オレ娘々☆よろしくな
「どーした。サムイか? イマ、アタタメテやろ……カ」
たどたどしい日本語で話しかけて来たのは、小学校中学年くらいの女の子だった。
「あ、あぁ? ……今、何て?」
ボクは寒さで朦朧とした意識の中で、その言葉の持つ意味を反芻しようとしていた。
(サムイ? ああ、寒いな。ボクはどうしたんだっけ……。そうだ、海に落ちて、……それからどうなった?)
意識がはっきりしない状態のボクの耳に、もう一度、彼女の声が聞こえた。
「オマエ、ヌれてる。サムイだろ。アタタメ、ヒツヨウだな。ダイジョブ、ちんするだけ」
(チンする? レンジにでも、放り込まれるのかな。……ここ、どこだ? この娘、何だ?)
ボクは霞んだままの目で、辺りを見渡そうとした。だが、上手く出来ない。
寒い。
寒いな。
「ああ、寒いよ。君が、温めてくれるの?」
自分でそう言っておきながら、心の何処かに、「そんな事もうどうでも良いや」って思っている別の自分がいた。
寒い。目が霞む。肌が痛い。ピリピリする。
でも、助けて欲しいとは思わなかった。
ボクなんて居なくなったって、誰も心配しない。
「オマエ、サムイね。でも、もうシンパイない。オレがアタタメてやる。しばしマテ」
そんな意味の良く分からない台詞に、ボクの意識は追付いて行けそうに無かった。
(ああ、目が霞む。このまま死ぬんだろうな。……なら、その方が良いや)
ボクの意識は、再び混沌の底へ沈み込もうとしていた。
(このまま死ぬのかな……)
最後に頭に浮かんだのは、そんなフレーズだった。
だけど、ボクの夢想はそこで強引に断ち切られた。
「うわぁぁアッチィ!」
突然に身体に起こった変化で、ボクの意識は一挙に現実に引き戻された。
「アチアチ、アチチチ」
ボクは突然の熱さのために、床から飛び上がった。両手で、身体中のあちこちをさする。
「どーだ。フク、カワイた。カラダ、アッタマッたね」
そう言う謎の少女は、薄緑色のワンピースを着て、ボクの目の前に正座していた。
「なんて事してくれたんだよ。熱いだろ。火傷したら、どうするんだよ!」
突然の熱さに驚いて立ち上がっていたボクは、見知らぬ少女を見下ろして、そんな事を言っていた。
つい数秒前まで、生きる気力も失おうとしていたのに。
「うん。オマエ、ゲンキなった。オレ、ヒトツ、いいコトした」
彼女はそう言うと、うんうんと、首を何度も振っていた。その勢いで、三編みに結った二本のお下げ髪が宙に踊っている。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
うん、だいぶ落ち着いてきた。冷えた身体も温まった事で、ボクはさっきまで持っていた『死んでも構わない』と云う気分を忘れて仕舞った。
(ここって……、何処だ?)
改めて、ボクは周囲を見渡した。
そこは、小さな木造の小屋のようだった。
(そう言えば、海岸にオンボロの納屋みたいなのが有ったっけ)
ボクは、自分の記憶の中から該当する物件に見当をつけた。そして、海に落ちたボクを助けてくれたであろう、眼前の少女──いや幼女?──に目をやった。
その娘は、座った姿勢を変えず、つぶらな瞳でボクを見上げていた。とは言うものの、眼は細くて、やや平坦な顔立ちをしている。東洋人には違いないものの、日本人とは言えないかなぁ。
だが、雪のように白い肌と、闇のような黒い三編みのコントラストが印象的な娘だ。髪を束ねるリボンが、鮮血のような紅である事を除けばの話だが。
そういった顔立ちを別にすれば、シンプルなデザインのワンピースを着た少女は、何処にでも居るような小学生に見えた。
ただ、膝の上に乗せている黒いポシェットの悪魔的なデザインが異彩を放っている。何だ、それわ。
「き、君が……、ボクを助けてくれたの?」
半分疑念を持ちながら、ボクはこの小さな恩人に声を掛けた。
「そうだ。オレがタスケた。ヨかったナ、オマエ」
大陸的な顔立ちの少女は、そう言ってニッと笑顔を作った。
(そうか……。やっぱり、この娘が助けてくれたんだ。でも、どうやって)
「助けてくれて、ありがとう。一応、礼は言うけど……。君、……だれ?」
落ち着いてよく考えれば、不審な点も多い。取り敢えず、ボクはこの娘の素性を訊いてみる事にした。
「オレか? オレは、『ニィァンニィァン』。『モォーファーダァォシィー』だ」
(へ? この娘、今、何て言ったんだ?)
