始まり
イケメンだけど中身が少し残念な38歳(会社社長)と、唯我独尊という言葉がふさわしい23歳の女の子(殺し屋)が、一つ屋根の下で暮らしているお話です。
男女が一緒に暮らしているけど、ポロリとかドキドキな展開はあんまり期待しないでください。
代わりに、グサリとかバキボキな展開はあります。
文章も何もかも拙いですけど、温かい目で見てもらえると嬉しいです。
――20年前 岩手県立小船渡東高校にて
靴箱の中に、ラブレターが入っていた。それを見て私は驚いた。ラブレターが入っていたことに、ではない。自慢じゃないけれど、私にとってはラブレター然り、異性からプレゼントを貰うことは日常茶飯事と言ってもいい。いや、自慢じゃないんだよ、本当に。
私が驚いたのは、その手紙を開いた後だった。
『突然の手紙、ごめんなさい。僕は、3年4組の樫井雪弘といいます。クラスは1度も一緒になったことがないから、たぶん僕のことはわからないと思います。それでも、どうしても伝えたいことがあって、手紙を書きました。
僕は、あなたのことが好きです。大好きです。3年前の入学式で、新入生代表として壇上に上がり、あいさつをしたあなたを見た時、僕はあなたに一目ぼれしました。それ以来、ずっと僕は、あなただけを見てきました。
僕なんかがと思って、今までこの想いを隠してきましたが、卒業してバラバラになってしまう前に、きちんとこの想いを伝えたいと思っています。だから、卒業式が終わった放課後、良ければ屋上に来てください。僕はいつまでも、あなたが来てくれるのを待っています。』
僕という一人称、樫井雪弘という名前からして、この手紙の差出人は間違いなく男子だろう。そして、それが問題なのだ。何故かと言うと、この手紙を読んでいる私も男だからだ。
「(がたがたがたがたがたがたがたがたがた)」
体中が震えだす。先に言っておくけれども、私は同性愛者ではない。そしてこの学校は、男子校でもない。男子校ならゲイがいても……まあ分かるけど、ここは共学だ。当然ながら女子もいる。女子もいるのだ! なのに何故! 何故私だ! 同性愛を否定するつもりはない。人それぞれ十人十色、愛の形も様々だろう。だけどそれは、他人事だから言えること。私自身となると、話は別だ。駄目だ駄目だ、このままでは駄目だ。失禁しそう。
そんな私に対して、聞き馴染みのある声が話しかけてきた。
「ん? どうしたんだよ刻也ってお前何その手紙! ラブレター? ラブレターなのか!? ったく相変わらずモテモテだなあ。よっ! このモテ男!」
「黙れこのゲス野郎! 殺されたくなければさっさと死ね!」
「ええ!? 何でお前、そんなにキレてるんだよ!? つかどの道それじゃ、デッドエンドじゃん俺」
「あ、ああ、ごめん明。少し取り乱していたみたいだ。ちょっと、向こうで首吊ってくるわ」
「何軽いノリで自殺宣言してんの!? 落ちつけよ! お前らしくもない」
「明……。今までお前と過ごしたこの3年間を、私はきっと、明日には忘れていることだろう」
「一生脳みそに刻んどけよ!」
「とにかく、トイレ行ってくる」
「待て待て。俺も行くよ。何か心配だし」
「明……。高3にもなって連れションだなんて、引いたぞ」
「心配だから付いてってやろうという俺の親切心を踏みにじりやがって! とにかく、何があったのか知らないけど、式が始まるまでには頭冷やしてこいよ」
「ああ分かった。じゃあまた……あの世で会おう」
「生きろ刻也ああああああああああああ!!!!」
高校で最もつるんでいた友人に別れを告げてから、私はトイレに向かった。生徒の多くは卒業式の会場である体育館へと行っているのか、トイレは無人だった。体育館からは離れているし、しばらく誰かが来ることもなさそうだ。
誰もいないことを確認した私は、大きな溜め息をついた。右手にはラブレター(From男To男)。個室に入って鍵を閉め、迷うことなくその手紙を封筒ごと破った。便器の中にバラバラと散らばるそれを、きっと私はこの上なく冷めた目で見ていたことだろう。
ぐっとトイレのハンドルを回し、水に流す。ダブルミーニングで。そのまま便器の奥に吸い込まれていくかと思われたがしかし、困ったことにこのトイレは柔らかティッシュしか受け付けないらしく、なかなか手紙を吸い込んでくれない。なんて贅沢なトイレだ。
