魔法か?これは魔法なのか!
「ギヒヒ、すごかったろう、オレの魔法」
ボクとセンパイが機論を交わしても、娘々の起こした旋風の原因は、未だ科学的に説明出来なかった。
それで、大陸の奥地から飛んで来たと称するチビ助は、自分の能力をひけらかすように自慢していた。
「うぐぅ~。オマエの能力じゃないだろう。そのイカガワシイMD機関の性能だろうが」
得意そうな自称魔法道士のことが、ボクは堪らなく憎らしかった。
「そもそも、たかが風を起こしただけで、つけあがるなよ。その辺で、パァーッと巻き起こって、センパイを巻き込んだだけじゃない……」
そこまで言って、ボクの脳裏には先程のセンパイの姿が明瞭に思い出された。
風が舞って、
空気がうなり、
センパイが巻き込まれて……
渦巻の中でスカートが翻り……その向こうに見えたのは……
その情景は、彼女に出会ってから何度も夢想したボクの妄想の一シーンと合致していたからなのか?
それで、ボクの心動は高鳴り、皮膚の表面温度は若干上昇。多少は発汗したかも知れない。そして、なによりも、ボクの顔の筋肉は緩んでデレーっとしていることだろう。
「おい、キミ。一体何を想像している。さっきのは忘れろと言ったぞ」
耳元で発する大きな声が、ボクを現実に戻した。
そこには、顔を赤らめた白衣の美少女が、ボクを睨んでいた。
──朝永量子
本校きっての才女であり、渡米して飛び級を重ねたギフテッド。なおかつ米国籍を取得し、交換留学生制度で日本に戻った帰国子女。その上、彼女の外見が少し小柄で幼さを残すロリっぽい美少女であれば、年頃の中二病を病んだ男の子なら、毎晩のオカズにしないはずが無い。
そんなボクの妄想は、容易く彼女にバレて仕舞っていた。
「え、えっとぉ……、そんな事なんて考えていませんよ。全く、全然です」
心の内を見透かされて狼狽したボクは、オドオドしながら弁解をした。
「ホントにもうっ。男という生き物の脳内の何パーセントが、性行為に関することで占められているのやら。特にキミの場合は、かなりの割合に違いないな」
頬を染めて、厳しくボクを嗜める朝永センパイには、ある意味、別の魅力があった。
(照れている。あの朝永センパイが。……これが、『ツンデレ』ってやつなのか……)
ボクの脳内では、最近始めた十八禁の美少女ゲームの一場面が、この現実とごっちゃになって仕舞っていた。
半年前まで、学校⇔塾⇔勉強部屋の三ヶ所のみが現実だったボクが、若干の中二病を引き起こしていることは否定しない。
だから、ちょっとくらい、エッチな事を想像していても良いじゃないかと思うんだ。それくらい、許してくれよ。
なんて、言えないけどね。
とは言うものの、ボクの視線はどうしてもセンパイの下半身に向かってしまう。
暑さで陽炎が漂う中、スカートの裾から覗く生足は白く滑らかな表面を見せていた。踝も、ふくろはぎも、その上の膝小僧も。
更にその上に続く太ももは、布地に隠れていて分からない。
そう、分からない。分からないからこそ、想像をかきたてられるのだ。そして、そのまた上は……。
ボクの妄想は止まるところを知らず、再び熱を帯び始めた。
「おい、キミ! 一体何処を見てるんだっ。……あ、コラ。何を想像している。や、止めなさい!」
ボクの脳内で起こっていることを見抜いて、センパイは耳まで真っ赤になると、スカートの前を両手で押えて、向こうを向いて仕舞った。
後には、夏の陽光を眩しく反射する白衣の背中だけが残った。
「ヤーイ、怒られてやんの」
折角いい感じに妄想していたのに、下品な声がボクの神経をリセットして、現実に戻した。
(このぉ、インチキ魔法使いめが。良いところだったのに。チクショウめ)
センパイに邪険にされたボクの気持ちは怒りに変わり、件のポシェットを抱えて野卑な笑いを浮かべている小娘に向かった。
「ウルサイよ、この似非魔法少女め。もう終わりだ。さっさと行くぞ」
ボクはそう言って、一見小学生に見える娘々に近づいていった。
「ほへ? 行くって、何処だ。今度はどんなウマイもんを喰わせてくれるんダ」
