以津真天 中
黒い着物に身を包み、風天丸の隣を歩く背の高い男。風天丸が「師匠」と呼ぶ白である。着物の下には、常に身につけている忍装束を身にまとい、日々風天丸や朔の師として師事している。
そんな白の隣を歩く風天丸は、白とともにきょろきょろと何かを探すようにあたりを見渡していた。
「……おぼろを使えば良いものを」
「おぼろは昼間に出歩けないだろ? あれでも人形なんだから」
見た目はただの人間にしか見えぬため、周囲がおぼろを見てもまさか人形の妖怪とは思わないだろうが、あのドジなおぼろのことだ。ふいに転んで首と胴をつなぐ部分が見えてしまえば、「妖怪だ」と騒がれて風天丸共々江戸を追いだされるに違いない。
「それで私を引っ張り出して落ち武者探しというわけか」
個人的な依頼とはいえ、朔から頼まれては断るりゆうもない。が、それにだらだらと時間をかける気もない。そう思った風天丸は、スズから「昼間でも出るらしいです」と情報を聞きだし、早々にこの依頼を終わらせることにしたのだ。
そのとばっちりで朝早くからの仕事を中断し、弟子の手伝いをさせられている白はの顔はわずかながら雲がかっている。だがそれよりも白が気にかけているのは、隣を歩く弟子の今にも倒れそうな千鳥足。大方、依頼が続いてまともに寝てないのだろう。
「風天丸、お前またまともに寝てないだろう」
そう言っても、風天丸はいつもの調子で「大丈夫、慣れてるさ」と墨を塗ったようなくまができている目元を白に向けた。
すると風天丸はめをこすり、次に己に呆れたように笑いだす。
「へへ……とはいっても流石に疲れたなぁ。落ち武者の幻覚が見えてやがる……」
風天丸が指差す先を何となく眺め「分かったから休め」と口を開こうとしたが、白はその視線をそらすことができなかった。その指の先に、風天丸が見ている幻覚と同じものを目にしたからだ。
青白い光をまとい、着込んでいるのは黒い甲冑。肩や背中には痛々しく突き刺さった矢。そして虚ろにでどこを見るでもなく開かれる目。間違いない、スズが行っていた落ち武者に違いない。
白は風天丸の腕を掴むと、人ごみをかき分けて落ち武者のいる細い路地裏へ歩み寄った。陽の当らない路地裏でたたずむ落ち武者は、白達を見て半ば嬉しげに驚いて目を小さく見開く。
「風天丸、落ち武者がいたぞ。終わったら寝ろ、いいな」
「師匠も寝不足なのか、同じ幻覚が見えてるみたいだぜ?」
「馬鹿、こいつは本物だ」
白の言葉を聞いた途端、風天丸の泥のような眼が聖水のように研ぎ澄まされる。瞬時に袖に仕込んだ短刀を抜き、落ち武者の動きを止めるために膝めがけて斬りつけた。
が、その手ごたえは雲を斬るようなもの。風天丸は勢いをつけたまま飛んでいき、地面を転がった。落ち武者はというと、風天丸に申し訳なさそうな視線を向けている。
「だああッ 陰陽師のジジイから札の一枚でも貰っとくんだったッ!」
「馬鹿、それだとスズさんの元に連れて行けないだろ」
白が冷静につっこみを入れた途端、落ち武者は突如何か言いたげに口を動かしたかと思うと、腰に刺された刀を引っこ抜いた。
風天丸は反射的に短刀を構え、白も蛇のような視線で落ち武者を睨む。落ち武者は刀をゆらりと振りかざし、それを風天丸めがけて振り下ろす、反射的に風天丸は守りの構えを取り刀を受けようとした。だが、刀は振り下ろされず、落ち武者は何やら刀を地面で動かしている。
『某、柄之介と申す。声が出ぬゆえ、筆談にしてはいただけぬだろうか』
「なんだ、警戒して損したぜ」と短刀をしまう風天丸。柄之介は申し訳なさそうに頭を下げた。
「……じゃあ、さっさとこいつをスズさんのところに連れて行こうぜ師匠。そうすりゃ俺も気兼ねなく眠れるってもんさ」
風天丸が柄之介に「行くぞ」と声をかけると、柄之介は「待ってくれ」と言わんばかりに手を出し、再び地面に自分の思いを書きつづった。
『某は早く成仏したい。最早この世に未練など無い。だができぬ』
「はぁ……。また妖怪がらみの事件に巻き込まれちまった……」
馴れたように頬杖をつき、風天丸は柄之介の正面の壁にもたれかかる。柄之介は地面に再び文字を書いた。
『それもこれも、全ては怪鳥のせいでござる。どうか、退治してはもらえないでござろうか』
「へいへい、任せとけ……。いつものこった、いつものこった……」
そう言って立ち上がった風天丸だったが、突然目の前がぐらりと揺れ、さらには糸が切れたようにその場に倒れこんだ。意識はあるだけに、自分の体が思うように動かないのが不思議でたまらない。
白はあわてて風天丸を起こすと、素早く風天丸を背負った。
「帰るぞ。お前の体じゃ無理だ」
「子供扱いすんなよぉ……もう元服だってできるんだぞ……」
「まだ数年先だろ、馬鹿」
白の言葉に風天丸はがっくりと首を折る。そしてその下を向いた顔から、寝息がスースーとこぼれ出た。
白はため息交じりに柄之介の方を振り向き「来い」とぶっきらぼうに呟いた。
「こいつに代わって私が退治してやる。だから来い」
『かたじけのうござる』
柄之介がその一文を書き終えるまでに、どれほど歓喜の表情を表したのか、想像するのは難しくない。
二人はその場から去る。が、その一部始終を“見ていた”者は、未だ屋根の上で二人の背中を見送っていた。
「ふぅん……。……とにかく、女将に報告」
空色に似合う朱色の番傘は、少女の風に揺れる長い髪をまとったまま少し揺れた。