猫になりたい
「ところで社長、最近はお帰りが早くなりましたね」
「え、そう?」
「はい。以前は、夜遅くまで残ってお仕事をされることもありましたけど」
「その度に、お身体に障りますから無理はなさらずに、って柊木さんに注意されたっけ」
「ですが最近は、夜中までお仕事されることが無くなって、安心していたんです」
「言われてみれば、確かにそうだな」
「何か理由があるのですか?」
「んー……」
「例えば――帰りを待っている方が、ご自宅に居たりとか……」
すごく聞きづらそうに尋ねられたその質問で、神奈の顔が思い浮かんだ。けれど別に、彼女とはそういう関係に無いというか。だからと言ってどういう関係にあるのか。これを人に説明するのは、骨も心も折れそうだ。
「最近、動物を飼い始めてね」
というわけで、嘘を付くことにした。俺の十八番なもんで。
「ペットですか。どんな動物かお訊きしても?」
俺の命を狙う猛獣です、とは流石に言えないし。犬か猫辺りが良いだろう。神奈は犬というよりは、気ままでマイペースな猫の方かな、イメージとしては。
「猫だよ」
すると柊木さんは、少し、本当に少しだけ、表情を輝かせる。
「社長は、猫がお好きなのですか?」
どうしよう、そんなに食い付いてくるとは思わなかった。
「まぁ、犬よりは好きかな」
「具体的に、どういったところが?」
「え」
「どういったところが?」
あれ。柊木さんって、こんなに積極的な人でしたっけ。面倒な説明を省くためについた嘘が、余計に面倒な展開を生んでいる気がしてならない。そもそも俺は、動物がそんなに好きではない。猫に関しても、人並みに知っている程度だ。
とりあえず、俺が持ち得る限りの猫のイメージを必死に掘り起こさねば。
「どういったところ……。気まぐれなところとか、良いと思う」
「なるほど、気まぐれなところですか」
「柊木さん、どうしてメモを取っているの」
「今後の参考にするためです」
「一体何の――」
「他には?」
「はい?」
「他に、猫の好きなところを教えてください」
「えっと……自由なところも良いよね」
言い方を変えただけとか、つっこまないでほしい。
「なるほど、自由なところですか」
「柊木さんは? 猫好きなの?」
「えっと。それなりに」
「それなり、なのか」
すごく真剣にメモまで取っているから、相当な猫好きなのかと思ったけれど、そういうわけでは無さそうだ。
「猫に成りきったりする程度です」
あれ? それって相当な猫好きなんじゃ。
「いえ、あの。気持ちだけが猫に成りきると申しますか」
「あ、気持ちの話か。てっきり、家では猫耳か何かを装着しているのかと」
柊木さんになら似合いそうだけれど。
「猫は、わたしから見たらとても自由で伸び伸びとしていて。真面目で堅苦しいわたしとは違い、羨ましくもあるんです」
なるほど、そういうことか。
「確かに柊木さんは真面目で、仕事に関しては少し堅いところもある。だから信頼できるわけだけど」
「……」
「でも、話してみると面白いんだな」
「えっ」
彼女は感情がオモテに表れにくく、仕事を完璧にこなす。そこだけを見ていたから、実は柊木さんが普通の人と同じように寝坊をして、流行を知る為にテレビや雑誌を見て、何かに悩んで、猫の自由さに憧れる、そういう人だと気付けなかった。
「私は今まで、柊木さんの1つの側面だけを見ていたんだ。でも、今日はまた違った一面を見ることができて良かったよ」
そう言いながら、自分も人のことは言えないなと反省した。周りは俺のことをよく見て、理解しようとしてくれない。そんなワガママを、自分のことを棚に上げておきながら、よく今まで言えたなと。反省しつつも、周りとの間に勝手に作った心の壁は、まだしばらく壊せないんだろうなとも思った。
「ありがとう、ございます」
何故か感謝を述べる柊木さんの頬はほんのり赤くて、戸惑っているようにも取れた。けれど戸惑いよりも大きな、喜び。それを俺でも感じ取れるくらいに、珍しく柊木さんは感情を外に出していた。
「わたし、これからも頑張ります。頑張って、猫になります」
「それは困る」
社長である俺の秘書は、柊木さんじゃないと駄目だからね。