NetHackって知ってる? 知らねぇよ!
「ハンバーグ、まだかぁ。早く、喰いに行こうぜぇ」
あれからまだ三十分も経っていないのに、黒い悪魔的な意匠のポシェットを胸に抱きかかえている少女が騒ぎ始めた。
いや、違うな。
こいつは、成りは一見小学校中学年くらいの女子学童に見えるが、その実、大陸の奥地の怪しい場所から『魔法』なる得体の知れないモノを使ってやって来た自称『魔法道士』だ。
見かけに反して、齢は四十を超えている。しかも、熱力学の法則に真っ向から喧嘩を売っているような、不可解な現象を引き起こすような危険な輩だ。
コイツが普通に観光などで、我が日本国にやって来たのなら仕方がない。ところが、この野郎は空港や港湾は勿論、自国の税関すら通らずに我が国にやって来た。即ち、違法な密入国者なのだ。勿論、れっきとした犯罪者である。
コイツ──娘々のせいで、ボクは海で溺れて死にそうになった。その上、いかがわしい魔法と称する術で、火傷しそうになるわ、氷柱で串刺しにされそうになるわで、踏んだり蹴ったりだったのだ。
しかし、一番の問題は、コイツの使っている『魔法道具』らしきものだ。それは、一見すると悪魔的な意匠をしただけのただの黒いポシェットに見えた。だが、その実態は『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』──娘々の言によるとだが──と言う、分子運動を選択的に選び分ける機能を持つ、文字通り悪魔の作ったような産物だ。
一体、どうやって作成したのかは分からないが、娘々はコレを使って、まさに魔法としか思えないような現象を発生させて見せた。
そんな我々のようなまっとうな科学者に楯突くような道具を見せられて無視できるほど、ボクもセンパイも無神経じゃない。想像通り、センパイは彼女の持つMD機関に興味を持ってしまった。
その上、コイツは、あろうことかボクの敬愛する朝永量子センパイに取り入って、ハンバーグを奢ってもらおうとまで企んでいるのだ。
朝永センパイとファミレスはおろか喫茶店にすら同席したことのないボクを、一足飛びに飛び越してしまうなんて、絶対に許せない。明日になったら、……いや、夕飯を喰ったら速攻で警察署に突き出してやる。
(そうだっ。強制送還だ)
本当は、こんな怪しいヤツのために貴重な血税を使うのも躊躇われるが、コイツの根性を叩き直して二度とこの国に来ようなんて思わせないためにも、法律に則ってガッチリ・キッチリとお説教をしてもらった上で、祖国に送り返す必要がある。
そのためには、ヤツの主張する『魔法』とやらのトリックを見破って、完膚なきまでに叩きのめしてやらなければならないのだが……。
「おいおい、未だ三時にもなってないよ。それに、今、ワタシ達は大事な計算の真っ最中なんだ。良い子だから、もうちょっと我慢してくれないかな」
喰い意地がはった娘々のワガママにも、朝永センパイは優しく言葉を返していた。当然ながら、下品なコイツと違って、センパイの言うことは論理的に筋が通っている。全て正しい。
「じゃぁさ、何時になったら、ハンバーグ、喰いに行ける?」
それなのに、胡散臭い魔法道士は、センパイのお優しいお言葉に盾をつきやがった。
「おい、娘々、分かってるか。オマエ、そんな偉そうなことを言ってられる立場じゃないんだぞ。本当なら即刻国外退去のところを、センパイのお慈悲で夕食が食べられるんだ。それをありがたく思うどころか、急がそうとするとは言語道断。ボクがキッチリと、そのネジ曲がった根性を叩き直してやろうか」
地面に木の枝で方程式を書いていたボクは、すっくと立ち上がると、あからさまな嫌味と威嚇を込めて、ふくれっ面をしている魔法道士に言い返してやった。
ふふふ。さすがの似非魔法使いも、スポンサー側には勝てないだろう。
案の定、
「むぅぅぅぅー」
と、不満げに頬をふくらませると、唸り声を上げた。
(クククッ。ザマァ。センパイと二人で数式を解くという、ボクの至福の時間を邪魔したからだ。しばらくそこでポツネンとしているがいい)
