腹いっぱいになぁーれ
「はんばぁーぐっ、はんばぁーぐっ。おいしぃ、おいしぃ、はんばぁーぐっ」
ボクは、目の前で嬉しそうにスキップをしている小学生くらいの女の子の後に着いて歩いていた。ワンピースにお下げ髪の姿は、誰が見ても、その辺のガキンチョだ。
だが、惑わされてはいけない。ソイツの名は娘々。大陸の奥地──崑崙から疾風を巻き起こしてやって来た、自称、魔法道士だ。
コヤツは、腰に下げている悪魔的な意匠の黒いポシェット──マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ (MDG)を用いて、風を起こしたり、熱気や冷気を発生させることが出来る。と、吹聴してはばからない。しかも、それを『魔法』だと主張している。
ボクは、コイツのお陰で、海で溺れかけたり、氷柱で串刺しにされそうになったりと、散々な目に遇ってきた。なんとかして化けの皮を剥がそうと画策しているのだが、思ったように行っていないのが現状だ。
そして、その憎っくきクソ野郎と仲良く手をつないで歩いている美少女が、朝永量子──ボクの通っている大学の先輩である。サイエンスを志して渡米し、飛び級を重ねた末、交換留学制度で日本に帰って来た才女である。その女子高生のような幼い容貌と等しく、実年齢はボクよりも歳下だ。しかし、先のような事情の為、学年順ということで、ボクは後輩扱いされている。そして、常日頃から『科学とは何たるか』を、彼女から叩き込まれて来ていた。その量子センパイが、何を間違ったか、怪しい魔法使いに興味を惹かれてしまったのだ。
その挙げ句、娘々を庇い立てし、あろうことか「夕食を奢ってやろう」などと言い出す始末。喰い意地の張ったチビ助と、センパイの好奇心は、到底等価とは思えない。ボクは、どうにかしてセンパイを説得しようとしたが、成功には至っていない。そりゃ無理だろう。論理でボクがセンパイに勝とうなんて事は、元来不可能なんだから。
「おい、ハンバーグは、未だ喰えないのか?」
娘々が振り返って、ボクに尋ねた。
「もう少し先だ。我慢して歩け」
にべもなく応えたボクに、尚も、
「ええー。オレ、早く喰いたぁい。なぁ、ハンバーグぅ」
と言って、聞き分けがない。
「そうか。そんなに食べたいのか。なら、今のうちにしっかり歩いて、腹を空かせておかないとな。でないと、美味しい美味しいハンバーグをたっぷり食べられないぞ。娘々、オマエだって、そんなのは嫌だろう」
ボクは、咄嗟に考えついた屁理屈で、このチビ助を黙らせようとした。
「おう、そうだな。オレ、たっぷり喰う。その為に、いっぱい歩く。わかた、歩くゾ」
(おっ、やけに素直だな。やはり、野蛮人は喰い物の事しか頭にないのだな)
煩いチビッコを黙らす事が出来て、ボクとしては良い気分だった。
「そうだな。もうすぐだよ。いっぱい食べればいい。だがな、娘々。栄養のことも考えて、バランス良く、サラダや果物も食べなきゃいけないぞ」
センパイは、優しい声で、そう付け加えた。目的のファミレスのメニューには、『サラダとカレーが食べ放題&ドリンクバー付きセット』なるものがあったからだ。
(ふんっ、娘々め。死ぬほど喰って、胃袋を破裂させればいいのだ。そして、文字通り死んでしまえ)
ボクがこんなに娘々を嫌っているのは、殺されかかったからだけではない。ボクの憧れの量子センパイと、必要以上に仲良くなっているからだ。本当なら、センパイと二人っきりのディナーだったはずなのに……。
(チキショウめ。きっと、オマエのインチキを見破ってやるぞ。そして、密入国者は、祖国に強制送還だ。その為には、どうすればいいのだろう? それが、問題だ)
