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エンタングルメント

「オレ、立派に魔法、使った。この、『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』を使ってな」

 自慢気にそう言う小娘は、自称『魔法道士(まほうどうし)』の娘々(ニャンニャン)である。ヤツは、魔法道具と言い張る例の悪魔的な意匠のポシェットを、胸前まで持ち上げていた。のみならず、あろうことか朝永(ともなが)センパイに、それを見せびらかしていたのだ。

 その、大陸特有のニヤけた不快な顔に返されたのは、


「ええっ!」


 と言う、センパイの驚きの声だった。


「き、君。今、何と言った? もう一度聞かせてくれないかな」

 少し動揺しているのだろう。センパイはついさっき味わった異常現象を起こした現況について、驚きを隠せないでいるようだ。言葉がちょっと早口になっている。

 真面目な顔で訊く彼女に、この糞ったれ越境野郎は、ニタリといやらし気な笑いを浮かべると、

「なんだ、聞こえなかったか。これ、『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』。老師が作った、便利な魔法道具だ。スゴイだろ。なっ、なっ」

 そう言って尚も自慢を繰り返すチビ助とは対象的に、センパイは難しい顔をしていた。

 もう、羞恥の表情も失せ、汗の玉も乾き始めていた。

 それとは反対に、センパイの少し茶褐色が混じった大きな瞳は、似非(えせ)魔法使いが持っているMD機関マクスウェルズ・デモン・ジェネレータに見入っている。


「君は、そのポシェットのように見えるモノ──つまり『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』が、さっきの旋風(つむじかぜ)を巻き起こしたと主張する訳だね」

 センパイは、真剣な眼差しで娘々を──いや、MD機関を見つめていた。

 この状況下では、あの局地的な異常気象を科学的要因だけで説明する事は難しい。

 このちっこいクソ野郎が起こした事象と信じるしかなかろう。そして、その根源的原因が、ヤツの言うMD機関であるならば、それを事実と信じるしか無い。


 ボクは今、センパイが考えているだろう事を、そのように想像した。


「そうだぞ。スゴイだろ、お姐さん。驚いたダロ。これが、魔法だ」


 小生意気なガキは、尚も図に乗って、自慢げにニヤけた顔をしていた。野卑に口角のつり上がった唇からは、ヨダレが垂れ落ちそうになっている。

「ま、魔法……。そうか、魔法か……。キミは、この事を知っていたのかね」

 真剣な顔をしたセンパイは、目だけを動かしてボクを睨んだ。その瞳は、まるでボクを非難しているようだった。


──どうして、こんな重要な事を隠そうとしていたのか!


 と、言わんばかりに。

「えっとぉ、……は、はい。知って、いました」

 ボクの応えに、センパイの眼は、夏の強い陽光を反射してギラリと光ったように感じた。

「どうしてそれを、真っ先にワタシに言わなかった。最重要事項ではないか」

 センパイは、憤りを通り越して、冷たく無慈悲にボクを睨んでいた。

「えっとぉ……、魔法なんて非科学的だし、しかも『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』なんてモノが作れるなんて信用できないですよ。センパイが気にするようなモノじゃないって思ったんです」

 ボクは、何とかその場を取り繕うとした。

「…………」

 そんなボクの言葉に対して、センパイは無言で威圧していた。

「……ええっと、……ごめんなさい」

 ボクは、そう言って謝ることしか出来なかった。

「……ふぅ。まぁ、良いだろう。ワタシだって、あの旋風(つむじかぜ)が自然現象では無い事くらい理解できる。だが、それがこの子の言う『魔法』であるかどうかは別問題だ。その上、先程の現象を引き起こしたのが、『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』だと主張しているとあれば、見逃すことが出来ない」

 朝永センパイは、立ち上がってこちらを向くと、その鋭い視線でボクを貫いた。

「キミは、この事実をどの程度知っている?」

 センパイは、両腕を組んで、ボクに『尋問』を始めた。

 この状態で、ボクがセンパイに隠し事が出来る確率は、(にわとり)が九州からシベリアへ渡りをするよりも低い。

「知っているんだよな」

 センパイの念を押すような言葉が響いた。

「……は、はい」

 ボクは、ようやっとそれだけの返事をした。

「ならば、話せ」

 問答無用の言葉だったが、ボクは抵抗を試みた。

「い、いや、センパイ。話を聞くなら、まずは娘々からではないかと……」

 おずおずと提案したのだが、それはセンパイの顔をより険しくさせただけだった。

「おいおい、キミ。本当(まじ)で、そう思っているのかい。『マクスウェルの悪魔』を『魔法』だと主張するような子供に、まともな説明が出来るとでも信じているのか。……それに、キミは、この子供に関する情報を少なからず得ていると、ワタシは考えている。だからこそ、この子とワタシとの接触を避けようとした。今も関わりをさせないようとしている。違うかな?」