ボクが胸の内で勝利の余韻に酔っていた時、
「まぁまぁ、キミも、そこまで邪険にすることはあるまい。やはり、小学生に三角関数は難しかったかな。……退屈させてしまったな。すまない」
と、センパイは娘々に優しく謝ったのだ。
「センパイ、こんなヤツにそこまで優しくする必要はありませんよ。第一、コイツは小学生じゃありません。四十過ぎのオバサンです。絶対に騙されちゃいけませんよ」
ともすれば、そのインチキな見かけに引っかかって情にほだされてしまいがちなセンパイに、ボクは注意の意見具申をした。
「う〜ん。まぁ、キミはそう言うけど……。背格好から見ても、おつむの中身を鑑みても、この子は小学生としか思えないじゃないか。本当の年齢がいくつかは、ワタシは知らない。しかし、積み重ねた年月の分の知識と経験を身に着けているのならばまだしも、知能の程度までが小学生並みであるならば、こちらとしても小学生として扱うのが妥当だと思うのだがな」
くそっ。残念ながら、ボクの意見は通らなかったようだ。
「うぅぅー。仕方がないですね。そうまでセンパイが仰るなら……。おい、娘々。今回は勘弁してやる。その代わり、今度生意気な口をきいたら、ただじゃおかないからな。分かったか」
白衣の美少女に説得されてしまったボクは、渋々と未だにブータレている『小娘』に釘を刺した。
「まぁまぁ、キミ。それくらいでいいじゃないか。……じゃぁ、娘々。何して遊ぼうか」
地面の数式をいじっていたセンパイも立ち上がった。そして、娘々の側に行って腰をかがめると、優しくそう尋ねたのだ。
そのセンパイの行為も、ボクには気に入らなかった。だが、ここは彼女の手前、大人の対応をして株を上げておくのが、妥当なところと言えた。
そう、大人の対応、大人の対応だ……。
「おい、娘々。折角センパイが訊いてくれているんだ。何がしたいんだ? 言ってみろ」
ボクも、チビ助の側に近付くと、何がしたいのかを訊いてみた。
「うぅぅー、オレ、よく分からない。オレ、あんまし遊んだコト、ない。オレと同じくらいのヤツ、居なかったから……」
そう言って、娘々は平面的な顔の中の細っこい目を潤ませていた。
「そうかぁ。同い年の友達が居なかったのかぁ。それは不憫な事だったな。そうか……」
娘々のその様子を見て、センパイは、そう言って目を伏せた。
(えーと……、いや、コイツと同い年の『子供』が、そうそう居る訳ねぇーだろ。四十過ぎてたら、普通は嫁に行ってるだろうし。子供育てたり、家事をしたり、家業を手伝ったりするだろ。……まぁ、そういう意味では遊び友達なんて居るはず無いよなぁ)
ボクの考えは、センパイとは違ったが、結論は似たようなものだった。
「そっかぁ。娘々は遊び方を知らないんだな。しょうがない奴め。ボクが三人で遊べるような何かを考えてやる」
とは言ったものの、ボクも去年までは受験生だった。友達とまともに遊んだのって、いつくらいだっけ。今、「遊ぼう」と言われたら、ゲームセンターかカラオケ行くよな。そもそも小学校の時ですら、外遊びが出来るような環境じゃなかったような……。
(さて、困ったなぁ)
「ええーっと……。じゃぁ、カラオケとか行くかぁ?」
結局、ボクの答えはそれだった。
「キミぃ。カラオケ行こうって、合コンや呑会の打ち上げじゃないんだから。……全くもう」
「ですよねー」
センパイの指摘に、ボクはぐぅーの音も出なかった。
自分自身、こんなにも『遊ぶ』ということを知らなかったなんて。ボクは、軽いショックを受けていた。
そんなボクを、センパイは目を細めてジーっと見ていた。きっと、『使えないヤツ』と思われてるんだろうな……。
「仕方がない。ゲームでもするか」
センパイも万策尽きたようで、とうとうそう言って白衣のポケットからスマートフォンを取り出した。
思えば、朝永センパイだって、米国留学して飛び級で大学まで進んだんだった。ボク以上に同年代の子供とは遊んだ経験が無いに違いない。
「これはなぁ、世界的に超有名なゲームだぞ。RPG──いわゆるロールプレイングゲームというやつだ。好きだろ、そういうの」