「どうした? 置いて行くぞ」
気がつくと、センパイ達はかなり先にいた。彼女は振り向いて、遅れていたボクを待ってくれていたのだ。まだ明るい夏の夕空に、センパイの立ち姿が映えていた。大学内ではいつも羽織っている白衣を着ていないので、本当に年頃の女子高生に見える。彼女に見惚れて棒立ちになっているボクに、再度、声がかけられた。
「何をやってる、キミ。早く来たまえ」
はっ、と気がついて、ボクはセンパイ達に駆け寄った。
「スイマセン」
追いついたボクは、そう言って彼女と並んだ。
「いやぁ、センパイの普段着姿があまりに似合っていたものですから、見惚れてしまいました。アハハハ」
ボクは、わざと冗談めかして、普段は言えないことをこの場で言っておいた。はぁ、ボクってチキンだよなぁ。
「…………」
あれ? いつものセンパイなら、厳しい『教育的指導』が入るところなのに。何もないなんて……。
彼女の立っている方向へ目を向けると、ボクから目をそらしているセンパイの顔が視界に入った。夕焼けが照らしているからだろう、センパイの頬が赤みをかっているように見えた。
「そ、そんなお世辞に、ワタシが惑わされるとでも思ったのか。白衣を置いてくるのは、当然ではないか。そもそも白衣とは、実験着や保護着であって、普段着ではないのだ。実験中に、化学物質や微生物などの危険物から身体を保護するためのものだ。当然、そんな物を着たまま飲食店に入るなど、言語道断・以っての外。様々な化学薬品が付着していて、汚れているのだからな」
言葉の内容は、いつも通りの教育的指導で、辛辣なものだった。しかし、それを口にしている美少女は、未だボクと眼を合わそうとはしてくれなかった。もしかしたら、赤く見えたのは、夕陽の所為ではなかったのかも……。
(え? えぇ。センパイ、もしかして、照れているのか。……も、もしかしたら、ボクにも可能性が残っているのかも)
そう思えただけで、ボクは浮ついてしまった。まさか、「鼻の下が伸びている」なんてことはないだろうな。ここで、キッチリ決めておけば、センパイへ好印象を与えるに違いない。
「行きましょう、センパイ。ボクも、お腹が減っちゃいました」
そう言って、ボクはさり気なくセンパイの手を取ると、先の方に見えかけているファミレスの看板を目指した。
「あっ、おい、キミ……」
センパイは言いかけておいて、その先は言わなかった。握った手を通して、センパイの体温と鼓動が伝わってくるような気がした。
そして今、ボク達は、目的のファミレスの入り口に立っていた。
「やったぁ、ここだ! ここだよな。なっ、ハンバーグっ」
腹ペコ小僧が、うざったく話しかけてくる。
「そうだよっ。ココが目的地だ。さあ、入るぞ娘々」
ボクの言葉が終わるやいなや、自動ドアがスライドして開いた。冷房の効いた店内の空気が流れてきて、汗の滲んだ肌に安らぎを与えてくれる。
「さぁ、入るぞ、キミ達」
もう既に店内に入っているセンパイが、ボク等を呼んていた。
「あ、はい。娘々、オマエも来い」
「おーっす」
それで、ボク達三人は店内の受付に向かった。
「大人二人、小学生一人で」
センパイは、迎えに出たバイトらしき店員に、そう告げた。
分かっちゃいるが、何か悪いことをしている気分に、ボクはなっていた。だって、こんななりをしているが、娘々は、四十過ぎのオバサンである。尤も、見かけと同様に、頭の中身も小学生並みには違いないんだが。
(まぁ、いいかぁ。今日はセンパイの奢りなんだ。安くなるんだったら、その方が良いかぁ)
ボクはそう思い直すと、案内に従って奥の窓際の席に向かった。
「オレ、ここが良い」
