酔いが醒めて
「ん……? んー……」
「お、刻也、目が覚めたか」
「明……ここは?」
「タクシーの中」
「……。ああ、そうか」
「お前、今日は随分と酔っ払ってたな」
「ああ。すまなかった」
「謝るなよ。オレとしてはむしろ、珍しいものが見られたから良かったと思ってるくらいだ。気分は?」
「悪くない」
「記憶は?」
「忘れていた方が良かった」
「なら結構」
「お客さん、着きましたよ」
タクシーは、俺が暮らすマンションの前で停まった。俺はすかさず、財布を取り出す。
「じゃあ、これで」
一万円札を運転手に渡した。
「おつりは結構ですから、彼を家まで送ってください」
「刻也、そういうのは良いって」
「駄目だ。今日はお前に迷惑かけたからな。そういえば、呑み代も払ってなかったか」
明に五千円札を渡す。
「刻也、本当に良いって」
「でも」
「オレは別に、お金が欲しいわけじゃないし」
「欲しいのは……俺の、体か?」
「やっぱり金よこせ。今の発言にいたく傷ついた、10万よこせ」
「じゃあ運転手さん、お願いします」
「って聞けよ! てか、部屋の前まで送ろうか? まだ本調子じゃないだろ」
「心配するな、子供じゃあるまいし」
「うぅん……まぁ、お前がそう言うなら。あ、戸締りしっかりな。最近この辺り、強盗被害が出てるらしいぞ。ラジオでやってたけど」
「お前は俺の母親か。良いからさっさと帰れ」
「相変わらずだな、全く。じゃあまたな刻也。早く寝ろよ」
「はいはい。またな」
明の乗ったタクシーを見送ると、俺はまだ少しふらふらしながらも部屋に向かった。玄関のドアを開け、
「ただいま」
力なくそう言ったあとで、今日はまだ神奈が帰ってきていないことに気が付いた。
しん、とした部屋の中をゆっくりと歩く。やけに静かに感じつつ、電気を点けた。いつもよりも部屋が広い……まだ酔っているのだろうか。コートとジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めて水を飲む。冷たさが口に広がるが、頭はだいぶボーっとしたままだ。今日はさっさと寝てしまおう。
いつも神奈が占拠しているリビングのソファに寝転がった。ソファが、肌を刺すように冷たい。酒で体が火照っているからだろう。
「あー」
特に意味も無く、声を出してみた。
『そのソファはアタシの特等席だぞ。お前は自分の部屋で寝ろバカ』
そんなワガママな彼女の声が聞こえた気がした。が、当然ながら神奈の姿はそこには無い。おかげで、面倒なワガママにも振り回されることなく、心置きなくくつろぐことができる。おまけに明日は仕事が休みだ。何か予定があるわけでも無いが、それでもわずかに心が躍る。
いつもなら、そうだった。
でも、なんか、今日はちっとも嬉しくない。
「…………」
ああきっと、酒のせいだろう。俺は自慢ではないが、酒に弱い。自他ともに認める弱さだ。それなのにビールをあんなに一気呑みするから。だから、こんな感情で埋め尽くされてしまうんだ。目を閉じると、次第に睡魔に襲われていく。意識が遠のく中で、寝言のような俺の声が、静まり返った空気に飲み込まれた。
「……はやく、帰ってこないかな……」