左手に持ったスマホを右手の指で操作しながら、センパイはそう言った。
「子供は誰でも好きなはずだ。なにせ、『剣と魔法の世界』だからな。……おおっ、魔法だ! 娘々は魔法道士だから、ファンタジーRPGは好きな筈だよな。な、好きだよな。絶対に気にいるぞ」
そう曰うセンパイの顔は、自信に満ちていた。
(へぇ、朝永センパイも、ゲームなんかすることがあるんだ。しかも、ファンタジー・ロールプレイングゲーム。剣と魔法の世界かぁ。ボクは、受験勉強でゲームどころじゃなかったからなぁ)
センパイの意外な一面を見ることが出来て、ボクは少しだけ心が暖っかくなった。
「さぁて、名前は適当でいいや。……職業は何にする?」
ゲームを始める準備なのだろうか、センパイは唐突にそう訊いてきた。
「職業? ……ですか? 主人公の設定なのかな……。勇者じゃないんですね。……えーっと、何があるんですか?」
RPGならFFかドラクエが鉄板だろうと思っていた矢先にセンパイの質問にあって、ボクは一瞬だけ戸惑った。
「職業はなぁ、……色々あるぞ。例えば、『騎士』とか『盗賊』とか。ワタシは、いつもは『魔法使い』か『薬師』を選んでいるがな」
ニヤニヤ笑いを抑えきれないセンパイは、期待のこもった瞳でボク達を見ていた。
「『騎士』とかって……、『勇者』になって戦うんじゃないんですか?」
ちょっと検討がつかなくて、ボクはもう一度センパイに尋ねた。
「え? 『勇者』かぁ。……『勇者』は無い。近いのは、『騎士』とか『侍』かな。『ワルキューレ』ってのもあるぞ。『野蛮人』も結構使えるんだが、ワタシは滅多に使わないな。お薦めは、やはり『魔法使い』かな。『騎士』でもいいんだが、装備が重いからな……」
なんだかボクの知らないゲームのようだ。
「じゃぁ、その『魔法使い』でお願いします。いいだろう、娘々。オマエだって『魔法道士』なんだから。魔法が使える方が良いよな」
何か言いたげなチビ助をひと睨みすると、ボクはセンパイに『魔法使い』をリクエストした。
「オッケィ。魔法使だから『W』だな。おっと、その前に……」
ゲームが始まると思った矢先に、何かに気がついたのか、センパイはもう一度白衣のポケットを弄った。
「おっ、あったあった。コレがなきゃ、気分良く遊べないからな」
そう言ってセンパイが取り出したのは、小型のモバイルキーボードだった。彼女の可愛らしい手の平にもすっぽりと収まってしまいそうなそれを、センパイは片手だけで器用に展開すると、QWERTYのフルキーが表れた。設定はもう済んでいるのか、
「おっ、来たきた。……ようし、始めよう」
と言って、スマホに指を滑らせた。そして、年相応の少女のように、横長にスマホを手に持つと、その画面を目を輝かせて見つめていた。
「おっし、出たぞ。始めようか」
いつもよりトーンの高い声が、ボクの耳に届いた。そしてセンパイは、ボク達の目の前にスマホの画面を差し出した。
「……何? ……これ」
ボクは、少し唖然としてそう呟いてしまった。
だって、センパイのスマホの画面には、真っ黒の背景にアスキーアートとしか思えないような記号しか表示されていなかったからだ。
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|.......%?.|
|./........|
|..........|
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|......@....###
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|..........|
|..........|
|..........|
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#
「せ、センパイ……。まさかとは思いますが、コレってゲームの画面ですか?」