「え、えっとぉ……。もっかい良いかな」
ボクは、彼女の喋った声を上手く聞き取れなかった。仕方無く、ワンス・モア・プリーズである。
「へ。も、もぉくゎい? って、ナンダ?」
ううーん。ボク同様、この娘もボクの言った事が通じていない。やっぱり、日本人じゃ無いからかな。なんとはなく、中華っぽい? って思った。
「すいません。君は誰なのか、『もういちどおしえて』くれないかな」
今度はボクは、ゆっくりと、念を押すように、訊いた。
「ああ、オレのコトか? オレ、『ニィァン・ニィァン』。『モォーファー・ダァォシィー』だ」
んんー、やっぱり、よく分からん。
仕方がない。
ボクは、上着の内ポケットを弄った。
(あれ。海に落ちた筈なのに、すっかり乾いている。まぁ、今はそんな時じゃ無いか)
ボクは少し戸惑ったが、目当ての物を探し当てると、それを取り出して少女に見せた。
「えっと、これに書いて。文字、分かるよね」
彼女は、ボクの出したスマートフォンを見て、キョトンとしていた。
「チィーニェンシャージ?」
(は? 何だそれ。防水仕様だから壊れてない筈だけど)
ボクがキョトンとしていると、少女はスマホを指差して、もう一度、
「智能手机」
と言った。
ふむ、スマホの事らしい。
「う、うん。このスマホに文字で打ち込んでくれないかな」
ボクは、液晶画面に指を滑らせると、メモ帳アプリを起動した。画面にちょっと触れると、日本語変換機能が作動して、画面の下半分に仮想キーボードが表れる。
日本語のカナは分からないかも知れないけれど、アルファベットなら分かるだろう。
「ほら、これ」
ボクは英文字の書かれたマス目を指差すと、そう言ってニッコリと笑った。
「むぅー。……んー」
少女は、何か困った顔をして画面を指差した。
「出来ないの?」
ボクがそう言うと、少女はコクンと頷いた。
「えーご、わからナイ」
うっ、そうなんだ……。仕方がないな。
「じゃぁ、指で描いてみて」
ボクは画面をタッチして、手書き入力モードにしてみた。
「文字は書けるんだよね」
ボクがそう言うと、彼女はもう一度スマホの画面を見つめた。恐る恐る液晶画面に指を伸ばす。そうすると、ちょうど指の触れた部分に、点が描かれた。
それを見た少女は、パァと明るい顔になると、ボクを再び見上げた。
ボクが首を縦に振ったのを認めると、謎の女の子は指で何かを描き始めた。
「ニィァン・ニィァン」
彼女はもう一度そう言うと、描いた文字を指差した。
『娘々』
ええっと、これは何かで聞いた事あるぞ。
「ニャン、……ニャン?」
「ううー、ニィァン・ニィァン!」
「違うの? ええっと……、ボクは日本人だから、中国語の発音は出来ないよ。『ニャンニャン』で許してよ」
「ううー」
彼女はそう唸ったものの、仕方なさそうに小さく頷いた。よし、交渉成立だ。
「じゃぁ、娘々、君は何なの? どうやって、ボクを助けたの?」
ボクは質問を続けた。すると、娘々は、再びスマホに指を滑らせた。
『魔法』
「モォー ファー」
彼女は、そう発音した。
そうか、「魔法」かぁ。なら、後半は「少女」に決まっている。
ボクは、メモ帳アプリに文字を打ち込んだ。
『魔法少女』
この画面を見せると、娘々は、再度、渋い顔を見せた。
「チガウ。オレ、ショジョじゃナイ。『モォー ファー ダァォ シィー』!」
他人に聞かれたら誤解を招きかねない事を言って異を唱えた娘々は、ボクからスマフォを取り上げると、画面の文字を消して、指で描き直していた。
「モォーファー・ダァォシィー」
『魔法道士』
「ん!」
