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アボガドロ数個の罠

「クァンタム・エンタングルメントって、……センパイ、そ、それは……」


 娘々(ニャンニャン)の持つ悪魔的な意匠の黒いポシェット──マクスウェルズ・デモン・ジェネレーターの威力を目にした朝永(ともなが)センパイは、ボクの思ってもみなかった事を発言した。

「クククッ。そうだよ、キミ。きっとその『機械』は、クァンタム・エンタングルメントを利用することで、周囲の気体分子に作用を及ぼしているのだと考えられる」

 いたずらっ子のような顔をしたセンパイは、呆けたような娘々を他所に、そう言った。

 しかし、ボクは……、

「せ、センパイ……。そ、その、『クァンタム・エンタングルメント』って……、何ですか?」

 と、自分の無知をさらけ出して仕舞った。

「ーーーーっ。キミはそんな事すら知らないのか」

 呆れたように、センパイはそう言うと頭を抱えた。

 その時、

「キヒヒ、オレ、知ってるぞ」

 と、野卑な声が聞こえた。


(ムカッ)


 反射的にボクの心に怒りが込み上げた。ついつい今回の元凶のクソ野郎に目が行ってしまう。

「そうかぁ。キミは知っているんだね。ほれ見ろ、こんな小さい子でも知っていることなんだぞ。恥を知れ、恥を」

 センパイはそう言って、目を細めたじっとりとした目で、ボクを睨め付けた。


(ウグググ。ちきしょー。こんなヤツに負けるなんて)


 ボクがどうにもならない怒りに身を震わせていると、

「アレ、ウマイよな。辛くて、肉そぼろとか入ってて。棒で担いで売りに来るんだゾ」

「…………」

 ボク達は、一瞬、言葉に詰まった。

「ホッ、ドシタか?」

 とぼける自称魔法道士に、ボクは言ってやった。

「それは、担々麺(タンタンメン)だ。センパイの言っているのは、クァンタム……、ええっと、何だっけ……」

「エンタングルメント。クァンタム・エンタングルメント (Quantum entanglement)だよ。知らないかなぁ、『量子もつれ』の事なんだが」

 難しくてよく解らない専門用語を、朝永センパイが補足してくれた。ついでに、日本語訳も。

「は、はぁ……」

 だが、日本語で伝えてもらっても、ボクにはまだ良く解ってはいなかった。


(『りょーしもつれ』って、……ナニ?)


 大学生とは言っても、所詮ボクはまだ学部の一年生なのだ。彼女は渡米して飛び級で大学まで上り詰め、交換留学生にして三年生。その上、既に研究室にまで入り浸っているギフテッドの朝永センパイとは、根本的に頭の出来が違うのだ。

「いいかぁ、今から、……そうだな、出来るだけ(・・・・・)、簡単に、解り易く、説明するから、よぉく覚えておくんだぞ」

 センパイは、言葉を区切るようにボクに言い聞かせていた。

「グヒヒヒ、怒られてやんの」

 ちょうど絶妙のタイミングで、娘々のケチが入った。

「お前だって知らなかったじゃないか。偉そうにするなよ」


(いちいち腹の立つチビ助だな、コイツは。アイスなんか奢らずに、崖から海に放り込んでればよかった)


 気に入らない事ばかりするインチキ魔法少女に、ボクの忍耐も切れそうになっていた。

 ところが、朝永センパイは、

「まぁまぁ、キミも勉強が足りなかったんだ。許してやんなよ。相手は、小学生の女の子だぞ」

 と言って、寛容な態度を示すのだ。ボクの時とは大きな違いだ。

「センパイ! さっきも言った通り、こんななりをしていますがコイツは四十過ぎたオバサンです。しかも、大陸の奥地の怪しいところから、ビザもパスポートも無しでやって来た密入国者ですよ。目を覚まして下さい」

 ボクは再度、娘々の正体を明かして、センパイに訴えた。しかし、

「けどなぁ……。見た目は小さな子供だし。頭の中身もご同様のようだ。……で、あれば、相応に扱ってやるのが、大人の対応というのではないかな。どうかね、キミ」

「うぅー」

 センパイの言葉に、ボクは唸ることしか出来なかった。


(うぐぅ。バカはバカなりに扱え、……ってことか。……分かるよ、分かるんだけど。ぐぬぬ、納得がいかん)


