以津真天 下
夜。月は雲に隠れ、人も含め普通の動物達が寝息を立てる時分。竹の葉は風に揺れ、まるで川のような音を奏でている。そんな夜中にけたたましく鳴くのは怪鳥のみであろうが、その怪鳥もこの場にいるのか、いないのか。場は寂々として風の音が耳に入るのみであった。
寒い。不意に口にされた少女の言葉を否定し「まだ夏だ」と白は答えたが、白自身その体にまとわりつく寒気を覚えずには居られなかった。あきらかに異様な空気が、その場を包んでいる。
「風天丸には毎日こんな見張りがついているのか。……あいつも苦労するな」
白が嫌味を交えてそう言うと、朱色の蛇の目傘を背にする少女はおぼろと手をつないだまま白の目を睨み返す。その視線には、このあたりの空気とは違う寒気を引き起こし、その場に「私の意思じゃない」という小さな声が大きく響いた。
「女将さんか……今回はそちらの依頼とは関係ないはずだが」
「関係ないことは無い。こっちでも似たような依頼が来てたのでこなしにきたまで。あの馬鹿が来れない時は私が代理を務めるのが契約」
「……代理を務めるのは私も同じだ。だが、妖怪以外に首を落としても別にかまわないんだぞ」
二人のただならぬ空気に挟まれたおぼろは「喧嘩はだめなのですよ……?」と二人の顔色をうかがう。柄之介も、二人をなだめるように手を動かした。当然、互いにハッタリをかましただけなので、二人はすぐに「フン」と別々の方向を向いた。
「あ、見えてきたのです」
おぼろが指を出すと、竹林を抜けたその先に黒い巨大な影が見えてくる。かつて難攻不落と謳われた名城も、今は名もなき荒城。そこに残ったのは、すでに朽ち果て倒壊した本丸と石垣のみ。、その石垣を影として映し出すのが、雲の向こうから木漏れ日のような光を送る月。だが、荒城の影を映すのは月明かりのみではなかった。
「ここがお前の死んだ場所か……。これを見るに、困っているのはお前一人じゃないようだな」
荒城を取り囲む無数の淡い青白色。成仏できぬ人魂たちだ。柄之介が三人より前に出る。そして彼らに向かい、「帰ってきたぞ」とでも言うように手を挙げると、人魂はそれを合図に一斉に動き出し、一行を案内するように道を指し示した。
『この先でござる』
人魂を篝火として地面に書かれた文字を読み、淡く創られた道を進む。その先に何があるのかは、人魂程度の灯りでは到底見ることができない。
歩いて行くうちに城の裏へまわり、さらにその山奥へ進む。すると、なにやら小さな影が前方に見えてきた。人魂がそこに集まっているあたり、ココがそうなのだろう。
「……祠か」
「ボロボロなのです、かなり昔からここにあるみたいなのです」
照らし出されたのは、人形が暮らす社のような小さな祠。柄之介は「ここでござる」とでも言いたげになんどもうなずいている。
「ここにでてくる怪鳥を狩り、この落ち武者をスズのところへ連れて行けばいいんだ。おぼろ、できるか?」
「お師匠様のご命令ならば何でも聞くのです! 風天丸様の次にお偉い方なのですから!」
白が安堵の表情を見せると、突如として陸奥はおぼろの腕を引っ張り、抱きかかえる。
「馬鹿が女将と契約をしているということは、おぼろちゃんもこちらの仲間というのは道理。手伝ってくれるよね」
「はいなのです! 陸奥ちゃんの頼みなら、おぼろ頑張るのですよ!」
すかさず白はおぼろを取り返し「一緒に行くんだよな?」と問うと、おぼろは先ほどと同じ笑顔で「もちろんなのです!」と手を挙げる。さらに陸奥がそれを奪い取り「来てくれるわよね?」と言えば「あたりまえなのです!」と返事する。
