謎のMD機関
「オレ、魔法道士、娘々。よろしくな」
悪びれもなくそう言った少女は、ボクの目の前で、胸糞悪い笑顔で笑っていた。
(な、何が魔法道士だ。言ってる事も、やってる事も、矛盾だらけだろう)
「な、なぁ、娘々。君は疑問に思わないのか?」
やっぱりボクは、納得が行かない。眼の前の少女に、少しキツめの声で問い正そうとした。
「なんだ。オレ、ちゃんと、老師にオソわったとおりにした。なにもモンダイない」
彼女は、悪びれる事無く、そう言い返してきた。
うーむ。全然分かってないな、コイツは。
「そもそも、魔法ってのはヨーロッパの得意技だろう。中華なら仙術とか呪術だろうが。……もしかして、大陸でも『ハリー・ポッター』とかが流行っているのか」
ボクは憮然として、矛盾のポイントを指摘し始めた。
「うん! オレ、『哈利波特』、ヨんだことあるぞ。あれ、おもしろいな。老師もダイスきだぞ」
(そうか……。そうなんだ。流行りのものを取り入れた訳ね)
ボクは、彼女の返事を聞いて、頭を抱えた。
「まあいいや。百歩譲って、娘々、君が魔法道士ってのを認めよう。でも、魔法って言ったら、呪文を唱えるとか、魔法の杖を使うとか、魔界生物が出てくるとか、……あとは、キラキラしながら変身するとか。……なぁほら、ファンタジー的なシチュエーションってのが、あるだろう。なのに、君が使ったのって、MD機関って云う怪しいポシェットじゃないか。そもそも、マクスウェルって言ったら、熱力学の基礎を築いたバリバリの科学者だろうが。どこに魔法の要素があるんだよ」
「……むぅー」
ボクの指摘に、娘々は渋い顔をして、不満そうな唸り声を出した。
「オレ、ムズカしいこと、わからない。老師からオソわったとおりにしただけ。これ、ちゃんとした魔法」
この少女には、ボクの質問は高度すぎたらしい。
「……分かんないのか。仕方がない。じゃあ、肝心な事、訊くぞ。その、MD機関って云うポシェット。中に何が入ってんだ。魔法陣とかが描かれた羊皮紙か? それとも道教の呪文の描いてある御札か? ちゃんとファンタジーっぽいブツが入っているんだろうな」
ボクは、要となる魔法道具について問い正した。
「ううー。これのナカミか。『チップ』がタクサンついている『ボード』だぞ。オマエのキタイしているブツは、はいってナイ」
娘々は、件の黒いポシェットを大事そうに胸に抱きかかえると、ボソボソとそんな事を応えた。
「何だよ、チップとかボードって。もしかして、ICとかLSIが配線された回路基板の事か!? だったら電子機器じゃないか。何が魔法だよ。おい、ちょっとそれ、見せてみろよ」
いい加減に頭にきたボクは、娘々の持っているMD機関──マクスウェルズ・デモン・ジェネレータと称するモノを取り上げようと手を出した。
「ダメ! これ、魔法道士のダイジなドウグ。ダレにもワタせない」
しかし、彼女は黒いポシェットをきつく抱きしめて、離そうとはしなかった。
「おい、こら。抵抗するな! そいつをボクに見せてみろよ」
フフフ、抵抗しても無駄だぞ。如何に魔法道士なんて言ってても、たかが小学生。体格が違うのだよ、体格が。
ボクは、娘々にのしかかるようにして、彼女を抑え込もうとしていた。
今考えると、傍目には幼気な少女を襲う危険なロリコン男にしか見えなかっただろう。小屋の中に居たのが、ボク達二人だけで良かったと思う。
兎に角、ボクはもう一歩で怪しいポシェットに手が掛かりそうなところまで、娘々を追い詰めるのに成功していた。だが、
「や、や、や、やめるね。だ、ダンウォーイーシア。ヤー」
彼女が嫌がってそう叫ぶと、ボクを突然の突風が襲った。猛烈な風の勢いで、ボクは一気に吹き飛ばされて、小屋の壁にぶつかった。
「うぎぃ、てててて。……もう、何だよ今の」
ボクは頭を擦りながら、フラフラと立ち上がった。
小屋の反対側には、例の小娘がポシェットを抱え込んだまま、こちらを睨んでいた。
「ううー。オレ、オマエのことタスけたのに。オマエ、ヤなやつだな」
彼女はそう言いながら、支那人特有の嫌そうな顔をしていた。
「くっそぉ、何なんだよ、今の。突風? 風か?」
ボクは、未だフラフラしていたが、何とか気を取り戻すと、小屋の真ん中まで戻った。
「MDGは、アツいクウキとツメたいクウキにわけるだけない。クウキのウゴくホウコウをカえられる」
そう言う似非魔法道士は、涙目になっていた。
(空気の方向を変える……って? そうか、無秩序に運動する空気の分子の内、一方向に向かうものだけを選択して集めたのか。確かに『マクスウェルの悪魔』のやりそうな事だな)
思いも寄らない反撃に、ボクは却って冷静に戻りつつあった。
マクスウェルの悪魔は、「分子運動を観測して特別な運動をする分子だけを分別する事が出来る」とされている。
温度の違う空気に分ける時には、高速で運動する分子だけを集め、低速の分子と選り分ける。温度とは分子運動の激しさの指標と考えられるから、高速運動する分子の塊は高温になる、っていう事だ。
今回の突風は、無秩序に運動する空気分子の内、ボクの方向に向かう分子だけを選り分けたのだろう。
一応は理屈が通っているな。一応はだが。
(いーや! 違うだろ。コレが魔法ってやつなのか? 魔法って、ファンタジックなものだろう。もっとキラキラしてるんじゃないのか! 呪文を唱えながら杖を振ると、よく分からんが不思議な現象が起きるんじゃないのか。科学で説明できる魔法って、どうなんだよ!?)
