表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/57

面倒なことになった

 福井に別れを告げ、社長室に戻る。誰もいないことを確認してから鍵を閉め、大きく深呼吸。


「ちくしょおおお面倒なことになったあああああ!!」


 大丈夫、この部屋は防音加工されているので、こうやって叫んでも他の部屋には聞こえないんです。

 それにしても本当に面倒なことになった。これまで自宅のマンションに、人を招いたことは一度たりとも無い。唯一の友人である明も、家族さえも。あの空間だけが自分が自分でいられる場所で、誰にも踏み込まれたくはない領域だったから。それなのに、さして親しくもない会社の部下を、しかも何日かに渡って泊めなくてはならないのだ。自宅にいながらにして、息が詰まりそうだ。窒息して死ぬかもしれない。ああいっそ、何か盗まれていれば警察に行っただろうに。傘振り回されたくらいで逃げるなよ、腰抜け泥棒め。

 とりあえず、神奈に連絡を入れないと。携帯電話を取り出し、操作しながらふと思った。


――そういえば俺、神奈のことは普通に受け入れているよな。


 最初こそ強引に押し掛けられたが、今となっては彼女が家にいることが当たり前になりつつある。そもそもこれまで、本気で彼女を家から追い出そうとしたことも無かった。保守的に生きてきた中で、少しの刺激が欲しいと思ったから。だが、神奈を受け入れた理由はそれだけじゃないはずだ。それだけじゃなくて――


プルルルルr


 握りしめていた携帯電話が鳴りだし、思わず悲鳴みたいな声が漏れた。画面を見ると『中二病』と表記されている。ああ、神奈だ。


「<ピッ>俺の心を見透かしたようなタイミングで電話掛けてくるなよ。心臓に悪い」

『は?』

「何でも無い、こっちの話だ。……あ。そういえばお前、今朝はよくも騙してくれたな。雨降るどころか、雲一つない天気じゃないか」

『ごめんごめん、勘違いしてた。アタシが見たの、イギリスの天気予報だったわ』

「……お前、そんなに嘘をつくのが下手だったか?」

『別に良いでしょ、損したわけじゃあるまいし』

「要らん恥を掻いたよ。職場にレインコートで出勤したら、社員に体調を心配された。あと、葛根湯をたくさん貰った」

『なら良かった』

「全然良くない。そうそう、それと、大変なことになったぞ」

『なんだよ、次から次へと』

「今夜、会社の部下が家に来るんだ。しかも、何日か泊まるつもりらしい」

『お泊りするほど仲良しなの?』

「ただでさえ交友関係の極めて狭い俺が、会社関係の人間と仲良くなれるとでも?」

『……。ごめん』

「その部下が、まぁ、困ったことがあってさ。自宅に帰られないそうだ」

『そうか』

「だから神奈、悪いんだがお前には――」

『うん、分かってる』

「――俺の妹役をやってほしいんだ」

『何だって?』

「お前を紹介する時、その方が手っ取り早いだろ。くれぐれも大人しく、俺の妹らしく振る舞う様にな」

『アタシをしばらく追いだす、っていう考えは無かったんだ?』

「お前は何を仕出かすか分からないからな。目の届くところに置いておかないと不安だろう」

『反論の言葉も無いわ』

「それに、俺の心と表情の崩壊を防ぐ役割が必要だ」

『アタシがその役割なわけか。自分で何とかしろよって話だけど』


 そう言いつつも、納得してくれたようだ。

 窓の外では風が吹いている。街路樹の葉が大きく揺れていて、街ゆく人たちは寒そうに体を丸めていた。俺が家から神奈を追いだしたら、彼女はこの寒さの中、どこに行くのだろう。前に自分のことをホームレスだと言っていた。だからといってビジネスホテルなり泊まるだろうが、それでもやっぱり、イヤだな……


 …………ん? イヤだなって、何がイヤなんだ?


『……刻也は甘いよ……』

「え?」

『ううん、何でも無い』


 自問自答をしていたら、電話の向こうで神奈が何かを呟いた。よく聞きとれなかったけれど、それが何だったのかは教えてもらえなかった。


『帰ってくる前に連絡入れてね。服着ておくから』

「まるで俺がいないときには、全裸でいるかのような口ぶりだな」

『そんなわけ無いでしょ』

「だよな、良かった」

『下着は身に付けているよ』

「全然良くなかった! 半裸じゃねぇか!」

『だってこの家、床暖房完備だから暖かくて』

「床暖停められたくなければ、服を身にまとえ裸族」

『うぃす、善処しまーす。じゃあまたね』

「ああ、また後で」


 己の外面の良さを恨んでいても仕方が無い。福井が泊まりにくることは、どれだけ嫌がっても変わらない事実なのだから、今は仕事に集中しよう。

 と、部屋の扉がノックされた。慌てて鍵をあけ、扉を開くと、柊木さんが立っていた。


「柊木さん、どうかした? というか、その荷物は一体……」


 柊木さんの両手には、栄養ドリンクやらゼリーやらレトルト食品やら、荷物でパンパンになったビニール袋が握られている。


「突然すみません。社長、体調はいかがですか?」

「体調?」


 ああそういえば、レインコートで出勤した理由を、体調が優れないからだと嘘をついていたんだった。


「もうだいぶ良くなったよ。心配させたようで、すまなかったね」

「いえ、それなら安心いたしました。もし良ければ、これ、召し上がってください」


 柊木さんが、ビニール袋を差し出してきた。


「もしかしてこれ、私のために? ありがとう」

「そんな。社長の体調管理は、秘書であるわたしの仕事でもあります。むしろわたしは、叱られるべきなのです」

「いや、私の自己管理がなっていなかっただけだから。それに、大したことでも無いし」


 重たいその袋を受け取りながら、ふと、さっきの神奈との電話を思い出した。

 そういえば神奈、どうして俺に電話をかけてきたんだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