ぐっ、ぐっ、ぐっ
が――ゴゴッゴッゴッゴゴゴゴゴゴゴゴゴッゴガズズズゴゴゴゴズズッズズ
しまった。ハンドルを回す度に、状況が悪化していくではないか。便器から水が溢れ出し、紙が排水口で詰まっている。
私は仕方なく個室を出て、掃除用具入れからラバーカップを取り出した。便器の詰まりを解消する、アレだ。
そして再度個室に戻ろうと足を踏み出した、その時。
「あっ……」
背後で声がした。しまった、誰か来てしまったようだ。私は極力平静を装い、ゆっくりと振り返る。そこには、私よりやや小柄の、それでも長身なメガネ男が立っていた。このタイミングで参ったな。上手いこと理由を付けて、別のトイレに行ってもらおうか。
そう考えていると、メガネ男はこう言った。
「あ、あの……刻也くん……来栖刻也くん、だよね!」
ん? どうして私の名前を知っているんだろう。クラスは違うけれど、同学年だったかな。クラスメイトもろくに覚えていないから、他のクラスメイトのことなんか余計に思い出せない。
「あ、ああ、そうだけど……」
するとメガネ男は、にこやかな笑顔を見せた。
「手紙、読んでくれた?」
その一言で、私は全てを理解した。一を聞いて十を知るとはこのことだ。しかし、理解はしても納得はしたくない。このメガネ男が、私にあの忌まわしき不幸の手紙を送った犯人だということを。
グゴゴッゴゴゴゴゴゴッグググググググゴゴズズズゴゴ
現在進行形でトイレを詰まらせている、あの手紙の差出人だということを。
「…………」
「あれ。トイレ詰まっているの? だったら、僕にやらせて!」
そう言うや否やこのメガネ男は、私の手からラバーカップをくすね取ろうとした。だがしかし、ここで大人しくラバーカップを渡すわけにはいかなかった。トイレに詰まっているものが、自分が書いたラブレターだと知ったら、この純朴そうなメガネ男は自殺を図るかもしれない。いやその前に、大声をあげて泣き出すかもしれない。それは困る。とても困る。そんなことになれば、私が男からラブレターを貰ったなんて事実が知れ渡り、高校の最後の最後で大恥をかく羽目になるだろう。それだけは何としても阻止しなければならない。
私は咄嗟に、右手に握るラバーカップのカップ部分を壁にくっつけることでメガネ男の行く手を阻み、左手をメガネ男の顔面横の壁についた。……なんだろう。これ、とても奇妙な光景のはずなのに、何故だか私はこんなシーンを知っている。主に、漫画やドラマの中で見たことがあるような気が……
「こここ、これって、か、壁ドン!?!?!?」
頬を赤らめるメガネ男のメガネをラバーカップで吸い込んでやろうかと本気9割で思ったが、わずかに残った理性とプライドが、必死にその感情を打ち壊した。私はいつだって冷静に判断ができるんだ。ラバーカップのカップが壁に貼りついて外れないのもあるけど。
まあ仕方ない。このメガネ男をトイレから遠ざけるためにも、一芝居打つとするか。大勢の前でプライドを失うよりも、1人の前で恥をかく方がいくらかマシだろうし。
私は自分にそう言い聞かせてから、表情を引き締めた。
「樫井……これは、お前だから話すことなんだが」
「ど、どうしたの刻也くん?」
「落ち着いて聞いてほしいことがある」
「大丈夫だよ! 僕は、大概のことは驚かないで受け入れることができるからさ」
「それは頼もしいな。だったら言うが、実は私は……こう見えて、トイレの妖精なんだ」
「おっと、僕のキャパをはるかに超える話だ」
「トイレにて生を受け、ゆくゆくはトイレに還る妖精なんだ。今、トイレが詰まっているような音がするかと思うが、実はこれは詰まっているのではなく、私の帰るべき故郷への門が開いている音なんだよ」
「刻也くんの故郷は、下水管なの?」
「そうではない。あのトイレの門をくぐるとそこには、下水管とは程遠い、美しき我が故郷が広がっているんだ」
「何とも帰省しづらい故郷だね」
「そしてこの、ラバーカップのように見えるこれも、実はラバーカップなどではない」
「え、そうなの?」
「これは、門をくぐる為の鍵なんだ。妖精ではない一般人がこれに触れると、なんか手がグシャッてなる」
