ハンバーグにはまだ早い
「よしっ、そこだ。kキーを連打だ!」
「うおっしゃー、やってやるアル」
ボクのネチッコイ視線をよそに、涼しい風がそよそよと通り過ぎる木陰で、JKと思しき白衣の美少女とJSっぽいおさげの女の子が、スマホの液晶画面に一喜一憂している。ワンピースの小学生は、黒いコントローラ──無線接続のキーボードだが──を手に、興奮した様子でキーを叩いている。
傍目にはそう見えるに違いない。
ボク以外の人にはね。
だから、質が悪い。
二人の正体はというと、白衣の美少女は女子高生ではなく、朝永量子──ボクの通っている大学の三年生で、研究室の先輩だ。
小学生の方は、もっと悪質だ。見かけはその辺のガキンチョだが、実は四十過ぎの得体の知れないオバハンだ。コイツは大陸の奥地の怪しいところから、『魔法』と主張する正体不明の術を使って空を飛び、あろうことかこの日本国に密入国して来やがったのだ。
コイツは、自分のことを『魔法道士の娘々』だと曰っておられる。しかも、如何にも怪しさ満載の魔法道具──マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ (MD機関)を所持していた。見かけは悪魔的意匠の黒いポシェットだが、熱力学の第二法則を捻じ曲げて科学的には起こり得ないような事象を引き起こした危ないアイテムだ。
MD機関のお陰で、ボクは突風に巻き込まれて海に放り込まれたり、熱気で火傷しそうになったり、氷柱で串刺しにされそうになったり……。
もう、踏んだり蹴ったりのヒドイメに遭わされてきたのだ。
そんな娘々のどこが気に入ったのか、サイエンスの学究の徒である筈の朝永センパイは、「面白そうだ」と云うただそれだけの理由で、このクソ忌々しい密入国者に付き合っているのだ。
センパイにほのかな想いを抱いているボクとしては、いい気持ちである筈がない。
先程も述べたが、今二人はゲームに熱中している。
ええーっと……、なんでも、ねっと……はっかー? いや、ハカーだったかな? とにかく、そういう名称の、ボクの知らない怪しげなRPGをプレイしている最中だ。
スマホの液晶画面では、"@"の文字が"i"の文字と戦っているらしい。
確か……"@"の方がプレイヤーだったっけ。ということは、"i"が敵なんだな、きっと。全然そうは見えないけれど。
「さっき拾った短剣を使おう。wだ。wキーを押すんだ」
「分かったアル」
良くは知らないが、wキーで武器を手にすることができるらしい。とはいうものの、画面の"@"には、全然全く変化がない。二次元でも、せめてドット絵なら、それなりに遊べるだろうに。アルファベットのキャラクターが動き回るだけの画面を眺めて、どこが楽しいんだ? 皆目分からん。
「怪物は下に動いたぞ。jだよ。jキーで攻撃だ」
センパイが興奮してそう叫ぶと、プレイしている娘々は、
「よっしゃー、アタタタター」
と、奇声をあげてキーボードを連打していた。
(そんなんで倒せるのかよ。下向きなら、素直に↓キーにすればいいのに。何でjキーなんだ? さっぱり分からん)
「よしっ、やったぞ。インプをやっつけたぞ」
センパイの云うところによると、さっきの"i"はインプと云うモンスターだったようだ。しかし、やっつけたとは言っても、画面上では"i"の文字が"%"に変わっただけにしか見えないのだが……。
重ねて言うが、これって、本当に面白いのか?