 彼女の言葉に、ボクは小さくコクンと頷いた。

「よろしい。話しなさい。解ってはいると思うが、ワタシに嘘・偽りは無駄だからな」

 小柄である筈のセンパイに、高みから見下(みおろ)されているような威圧感をボクは感じていた。

 仕方がない。取り敢えず、さっき海岸の掘っ立て小屋で体験した出来事を話すしかない。それも、嘘偽り無く。

「ボクは、センパイと別れたその後に、近くの海岸で溺れそうになったんです。それを助けてくれたのが、コイツ──娘々なんです」

 そうして、ボクはセンパイに小屋で起きた出来事を話し始めた。



 海に落ちて海水で冷え切ったボクの身体を、娘々がMD機関で温めてくれた事。そして、その反作用で大量の氷が出現した事。

 娘々はそれを魔法であると主張し、彼女も自身を魔法道士と称している事。

 その魔法は、彼女がMD機関マクスウェルズ・デモン・ジェネレータと呼ぶ黒いポシェットが引き起こした事象であるらしい事。

 MD機関が起こす現象は、物質の分子レベルの運動を観測して選別する事で為されているのではないか、という事。

 MD機関と呼ばれているポシェットの内部構造については、娘々も詳しくは知らないようだが、集積回路──ICやLSIのチップが多数実装された電子回路基板ではないかと推測できる事。

 そして、件のMD機関を作製したのが、彼女が『老師』と呼ぶ謎の人物である事。

 ついでにボクは、娘々が、『老師』と暮らしていた大陸の奥地──崑崙(こんろん)から風に乗ってやって来た事。しかも、ノービザ・ノーパスポート。税関も入国審査も通っていない密入国者である事もバラしてやった。


 そういったボクの話を、センパイは口を挟む事もなく、黙って聞いていた。



「最後に、その一見小生意気なガキに見えるソイツですが、実は四十を過ぎたオバサンです。子供だと思って労る必要は、全く以ってありません」


(どうだ、全部言ってやったぞ。ざまを見ろ)


 勢いに任せて、ボクは自分の体験したことを、洗いざらいぶちまけてやった。

 一方、センパイはと言うと、腕を組んだままの姿勢を崩すこと無く、その場に立っていた。


「成程ね。まっ、人生、何が起こるか分からんもんだな。……ええーっと、娘々(ニャンニャン)、少し話を聞かせてもらっても良いかな」

 朝永センパイは、少しだけ齟齬を崩すと、傍らに立つちっこいクソ野郎に話しかけた。

「おう、いいぞ。オレ、娘々。魔法道士だ。お姐さん。少しは、魔法を信じる気になったか?」

 センパイが、折角声をかけてくれたというのに、この密入国者は何の悪びれもなくそう言ったのだ。いつもは穏便なボクの胸に、殺意という黒い影がちらついた。

「魔法ねぇ……。それはこれから検証をするとしよう。ところで、今、この男が言った君に関する話は、事実かい?」

 ボクの話を嘘っぱちとまでは思っていないだろうが、事実通りであることを確かめたかったのだろう。センパイは、娘々に話の内容をわざわざ確認しようとしていた。

「おう、コイツの言う通りだぞ。オレ、この『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』で、魔法、使った。コイツを海から引き上げて、温めてやった。オレ、人助けした。オレ、偉い?」

 何が人助けだ。ボクが死にかけたのだって、このインチキ魔法道士のせいじゃないか。

 ボクが怒りに震えているのにも気が付いていないのか、センパイは娘々に優しい言葉を返した。

「そうだな。人助けは、立派な行為だ。偉いな、君は」

 あろうことか、センパイは涼し気な笑みを浮かべると、そう言って糞ったれなチビ助に温かい視線を送ったのだ。

「異議あり!」

 あまりの仕打ちに、ボクは思わず左手を上げると、そう叫んでいた。

「ふぅー。もう何だね、キミは」

 センパイは面倒臭そうにそう言って、ボクの方に顔を向けた。

「朝永センパイ。そもそも、ボクが海に落ちたのだって、そのなんちゃって魔法少女が風を巻いて降りてきたからなんです。ボクは、ヤツの起こした風に吹き飛ばされて、崖の上から海に落ちて仕舞ったんです。ソイツは、命の恩人どころか殺人未遂の犯人です。しかも、密入国の。そんなヤツと関わっても、面倒な事にしかなりませんよ」

 ボクは、目一杯声を荒らげて、娘々の非道なやり口を告発した。

 しかし、センパイは冷徹だった。

「何だ、その程度の事で大騒ぎをするとは、キミも肝っ玉の小さい男だな。結局、キミは娘々に助けてもらったんだろう。それで、チャラにしといてやれよ」

「…………」

 納得は出来なかったが、センパイにそう言われたら、ボクは黙るしか無かった。

 それよりも、センパイの興味は、すでに魔法──というか、例の怪しい魔法道具に移っていた。

「どうも、キミ達の言っている事は、事実のようだな。……フムン。『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』ね。常温の空気を、熱い部分と冷たい部分に分離する。無秩序な方向に運動する分子のうち、一定方向に運動する分子のみを選別して、風を起こす。……(まさ)しくその名前の通りの動作をする機械(マシン)のようだな」