「そこの表現はアバウトなんだね」
「これまでは人間の中に身を潜め、人間と共に生きてきた私だが、門が開いた瞬間を見られてしまったのなら仕方あるまい」
「僕は、どうしたらいいの?」
「どうもしなくていい。ただ黙って私に背を向け、何事も無かったかのように体育館へと向かうんだ。私も式には参加するが、式が終われば故郷に帰らなければならない」
「そんな! 帰ってしまったら、もう二度と刻也くんには会えないの!?」
「安心しろ。すぐにでも再会できるさ。お前の家のトイレの排水口と私の故郷が繋がれば、いつでも会える」
「何だろうか。その再会は心から喜べない気がするよ」
「ぐっ……!!」
「ど、どうしたの刻也くん! すごく苦しそうだよ!」
「は、早く、この場を立ち去ってくれないか。門が、閉まり始めてしまっている」
「僕がいたら、駄目なの?」
「人間のいる前だと、門は普段の5倍のスピードで閉まる。1度閉まると、半世紀は開かない」
「極端だなあ……とにかく、僕はここを出ればいいんだね?」
「そうだ。早くしろ」
「分かった! 刻也くん、絶対に、絶対に、また会おうね! 僕はいつまでも、トイレの前で君を待っているよ!」
メガネ男を見送った私は、一瞬にして白けた顔になった。壁に張り付いたラバーカップを勢いよく外し、トイレの詰まりを解消した。水を含んでグチャグチャになった手紙を、ゴミ袋に入れる。手を洗い、白けた顔のまま体育館裏の焼却炉に向かう。体育館の中からは、卒業生の入場時に流れる“仰げば尊し”の演奏が聞こえてきた。それをBGMに焼却炉近くにまとめてあった大量の新聞紙をグチャグチャにして炉の中に入れ、近くにあったチャッカマンで火を点けた。炉の中でだんだんと大きくなっていく火。それを見つつ、BGMに乗せて歌いだす。
「♪仰げば尊し 我が師の恩 教の庭にもはや幾年 思えば いと疾し この年月」
炉の中の炎に向けて、ゴミ袋から取り出した手紙を放り込んだ。
「♪今ぁこぉそぉ、わかぁれぇめぇぇぇ……いざ、さらぁぁぁばぁぁぁぁ……」
涙が、流れた。
息が苦しい。
今しがた俺が見ていたのは、夢だ。20年前のトラウマの卒業式。少し前にあのメガネ男と偶然にも再会してしまって以来、頻繁にこの悪夢を見てはうなされるようになった。正にトラウマ。
だが、今の俺は社会人である。高校を卒業し、高卒ではなかなか入れないような大手企業に入社。親のコネなどを使ったわけではない。もともと学業でもクラブ活動でも成績は優れていて、教師からの強い推薦もあり入社できたのだ。成績のみならず、幼いころから大人の心を読み、大人に気に入られる言動を取る能力に長けていたことも、入社できた理由かもしれない。その能力を生かし現在では、会社の社長を務めるまでとなった。誰からも信頼され誰からも好かれる、そんな人間の鏡のような存在に、俺はなったのだ。
……本当に、つまらない人間だ。
まあそんなことはさておき。
息が苦しいのだ、先ほどからずっと。俺は今、自室のベットの上に仰向けに寝ている。そんな俺の首を誰かが絞めているようだ。ゆっくり、じりじりと、しかし確実に、まるで俺のことを殺そうとしているみたいに。いや違う。相手は殺そうとしているのだ、明確な殺意を持って。しかし俺は全く動じない。目は閉じたまま、相手には決して気付かれないように掛け布団の中を探る。ああ、あったあった。俺は気配だけで相手の位置を確認してから、掛け布団の中に隠しておいた催涙スプレーを、その顔面にためらうことなく噴射した。
「ギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
相手の悲鳴が聞こえた所で、俺はベットから起き上がる。ベットの下では、20代前半くらいの若い女が、顔を両手で押さえながらジタバタと転げまわっていた。女はボロボロと涙が溢れる目で俺を睨みあげながら、叫んだ。
「こんのっ……刻也ぁ!! お前、何しやがる!!!」
「人の寝込みを襲ってきたお前にだけは言われたくなかったな」
そして再度、女――黒崎神奈の目に、催涙スプレーを噴射した。
「ギィヨェェェッェエエエエエ!! この! 鬼!! 悪の権化!! 人殺しぃぃ!!」
「人殺しはお前だろ」
「目が! 目があああああ!!」