状況を分かっていないクソガキは、自分の立場もわきまえずに、次なる幸運が転がり込むと信じていた。ニヤけた口の端からヨダレが滴っている。
「決まってるだろう、警察だよ、警察。オマエを保護してもらうんだ」
ボクは、朝永センパイも居る状況を考慮して、わざわざオブラートに包んだ表現をしてやった。
「ホゴ? 何だそれは。ウマイのか?」
もう四十を過ぎたオバサンだと言うのに、娘々は見かけ通りに小学生のような返事をしていた。
「ああ、美味いかもな。そんで、とっとと大陸に送り返してもらえっ」
貴重な血税が、こんなヤツに使われるのは癪に障ったが、これ以上ボクのリソースを消費させられるのはゴメンだ。
「本来ならダンボールに詰め込んで宅配便で送ってやりたいところを、わざわざ連れて行ってやるんだ。ありがたく思え。さぁ、行くぞ」
ボクはニヘラと笑っているチビの手を引っ掴むと、この辺に適当な交番があったかどうかを考えていた。
すると、
「ちょっと待ちたまえ。キミは、この子を警察に引き渡すというのかい」
と、ボクの行為を引き止める声がした。
「当然です。コイツは密入国者なんですよ。しかも、怪しい機械を持っている。街の中に野放しにしておいたら、何をするか分かったもんじゃないです。然るべきところに突き出して、強制送還してもらいましょう」
ついさっきの事もあって、センパイの顔を直接見ることが出来ずに、ボクは早口でそれだけを伝えた。このまますぐに、娘々を連れて、この場を離れたかった。
「だがな、キミ。我々は、未だMD機関の何たるかを解明していないぞ。サイエンスを志す者として、謎をそのままにしてはおけないとは思わないか、キミ」
(思っていた通りだ。センパイは、コイツに興味を持ってしまった。泥沼に沈む前に、何とかしたかったんだが……)
ボクの胸の内では、どうやったら娘々やMD機関からセンパイを遠ざけられるか? という命題が駆け回っていた。
「なぁ、キミ。せめて、ワタシの納得がいくまでは、この子を滞在させてやれないかな?」
本人は全く気が付いてはいないのだが、センパイの甘酸っぱい声でされる『お願い』は、彼女いない歴=実年齢のボクには高い強制力を発揮する。これでセンパイの顔を見てしまったら最後、断ることなんてほとんど不可能だろう。
ボクは、何とかしてこの誘惑から逃れようと、奥歯を噛み締めていた。
「娘々、君も警察なんかに行きたくはないだろう。ワタシに、もっと魔法の事を話してはくれないかい」
こともあろうかセンパイは、この腐れ魔女っ子に優しく話しかけていた。
「センパイ、騙されないで下さい。今言ったように、コイツは密入国者です。犯罪者です。中共のスパイかも知れない。コイツを当局に突き出すのは、善良な一市民としての当然の行為ですよ」
ボクは勢いよく振り返って、朝永センパイを嗜めようと、そう言った。
「まぁ、それは分かるんだが……。ワタシはMD機関の事がどうしても気になるんだ」
両手を握り締めて懸命に主張する白衣の美少女が、ボクの視界を埋めていた。
(い、いや。ここで認めてしまったら、ドツボだ。何としても、センパイから娘々を遠ざけねば……。頑張れ、ボク)
そうやって心を鬼にしようとしたのだが、彼女は諦めが悪かった。
「なぁ、キミ。考え直してくれないかい。せめて……、そうだ、せめて夕食くらい、一緒に食べてやっても良いじゃないか。娘々、君も美味しいもの、食べたいよね。んーと……、ハンバーグなんかはどうだ? 好きだろう」
センパイの言葉に、意地汚いインチキ魔法使いは即座に反応した。
「は、ハンバーグか⁉ オレ、ハンバーグ、喰いたい‼」
ハンバーグという単語に何を連想したのか、ニセ小学生は、ボクの手を振り解かんばかりに小躍りして喜びを表現していた。
「だろう。子供は誰でもハンバーグが好きなんだ。そうだな……、駅前通りに新しいお店が開店していたな。看板メニューは、ドリンクバーとサラダバイキングがセットになるやつ。ご飯とカレーも食べ放題だったか」
