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     ◆



 その夜、鳴彦はなんとか宿を見つけ、ほっと息を吐いていた。

 宿では昼間の鳴彦のライブが話題になっていて、そこでも数曲披露する羽目になったのだが、ここでもかなりの好評だった。



『あなたの歌……嫌いだわ』



 昼間の綺麗な少女の声を思い出す。今さらになってむかむかしてきた。

 ふざけんなよ。みんな、俺の歌聞いて喜んでたじゃないか。あんたひとりの意見なんて、大したことじゃないんだぞ。

 ふと、視線を部屋の隅に立てかけているギターケースに向ける。

 はじめてのライブで、あんなにもあいつの勇姿を見せられたのは初めてだった。


「あんがとな」


 言って、瞼を閉じる。

 まだ自分の身に何が起こったのかわからない。けど、少しだけ、ほんの少しだけ希望が見えた気がした。

 深夜のしがないアルバイトコンビニ店員よりも、正直今日一日でこっちの場所の方がいい気がしてる。

 案外楽しいかもしれない。

 思って微睡んでいると、


 轟音――炎が燃え盛った。




    ◆




 飛び起きると、宿屋の窓へ駆け寄る。

 電気もないようで、ほとんど真っ暗だった外が、ある一部分で炎があがっていた。

 その一部分――町の中央に位置するそれを一言で言い合わらすとしたら『城』だった。

 城の方向が燃えている。

 城が誰かに攻撃されている?

 ひやっとしたものが背筋を流れていった。

 道を観ると、多くの人々が逃げ惑っている。

 ようやくなんとか現実を飲込めた鳴彦は、自らも僅かな荷物とギターケースを手に宿を飛び出した。



 かといって、何処へ逃げればいいのか。

 今朝何故かこの異国にてまだ現状を理解できてないのに、その上でこの騒動だ。

 なんとか落ち着いていた焦燥が暴れ牛のようにのた打ち回り、パニックで思考が完全に止まってしまった。

 地理も、そもそも自分が今どこにいるのかもわからないまま、人のいないところいないとこへ駆けて行く。

 ふと我に返ると、下水っぽい、人通りがまったくない裏道に迷い込んでしまっていた。

 後ろを振り返っても、どこをどう進んでここに至ったのか、まったく思い出せない。

 頭を思わず掻き毟る。


「ああ、ちくしょう……」


 どうにもならない思いが口をついて出てくる。下水の鼻が曲がりそうな異臭も合わさり、なにもかもが最悪だった。

 不意に、下水の奥、トンネルのようになっている奥からバシャバシャという音が聞こえ来た。

 びしりと身を思わず固める鳴彦。

 下水の奥から二人組のフードを被った人物が現れた。


「だいじょうぶですか、レイネシアざま」

「ええ。この緊急時に、ニオイのことなんて構っていられませんから」


 二人組の会話が聞こえてきた。

 その鼻にかかったような声と――湖面のような美しい声。

 間違いない。昼間鳴彦のライブを『嫌い』と言い切った少女と、その女と一緒にいた男だ。

 現状を何一つ理解できていなかったが、目の前の二人組が面倒事だと言うのはすぐさま理解できた。

 じりっと、身をよじる。

 しかし、よじった際に小石を蹴ってしまったようで、それが下水に落ちてぽちゃんという音を立ててしまう。


「だれだ!」


 大柄な男が叫ぶと剣を抜き、レイネシアと呼んだ少女の前に出る。


「うわあああ!」


 初めて見る長剣を、その鋭利な刃物に自身の顔が映ったのを見て、鳴彦は無様に悲鳴を上げて腰を抜かす。

 そんな鳴彦を見て、


「待ちなさい、グスタス」


 と少女が手を挙げた。

 そして、汚濁に濁った下水を掻き分け、フードを被った少女が鳴彦に近づいて来た。グスタスと呼ばれた大柄の男も、少女の後に剣を抜いたまま近づいてくる。


「あなた、昼間の吟遊詩人ね」


 少女はフードをすっぽりとかぶったまま、鳴彦を睥睨へいげいした。


「答えなさい。あなたは何者で、何処から来たのか。そして、何故こんなところにいたのか」


 凛とした凄烈せいれつした声音が、少女の口から紡がれる。その声に、鳴彦は年下と思われる少女に完全に気圧されてしまう。


「お、おれは……」気圧され、口元を震わせながら鳴彦は思考もままならないまま口を開いた。「ひびき、なるひこ。どこから来たのか、おれもわからなくて、その……ここがどこかもわかってないし、どうしてここにいるのかも、その……」