 ボクの怒りは、腹の奥で煮えたぎったまま、その行き場を失って仕舞った。

 そんなボクの様子を見て、娘々の目線の高さにいたセンパイは、腰を伸ばすとこちらへやって来た。

「キミの言い分は解る。多分、キミの言う通りなのだろう……。ふむん、キミの性格から考えるに、嘘をついてまで小さな女の子を苛めることは有り得ないからな。……まっ、ココはワタシに免じて許してやってくれないかな」

 彼女はそう言ってボクを見上げた。媚を売るではないが、少し潤んだような瞳と、はにかんだセンパイの表情は、ボクを虜にしていた。

「ダメ……かな」

 残念そうだが少し艶を含んだ声が、ボクの聴覚神経をくすぐる。

 憧れの美少女(センパイ)にこんな風に頼まれて、否と言える男が居るだろうか? いや、居るはずはない (←反語表現)。

「わ、分かりましたよ。今日のところは我慢します」

 嫌々ながらも、センパイの頼み事をボクは聞き入れた。

「で、どうして量子もつれになるんです? コイツも自分で言っているように、魔法じゃ駄目なんですか? ええーっと、……そう、風の精霊の権能(ちから)を借りて旋風(つむじかぜ)を巻き起こしたんだ! ……とか。とてもそれっぽくて、ファンタジックじゃないですか」

 ボクはセンパイの考えを確かめようと、そんな質問を返した。

「そうだな……、その方がファンタジーっぽくなるんだが……。しかしね、キミ。サイエンスを志す者として、まずは知り得ている最も確からしい知識から仮説を設定し、検証実験によりそれを確認する。それは、大事なことだよ」

 精一杯の背伸びをしてボクの鼻の先まで顔を近づけたセンパイは、確信犯的にそう言った。

「そうだ、そうだ。実験、実験」

 美少女の白衣の彼方から、甲高い耳障りな声が聞こえる。

「ウルサイ! オマエは黙ってろよ、このインチキ魔法使い野郎が」

 その癇に障る声に、ボクは思わず怒鳴って仕舞った。

「まぁまぁ、落ち着けよ、キミ」

 センパイが、少し苦笑いをしながらボクを大人しくさせた。

「うぅ……、お、落ち着いてますよ。大丈夫です。……で、どうして魔法じゃいけないんですか? ボクには、さっきの現象なんかを最も確からしく説明できる『仮説』に思えますけどね」

 ボクは、娘々のムカつくその顔を見ないようにしながら、再度センパイに尋ねた。

「さぁて、それはどうかな。……そもそもファンタジックな仮説を設定したとしよう。でも、それを確かと立証しうる証拠はあるのか? だよ」

 白衣の美少女は、まるでボクを試すように、いたずらっ子のように瞳を輝かせていた。それにボクは応えなければならない。

「え……、えと。……そもそも、魔法の源として設定されている『精霊(スピリッツ)』とか、『魔力(まりょく)』とかが、科学的に存在が立証されていない……から? ……でしょうか」

 自信の無かったボクは、真っ直ぐなセンパイの視線から目を背けるようにしながら応えた。

「う〜ん。七十点……かな」

 ニンマリと目を細めたセンパイの顔が、ボクの瞳を覗き込んでいた。

「あ、当たらずとも遠からじ、ってところですか? センパイ」

 彼女は、フゥーと息を吐くと、コクンと頷いた。

「じゃぁ、どうしてMD機関の源が『量子もつれ』になるんですか? アホウなボクにでも解るように説明して下さいよ」

 さっきから、ボクの意見はことごとく否定され続けていたので、少し向きになっていたのだろう。ボクは、少し声を荒らげて、センパイに挑んだ。

「まぁ、落ち着けよ。まずは、この子が起こした現象だが……。突然に旋風(つむじかぜ)が舞起こった。何の前触れも、大した装置もなくにな」

 彼女はそう言って、自分の身に起こった事を確認するように、話し始めた。

「目に見えない力の代表格は、電磁気力と重力だ。しかし、この場合は、どちらも当てはまらない。重力は、場の歪とも捉えられるよね。これは、その場の質量に分け隔てなく作用する。もしそれが重力だとしたら、質量の塊であるこのワタシの身体にも何かしらの影響があるだろう。だが……、何も感じられなかった」

