が出て、バンバン後続が出てきて、コラボとか案件とかの調整で忙しくなる。前々から言っていた通り、リアル側での打ち合わせはお前の仕事だからな」
彩羽根トーカの中の人を知られるわけにはいかない。
当初計画通り俺が完璧な女声の出せる男だったら、正体を隠しつつ自分でマネージャーもできたんだが、女になってしまったからな。
「わかってるよ。僕のうっかりだからね、それぐらいの仕事はするよ。苦労に見合う内容だといいけど」
「何、金ならすぐに稼げるようになるさ」
先月、YouTubeは広告収入をチャンネル所有者が得られるパートナープログラムを一般開放した。彩羽根トーカならすぐに登録者数も集まって、審査にも通るだろう。初期のパートナープログラムは払いが良かったと聞くし、コンビニバイトも早々に辞められそうだな。
「覚悟は決めた。さあ、やるぞ」
俺はマウスを引き寄せ、指をかける。
ポイントオブノーリターン。クリックボタンが重い。だがもう、引き返さない!
「彩羽根トーカの新章の始まり、そしてバーチャルYouTuberの夜明けだ!」
◇ ◇ ◇
【はじめまして】彩羽根トーカです、よろしくね【自己紹介します】
「こんにちは、人類。彩羽根トーカです」
真っ白い背景に現れる、一人の少女。短い髪を頭の後ろで大きなリボンでまとめたその姿は、まるでリボンが後ろ髪かのようにみえる。やや明るめの黒髪に、見る角度によって紅から赤に色を変えるリボン。
「彩る羽根に、カタカナでトーカです。今日はぜひ、人類に名前を覚えて欲しいなって思います」
ふわりとした動きで、後ろ手に手を組む。体の線に合うように拵えられた衣装は、スラリとした印象を与える。
「私はリアルにいる人類と違って、バーチャルの住民です。これまでそちら側に干渉するすべがなかったんだけど、技術の進歩によって、こうして挨拶できるようになりました」
にこり、と表情がかわる。
「これからどんどん、動画を投稿していきますね。つまり私はうぷ主? YouTuber? うーん、こうして素顔を晒しているわけですから、YouTuberの方が近いかもしれませんね。バーチャル世界のYouTuber、バーチャルYouTuber!」
両サイドの頬にたれた髪は蝶の羽根をモチーフにしたリボンが上の方についている。左側だけ髪が編み込まれていた。
「なんで私が動画を投稿するかというとですね。まずはじめに、人類に知ってもらいたかったからです。バーチャルのこと、私のことを」
ぴったりとした長袖のカットソーにスリーブレスのパーカーを重ね着、右手首には羽根をモチーフにしたリストバンド。
「そして次に、こんな可能性があるんだぞってことを伝えたい。バーチャルだったらいろいろできるぞって」
ハーフパンツの下にニーソックス、絶対領域は見えない位置に。靴はハイカット、靴紐が羽根のようなブーツ。
「そして最後に、同じバーチャルの友達がほしいんです。だってほら、ここ、白い! 何もない! ねえ! 手抜きじゃないんですよ、スペック、電脳世界のスペックがね、重くなっちゃうからなんですけど」
ぐるりと回って全身を見せつつ、主張する。
「とにかく、この私がいる空間に、バーチャルの友達を呼ぶこと──それが最初の目標です!」
控えめに主張する胸に手を当てて、トーカは言う。
「あっ、もうこんな時間。私を見つけてくれてありがとう、人類。チャンネル登録してくれると嬉しいです。それじゃあ、次回の動画でまた会いましょう!」