「食べ放題か! それはスバラシひ。オレ、絶っっっったい、喰ってみたい」
「君もそう思うか。そうだよな」
(ああ……。そういや、そんなのがあったような。手頃な値段で、満腹になりそうだな)
「それに、確か小学生は半額だった筈」
(え! ちょっと待ったぁ)
「センパイ! 何度も言いましたが、コイツは四十過ぎたオバさんなんです。小学生なのは見かけだけ。……いや、まぁ、頭の中身もそうですけど……。とにかく、関わらないことです。センパイこそ考え直して下さい」
娘々と二人で、既に決まったことのように盛り上がっていた彼女に、ボクは意見具申をした。
「面倒くさいなぁ、キミは。ワタシにさえ分からなかったんだ。ファミレス如きの店員が、この子の実年齢なんて見抜ける訳がないだろう。それとも何かな……、キミは、ワタシがそこいらのアルバイトよりも劣っていると言うのかね」
再び中腰になってニセ小学生と話していたセンパイは、下から見上げるようにボクのことを睨むと、そう言った。まぁ、確かにその通りではあるのだが。
「……うう。仕方がありませんね。夕食までですよ、夕食まで。食べ終わったら、即、交番へ直行ですからね」
はぁ、負けました。
だいたい、ボクなんかがセンパイに敵いっこないなんて、最初から分かっていたじゃないか。
「そうか。やっぱりキミは、ワタシが思っていた通りの男だよ。良かったなぁ。一緒にハンバーグ、食べような」
センパイは満面の笑顔を見せると、娘々にそう話しかけた。
「やったぁ。ハンバーグっ、ハンバーグっ」
「サラダも食べるんだぞ。ピーマンは食べられるかい?」
「うん。オレ、好き嫌い、無い。お姐さんは、ニンジンだいじょぶか?」
「ワタシか? ワタシも野菜は好きだぞ。ニンジンは、生でも火を通してもだ。総じて根菜類は栄養価が高い。食物繊維も、葉野菜より効率的に摂取が可能だ」
「ほうほう。お姐さん、物知りだな」
「え? あ、ああ。それ程でもあるがな。そうだ、チキンとフレンチフライも頼もう。君も好きだろう」
「おう。オレ、鶏の唐揚げもポテチも大好きだぞ」
「そうなんだよ。子供は皆、チキンとポテトが大好きなんだよ」
「……んっ、おっほん」
話が弾んでいる女性陣に、ボクは大きく咳払いをして、それを断ち切った。
「分かっているよ。キミに快諾してもらえて、ワタシも嬉しいよ」
その言葉と微笑みでボクのハートもハッピー……なわけないだろ。
「今回だけですからね、センパイ」
(あの店は、今度、センパイと二人だけで行きたかったのにぃ。何で、こんなお子ちゃま連れで行かねばならんのだ。くそぅ)
そう思うと、チビ助の腕を掴んでいる手に、自然と力が入ってしまう。
「いて、いててて。痛いぞ」
折角、美味いものの話で盛り上がっていたところに水を差されたのが気に入らなかったのか、娘々はボクの手を振り解くと、センパイの影に隠れてしまった。この卑怯者め。
「あ、娘々。この野郎。誰のお陰だと思ってるんだ」
不遜な魔法道士の態度に、ボクのとっくに切れまくっている堪忍袋は破裂寸前だ。
「まぁまぁ、良いじゃないか。どうせ、この子の分は半額だ。安く上がって良いじゃないか。多目に見てやってくれないか、キミ」
足元に纏わり付くちびっ子をあしらいながら、センパイは柔らかい声で、そう言った。
嗚呼、その優しさの十のマイナス五乗分でもいいから、ボクに振り分けてくれたら……。
「分かりました、センパイ。本っ当にっ、今度だけですからね」
ボクの苛ついた雰囲気に対して、娘々は白衣の影から『アカンべ』をしていた。
(この野郎っ。増長しやがって。夕飯喰ったら、強制送還だからな。絶対だ)
ボクは唇を噛んで、耐え忍んでいた。
「あっ、ところで、キミ。結局の所、MD機関の能力って、何に由来すると思ってるんだ?」
今更気が付いたようなセンパイの言葉に、ボクは詰まりながらも、こう応えた。
「えっ? ま、魔法じゃないですかね」
「そうか……、魔法か……」
「はい、魔法ではないかと……」
ボクの答えに、センパイは真剣に思い悩んでいるように見えた。