ちびっこ魔法使いは、我先にとテーブルに向かうと、二人がけの椅子のど真ん中にドッカと飛び込みやがった。
(無遠慮なヤツだな。喰わせてもらう側なんだから、端っこに座るとか、少しは遠慮しろよ)
そう思うと、ボクの表情は厳しくなった。
しかし……。
「こ、これでは、し、仕方がないな。ふむ。キミは、ワタシとこちら側だな」
少しはにかんだようなセンパイの声がした。
(あっ、そうか! コイツのお陰で、ボクとセンパイは隣通しの席になるのか。偉い。よくやったぞ、娘々)
天から降って湧いたかのようなラッキーに、ボクの心は舞い上がりそうになった。しかし、ココは紳士的に行動するんだ。あくまで慎重に、エレガントに。
「では、センパイ。お隣に失礼します」
ボクは柔らかい声でそう言うと、椅子にスッと座った。隣のセンパイが、頬を染めているように見えるのは、気の所為かも知れない。でも、ボクにとっては、とても嬉しいことなのだ。
(今日は、朝っぱらから災難続きだったが、最後の最後にきて、幸運が舞い込んでくるのかも知れないぞ。今度こそ、失敗しないようにしよう。そう、慎重に、だ)
そう心で決めたものの、ボクは心臓の鼓動を抑えきれないでいた。「何か言わなけりゃ」と思った時、
「失礼します」
の言葉と共に、お冷とおしぼりが目の前に置かれた。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼び下さい」
店員は、そう言って立ち去ろうとした。それを呼び止めたのは、鈴のなるような可愛らしい声だった。
「もう決めてあるんだ。特性ハンバーグをセットで三人分、お願いする」
センパイは、きっぱりとそう言った。
「セットには、サラダバー、ドリンクバー、カレーの食べ放題が付いていますが、いかがいたしましょう」
マニュアルに従って、セット内容が確認される。
「全部お願いする」
平然と言ってのけるセンパイに、
「かしこまりました。そちらのお嬢様は、お子様ドリンクバーとお子様カレーセットでよろしいですね。ハンバーグも、お子様ハンバーグでよろしいですか?」
フムン、お子様セットか。子供は食が細いと決め込んでの低価格構成だな。
「なぁ、お子様ハンバーグだと、どうなるんだ?」
「はい。大きさが半分ほどになります」
ニッコリと営業スマイルが返ってくる。
「えー、半分なんて、ヤダよう。オレ、いっぱいいっぱい喰うんだ。オレ、お子様じゃないよう」
そのなりで、大人用の量のハンバーグを喰うつもりか。食い意地の張ったヤツめ。オレは、ギッと娘々を睨みつけた。
「ああ、いいんだよ、この子は。ハンバーグは同じものを三人分。ドリンクバーとカレーは、お子様セットで」
こんな時でも、センパイは冷静だ。エレガントに、店員に告げる。
「かしこまりました。特性ハンバーグのセットが三人分。サラダバーとカレーの食べ放題セットがお二人分。お子様カレーセットとお子様ドリンクバーがお一つ。以上ですね。お子様のセットでも、カレーとサラダ、ドリンクは食べ放題です。コップや取り皿は、バー近くに備え付けのものをお使い下さい。それでは失礼します」
うん、完璧だな。これで、このクソガキを黙らせられる。
「なぁ、オレのハンバーグ、ちっちゃいのじゃないよな」
目の前の娘々が、少し不安そうに尋ねてきた。
「大丈夫だよ。ワタシ達のものと同じ大きさだ。それに、カレーもドリンクも、食べ放題、飲み放題だ。安心しろ」
センパイは、テーブルに両肘を置いた上に、顎を乗せていた。こんなボク達は、周りからどう見られているんだろう。
子供を連れた若夫婦?
いや、若すぎるだろう。
親戚の子守を任されたお姉ちゃん達?
