眼が覚めたら異世界にいた。眼はもう覚めない。
楽しい。
いつの間にか彼はそこにいて、辺りをボーっと眺めていた。
(ここはどこだろう。)
目に映るのは知らない草原だ。
草が腰ぐらいまで伸びていて、遠くを見つめれば地平線があるようなそんな場所。
自分のいる場所はまるで道のようにそこだけ草が生えておらず、平たく、茶色の地面が続いていた。
しばらくそこに突っ立っていると、ようやく彼は頭が動きだしたのか異常さに気づく。
(本当にここはどこなんだ?)
さっきまでまるで夢を見ているような心地だったが、今感じている感覚はありえないくらい本物だった。
地についている足。空にある天気。流れる風と揺れている草木。
急にはっきりと意識が働きはじめた。
しかしそんな突然の現実性に彼はとても混乱した。
(あぁ。ずっとボーっとしてればよかった。こんなの気付きたくなかったな。)
頭の中の記憶を探るが、無い。
まるで生まれたばかりのように真っ白だ。
自身の名前。容姿、出身、好きだったことや愛していた人のこと。何一つ思い出せない。存在していたことさえ怪しい。
辛うじて覚えていることといえば一般教養だと思わしい知識のみ。歩く。食べる。息を吸う。礼儀や教養など知識としてはわかっていて、記憶がないから自分のことがわからない。
不思議な感覚だった。
記憶喪失とはこういうことだったのだろうか。
(いやいやマジかよ。記憶喪失で知らない場所に突っ立てたなんてそんなベタな。いや記憶喪失だから知らないのは当たり前なんだけど。)
しかし彼はここで重大なことに気づく。
(ここで記憶喪失か何かが起こってたなら僕が立っていたのはおかしくないか?記憶が飛ぶことは医学的にもあり得ることだけど、意識が飛ぶくらい頭に強い衝撃が必要なはず。それなのに立っていた?倒れてたわけじゃなく?)
しかし気づいただけだ。今考えたって彼には答えは出なかった。
彼は数十分ほど混乱していたが、何故かある時スッと何かが降りてきたような感覚がして混乱が治まった。
なんだ?と辺りを見渡すが何も変わったことは起こっていない。
しかし先程まで混乱していた脳は今はもう澄み切っており、唐突に波紋の無い泉のような淀みなき思考が出来るようになっていた。
(とにかく行動をしよう。とりあえず見知らぬところだけどここにいたんだ。僕自身についての手がかりが何かあるかもしれない。)
彼は何もわからないが故に行動を決意した。
(とりあえず今立っているところは道っぽいしこの道に沿って行動を開始しよう。)
そうして彼は見知らぬ道を歩き始めた。これから何が起こるか知らないままに。
二時間後…
何も変わらぬ光景にいい加減飽きてきながら彼は足を進める。
歩きっぱなしでそろそろ喉も渇いてきたし、お腹も空いた。
このあまりにも体力が少ない所を推察するに彼はどうやら高貴なところの人物だったのかもしれない。
(疲れたし、何にも変わんないし。町ぐらいあったっていいじゃん。飽きてきたし。なんでもいいから何か起こらないかな。)
彼はだんだん歩く気力がなくなっている。いやいやどんだけ甘やかされて育ってきたんだ。もう少し頑張れよ。
彼が何か起こらないかと願ったおかげか、近くの草むらから何かが飛びだしてきた。
彼はお?なんだ?と呑気に好奇心に従って草むらから飛び出してきたものを見つめる。
そこにいたのは、全裸の女だった。
「は?」
あまりの驚きに彼も声を出してしまった。それが悪手とも知らずに。
「ahaaaaaaaaaaAAA!AAA!Garararrrraaaa!」
そう見ればわかるがそれはどう見ても人などではない。
瞳は窪み、肌は黒く、肉の筋や骨が所どころから肌から突き抜けていて首の曲がり方もよく見ればおかしい。口からは常によだれが垂れており、歯はボロボロだ。
その女と判断した胸は虫が集っており、百足のような生物もぶら下がっている。
足は真っ赤で片足は膝から下がなく骨もむき出しだった。
極めつけは頭。どう見てもぱっくりと割れており脳が溶けだして頭から溢れてきている。白い何かが隠れて見えるが頭蓋骨だろうか。
「うわぁぁぁあ!?」
その彼の目の前に現れたものの名前はデスガール。可愛い可愛い。ゾンビちゃんである。まぁいささかグロテスクで理性なんてなくて人を噛み付くが。
立派な人類の敵である。脅威なのは全身を使ったタックルで車の窓ガラスを割れるほどの突進力!
そんな情報が彼の頭に瞬時に浮かんだ。その情報を理解した彼は即座に撤退を開始する。
(ヤバイヤバイヤバイ。あんなの勝てっこない!いくら人型だからと言ってこっちは武術も何も習得してないし、武器も持ってない。というか僕に戦闘なんて無理!死んじゃう!)
彼は回れ右をして。全力で駆け出した。とにかく早く危険から逃げるために。
だが悲しいかな。身体能力とタックル力はデスガールの方が上。得意のタックルで体当たりをして彼を転ばせた。
「ぐえっ!」
彼に車が突っ込んだんじゃないかというぐらいの衝撃が走った。流石はデスガール。相当な威力だ。
そして彼女。勿論デスガールは嬉しそうな笑みを浮かべて、(作者にそう見えるだけ。)彼に大きな口を開けて肩に噛みついた。
「がぁぁっ!?」
その瞬間彼は体中の神経が侵されたような感覚に陥る。
(なんだ!体が動かない!なんで!というか…この子可愛いなぁ。)
勿論幻想である。餌を逃さない為の巧妙な神経に作用する神経毒だ。
そうしてバキボキと音を立てながら彼を捕食したデスガール。
その時彼は終始笑顔で。そして恋するような眼をしていたという。
終わり。
どうしてこうなった。