「だぁーかぁらぁ、それが間違っているって言うんだろうが。魔法って言ったらファンタジーの世界の話だろう。お前、魔法道士だったら、呪文を唱えるとかしろよ。全然、ファンタジーっぽくないぞ。分かってるのかよ、おい」
ボクは、どうしても納得が出来なくって、娘々に怒鳴った。
彼女は耳を押えて、泣きそうな顔になっていた。
「うううー、オレ、老師にいわれたとおりに、魔法をツカっただけ。ナニもマチガてない」
(むうう。話が通じないな。まだ小さい子供だからからかな)
「娘々、お前、『ハリー・ポッター』とか読んだことあるんだろ。魔法ってのは、あんなふうに使うんだよ。思い出してみろ。MD機関とか云う怪しげな機械なんて使って無かったよな」
ボクは、強情な似非魔法少女に、再度詰め寄った。
「う、うぅー」
少女は何も言い返せないのか、ポシェットを抱きしめたまま、唸っていた。
「それより、そいつの中を見せてみろよ。どうせ、電熱器とかヒートポンプとかが入ってるんだろうが」
温める事なら、魔法なんて使わなくても、現代科学の力で実現出来る。娘々の言っていたのは、器具の制御装置に違いない。突風を起こしたのは……、まぁ、何か種が隠してあるんだろう。
「ダメ。MDGは、カッテにあけたらダメ。老師にしかあけられない。キョカなくあけたら、タイヘンなことナルヨ」
と、彼女は尚も拒んだ。
どうしたものか……。力ずくでは、さっきのように吹き飛ばされるかも知れない。こっちも、もう少し頭を使わないと……。
「ええーっと。じゃぁ、娘々。君は、さっき、ポシェットの中身について言っていたよな。なら、そいつの中身の事について、他に知ってる事があるんじゃないかい」
今度は、ボクはもう少し穏便に話し掛けた。
「う、ううー。これのナカミか? オレ、老師がアけるトキに、ミせてもらたことアル。『チップ』って云うのが、タクサン、タクサンくっついてた。……えっと、老師は、『このナカにアクマのはいったコベヤがつまっている』てイてた」
娘々は、怪しげな記憶を、たどたどしい日本語で綴った。
(ふむ。悪魔ってのは、『マクスウェルの悪魔』の事だな。それがたくさんって……、まさか『シラードのエンジン』の事か! じゃあ、ポシェットの中身って、大量のメモリーって事だよな。にわかには信じられないが……)
ボクは、彼女の喋った事について、思い当たるフシがあった。
──シラードのエンジン
それは、たくさんの分子の入った容器を考える代わりに、一個の分子だけが入った小部屋のそれぞれに担当する悪魔が存在している仮想的なエンジンの事である。 物理学者レオ・シラードは、マクスウェルのモデルをそういうふうに単純化する事で、エントロピーを考察しようとしたそうだ。
長年に渡ってマクスウェルの考えた魔物は存在し得ない事を証明しようと、科学者達は頭を悩ませていた。が、観測と思考実験の末、エントロピーについては現在では以下のように考えられている。
『悪魔が観測によって情報を得ることによってはエントロピーの増大は必要ない。エントロピーの増大は、観測を行なったときではなく、むしろ行なった観測結果を「忘れる」ときに起こる』
これを超大幅に拡大解釈すると、必要な分子の数だけの『エンジン』を用意すれば、悪魔 (達)はエントロピーの増大無しに状態変化を記憶する事が出来る! という事か。
一個分のシラードのエンジンに張り付いている悪魔は、一個の分子の状態を観測するので、情報としては一ビットに相当するんだとか。
とすると、空気の一リットルは、アボガドロ数に相当する数の分子──つまり、6.02 × 10の23乗個のエンジンに置き換えられる訳だな。
解りやすくバイトにするなら、八分の一だ。
八で割ると……、ええーっと、0.7525 × 10の23乗バイト。一ギガが、10の9乗、一テラで10の12乗だから……、約0.75 × 10の11乗テラバイトか。
と云う事は……、750億テラバイト! たったの空気一リットルで!!。
計算、間違って無いよな。
とすると、例のポシェットは、超々大容量の記憶装置って訳だ。
──科学って凄い!
