いつもと少し違う朝
「まぁそんなことはさて置き。社内でイジメがあるみたいだぞ」
「え、イジメ?」
「社長のくせに把握してないのか」
「面目ない……」
「サイト内にやたらと悪口を書かれている社員がいてさ、調べてみたらその社員のツイッターを見つけたんだ」
「どうでも良いけどお前、暇なの?」
「ほっとけ。とにかく見てみなよ」
そう言って神奈は、テーブルの向かいに座り、見ていた携帯の画面をこちらに向けた。ツイートの投稿者の名前は……『Fond』? そんな名前は社員の中にいないから、まぁペンネームだろう。
投稿している内容にも目を通してみる。
『今日も陰口を言われた』
『ただでさえこっちは忙しいのに、仕事を押しつけられた。アイツらは飲み会だってさ。もちろん誘われてないし、誘われたって行くわけないけど』
『自分が仕事できないからってひがむなよ』
『悔しい』
『あんな奴らにバカにされるのが悔しい』
『どっか遠くで死んでくれないかな』
『誰も助けてくれない』
『からかわれてるだけだって思われてる。違うのに』
『助けて』
『助けてよ』
「確かに、苦しんでいるみたいだな」
「これ、誰だか見当は付かないの?」
「んー……この文体だと性別すらも分からないし……」
「もし誰だか分かったところで、刻也はどうする?」
「そりゃあ、大事な社員がイジメられているとなれば、助けてやらないとな」
「本音は?」
「もしこのイジメが外にバレたら、会社のイメージが悪くなる。何としてもそれだけは阻止しないと」
「社長らしいお考えですこと」
俺は彼女から携帯を奪い取り、更に投稿を読み進めていく。
『どうでもいい時は ちやほやもてはやす癖に、見てほしいところだけ見てくれない』
『結局誰も分かってくれないんだ』
『もう辛い、苦しい』
『声をかけてくれた』
『あの人が、また挨拶してくれた』
『あの人は良い人?』
『コーヒーをくれた』
『残業つらい』
『でも、残業しているとあの人が声をかけてくれる』
『優しい人だ』
『ちゃんと見てくれている』
『今度はこっちから話しかけてみよう』
『あの人は味方だ』
『なんて素敵な人なんだろう』
「『あの人』に、救われているみたいだな」
「それ以降はほとんど、『あの人』のことばかり投稿しているよ」
「親切な社員もいたもんだ」
「……で、誰だか見当は付いた?」
「いや……。でも、もっと読んでみたら分かるかも」
更に読もうとしたが、神奈に携帯を奪われてしまった。
「心当たりが無いなら別にいいよ。それより、出勤しなくていいの?」
「え。まだそんな急ぐほどの時間じゃないだろ」
「さっきニュースでやってたけど、このあと土砂降りの予報だよ」
「えっ! こんな良い天気なのに」
「降り出す前に、会社に行った方が良いと思うけど」
「そうだな。傘も忘れないようにしないと」
「これも着ていけ」
どこからか薄手のレインコートを取り出し、雑に投げて寄越された。フード付きのもので、被ってみると随分と目深だ。
「これ、どうした? 男物だよな」
「前に拾った」
「どこで」
「仕事中。殺した奴が着ていたから」
「そんなの着せるなよっ」
「冗談だよ。いいから着ていきな」
嫌な冗談だな。しかし、俺はレインコートを持っていなかったから丁度いい。有り難く借りることにした。
急いで身支度を済ませ、外は快晴だというのにレインコートを羽織り、神奈に言われてフードまで被って完全防備。出掛ける間際、窓の外を見つめる彼女が不安そうな顔で言った。
「そうだ。お前がいつも乗ってる電車、大雨で止まるかもしれないぞ。タクシーの方が確実だろ」
「ああ、そうだな。タクシー代を取られるのは厳しいが……背に腹は代えられん。今日の夕飯をもやしオンリーにして、タクシー代を捻出するか」
「そこそこ稼いでいる社長さんが、そんなケチくさい考え持つなよ」
呆れ顔の彼女は、俺に背を向けた。その背に声を掛けてから、慌てて家を出る。
「神奈、ありがとな」