 朝永センパイは、思いつめたような表情でそう言った。だが、センパイのセンパイたる所以(ゆえん)はこれからだ。

 彼女は深く深呼吸をすると、一度目を瞑った。

 十秒ほど瞑想でもしているかのようにそうしていたが、しばらくして再び瞼を開くと、ニヤリと笑みを浮かべた。それこそ、(いにしえ)の魔女達が契約した悪魔のそれのような。

「いいねぇ、コレは。面白い。実に面白い素材だ。MD機関(マクスウェルの悪魔)とは、よくぞ言ったものだ。……しかし、問題は……」

 センパイはそう言うと、娘々の持つ悪魔的な意匠の黒いポシェットをジッと見つめた。

「問題は、ソイツが、どういった原理で『マクスウェルの悪魔』の如き動作をするのか? だな」

 ボクのように、すぐさま娘々からポシェットを取り上げようとはしなかったが、センパイの興味は明らかにMD機関に向いていた。

「キミの推論は、『MD機関には膨大な量のシラードのエンジンが組み込まれている』というモノだったね」

 センパイはボクの背筋をも凍らせそうな笑みを浮かべたまま、そう質問した。

「あっ、は、はい。分子の一個に対してシラードのエンジンが一つ対応していて、その分子運動の観測と制御をしているのではないかと考えました」

 ボクは、掘っ立て小屋で思った自分の考えを話した。

「それは、彼女の証言にあった『回路基板』をヒントにした推測だね」

 センパイは、その笑みを崩さずに、ボクの言葉に応えた。

「そうです。魔法なんてファンタジックな話なんて、ボクには容易には受け入れられなくって。この科学万能の時代に魔法ですよ。風なら扇風機で起こせるし、温風も冷風もヒートポンプがあれば、何の問題もありません。氷が欲しいなら、どこのご家庭にも冷凍冷蔵庫があります。海を渡りたいなら、船でも飛行機でも結構。でも、密入国は犯罪です。センパイ、いい加減、こんな怪しいヤツは警察に任せて、ボク達はもっと有意義な議論をしましょうよ」

 ボクの言葉を聞いたセンパイは、しばらく黙ったままだった。しかし、再度、悪魔のような笑みを浮かべると、口を開いた。

「キミの推論は、ある程度的を射ているようだが、完全ではない。そもそも、シラードのエンジンが機能するには、必要十分な時間が必要だ。彼女の起こしたように、ほとんどリードタイム無しで実行するにはトロすぎるんだよ。次に、効果の及ぶ範囲と対象物体の量が問題だ。さっきの現象とキミから聞いた話を総合して考えるに、MD機関の効果が及ぶ範囲は、少なく見積もっても十立方メートルはあるだろう。一辺二メートルの立方体よりやや大きい範囲と言えば解り易いかな。それだけの範囲の気体分子に、例のポシェット状のマシンが直接に影響を及ぼした形跡は、少なくとも肉眼では確認出来ていない。それに、容量十立方メートルの空間に存在する分子がいくつになるかくらい、キミでも分かっているだろう。なんなら計算してみるか? ……クククッ、そうだよ。膨大な量だよ。いくら高密度で集積されたシラードのエンジンを組み込もうとも、そもそも圧倒的に数が足りない。故に、この仮説は却下される」

 センパイの明快な推論に、ボクは圧倒されるしか無かった。


──でも……


「でも……、じゃぁ、どうやって、この糞野郎(ニャンニャン)は、あんな魔法モドキのような現象を起こしたって言うんですか」

 遂にボクも、我慢の限界を迎えつつあった。いつまでも、こんな怪しい密入国者に関わってられるかよ。

 ボクの怒りに満ちた問いかけに、センパイは静かにこう言った。

「そうだな……。それこそ、『魔法(マジック)』とでも云うモノじゃないのかな」

 少し斜に構えてボクを見る目付きは、魂をも凍らせるような冷たい機械のモノとも思えた。

「う……」

 彼女の冷ややかな言葉に、ボクは声を詰まらせてしまった。

「そうそう。魔法だ、魔法。どうだ、オレの魔法、スゴイ?」

 センパイに認められたと思ったのか、偽小学生は、小憎らしい奇声を上げていた。


(ち、チキショウ、こんなチビに。悔しい。悔しいぞ。決定的なアドバンテージを取られた気分だ)


 ボクの気持ちを察してでもくれたのだろうか、朝永センパイは、やれやれという感じで肩を竦めると、

「ちょっとイジりすぎたね。悪かったよ」

 と、少し悪びれたように言った。

「さて、結論から先に言おうか。ワタシの推察するに、ソイツはクァンタム・エンタングルメントを利用しているのではないかと思う」


「え……、ええっ‼」


 センパイの言葉に、ボクは思わず奇声を上げて仕舞っていた。




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