おネムにはまだ早い
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「ありがとう、ごちそうさま」
「ごちそうさまなのだ」
ファミレスの出入り口近くのレジで会計をした美少女は、朝永量子──ボクのセンパイだ。そして、その脇にちゃっかりと控えて、キッズ用の飴玉までせしめているのは、大陸奥地の怪しいところからやって来たと言う、自称『魔法道士』の娘々である。コイツが肩からたすきにかけている悪魔的な意匠の黒いポシェット──これこそが『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ (MDG)』という、まさしく暗黒の魔道具だ。尤も、何が出来るかと言うとだな、風を起こしたり、物を温めたり冷やしたりと、現代社会では、扇風機やエアコンを使えば造作のないようなことなのだが。
だが、理知的で聡明なセンパイは、娘々と、この怪しいガラクタ (MDG)に興味を持ってしまった。
それは仕方がないだろう。
マクスウェルと言えば、高名な物理学者。熱力学の重要な法則や、電磁気学の基礎方程式を発見した偉大な先人達の一人である。そんな名前が冠せられ、しかも熱力学の第二法則を平気で破ってしまうような能力が有るとか無いとか……。まぁ、実際はデタラメなんだろうけれど、とにかく、そのことは、センパイの科学的思考の嗜好を絡め取ってしまったのだ。
自分だけの事ならば、『運が悪かった』で済ませられるが、センパイまで巻き込んだとなると別の話だ。何としても、この怪しい不法入国者を排除して国外追放に追い込まなければならない。
(そうだ。それこそが、ボクに課せられた使命なのだ)
「何をやっているんだ、キミは。さっさと行くぞ」
「あっ、スイマセン、センパイ」
ボクが、聖騎士気取りで悦に浸っているところを見られてしまった。恥ずかしい。変に思われなかっただろうか。
「何やてるカ。ささと、行くよろし」
ちきしょう、娘々め。四十過ぎのオバハンの癖に、見かけがチビッコそのものだから、それを良いことにセンパイに取り入りやがって。この事も、ボクがコイツを気に入らない理由の一つだった。
「いっぱい食べられたかい?」
そんな事を知らないセンパイは、聖女のような笑顔で、傍らのクソガキに話しかけていた。
「おう。お腹、パンパンだぞ。うまかた。オマエ、いいヤツだな」
うっ、ちきしょう。センパイに向かって、そんな親しそうに。マジで許さん。
「では、夕食も済んだことだし。センパイ、そろそろコイツを然るべきところに引き渡しに行きますね」
彼女達に追いついたボクは、そう言って娘々の方をジロリと睨みつけてやった。
「う、うぉ。お、オマエ、可愛そうなオレを、悪辣な官憲に売り渡すつもりカ。非道なヤツめ」
自称魔法道士様は、そう言って、センパイの後ろに隠れるように、ボクの視線から逃れようとしていた。
「な、なんてこと言うんだ。ボクは、この国の法律に則って、正当な理由で、オマエを保護したんだ。そして、キチンと手続きを踏んで、警察を通じて、税関もしくは大使館に送ってもらう依頼をしてやろうとまで考えているんだ。感謝してもらいたいくらいだね」
ボクは、そうがなり立てると、「フンッ」と鼻を鳴らした。
「まぁまぁ、キミもそんなに急かさないで。ワタシも、この娘は、いずれ確かなところに引き取ってもらわないといけないとは思っている。しかし、日本に来た最初の日に一人ぼっちになって、その夜に強制送還というのは可愛そうじゃないか。せめて、一晩くらい、ゆっくりさせてあげようよ」
「え? ええーっ!」
ボクは、センパイの言葉に耳を疑った。
「コイツの事を、明日にまで持ち越そうと言うのですか! それこそ、言語道断。寝首をかかれますよ」
これ以上、娘々に関わったら、どんな物理的・精神的な被害を被るか分かったもんじゃない。現に、ボクは海で溺れかけたし、散々嫌な目に遭ってきたのだ。もう、我慢の限界だ。
そんなボクの勢いに気圧されたのか、次のセンパイの言葉は、やや遠慮しがちであった。