 そう言ってセンパイは、少し間をおいた。

「では……、電磁気力の可能性は?」

 センパイが提示したもう一方の可能性を、ボクは訊いてみた。

「そうだね。ワタシが知る限り、電気力や磁気力は対応する電荷や磁荷がなければ作用しない。マクロの視点で電気的に中性な空気の分子に、何かしらの作用を及ぼすとは考え難い。それに……」

 センパイは、意味ありげに、言葉を区切った。

「それに……、何ですか?」

 続きが聴きたくて、ボクは彼女を促した。

「それにだ。ワタシはこれでも帯電しやすい体質なんだ。今頃の湿度の高い季節でも、すぐに静電気を帯びてしまう。だがぁ……、さっきの現象では電気的・磁気的な力は感じられなかった。ついでに言うと、この時計は、いわゆる『スマートウォッチ』というやつだ。GPSや磁気センサー、気圧を測る高度計などが組み込まれている。しかし、何らかの電磁気的作用が働いたという記録は皆無だ。これで、電磁気力も候補から外れた。ついでに言うと、気圧の大きな変化もな。だから、『圧搾空気を開放した』って可能性もなしだ。……全くもって、よく分からん力だったよ」

 センパイは、左手の腕時計をボクに見せながら、そう締めくくった。

「スマートウォッチに磁気センサーなんて……。何のためですか? まぁ、ガジェット好きなセンパイらしいですけど……」

 ボクは少しだけ違和感を感じて、モゴモゴとしながらも、彼女に訊いてみた。すると、思ってもみなかった反応が返って来た。

「い、いいだろう別に。ワタシのPDAと連動して、歩いた距離とカロリー計算が出来るんだ。それだけだよ」

 センパイは、スマートウォッチを装着している左手を、急いで白衣のポケットに突っ込むと、少し赤くなってそう応えた。そんな彼女の様子を、ボウとしてボクは眺めていた。

 すると、

「いいだろう、それくらい。……ぷ、プチダイエットってやつだよ。さ、最近、少し体重が気になってな……」

 恥ずかしそうにそっぽを向いた彼女からは、らしくない答えが返って来た。


(そうなんだ。米国帰りとはいえ、センパイもスタイルとか気になるんだぁ。まぁ、年齢的には、お年頃の女子高生なんだもんなぁ)


 ボクは、センパイの少女らしい一面を垣間見て、新鮮な驚きを感じていた。

「ああっと、止めやめ。この話はもうお終いだ。兎に角、作用したのは、我々が思いつくメジャーな力では無かった、と言うことさ。さて、ここからが問題だ」

 ボクの考えに気がついたのか、彼女は強引に話を引き戻した。彼女はボクの方を右手の人差し指で指すと、挑むような目付きでそう言った。

「えと……、重力でもなく、電磁気力でもなく。気圧の変動もなくって……、もちろん扇風機なんかも使わないで風を起こす方法……。それが、『量子もつれ』なんですか?」

 彼女の言わんとしたことを察したボクは、そう言った。まぁ、センパイの気を引きたかったという下心もあったのだが。

「その通り。起こった現象──その作用の源は、尋常な力ではない。流行ってるからと言って、『超伝導効果』とか言うなよ、キミ。確かに流体に作用して推進力として使用することが出来るという報告がされているが。……えっと、娘々(にゃんにゃん)とか言ったかな。この子の持っている程度の規模の装置で出来るモンじゃないんだよ、超電導なんて大掛かりな実験は」

 そこまで言って、朝永センパイは両腕を胸の前で組むと、小首をカクンと傾げた。

「うぐぐっ」

 そこまで言われると、ボクには何の反論も出来なかった。

「じゃぁ、センパイ。MD機関の及ぼしている力って何なんですか? それが『量子もつれ』ってことなんですか?」

 八方塞がりのボクは、朝永センパイに答えを求めた。

「そうさな……、さっきの現象を思うに、重力,電磁気力,強い力,弱い力の基本の四つの力では説明できない事が起こっている。それ以外だと、ワタシの知る限りでは、『魔法』と『量子もつれ』の二択になるんだよ」

