「誰だお前は」
角部屋の扉の前に立つ。ここが俺の暮らす家だ。見慣れたその扉だが、ふと不安になって、開くのをためらった。
電話では、妹を演じるように神奈に言ったが、果たして彼女はきちんとその役目を果たしてくれるのだろうか。自分は殺し屋だと言いだしたり、福井に襲いかかったりしないだろうか。いや、そもそもちゃんとした格好をしているんだろうな? 床暖房完備を良いことに、家で1人でいるときは半裸なのだと電話でカミングアウトされたことを思い出す。全裸では流石にないだろうが、半裸状態とか、やめてくれよ? ……え、全裸の可能性もあるのか? いや、無いよな。それは無いよな。無い、よな……? でも、俺への嫌がらせとして、会社の部下の前でそんな――
「社長、どうしたんですか?」
「いや、何でもない。何でも……無ければ良いよね」
「はい?」
ここでいつまでも立ち止っているわけには行かない。覚悟を決めて、扉を開いた。
「た、ただいま」
上ずった声でそう言うと、奥から足音が聞こえてくる。全裸か、半裸か。丁か半か、みたいな気持ちで待っていると……
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
知らない女の子が出迎えてくれた。
「こんばんは、福井さん。兄がいつもお世話になっています。わたしは妹の、神奈と言います」
「こんばんは、神奈ちゃん。僕の方こそ、社長にはいつも助けてもらってばかりで。今日からよろしくね」
「はい、こちらこそ。ご飯もう少しで出来るので、リビングで待ってて下さいね」
「わぁい! お邪魔しまーす!」
「お兄ちゃんも、ぼーっとしてないで上がったら?」
「…………」
無遠慮にリビングへと向かっていく福井にも構わず、目の前の女の子に、俺は言葉を失っていた。さてさて、この女の子は一体誰なんだろう。普段の神奈は、髪は櫛でとかすのさえ面倒くさがり、服は黒色ばかり着ているというのに。この子は髪をゆるい三つ編みにし、女の子らしいパステルカラーの部屋用ワンピースを身にまとっている。
きっと、俺の知らない子だ。神奈と名乗ってはいたが、同名なだけの別人に違いない。だってどう見たって俺の知っている神奈とは似ても似つかないだろ。格好も話し方も、声のトーンも何もかもが違う。誰なんだこの子は。あの小憎たらしい中二病の神奈はどこだ。
「刻也、いつまでボサっと突っ立ってんの?」
「その声は、まさか神奈!? トーンがさっきと180度違うが、まさか神奈!?」
「アタシの面影は声だけですか」
「だって原型留めてなさすぎだろ。俺、疲れすぎで幻覚を見ているのかと」
「確かに服装はいつもと違うけど。他はだいたいいつも通りでしょ」
「冗談よせや! どないなっとんねん!」
「落ち着け。岩手出身、岩手育ちのお前の口から、関西弁が出てるぞ」
「でも、そうか。今まですっかり忘れていたけど、お前も女の子だったんだよな」
「まぁ、口調が少し粗いからね。だからって性別を忘れられてるとは思わなかったけど」
「ああ……口調もだけど……」
神奈の、口調とは正反対の主張が無いなだらかな胸に、そっと視線を落とs
「おいてめぇ、今どこ見た? 誰の胸が、性別を忘れさせる絶壁だコラ」
「神奈さんっ、言ってないです、俺そんなこと思っても言ってないですっ。だから首絞めないでぐぐぐぐるじぃ」
「言ってなくても視線に出てんだよ。人は案外簡単に傷付くんだぞコラ」
「それに関しては同意しますので、俺の体を傷付けようとするその手を離してください神奈様」
神奈の手からやっと解放された俺は、しばらく咳込みながら酸素を取り込んだ。
「わ、悪かったよ神奈。お詫びにあとで、回らない寿司をご馳走するから」
「わぁい! お兄ちゃんの財力大好き」
「そこはいつも通りだな」