 しどろもどろになりながら、鳴彦は懸命に言葉を紡ぐ。

 しかし、


「わからない?」


 険のある少女の言葉に口をつぐんでしまう。


「ここが、この国が何処かわからずに、昼間演奏してたの?」


 少女の問いに声を震わせながら、なんとか鳴彦は言葉を紡ぐ。


「そ、そうなんだ!……そのっ、信じてもらえないかもしれないけど、俺もなにがなんだかわかってなくて。お、おれ、今朝まで日本にいて!」

「ニホン? 聞いたことない地名ね」


 鼻を鳴らし、バッサリと切り捨てる少女。みすぼらしいなりをしながら感じる風格に、鳴彦は鼻白む。


「ここは歴史あるアルンド王国よ」


 ふと、少女が口を開く。

 唐突だったので、鳴彦は一瞬少女が何を言ってるのか理解できなかった。数拍の後、この場所が「アルンド王国」という場所だと理解する。――聞いたことのない場所。少女の場所じゃなければ奇声を上げて頭を抱えているところだ。

 ふっ、と少女が嘲笑する。


「いえ。もう、だった、と言うべきでしょうね」


 少女の嘲笑に、目を白黒させながら鳴彦は口を開く。


「それは、どういう……」

「レイネシアざま」


 鳴彦の問いは、大柄な男の声で遮られる。


「もう、時間がございまぜん。急がないど」


 その声に、少女が男に振り返る。


「そうね、もう行くとしましょう」

「彼は、どうじますか?」

「そうね……」


 フードの中の顎に手をやり、少女は思案する。

 そして、鳴彦に視線を向け、


「あなた、自分が何処から来たのかわからないと言ったわね」

「あ、ああ……」

「見たところ記憶喪失とかそんなんじゃないし、危険もなさそう。それに吟遊詩人としても一応腕があるようだし、多少はカモフラージュになるかもしれない」


 少女はぶつぶつと呟きながら、鳴彦を見定めるように見つめる。

 そして、


「決めました。彼を連れていきます」


 と言い切った。


「は……?」


 そんな鳴彦のあずかり知らないところでの決断に、鳴彦は思わず間抜けな声をあげる。


「御意」


 言うや否や、大柄な男が鳴彦を肩に担いだ。


「ちょちょちょ!」

「お黙りなさい。舌を噛むわよ。それとも死にたいの?」

「はっ、はあ!?」


 あまりに物騒なセリフを耳にして、鳴彦は素っ頓狂な声を上げる。


「黙らないと、わたくしがあなたを殺しますよ」

「……………ッ」

「よろしい」


 喉元がひりつくようなプレッシャーを浴び、鳴彦は堪らず押し黙る。


「グスタス、行きますよ」


 そして、二人は駆け出した。

 鳴彦は男の肩の上で、借りてきた猫のようにじっとしていることしかできなかった。




    ◆




 都を一望できる崖に三人は来ていた。

 アルンド王国、その王都は至る所から炎が燃え盛り、一目に戦場と化しているのがわかった。

 そんな王都を、少女はじっと見つめていた。

 鳴彦は大柄な男の隣で、所存なさげに突っ立っていることしかできない。


「あの……」


 ついに我慢できなくなって、鳴彦は口を開いた。


「なにかしら?」


 少女は振り返らず、王都を見つめながら応える。


「あんたらは、何者なんだ?」


 なんとかなけなしの勇気を集めて、鳴彦は口を開いた。

 聞いてしまうと、場合によっては死ぬかもしれない。その恐怖をなんとか押し殺して、鳴彦は少女に尋ねた。


「ニホンとかい場所から来たと言うのが正しいのならば、その問いにも頷けます。もしもそれが本当なら、だけど」

「う、ウソなんかついてねえよ!」

「ふふ、冗談よ」


 そう言って、少女はようやく振り返る。

 そして、ゆっくりとフードをおろし、素顔を鳴彦の前に初めて見せた。

 腰まであるビロードのような金色の髪。水晶のような澄んだ青色の瞳。陶磁器のような白い肌に、可憐な唇。

