「この日を、ずっと待ってた」
逃げ出したい気持ちを抑えて、タクシーの車内で待っていると、
「お客さん」
運転手が話しかけてきた。最初に話しかけてきた時とは異なる、やけに緊張感を帯びた声だ。
「何ですか? えーっと……」
「轟と申します。あー……。変なことをお聞きしますが、お連れさんとは、どういうご関係で?」
「会社の部下ですが」
「それだけですか?」
「え?」
「いえ。私、趣味がドラマ鑑賞と、人間観察でして。お連れさんのことを見ていて思ったのですが……まぁこれは単なる私の思い違いかもしれないので、軽く聞き流していただいて良いんですがね」
それなら話さなくて良いのでは。と返しかけたが、気になったので続きを聞くことにした。
「あちらの方、まるであなたを独占したがっているように、見えてしまったんですよ」
「独占?」
言われてみれば、藤ヶ谷をフォローしたときも、明と飲んだ話をしたときも、福井は拗ねたような顔をしていた。他人に興味の無い俺とは対照的に、他人への執着心が強いのかもしれない。
「まぁ、彼は実家を離れ、若いのに仕事漬けの毎日ですからね。他人への執着というか、甘えたい気持ちが出ているのでしょう」
今思えば、藤ヶ谷へのあの態度も、反抗期の子供のようだった。だからって仕方ないとは言わないが、年上に甘えてしまう若者の気持ちも理解はできる。福井もそうなのだろう。
「や、お客さん。私が言いたいのは、あちらの方はお客さんに対しての執着心が――」
プルルルル
轟さんの言葉を遮るように、俺の携帯電話の着信音が響いた。轟さんに断りを入れてから、電話に出る。
「もしもし」
『にぃに、まだぁ?』
神奈だった。
「その呼び方、恥ずかしくないのか?」
『顔から火が出るほど恥ずかしい』
「なら止めろ」
『今どこ?』
「もうすぐで着く。晩飯なら帰ったらすぐ作るから、大人しく待っていろ」
『晩飯の催促のために電話したんじゃないよ』
「それ以外に、お前が俺に電話する理由なんてあるのか」
『前から思ってたけど、刻也のアタシに対するイメージ酷くない?』
「お互い様だろ。で、何の用?」
『その晩飯のことなんだけど。アタシ、作っておいたから』
「え」
『ああ大丈夫。毒盛ったりしてないから』
「神に誓うか?」
『生憎、アタシは無神論者でね』
「この前商店街でくじ引きをする時に、「神様仏様お願いします」って神頼みをしていたのは、どこの神奈だったかな」
『知らないなぁ。過去は振り返らない主義なの』
「都合が良い奴め。でも、晩飯は助かる」
『でしょう? 福井が刻也のことを羨ましがるくらい、飛び切り美味しいご飯用意しててやるよ』
「自らの手料理のハードル、そんなに上げて大丈夫か」
『もちろん。アタシをどなた様と心得ているの?』
「どなた様とも心得てはいませんが」
『とにかく、腹空かせて待ってなさい』
「はいはい」
電話を切ると、福井の姿が見えた。
……ん? そう言えば俺、神奈に福井の名前教えてたっけ? 覚えてないが、いつの間にか教えていたのかも。
「お連れさん、戻ってきたようですね」
「轟さん」
「何です?」
「タクシーのドアは、自動で開きますよね」
「ええ」
「その開く力を利用して、乗ってこようとする彼を卒倒させることはできませんか」
「そこまでの威力は持っていませんが」
「はは、そうですよね。冗談ですよ、冗談冗談」
「お客さん、目が笑っていませんよ」
難なく俺の隣に乗り込んだ福井は、ワクワクしている ご様子。
「社長、お待たせしました」
「ずいぶんと大きな荷物だな」
「落ち着くまで何日かお世話になるわけですからね。これくらい必要かなと」
福井は、大きめのキャリーバックを足下に置いて笑顔を浮かべた。
荷物が大きい割に、準備にかかった時間がやけに短いな。俺を待たせまいと急いだのかもしれない。そんなに急がなくても良かったんだけど。
「お客さん、次はどちらに?」
「そうだ社長。僕、近くにある美味しいお店を知っているんです。良ければ一緒に行きませんか?」
「折角だが、夜ご飯はもう用意してあるんだ」
「はい?」
「家に……妹が……いてな。ご飯を作って待っているそうだ」
「妹?」
「ああ、妹」
「社長、妹さんがいらしたんですか」
「ああ、妹」
「そうですか。妹さんでしたか……」
ん? 福井の言葉が引っかかる。が、その理由をはっきりと掴むよりも先に、福井は半ば強引に話題を変えた。
「社長、今日からお世話になるお礼に、渡したいものがあるんですよ」
そう言って、ラッピングが施された、小さく細長い箱を取り出す。
「いつもお世話になっているお礼も兼ねて、なんですけど」
「この前腕時計を貰ったばかりで、悪いんだが」
「そんなことを言わず、受け取ってください。社長にはすごく助けられているんですから」
突き返すわけにも行かず、また受け取ってしまった。福井は、人に何かプレゼントをするのが好きなのかもしれない。日頃からこうやって、俺だけでなく人に物を贈ったりしているんだろうな。気持ちは有り難いが、お返しをしないといけないから少し迷惑にも思ってしまう。
「あぁ……ありがとう。中身を聞いてもいいか?」
「とっても悩んだんですけど、よく使うものが良いかなと思って」
福井は、満面の笑みで続けた。
「万年筆です。良ければ、ずっと傍に置いてくださいね」