とあるスーパーにて
某日。
混雑していたお昼が過ぎ、客足が落ち着き始めたスーパー。そのイートインコーナーには、遅めの昼飯を食べるおじいちゃんや、会話に夢中になっている主婦なんかがちらほらと見て取れる。その中に、利伊田飛鳥がいた。猿怒冷酸という不良グループを取りまとめるリーダーとは思えぬ、何ともプライベート感満載のスウェット姿で、テーブルに座っている。その向かいでは、西木と名乗る1人の男が、セルフサービスの緑茶をすすっていた。
「今の世の中、情報が早く回りすぎるのも困りものですね」
飛鳥は嘆息を漏らしてから、先ほど買ったばかりのお弁当とカップラーメンを取り出す。
「ところで西木さん、昼ごはんは食べましたか?」
男が首を横に振ったのを見ると、2つを男の前に置いた。
「どちらが良いですか? ご馳走しますよ」
戸惑いながらも、カップ麺を指差す男。飛鳥は2つとも持って、席を立った。そのあとに男は付いて行く。
「カップ麺、どうぞ」
礼を言いつつ受け取ったカップ麺の蓋を開け、かやくとスープを全て入れる男。
「せっかちですね。スープは3分経ってから入れる、って容器の側面に書いてありましたよ。まぁ、個人の自由ですがね」
飛鳥は弁当を電子レンジに入れ、中からサラダだけを取り出し、温め始めた。
「これ、温めすぎると煮物のひじきが弾けるんですよ。あ、漬物も取り出しておけば良かった。温かいサラダと漬物って、私あんまり……。そうそう、カップ麺にお湯を入れる前に、電子ポットの表示を確認した方が良いですよ。たまに『再沸騰』になっていますから。そのまま入れるとぬるいので」
テーブルに戻り、黙々と昼飯を食べる男2人。ラーメンを平らげた男は、本題へと話を戻す前に、ふと気になったことを訊いてみた。ここには何をしにきたのか、と。そう問われた飛鳥は、不思議そうに首を傾げる。
「スーパーに来る目的は、買い物くらいだと思いますが。私の場合は、昼ご飯を食べるのと、特売品を買いに」
言いつつ、椅子の上に置かれた大きなエコバックを指差す。中には、山のようなヤクルトが詰め込まれていた。
「組長への献上品です。今日は特売日だったので。……そういえば、ヤクルトと似たような乳酸菌飲料が、何種類が売られているんですね。私が知っていたのはこのヤクルトだけでしたが、同じような入れ物に入った、同じような色の飲料がいくつかありまして、少し迷いました。勉強不足でしたね」
毒気を抜かれたような気になった男は、慌てて本題へと話を持っていった。
「ああ、その話でしたね。忘れかけていました」
飛鳥は、食後のデザートのうさぎリンゴを齧りながら、真面目な表情をした。
「西木さんがどこでその情報を手に入れたのかは知りませんが。確かに私たちは少し前、殺し屋の襲撃を受けました」
そんな物騒な話声は、少し離れた場所に座る主婦たちの笑い声のおかげで、男と飛鳥以外に聞かれることはなかった。
「まぁ、正面から堂々と入って来たので、正確には襲撃と呼べないかもしれませんが。この際どちらでも良いですね。彼女も、彼女のバックにいる奴らも、私たちを舐めているということには変わりありませんから。……それで、あなたの用件は?」
男は不自然にならないように気を付けながら、周囲を見回す。自分たちの話に聞き耳を立てている人も、こちらを見ている人もいないのを確認してから、小声で用件を述べた。それを聞いた飛鳥は、わずかに口角を上げる。
「なるほど。殺し屋を、殺してほしいんですか」
迷いの無い目で首肯する男に、飛鳥は問いかける。
「でも、どうして殺したいんですか? 西木さんはどう見たって堅気の人間でしょう。あの殺し屋は、堅気の人間を殺したり、敵に回すような真似はあまりしてきていないはず。それでも彼女に対して、特別な恨みがあるんですか?」
飛鳥越しに見える、入れ歯を外しているおじいちゃんにすら警戒しつつ、男は答えた。自分にとって大切なものを、彼女に横取りされたのだ、と。
「横取りということは、その大切なものが、元々はあなたの所有物であったというわけですか?」
男は少し考えてから、言葉を紡ぐ。
――正確には、これから自分のものになるはずだった。
その言葉を、リンゴと共にゆっくりと噛み締める飛鳥。
「なるほど、話は分かりました。私たちも丁度、この前の一件もあり、殺し屋への報復を考えていたところなんです。もし西木さんが協力をしてくださるというのなら、こちらとしては大歓迎ですよ」
飛鳥の表情を見て、ほっとする男。しかし にこやかな飛鳥の笑みは、すぐに剥がれた。
「とは言え、私は結構用心深いところがありましてね。あなたが本当に協力してくれるのか、少し不安なんです。もしかしたら西木さんは、殺し屋と裏で繋がっていて、スパイのような真似をするつもりなのではと。そういうことを考えてしまうんです」
男は、必死にそれを否定した。
「ええ、分かっていますよ。どうやらあなたは、本当に殺し屋への殺意を抱いていて、彼女のバックとも繋がっているわけではないようだと。さきほど話していた、彼女を恨んでいる理由も本当のようですし」
飛鳥は、声のトーンを下げて続ける。
「ですが1つ、私に嘘を吐いていますよね? ××さん」
西木と名乗っていた男は、自分の本名を呼ばれたことで顔を強張らせた。
「そんなに驚かないでくださいよ、××さん。今の世の中、情報なんて簡単に手に入るんですから。西木が偽名だということも、すぐに判明しました」
目の前にいるのが、不良グループのリーダーであるということを途端に思い出した男。その顔に滲む恐怖心を和らげるかのように、飛鳥は優しい声色を使う。
「何も、偽名を使ったことを責めているわけではありません。暴力団組織とも繋がっている私に対して、警戒心を抱くのは当然のこと。ただ、きちんと知っていてほしかったんです。私たちに近付いてきた時から、××さんの情報はこちらが全て握っているのだと。だから、例え何があっても、私たちを裏切ろうなどと考えないでいただきたいのです。……すみませんね、用心深くて」
飛鳥は、エコバックからヤクルトを2本取り出し、1本を男に差し伸べる。
「それでも、私たちに協力していただけますか?」
男は、奪い取る勢いでヤクルトを手に取り、それを一気に飲み干した。
「やっぱり××さんは、せっかちですね。でも、その覚悟は伝わりました。一緒に頑張りましょうね」
空になったヤクルトの容器が2本、テーブルに並んだ。