(いいや! 違うだろっ。魔法だ。魔法じゃないとダメだろ。まぁ、こんな恐ろしく無茶苦茶な規模のストレージなんて、魔法でも使わなけりゃ造れないけど。……だから魔法? ええっと、でもダメだろ)
「魔法の力で科学をよいしょしてるって事なの!? その老師って、一体、何者なんだよ」
ボクは自分の計算結果に釈然とする事が出来なかった。
「老師か? 老師はイダイなオッサンだ。オレのオヤジがハタチのコロにシりあった。ダイタイ、ヒャクネンくらいマエのことだ。スゴイだろ」
娘々は、如何にも自慢げに、そう言った。
しかし、
(え? 百年くらい前……って何だよ、それ!)
「という事は……、おい、娘々。君、一体いくつ? 今年で何歳なんだよ」
「オレか? オレ、センゲツ、四十二歳のタンジョウビ、イワった。けーき、ウマカッタよ。また、クッてみたい」
彼女はそう言うと、ジュルッと唾を飲み込んだ。
「はぁ……。四十二って、何それ。ボクより二回りくらい年上じゃん。どこが魔法少女だよ。このイカサマ似非魔法使いめ」
ボクは、眼に写る姿と、今知った事実のギャップに目眩がした。
「どうだ。オドロいたか。オレ、スゴイだろ」
(ああ、凄いよ。別の意味でな)
今度はボクが渋い顔になった。
こんなのと付き合ってられるか。
ボクは、娘々を無視して、掘っ立て小屋の出口と思しき引戸に向かって歩き出した。
「あっ、オマエ、もうカエるのか。グアイ、ナオってよかったな」
背中から少女──じゃなくって、インチキ魔法道士の声が聞こえた。
ボクは振り返らずに、こう応えた。
「具合なんて治って無いよ。頭が痛くて熱が出そうだから、家に帰って風邪薬飲んで寝る!」
かなり強い声だったろう。それくらい、ボクは、コイツの事で頭に来ていた。
「ネツか。ネツ、あるなら、コオリ、ダそか。オレ、魔法道士。魔法で、コオリ、ダせるぞ」
これを聞いて、ボクの怒りは再びメラメラと燃え上がり始めた。
「氷なら、天井にいっぱい生えてるよ。これ以上、変な事するの、止めてよね。温めるとか、氷を作るとか、突風を吹かせる……と……か……」
そこまで言って、ボクはある事に気が付いた。
「お、おい、娘々。君、何処から来た。どうやって、この日本までやって来た?」
普通は、『飛行機で来た。ここまでは電車 (もしくはバス)で来た』ってな具合に、交通手段を応えるだろう。
しかし、娘々は違った。
「オレか? オレ、ソラからやってキた。MDGでオこしたカゼにノってやってキた。スゴイだろ。へへ」
突風に乗って来たってぇぇぇぇぇぇぇぇ。
ボクは、彼女の言うところの『カゼ』について、心当たりがあった。いや、ありまくりだ。
「えっと、娘々さん。今、風に乗ってやって来たと、おっしゃいましたかぁ」
ボクは、彼女の方を振り向くと、振るえる声でそう質問した。
その答えは……。
「そうだぞ。オレ、魔法、ツカえる。カゼにノるのカンタン。ベンリ」
間違いなく、そう聞こえた。
「娘々さん。もしかして、降りる時に、男の人が歩いていませんでしたかぁー」
そう言うボクの問にも、彼女は悪びれもせず、こう応えた。
「うーん、そうだな……。おう、いた、いた。チョウド、オレがおりようとしたところに、オマエくらいのニンゲンがアルいていたぞ」
はっはぁ。そうですかぁ。
「で、その人は、どうなりましたかぁー」
落ち着け。落ち着けボク。最後の言葉を聞くまでは、我慢だ。
「はぁ。どーなたかて? シらん。オレが、おりたトキには、いなかったぞ。どっかにトんてったのかなぁ。あっはははははぁ」
<ブチィー>
これは、ボクの頭の中の神経がブチ切れた音だ。
「その男の人ってのが、ボクだよ。つまり、ボクが海に落ちたのって君のせいだったのか!」
生命の恩人から一転して、殺人未遂犯と断定された魔法道士を、ボクは睨みつけた。
「あれぇー。オレ、ナンかワルいこと、したか?」
自分のした事に未だ気がついていないのか、このアホ女は、首を傾げて不思議そうにボクを見返していた。
「悪い事ぉ。したに決まってるだろう。君がボクを海で溺れさせたんだよ。さっきまで生命の恩人だと思って加減してきたけれど、もう勘弁ならん」
そう言うか言わないうちに、ボクは娘々に襲いかかった。
後ろに回り込むと、頭をヘッドロックにキメる。
「うっきー。住手、住手。救命啊!」
っふふふ。助けを乞うているようだな。効いてる効いてる。
「このヤロウ、思い知るがいい!」
「ジュ、救命啊。タ ス ケ テ ク ダ サ イ。ヘルプ、ヘルプ・ミー」
「思い知れ、このインチキ魔法少女めが」
こうして、ボクと娘々はしばらくの間、虚しい戦いを繰り広げていたのだ。