「キミはそう言うが……。でも、こんな小さい子、可愛そうじゃないか。ワタシ達で何か出来ることがあるのなら、「してあげたいな」と思ったのだが……」
目を伏せながら話す彼女の態度は、これまでとは少し違っていて、ボクの心臓を<ドキン>と鳴らせた。
いやいや、だが、ここは心を鬼にしなければならない。センパイに何かあってからでは遅いのだ。
「センパイ。娘々の事を考えればこそ、ちゃんとしたところで保護してもらおうと、ボクは言っているんです。そもそも、センパイもボクも、娘々には手厚い施しをしたじゃないですか。もう充分ですよ」
ボクの言葉に、間違っている事はあるだろうか? いや無い。これ以上の迷惑は、勘弁して欲しい。
「そうは言うけれど。……この子の魔法道具の力を目の当たりにすると、どうしても、その秘密を解明したくてな。もうちょっとだけ、勘弁出来ないだろうか」
彼女は、そう言って、上目遣いでボクの顔を見つめた。
(ううぅ、なんて可愛いんだ。凄い攻撃だ。でも、耐えねば。これはセンパイの為なんだ)
心が動きかけたものの、ギリギリで踏ん張る。
「……だめ……かな」
(来たか、女の子の最終兵器)
そんな顔でこんな事を言われたら、ボクが拒否できる筈が無いじゃないか。
「……うう。し、仕方がないですね。も、もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、ですよ。分かりましたか、センパイ」
ボクは顔を横に向けながら、それだけを言うのがやっとのこさだった。きっと、耳まで紅潮しているに違いない。何て心が弱いんだ、ボク。
しかし、許可が得られたことで、彼女の顔は、パァと明るくなった。にこやかなセンパイも可愛らしい。この笑顔を守るためだったら、ボクは何でもするだろう。
「そうかっ、ありがとう。キミ、娘々。もう少し、一緒にいてもいいんだよ。じゃあ、早速、買い物に行こう」
センパイの決断は素早かった。
「か、買い物って、何処へ?」
その真意を測りかねたボクは、そう訊き返した。
「勿論、近所のスーパーマーケットだよ。明日の朝食の材料を買っておかなくてはな」
(へ? 朝食? と、言うことは……まさか!)
ボクの脳裏を、嫌な予感が過ぎった。
「朝食! 朝ごはんだな。美味いのか?」
またも喰物に釣られたクソチビは、飛び上がるようにしていた。
「そうだよ。明日の朝まで、ワタシの部屋に泊まるといい。さあて、何にしようか? パンかな。それとも、ご飯とお味噌汁にしようか?」
「ううぅ、どっちも美味そうだ。え、選べない。コマタ。オレ、どしたら良い」
選択不可能な選択肢を提案されて、似非魔法使いは、心底困っているようだった。
「ちょ、ちょっと、センパイ! 朝食とか泊めるとか。こんなヤツに、そこまでの施しなんて。部屋になんか上げたら、乗っ取られかねませんよ。コイツは危険なんです。娘々は、ボクが何とかします」
センパイを危険な目に遭わせる訳にはいかない。自分の部屋に泊めるのは、心の底から嫌だったが、ココはセンパイの為だ。ボクが頑張らなくては。
しかし、そんなボクの頑張りに応じたのは、汚いようなものでも見るような彼女の視線だった。
「泊める? キミのところに、だって。娘々は、幼いとはいえ女の子なんだぞ。男性のところになんか、泊められるはずかないじゃないか。それとも、……キミは幼い少女が好きなのか? まさかとは思うが……」
「ち、ち、ち、違います! 違いますよ。そんなこと、ある訳無いでしょう」
センパイの疑問を否定する為に、ボクは即答した。だが、彼女の疑問は、完全には払拭されなかったようだ。
「本当かな。以前から、キミにはそういう懸念を感じていたが……。まさか、本当にそうだったとは」
ボクから視線を逸して、少しだけ俯き加減な表情からは、ボクのロリコン認定を確信した様子が伺われた。これはマズイ。
「違います。誤解です! ボクが、センパイ以外の異性にトキメクことなんて、ある筈がないです。信じて下さい、センパイ」
声を大にして訴えると、目の前の美少女は、少し驚いたようにして、ボクの方を振り返った。
「え? ぇ、え。……そ、そうなのか? ……ええーっと、そう、なんだ……」