 そのあまりの美しさに、思わず鳴彦は息を飲んだ。

 少女は片手を胸に当て、燃え盛る王都を背に口を開いた。


「わたくしの名はレイネシア・アルンド・フォン・ベリオローラ」


 そして、自嘲する。


「アルンド王国第七王女だった者よ」


 ごくりと息を飲んだ。


「第七王女、だった?」

「ええ、そうよ」


 言った少女の――レイネシアの水色の瞳は激情の炎がメラメラと燃え上がっていた。


「今夜、王国騎士団と多くの貴族がクーデターを起こし、ご覧のように城が落とされてしまいましたからね。故に、わたくしはもはやアルンド王国の王女ではありません」


 レイネシアから、鳴彦が今まで感じたことのないプレッシャーを感じた。

 それは怒り、憎しみ、懺悔、不甲斐なさ、そういったない交ぜになった感情。

 そして、それを凌駕する高貴さと、思わず頭を垂れてしまいそうになる風格。

 否が応でも理解させられる。彼女は王族で、それも生まれ柄の王者なのだと。

 ふっと、花弁が花開くようにレイネシアが笑った。


「彼の紹介もしなければね」


 そう言って、レイネシアは手のひらを上に向け、鳴彦の隣の大男を示す。


「彼の名はグスタス。わたくしの最大の忠臣にして、懐刀です」

「よろじく」


 グスタスはフードを脱がなかった。それが何かの理由によるものだと、鳴彦はふと考える。

 グスタスは大きな手を鳴彦に差し出した。鳴彦はその手を握る。温かく、優しい手のひらだった。


「さて」


 鳴彦とグスタスの挨拶が終わったのを確認して、レイネシアが口を開いた。


「グスタス、それからナルヒコ。わたくしは今から名を偽り、レーネと名乗ります。そのように」

「御意」


 レイネシアの言葉に、グスタスは頭を垂れて意志を示す。

 レイネシア改めレーネは、再度燃え盛る王都へ視線を向けた。


「わたくしは今日より、王都を去り、吟遊詩人一行の歌い手レーネとなります。けれどそれは今日から、この命を脅かさないようにするための一つの手段です。しかし」


 静かに語りながら、王都を見つめるレーネ。


「わたくしは諦めません。必ず、必ずやここへ戻ってきます。クーデターを起こした貴族どもを根絶やしにして、王国をこの手に取り戻します」


 レーネは腰から短剣を取り出す。そして、おもむろに腰まであった金色の髪を掴むと、肩口から下をばっさりと切った。


「今日、レイネシア・アルンド・フォン・ベリオローラは一度死にました。しかし、この死は終わりではなく、反撃の嚆矢こうしの序曲です」


 そう言って、崖の上から切った髪を投げ捨てる。

 そして、崩壊した王都に背を向け、歩き出した。


「さあ、行きましょうか」


 その声に、若干おどおどしながら鳴彦は口を開いた。


「お、俺も行くのか?」

「当然でしょ。あなたはわたくしの吟遊詩人としてのカモフラージュなんだから」


 言い捨てながら、すたすたと山道を進みだしたレーネ。そして、ぽつりと鳴彦に聞こえないように呟いた。


「だって、あなたの歌を聞いた時から、一緒に歌いたかったのですもの」




 その日、千年続いたアルンド王国は、反旗を翻した貴族連合と王国騎士団により、その歴史に幕を閉じることとなる。

 その治世は腐敗を究め、民は虐げられた生活を余儀なくされる。

 けれどそこから五年後。

 『麗水の歌姫』と称される、史上最初の歌魔法使いの英雄の手により、王都は奪還され、新生アルンド王国が建国することとなる。

 その最初の玉座には『麗水の歌姫』が収まり、優れた治世で世界に轟く大国として君臨することとなった。

 そして。

 『麗水の歌姫』の隣には、人々から『烈火の弾き手』と呼ばれる奇妙なリュートを手にした勇者が、少し情けない顔でそこにいた。

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