それでもいいのだが、センパイとボクが姉弟と思われるのは、ちょっと残念だ。
せめて、彼女の姪っ子さんの面倒を一緒にみている彼氏……。
これがベストなんだが。
(理想は遠いな)
淡い憂いを抱くボクに、センパイが声を掛けた。
「では、ワタシはこの子と、ドリンクバーに行く。少しの間、荷物番を頼まれてくれないだろうか」
握った拳の上から、一度だけ、横目でボクを見たあと、彼女の目は微妙に泳いでいた。
その辺のファミレスとはいえ、ガキンチョのお邪魔虫がいるとはいえ、カップルで夕食を摂りに来ているのだ。彼女の心中は、果たして同い年の女子高生と等しいのだろうか。イッツァ・プロブレム。
「あっ、構いませんよ。娘々、ハンバーグも来るんだからな。喰い意地を張って、カレーの山盛りなんて取ってくるなよ」
コイツのやりそうなことだ。ボクは、先手を取って注意喚起をした。
「ダイジョブ。オレ、いっぱい喰える。腹、ペチャンコ。オマエこそ、届いたハンバーグを横取りすんじゃないゾ」
「するか! んなこと。もう、コイツは……」
「ハッハハ、大丈夫だ。先に食べられたりはしないよ。な、キミ」
そう言いながら、彼女はボクの隣で立ち上がった。
「むぅ」
肩を持たれていい顔のできないボクをよそに、彼女は娘々を誘った。
「でも、その通りなんだよ、娘々。最初は、程々にな。一緒に行こう。飲み物は、何がいい?」
センパイの優しい声掛けに、
「オレンジ! オレンジジュースがいい。カレーは山盛り」
と答えるチビ魔法使いは、懲りてはいなかった。
「カレーは、オカワリが出来るんだ。普通盛りでいいぞ。じゃ、行こうか」
「おう」
威勢よく答えて、美少女とクソガキは、連れ立ってドリンクバーの方へ歩いて行った。
ボクの傍らには、センパイのポーチ。正面には、何も無い。さすがに、MDGは置いて行かないか。
悪魔の道具をどうにかしたかったが、今回もチャンスは訪れなかった。まぁいい。どうせ、今夜には強制送還だ。せいぜい、カレーとハンバーグを楽しみやがれ。
ということで、ボク達はあとになって運ばれてきたハンバーグに舌鼓を打つことになった。
案の定、娘々は、オレンジジュースと大盛りのカレーを取ってきていた。一方のセンパイは、ジャスミンティーとレタスとトマトのサラダを選んでいた。無駄に歳を重ねても、この有様だ。ボクの思った通り、カレーとハンバーグの間で、ヤツは立ち往生していた。
「どっちも喰いたい。でも、早く食べたい。おかわりもしたい。喰いたい!」
「娘々、うるさいぞ。落ち着いて食事も出来ないのか。どっちからでもいいから、さっさと喰えよ」
「わかてるゾ、そんなの。よし、まずはハンバーグだ。……ヒィ、アチチチ」
「熱いうちのが美味いんだ。もっと行儀よくしろ」
「うるさいぞ、オマエ。……よし、こうなたら、エイ」
(え? まさか、ここで使うのか)
たかがハンバーグに、コイツは怪しげな魔法道具を使うというのか。目の前のチビ助は、悪魔的意匠の黒いポシェットを手に取った。
「止めておきなさい。折角の熱々のハンバーグなんだよ。そんなものを使って冷やさなくっても、ほら、こうやって小さく切り分けるといい。美味しく食べられるよ」
「そ、そカ?」
なんでセンパイの言うことには、素直に従うんだよ。ムカつくボクの目の前で、ヤツは、オッカナビックリとナイフとフォークを使って、程よく焼けたハンバーグを切り分けていた。
「うん、美味ひ。ニヒヒヒ」
なんだか気分を害されたような気になったが、ボクもハンバーグにナイフを入れた。
(うむ、美味い。このライスも、よく合っている)
ボクは、皿に取ってきたライスと交互に、肉の旨味を味わっていた。センパイも同様にしている。
「オマエら、カレーはいのか? これもウマイぞ」
分かっとらんな。カレーの味で、折角のハンバーグの味が分からなくなっちまうぞ。
「そうだね。ワタシは、まずは、ハンバーグを味わいたかったからね。人は好き好きだ。好みで食べ分ければいいさ」
そう言って、ジャスミンティーを一口含んだセンパイの対応は見事だった。変に角を立てることもなくやり過ごす。大人の女性とは、こういうものなんだぞ、娘々。
まぁ、いいか。食事くらい、気分良く済ませたいものだ。折角のセンパイとのディナーなんだからな。
ボクは、ムナクソ悪いガキの明日の不幸を想像して、静かにほくそ笑んでいた。