眼前に突き出された液晶画面と、彼女のふくれっ面を見比べて、ボクは頷いた。
(そうかぁ。『魔法道士』ね。この娘は『魔法』を使えるんだぁ。……て、そんな事、信じられる訳無いだろう)
「ええーっとね、娘々。正直に応えてくれないかなぁ。『魔法道士』なんて、ラノベみたいな事じゃなくってねぇ」
ボクは煮えくり返りそうな腸を抑え付けると、出来るだけ優しい声でそう言った。
「オレ、ホントに『魔法道士』。これツカッって、オマエ、アタタメた」
少女はプンスカと怒りながらそう言うと、膝に乗せていた例の悪魔的デザインのポシェットを両手で持ち上げて、差し出すようにボクに見せつけた。
「えっとぉ……、何コレ? 魔法の道具?」
まぁ違ってはいるのだろうが、ボクは念の為、娘々に訊いてみた。
「これ、『マクスウェルズ・デモン・ジェネレータ』だ。クウキをアツいブブンとツメたいブブンにワけるコトができる」
何だ、そりわ。
(コイツは何て言ってんだ。ま、マクスウェルズ・デモン……ジェネレータ……、だって!?)
ボクは少しの間、考え込んだ。彼女の真剣な顔つきと、ボクの身に起こった不可思議な現象。それを惹き起こしたのが『コレ』か……。
マクスウェルズ・デモン=Maxwell's Demonとは、スコットランドの物理学者であるジェームズ・クラーク・マクスウェルが提唱した架空の怪物の事だろう。
つい半年前まで受験生だったボクは、先日、大学の先輩から面白半分に聞かされた話の事を思い出した。
分子運動を観測できる魔物を想定する事でエントロピーを減少させる事が出来るだろうか? と云う思考実験に登場するのがコイツだ。熱力学第二法則で不可能とされた現象を、実現する悪魔と云われている。
平たく言ってみよう。
『熱い水と冷たい水を混ぜると、ぬるま湯が出来る。では、その反対は? ぬるま湯を、いくら長い間放っておいても、熱い水と冷たい水の二層に分離することは無い。経験的にも、熱物理学的にも、それは有り得ない事だ。コレ、常識でしょ』
と云うのが、熱力学第二法則。
娘々は、この黒いポシェット=MD機関を使って、そんな有り得ない事を実現した──つまりボクの身体を温めたと主張しているのだ。
(あれ! だとしたら、余った冷たい方の空気はどうなった!?)
「ね、ねぇ娘々。さっき、そのMD機関を使うと『空気が熱い部分と冷たい部分に分かれる』って言ったよね。熱い空気がボクを温めたとしたら、冷たいのはどうなってるの?」
ボクは嫌な予感がして、目の前に正座しているショジョ──もとい、少女に確認した。
「あっ、オレ、ワスれてた。そこ、アブない」
自称魔法道士は、そう言ってボクの方を指差した。何気なく、その先に目が向く……。
「うっわー! 危ない!!」
ボクは思わずそう叫んでいた。反射的にそこから飛び退いていなければ、たった今、天井から墜落した鋭利な『氷柱』で串刺しになるところだった。
「あ、危なかったー。君! そう言う事は、もっと早くに教えてよ。まかり間違ったら死んでるよ」
ボロ屋の床にへたり込んだボクは、そう言って少女を睨みつけた。
「スマン。ナゼだかシらないが、MDGでアタタめようとすると、チカくにコオリができるんだ。オマエ、ウンがいいな」
ついさっきまで『死にたい』なんて思っていたボクが言うのも何だが、危なっかしいだろ、コイツ。
しかし、死にたいと思った時には死ねず、助かったばかりなのに死にそうになるなんて、本当に運が良いんだか悪いんだか……。
「これで、わかたか。オレ、魔法道士、娘々。よろしくな」
見た目は何処にでも居そうな少女は、そう言ってニタニタと笑っていた。