「どする? 死体を拾って食べるアルか?」
キーボードを持ったおさげのインチキ小学生が、物騒なことを言っている。
「今はやめておこう。インプの殺したての死体は食べられないこともないが、お腹を壊す恐れがある。最悪、動けなくなったら、別のモンスターに襲われてゲーム・オーバーになることもあるからな。持って行くにも荷物になるし……。ソイツは、犬にくれてやろう」
(化け物の死体を食べようなんて正気か? 気持ち悪いだろう。そんなの犬も喰わねえよ)
ボクが心の声をあげている時、
「なら一旦拾うのだナ」
と娘々が応えると、"@"の文字が下に移動した。つまり、"%"の文字の上に"@"が重なった訳だが……。どうやら、これで落ちている”もの”を拾えるらしい。
「そうそう。それで、tキーだ。スローで犬に向かって投げるんだ」
スローって、……ああそうか、”throw”ね。一応、コマンドが英語の頭文字に対応してるんだ。分りやすいなぁ。……って、そんなんで操作できるかい! 動詞というか、動作の英単語ってどんだけ有ると思ってるんだよ。
「了解アル。tで、拾ったdead impは……」
「リストのhの行だよ」
「そうアルか。hと。で、dogがいるのは右だから……」
「そうそう、lキーだよね」
(ええっ、何でそうなるんだよ! 英語の頭文字じゃないのかよ。右ならRightのrだろうが。どうして、上に移動するkキーの隣のlキーなんだよ。理不尽だろう、それ)
ツッコミどころはいくらでもあるが、それを言ったら最後、ボクに待っているのはセンパイの冷たい視線だ。こんなくだらないことでセンパイに嫌われたくなんかはない。
ボクは、喉の奥に魚の小骨が刺さったような不快な感じに耐えながら、黙って……、そうだよ、黙ってその様子を見続けていたんだよ。
「よぉし、上手いぞ。このまま次の階に移動だ。階段の有る部屋まで移動だ」
「はいアル」
どうやら、犬──と言ってもただの”d”の文字なんだけど──は、投げ与えられたモンスターの死体を、美味しく完食したようだ。犬って、何でも食べるんだな。
ゲームの詳細は、からっきし分からないが、二人が和気藹々と楽しくゲームをしていることだけは確からしい。
(あーあ、何か二人だけで楽しそうだなー)
理解できないゲームで楽しむ彼女らを見て、ボクは改めて自分が疲れていることに気がついた。
(そーいや、昨夜は、センパイに告白することで頭が一杯で、ロクに眠れなかったんだよな。しかも、娘々のクソ野郎のおかげで、今日はずっと散々な目に遭っている。しかも、外は超暑いし。ボクの体力も、そろそろ限界かも……)
暑い日中とは言え、木陰にさえ居ればそよそよと吹く風が冷気を運んできて気持ちがいい。
ボクは、ゲームに夢中の二人を放っておいて、所々に雑草が生える地面に横になった。
途端に睡魔が襲ってくる。
センパイたちは……、未だゲームに夢中で、ボクのことなどノー眼中のようだ。
(いいなぁ、あいつ)
ボクは、初めて娘々のことが羨ましくなった。センパイとゲームを楽しむなんて、今のボクには出来ないことだ。
木陰に横になって二人をボウと眺めていた時、ボクは自分の隣に奇妙なモノが居ることに気がついた。
(何だ? コイツ)
見かけは三十センチくらいの黒い塊だ。その辺のDIYセンターに行けば、園芸コーナーにでも置いてあるような置物だと思った。
だって、その黒い体躯は小人に似て、人間のような手足を持っていた。しかも、背中にはコウモリのような一対の羽をはやしている。それでいて、頭はネズミを戯画したような邪悪なもので、突き出た鼻面と牙を持っていた。小さな手には、ご丁寧に鋭い鉤爪までついている。
よく見ると、背中側には細長い紐のようなモノが見えた。たぶん、それは尻尾であるに違いない。
一言で表現するなら、『小鬼』とでも呼べば良いのだろうか。ファンタジー映画に出てくる、小悪魔やグレムリンとでもいった存在が、最も似つかわしいだろう。
そんな非現実的なものだったから、「置物か人形なんだろう」とボクが判断したとしても仕方がない。
(誰だよ。こんな所に変な人形なんて。そもそも、今日のボクが不運にまみれているのは、何もかも魔法とか魔導とかと云った類に関わったからじゃないか。……ああ、憂鬱だ)
そう思いながら、ボクはボンヤリとその置物を眺めていた。
と、突然、有り得ないことが起こった。固定ポーズの作り物と思っていたソイツの首が、グルンとボクの方を向くと、その醜悪な口を歪ませてニヤリと笑ったのだ。