「ムスカか。というか、いい加減に静かにしろ。近所迷惑だろうが」
「す、少しはアタシを気遣えよ」
「俺を殺そうとしてきたお前に、気遣ってやる義理はない」
「う……すまなかった、刻也」
「そうか……謝る気が有るのなら、その右手に握る折りたたみナイフを下ろしたらどうだろうか」
「ふっ。馬鹿め。このアタシが、本気でお前に謝ってやるとでも思ってんのかバーカバーカ!!」
「そういえばまだ、催涙スプレー残ってたっけ」
「うわ、分かった分かった! ナイフ離すから! 落ち着けって!」
神奈がナイフを離したのを見て、俺もスプレーを布団の中にしまった。思わず、溜め息をもらす。最近は寝る前に必ず部屋の窓とドアの鍵を閉めるようにしていたのだが、昨夜は遅くまでの残業で疲れていたこともあってか、ドアの鍵を閉め忘れていたようだ。
時計を見ると、午前3時をさしていた。
「くそ、目が覚めたな」
「ん? どうしたどうした? 怖い夢でも見て、眠れなくなっちゃったんでちゅかー? って待て待て! 無言で催涙スプレーをこっちに向けんなよ! やっと視界が晴れてきたってのに」
「自業自得だ。……コーヒーでも淹れるか」
「アタシはココアがいい」
「はいはい」
自室を出て、リビング脇のキッチンに入り、やかんで湯を沸かす。その間に神奈は、リビングのソファにドスンと腰かけ、録画してあったアクション映画を見始めた。殺し屋が主人公の洋画だ。場面は、外国人マフィア達が倉庫内で麻薬取引をするシーン。どうやら主人公の屈強な殺し屋は、そのマフィアを皆殺しにするらしい。殺し屋とマフィアが、何やらドンパチを始めた。騒々しいことこの上ない。
「よし! 行け行け殺し屋ァァ! いいぞ! そのまま畳みかけろ! 男は金的が弱いんだから、そこを徹底的に狙っていけ!」
まるで特撮番組を見ながらヒーローを応援する子供のように、殺し屋を応援する神奈。こっちの方が何倍も騒々しかった。
「はい、ココア」
「ん、サンキュー」
神奈は、おっさんが日本茶をすするみたいに、ずずっと音を立ててココアを飲んだ。俺はコーヒーを持って、一人掛けソファに腰掛ける。
「お前も、こんなことやるのか?」
ドンパチを続ける殺し屋を見ながら、そう尋ねる。
「多少はやるけど……進んでやることはないかな。どちらかと言うとアタシは、ターゲットの寝込みを襲うタイプだから」
「卑怯なんだな」
「仕事が確実なんだと言ってくれ」
「俺のことは殺し損ねたくせに」
「今日は本気じゃなかったからな。言うなれば、リハだよ」
「負け惜しみか」
「む。お前、自分の立場が分かっているのか」
かたん、と、コーヒーをテーブルの上に置く。
「分かってる。お前は殺し屋。そして俺は、そんなお前に命を狙われているターゲット」
「何だ。つい数日前までは、アタシが殺し屋だってことを信じなかったくせに。ずいぶんと素直になったな」
「正直、お前が何者だろうがどうでも良いんだ。だからその、殺し屋ごっこに付き合ってやろうかと思ってな」
「ごっこって言うな。しばくぞ」
「しばくぞってセリフ、何度も聞いたから怖くないんだが」
「チッ」
「あと、さりげなく俺のコーヒーに怪しげな液体を入れるのは、やめてほしいんだが」
「チッ」
流しにコーヒーを捨て、念の為にそのカップも捨てた。
「ちなみに、その怪しげな液体って」
「1滴でも口に含むと、安らかに眠れる代物だよ。寝不足のお前にぴったりの、安眠グッズさ」
「なるほど。永眠できる劇物か」
「眠れないってことなら、少し飲んでみるといいぞ」
「お前が飲め」
少しでも休息が欲しい俺は、再び寝床に就くために自室へと足を向ける。
「何だ、もう寝るのか」
「こっちは仕事があるんだ。ちなみに、永眠はしないからな」
「それは残念」
神奈はテレビの電源を落として、立ちあがった。
「で、何時に起こせばいいの?」
「7時でいい」
「いつもより遅めだね」
「誰かさんのせいで睡眠時間を削られたからな。少しでも寝ていたいんだよ」
「そうかい。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
自室へと向かいながら、俺はふと気が付いた。神奈がここにいることを、当たり前のように受け入れている自分に。