「つまり、消去法で『量子もつれ』っていう訳ですね」

「ご明答」

 そう言ったセンパイは満足そうだった。

 でも……。

「ん? 何をやってるんだい、キミは」

 彼女は、ボクがスマートフォンをいじくっていることに、やっと気が付いた。

「あ、あのう……。ものすっごく、言い難い事なんですけど……」

 ボクは、申し訳なさそうに、スマホから顔を上げた。

「何だね。言ってみなさい」

 実年齢では年下の白衣の美少女は、上から目線でボクに続きを言うように促した。

「実は、今、ネットで調べたんですけれど……」

 ボクはそこまで言って、口をへの字に結んだ。こんな事、センパイに言っていいのだろうか。

「構わん。言ってくれ」

 少し苛立ち始めたのか、彼女の声は少し低かった。それで、ボクは仕方なく続けた。

「ネットで『量子もつれ』について調べたんですけれど。これ、すっごく大掛かりな装置が必要らしいですよ」

 ボクは、チラチラとセンパイを見ながら、スマホで調べた内容を話し始めた。

「そうだな。知ってるよ、そんなことは」

 彼女は、白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、憮然としてそう応えた。

「それでですね、最新の光-量子工学を駆使しても、二個の光量子のエンタングルメントを実証するのに大きなテーブルに一面に敷き詰められた光学系と、特殊な量子光学特性を持った結晶体が不可欠なんだそうです……」

 ここまで言って、ボクはもう一度、白衣の美少女をチラ見した。

「それで……」

 少し機嫌を害したのか、彼女は嫌そうな目付きをしていた。

「えっと、それで……、関係する量子の数が増えれば増えるほど、量子光学系は複雑になります。当然、装置も大規模になります。しかも……」

 ボクがその先を言おうとした時、

「解った、解ったよ。もういい」

 と、朝永センパイはボクの説明を遮った。物凄く機嫌が悪そうな顔をしてる。

「うっかりしていたな。ワタシのミステイクだ。装置工学的に、現実のかさ(・・)の気体に作用を及ぼすには、『小さなポシェット程度の大きさじゃ納まる訳がない』って言いたいんだろう」

 そして、彼女から返って来た言葉も、少し低くてイライラ感が含まれていた。

「そうなんです。気体の一ℓ中の分子はアボガドロ数個──すなわち、6.022かける十の二十三乗個。しかも、十立方メートル分になれば、その個数は途方も無い数です。センパイも引っかかったんですよ。アボガドロ数個という膨大な数の罠に」

 そこまで言って、ボクはなんとはなく心のモヤモヤが晴れたような気がした。


(センパイだって、間違うことはあるんだ。ボクのように。そう思うと、センパイも、立派に可愛い女の子じゃないか)


 そんな事を考えながら、ボクは二人を前にニヤニヤを隠せずにいた。

「まぁ、仕方が無いですよ。極微の量子状態にならないと発現しないような問題ですから。量子力学については、まだまだ謎が多いんですよね。でも、その量子系の特質がマクロに観測できるのが熱物理学なんですから。やっぱ、量子力学は、奥が深いですね」

 ボクは両腕を胸の前で組むと、ウンチクをひけらかすようにそう言った。いや、そう言って仕舞った。

「んんー、もう、何だねキミは。量子、量子と、人の名前を連呼しおって。恥ずかしいではないか」

 少しテングになっていたボクに投げられた言葉がそれであった。

「えっ、ええ。ボクが言っていたのは量子(りょうし)であって、量子(りょうこ)とは言ってませんよ」

 得意になって、ちょっと言い過ぎたかな? ボクは少し狼狽えて、自己弁護をしようとしていた。

「漢字にしたらおんなじだ。付き合ってもいない男女が、ファーストネームで呼び合うなど、ハレンチ極まりない。キミがそんな男だとは思わなかったぞ。失礼なヤツだな、キミは」

 朝永センパイは、顔を赤くしてそう言ったきり、そっぽを向いて仕舞った。

「ええっ。そりゃあないですよぉ」

 ボクがいくら弁解しても、彼女はボクの方を見てくれない。

「やーい、怒られてんの」

 そんなボクに、件の魔法道士は、胸に突き刺さる一撃を放ってきた。


(くそう、オマエになんぞ言われとうないわい。元はと言えば、娘々(ニャンニャン)、オマエのせいじゃないか。チキショウ)


 ボクの胸の内には、人を小馬鹿にしたようなインチキ魔法道士野郎が、果てしなく憎く思えてきていた。




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