しびれを切らして二人が「結局どっちだ」と怒鳴ると、おぼろは首をかしげて「皆で行くんじゃないのです?」とさも不思議そうな顔をした。
白と陸奥は大人げなくも互いを毛嫌いする表情を見せ、同時に「こいつとは無理だ」と口にする。
「誰のせいで風天丸が毎晩のように苦労してると思ってる。火島屋と協力なんてお断りだ」
「こっちこそ。誰が仕事をしないせいで金が回らないと思ってるの。忍と協力なんて、願い下げ」
地面に『お二方とも、頑固でござる』と書いた柄之介が慌てて地面の文字を消した。白は風天丸、陸奥は辰子のことを案じているため、互いに一歩も引かずに「自分が退治する」と言い張っている。するとその怒鳴り声が、おぼろに背負われたまま寝息を立てていた二本を叩き起こしたようだ。
「ウるサいゾ!! こンな夜中ニ迷惑な!!」
「赤鬼が一番うるさいー……」
いつものように風天丸とおぼろがギャアギャアと騒いでいると思った二人は、まず風天丸に文句を言ってやろうとその姿を探した。が、その場にいる面子を見て赤鬼が「フン」と声を上げる。
「イつモだンまリのオ前さン達が怒鳴ルなンて珍シい。明日ハ雪でモ降るノか?」
「黙れ。私は早々に風天丸の代理を務めて帰るだけだ。……ここでいがみ合うつもりもない」
「みてよ赤鬼……あの陸奥がしかめっ面してるよ……? あの鉄面皮の陸奥がさ……」
「……うるさい」
段々と騒がしくなってくる一行に、ついにおぼろが爆発した。おぼろは背中の二本を抜くと、それぞれ一本ずつを白と陸奥に手渡す。そして自分は、柄之介の前に出て仁王立ちした。
「皆さんうるさいのですよ! もうおぼろは柄之介様と休んでいるのです!」
「休むったって、おぼろちゃんさぁ……。僕ら妖刀を人間が使いこなせるとは思えないじゃないか……」
その一言にカチンと来たのか、陸奥は青柳、白は赤鬼を握り締めた。そして二人で祠の奥を睨みつけて並ぶ。邪魔な傘や忍具をその場に置き、刀だけを持って二人は火花を散らした。
「妖刀使いがどちらが上手いか……決着はそれでつけると良い」
「上等。つまりは怪鳥を斬ればいい」
それだけ話すと、二人は突風のような勢いで林の奥へ向けて地面を蹴った。
陸奥は忍の白にも劣らぬ速さで闇を駆け、青柳を抜いて目の前を塞ぐ三本ほどの木を斬りつけた。木は一瞬の間をおいて木片と化し、落ち葉とともに陸奥に踏みつぶされる。
白も負けじと赤鬼を抜き、眼前の大木に向けて振りかぶる。するとその刹那、大木は音を立ててその場に崩れ落ちた。
互いに一歩も譲らぬ接戦を繰り広げて山林を駆けるが、肝心の怪鳥は姿も見えない。
とその時。
木の上に、大きな鳥の影が見えた。二人の目の色が変わる。
そして、その鳥が飛ぼうとした瞬間に翼が怪しげに光ったのを、二人は見逃さなかった。
走る勢いを利用し、そのままくないを扱うように、影めがけて同時に青柳と赤鬼を投げつける。二本はまっすぐ、怪鳥に向かって飛んでいき、その直後、刃が突き刺さる音と怪鳥の断末魔、そしてそれが木から落ちる音が響いた。
「……同時か」
白が舌打ちをして陸奥をみると、陸奥も同じく悔しそうにくちびるを噛んでいる。
二人の投げた妖刀たちは、両方とも怪鳥の胸に深々と突き刺さっている。だが、その姿を見て二人はさらに落胆した。
「……鷺」
「俗に言う“青鷺の火”か……」
年老いた青鷺が、飛ぶ瞬間にその体を淡く光らせる現象のことだ。当然、それだけの怪異で霊魂が成仏できぬはずもない。がっくりして二人がもといた場所に帰ろうとすると、森の奥からおぼろの声がこだました。
「で、でたのです!! 大きな鳥さんなのです!!」