「えっ、ええ!」
ボクは、思わず声を上げると、その場から飛び上がった……つもりだった。しかし、半分寝ぼけた状態であった為だろう。横になった状態から起き上がりかけた途端、足を取られてその場に尻餅をついてしまった。
反射的に、ゲームをやっているセンパイ達の方を見る。どうも、彼女達はゲームに夢中のようで、ボクの無様な姿は目に入らなかったようだ。
ホッと一安心して、もう一度、ボクを驚かせた奇妙な黒い物体を見る。
──いる
左腕で何度も目をゴシゴシと擦ったが、ソイツは消えてくれなかった。それどころか、ヤツは、その小さく細い両腕を腰に当てると、踏ん反り返ったポーズになっていた。その邪悪に満ちた瞳で、今もボクを小馬鹿にしたように見つめている。
「おい、そこの」
突然に、そんな声が聞こえた。
「えっ?」
と思って、周囲を見渡したが、離れた場所でゲームをしているセンパイと娘々以外に人は見当たらない。恐る々々、目の前の黒いヤツに目を戻す。
「オレだよ、オレサマ。見えてるんだろ、人間の小僧」
間違いない。ボクを『小僧』と呼んだのは、作り物と思っていた小鬼だった。
「お、お前……なのか? ホンモノ?」
ボクは、頭に浮かんだ疑問を、そのまま口にしていた。
「頭が高いぞ、小僧。オレサマに敬意を払いやがれ。たかだか人間の小僧の分際で、オレサマに出会えるなんて、宝クジの特賞に当たるようなものだぞ。ギヒヒヒ」
その図体に見合った甲高い声は、それだけでボクをイライラさせた。それ以上に、ソイツが悪魔っぽい格好をしていることが、気に入らなかった。
「な、何だよ、お前。……小鬼? いや、悪魔?」
今朝から被っている不運な状況もあって、ボクはソイツの姿から『マクスウェルの悪魔』を連想した。
「ふぅーん。アクマ……か。この世界じゃ、オレサマはそう呼ばれているらしいな。そうだよ。オレサマは『悪魔』なのさ。納得したか、小僧」
小さいくせに上から目線のソイツは、醜悪な表情でボクのことを睨めつけながらそう言った。確かに言ったのだ。
「あ、悪魔だって。そんなモノがこの世に居る訳ないだろう」
と、反論したものの、眼前の黒い魔物が消えることはなかった。
「何言ってんだよ、小僧。オレサマと話せているくせに、オレサマを敬わないなんて、無礼な小僧だな」
そう言って、悪魔は背中の羽根をパタパタと震わせた。
「う、動いた。ほ、ホンモノ? ……なのか」
信じられない状況に、ボクはその場から動けなくなっていた。
「キヒヒヒヒヒ」
小さな黒い悪魔は、気味の悪い笑い声を発しながら、宙を睨んでいた。
よく見ていると、ただそこに居るだけではなく、何か作業のようなものをしているように思えた。何も見えない宙空を眺めていたと思うと、時折、何かを動かすような動作をしている。それは、いったい何を意味しているのだろう?
「お、オマエ、何やってるんだ?」
ボクは、ソイツの動作の意味を半ば知っていながらも、問わずにはいられなかった。
「なんだ、小僧。気になるのか?」
小鬼は、バカにしたような口調で返したが、ボクの方を見てはいなかった。相変わらず宙に目を向けて、何かの動きを追っているように見えた。
「知りたいなら、教えてやろう。……オレサマはなぁ、扉を開け閉めしてるんだ」
喉の奥が干からびて、もう声もうまく出せなくなったボクに、黒い悪魔は応えた。
「でもなぁ、ただの『扉』じゃねぇぜ。『空間の扉』さぁ」
またしても、小鬼は謎の言葉を発した。
「……空間の……と、扉、だって?」
ヒリヒリする喉を酷使して、ボクは尋ねた。
これがボクの声か? どうしてこんなに嗄れているんだろう。老人の声のようだ。
「そうさぁ。特別な『扉』なんだ。こうやって、空気の動きを目で追ってやってな、……おっと、コイツはコッチだな」
ボクに説明している間に、目的の何かが見つかったのだろう。ソイツは、小さな手を左右に動かして、見えない何かを操作していた。
「ほらな。分かっただろう。こうやって、予め特別な空気だけを分類しておくのさ。ヒヒヒヒ。……おっと、コイツはコッチ、と」
(分類? 何だそりゃ)
声が出にくくなっているボクは、心の中でそう思った。
「分類は分類さぁ。……分別って言い方もあるよなぁ。こうやって、予め小分けにしておくと、後が楽なんだ」
(後が楽? いったい、何の事を言ってるんだ?)