(あれ? この反応は。どうしたんだろう)
センパイのキョドった様子に驚いたものの、ボクのロリコン疑惑は、なんとかはれたようだ。しかし、次の瞬間には、彼女はいつのも表情に戻っていた。「ゴホン」と咳払いをした後、
「キミの性癖は別として、とにかく、この子をキミのところに泊まらす訳にはいかない。今夜は、ワタシの部屋に泊める。これは、決定事項だ。いいな」
と、断じてしまったのだ。ここまで頭ごなしに言われては、こちらは言うことを聞くしかない。センパイとボクの力関係とは、そう言うものだから。
「うぐぅ~。仕方ありませんね。でも、今夜だけですよ。明日になったら、娘々を交番に連れていきますよ。ボクも、これだけは絶対に譲れません」
この最後の一線だけは、なんとしても守り通さねばならない。ボクの決意を汲み取ってくれたのか、彼女は、
「ふむん。まぁ、それは仕方がないだろうね。どちらにしても、この子は、然るべきところに送り届ける必要がある。……さて、お許しも出たようだし、行こうか娘々」
と、ボクに同意してから、傍らのちびっ子に話しかけた。
「おう、朝飯を買いに行くのだな。いいぞ。オマエ、やっぱり良いヤツだな」
この偽魔法少女は、これまでのボク達の会話をちゃんと聞いていたのかどうなのか、あっけらかんな顔をして、即答しやがった。
「こらこら、こっちのお兄さんにも、お礼を言いなさい。キミに付き合ってくれたり、アイスをご馳走になったんだろ。今だって、ワタシが、朝までキミを預かることを許可してくれたんだからな」
センパイにこう言われて、
「そ、そうか。オマエも良いヤツ。アイス、美味かったぞ。明日も喰おうな」
という風に、取り敢えずの礼は言った。しかし、ちゃっかりしたもんだ。ボクは、次の日も、このウザったい自称魔法道士にアイスを奢ることになっているらしい。
「これで、キミも納得できたかな。では、遅くならないうちに、買い出しだ」
センパイは、そう言って、先に立って歩き出した。
「おう、行こういこう。オマエ、遅いぞ。置いて行くゾ」
一言余計なんだよ、コイツは。ボクは納得しきれないものの、二人の後に着いて行った。
その後は、特筆すべきことはない。
いや、あったにはあったんだが、思い出すのも嫌になるほどのウザったい出来事が続いただけだ。ただ、それだけ。そして、ボクは、どんどん心が荒んで、他人を信用できなくなっていた。
(どうして、皆は娘々の外見に騙されるんだ。試食とか、オマケとか、こんなクソ野郎にくれてやらなくてもいいものを)
結局の所、ボクは、スーパーからセンパイの借りているアパートのドアの前まで、荷物持ちとして扱われた。
「済まなかったね、キミ。荷物を持ってもらって助かったよ」
「では、生鮮食品は冷蔵庫に入れておきますね」
さり気なく言って、娘々に着いて部屋のドアを潜ろうとすると、
「いや、ここまででいい。ご苦労さん。帰っていいぞ」
の返答。
「いえ、それぐらいやらせて下さい。ボクも、センパイにご馳走になりましたから」
何とか核心に触れないように、飽くまでもさり気なく。
「いやいや。こんな時間に男性を部屋に入れられるほど、ワタシは異性に慣れていない。それにキミ、ワタシの部屋に入ったことなんて、一回も無いだろう。冷蔵庫の位置や中身なんてプライベートなことは、教えられる訳がない。悪いが、今晩はここまでだ。この子は、ワタシに任せ給え」
うぐぅ。ボクの下心は、既にお見通しだったようだ。しかも、反論の余地もなく、サラリと断られた。これでは、ボクは引き下がるしかない。
「わ、分かりました。でも、くれぐれも気をつけてくださいね。特に、アレは絶対に使わせちゃダメ! ですよ」
「分かっているさ。じゃ、オヤスミ。今日はご苦労だったね。キミも、今晩はゆっくりと身体を休めるといい」
「はい、分かりました。お休みなさい、センパイ」
このやり取りを最後に、知性溢れる美少女の姿は、ドアに遮られてボクの視界から消えた。
この後、ボクは、センパイのアパートから少し離れた路上から、部屋の明かりが消えるまで見守っていた。三時間も。一体、何やってるんだよ! 絶対に、明日、聞き出してやるからな。見てろよ、娘々。