予期しなかったことなので、ボクはそうセンパイに尋ねた。
「そうだよ。ダンジョン攻略型のロールプレイングゲーム──NetHackだ」
「は、はぁ……」
全くの理解不能な世界の出現に、ボクは呆けたような返事しか出来なかった。
「何だ、知らんのか。ワタシが知る限り、世界一有名でユーザーの多いゲームだ。しかも、超高難度だぞ。剣も魔法も使えるし、地下の迷宮にはモンスターや魔神がウヨウヨしている。勿論、ドラゴンだって出てくるぞ」
一人、ときめいた目を輝かせている彼女を無下には出来ず、ボクは取り敢えず行く末を見守ることとした。
「で、どうやってゲームを進めるんですか? てか、この画面は何です? 一応、どこかの部屋っぽく見えますが……」
しかし、ボクのこの言葉に、センパイの反応は芳しくなかった。
「なにおぅ。コレはダンジョンの地下一階。最初の部屋に決まってるだろう」
さっき以上に目を細め、ジットリとした瞳で、白衣のセンパイはボクの顔を睨んだ。
「あ……、ああ。そうなんですね。えっとぉ……、この『@』とか、『#』とかは何なんです?」
何もかも謎すぎる画面に、ボクは彼女にそう訊いた。
「全くキミと言ったら……。学が無さすぎるぞ。@(アットマーク)が主人公──プレイヤーに決まってるだろう。#(シャープ)は通路やトンネル。dは連れの子犬だ。常識だぞ、こんなのは」
そうは言われたものの、そんなの分かるわけねーだろ。
「じゃ、じゃぁ、『%』は?」
「%(パーセント)は食料、もしくは死体。食べられるかも知れないし、毒かも知れない。プレイヤーが動いたり戦ったりすると、腹が減るだろう。回復するには、何か食べなけりゃ。死体でも何でもな。しかし、腐っていたら、腹を壊して即ゲームオーバーだったりする。これでなかなか見極めが難しいんだ」
それこそ子供のように瞳を輝かせているセンパイとゲーム画面との落差に、ボクは目眩がするようだった。
「あ、はい。で、どうやって遊ぶんですか?」
そもそも、遊び方すら分からないボクは、再度尋ねた。
「むぅ〜。何にも分かっちゃいないなぁ。何のために無線でキーボードをつないだと思ってるんだ。これを使うのに決まってるだろう」
心底呆れかえったようなセンパイの声に、ボクは嫌な汗が吹き出ているのが分かった。
「ああ、そうですね。キーボードで操作するんだ。えと、プレイヤーを移動させるのは矢印キーで良いんですよね」
もういいや。やり方はその都度教えてもらおう。そう思って、ボクは取り敢えず、@──プレイヤーを動かすことにした。
だが、ここにも地雷が埋まっていたのだ。
「キミっていうヤツは……。常識ってものが欠けているぞ。移動は、hjklキーだよ。因みにkキーで上な」
「え? ええ! hjklって、真横に並んでるじゃないですか。kが上って……。じゃ、じゃあ、下とか右とかは、どのキーなんです?」
分からん。全くもって分からん。これって、本当に有名なゲームなのか?
「下はjに決まってるだろ。左右は、hとlな。簡単だろ」
いや、全く訳分からんから。何だよ、このキー配列は?
「オレ、分かるぞ。viとおんなじだ」
ボクが混乱しているところに、娘々が口を挟んだ。
「なに! オマエ、分かるのかっ、これ!」
あまりの事に、動揺を隠せなくなったボクは、傍らのチビ助に叫んでいた。
「UNIX端末と同じキーバインドなんだよ。viくらい知っておきなさい。ハカーの嗜みだよ」
少し小馬鹿にしたようなセンパイの言葉だったが、ボクには納得がいかなかった。第一、ボクはハッカーじゃない。
「さあ、娘々。こんなヤツは放っといて、ゲームだゲーム。えっと、取り敢えず、アイテム集めだな」
「だな」
全く手の出せないボクをほったらかしにして、センパイは、偽小学生と一緒に貧相な画面でRPG (?)なるものを遊び始めた。
(くっそー。どうして、ボクを差し置いて、こんなクソ野郎が朝永センパイとゲームをやれるんだ。って、そもそも、『ねっとはっく』って何だよ。vi? 知らんわ、そんなもん)
消えることのない嫉妬の炎が、ボクの胸の内で燃え続けていた。