「未だ分かんねぇのかよ。物分りの良くない小僧だな。……ふむ。仕方がない。もうちょっとだけ、教えてやろう。オレサマは、飛んでいる空気の中から、熱いヤツだけを拾い出して、『扉』の奥にその欠片を仕舞い込んどくのさ。そうしておくとなぁ、命令が来た時に、すぐに対応できるからな」
(対応? 何だそれは? 何をするんだ。……そもそも命令って、誰の命令だよ)
ボクがそう思っていると、小鬼はやっとこちらを向いた。さも嫌そうな顔をしている。
「命令ってのは命令だよ。このオレサマともあろうモノが、ずっと昔にヘマこいてな。変なジジイに捕まっちまったのさ。コレさえなけりゃ、こんな哀れに使い潰されることもなかったのになぁ」
ヤツはそう言うと、片脚を持ち上げて見せた。その足首には鉄のような金属の輪っかと鎖が繋がっていた。
「おっと、また来た。……これは、こっち、っと。こうやって、暇な時間を見つけては分別作業さ。こうやっておいて、命令が来ると扉を開放するのさ。するとな……」
(すると、……どうなるんだよ。何が起こるんだ?)
ボクが疑問に思っていると、それを察してか、小鬼は言葉を続けた。
「すると、閉じ込めておいた空気の性質が、一瞬で反映するのさ。えーっと、そうだな……。例えば、熱い空気だけになるとかだ。分かるか? 小僧」
そう言ったものの、ソイツはボクの理解なんかは期待していないようだった。嫌らしい口元を歪めて、ボクを小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑っている。
(何だ? それって、……量子テレポーテーション? まさかな)
「そうだよ。それが、オレサマの仕事だ。あの爺い──確か、マクスウェルとか言ってたか。憎らしい限りだぜ」
小鬼はそう言うと、<ペッ>と、唾を地面に向けて吐いた。
その途端、強い旋風が舞うと、砂埃がボクを覆った。一瞬、目の前がボヤケて見えなくなる。
「う、うわっ」
思わず叫び声を上げたボクは、左腕で顔を守っていた。
「もうっ、何をやってるんだ、キミは」
気がつくと、心地良い少女の声がボクを呼んでいた。
「もうちょっとしたら夕方になる。そうしたら、夕ご飯だ。分かってるんだろうな」
「分かってんダロナ」
ボクの目を奪ったのは、サラサラの髪の毛を片手で掻き上げている美少女だった。後ろのクソガキは見えないことにする。
「せ、センパイ……」
何が起こっていたのだろう? 夢か? 夢でも見ていたのだろう。でなければ、あんな変なモノが現実に居る筈がない。
「どうしたんだい。折角、ワタシがハンバーグを奢ってやろうというのに。そんなやる気のない様子を見せられたら、奢りがいがないじゃないか」
「そうだ、ソウダ。ハンバーグだぞ」
う、後ろの生意気なのは置いといて、……そうだった、夕食はセンパイと一緒だった。折角の機会だ。変な夢如きで棒に振る訳にはいかない。
「そ、そうでしたね、センパイ。ボクも、夕食が楽しみです」
どもりながらも、ボクはそう応えた。
「本当かなぁ……」
少し不審げに見つめるセンパイの視線から逃げるように、ボクは立ち上がった。
(夢だったんだ。そうに違いない)
そう思い直したものの、立ち上がってみてボクは初めて気がついた。
背中が嫌な汗でベットリと濡れていることに。