血吸鬼 肆
寒い風の吹く夜道を、風天丸はおぼろと一緒に歩いていた。その隣には、寒そうにえりまきに顔をうずめる白の姿もある。
「お扇さんが出かけてる間に黙って来てることだし。夜明けまでには帰ったほうがいいな」
「流石に、夜明けには帰ってくるんじゃないのか? おそらく、市の知り合いに泊めてもらったんだろ」
眠い目をこすり、白の言葉に適当にコクコクとうなずくいている待ち合わせをしている火島屋の前へたどり着いた。既に店じまいした火島屋の前には、キセルを加えた辰子と、その隣でめをうつらうつらとさせながらガクンと首を折った陸奥がいる。
「……あれ、狗神の兄さんも来たのかね。こりゃにぎやかになるよ」
「辰子さん、今回の依頼は本物なんだろうな……?」
風天丸の問いに対し、辰子は「さあね」と笑った。寒空の風とは別の冷たい空気が、風天丸の背筋を襲う。陸奥は大きなあくびをすると「女将、眠い……」と呟いて、先に火島屋へ戻ってしまった。辰子は陸奥が入ったためか、風天丸達に見送りのあいさつを送る。
「そんじゃ、行っといで。ちゃんと仕事してくれりゃ、報酬の一つや二つ払ってやるさ」
そういった辰子は、袖をひるがえしてのれんに手を通した。火島屋の玄関で揺れていた提灯の火が風で消える。三人は目を合わせると、合図のようにうなずいて、連なる黒い屋根瓦の上に飛び乗った。高いところだけあって、風が正面から吹いてくる。おぼろはそれを受け、少し転びそうになった。
「……お師匠様、ここで待ってれば、鬼さんが来るのですか?」
「さあな。鬼が人を殺すのに、日付は決まってない」
すると、どこからか小さく悲鳴が聞こえた。その声を聞いた風天丸と白の表情が、とたんに険しくなる。その声はまぎれもなく、お扇のものだった。
「……やっぱり私がついて行けばよかったッ」
誰に言うでもなくそう口にすると、舌打ちをして声のする方向へ飛んだ。置いて行かれた風天丸は、慌てておぼろをつれて白の背後を飛ぶ。
二人の足は瓦を叩き、独特な音響を奏でながら声のする方へ走った。そしてたどり着いたのは、寺の屋根。よく見れば、そのてっぺんに黒い布を全身にまとった人物が立っている。白い月を背後にしたその人影は、赤いような目でニタリと笑った。
「……まずは、挨拶をした方がいいかしら?」
裂けるような口で笑ったその人物の両腕には、倒れたお扇の姿がある。風天丸はその妖怪を睨みつけ、指を動かしておぼろに刀を抜かせた。
「……てめえが血吸鬼か?」
「愚問なのです、風天丸様……。この人、血の匂いがしているのです……!」
次の瞬間、血吸鬼は自分の身につけた黒い布を、闇を飛ぶコウモリの翼のように夜空に広げた。そこには、楼で固めたような青白く、おぞましい顔と、鋭く伸びた牙があった。
「あら、私は「チスイオニ」なんて言う名前じゃないわ……。ここらの人間が勝手に呼んでいるだけ」
白は隙を見て、一瞬のうちに間合いを詰めた。そして、ぐったりと力の抜けたお扇の腕に手を伸ばす。
しかし、次の瞬間、血吸鬼のまとった黒い布が、羽ばたいた。それは無数のコウモリとなり、白は思わず目をつぶる。だが、瞬時に目を開き、コウモリたちの飛んでいく先をみると、しばらく離れたところで小さな渦を作り出した。すると、渦の中心に、突如として血吸鬼の不気味な笑みが照らし出される。
「いきなり失礼ね、まだ名乗ってもいないのに……。まあ、いいわ」
不気味な笑い声を上げると、その姿が消えた。そして、風天丸とおぼろの目の前に、その赤い目が飛び出してきた。
「その鮮血、いただくわ!!」
風天丸は慌てる様子もなく、腕と指を同時に動かした。するとおぼろの体は宙に浮き、抜いた二本を使ってぐるりと回る。そして、その鞘で相手の下腹部を殴りつけた。血吸鬼は数度、屋根瓦に体をぶつけて寝そべった。そして、少し足を震わせながら立ち上がる。
「そのマジック……! あなた、まさかニンジャ!?」
風天丸も白も黙っているが、血吸鬼は一人合点して高笑いを夜に響かせた。
「まさか、ニンジャがこんなところにいたなんて……! ああ、私はついているわ……! しかも若い人間の血がたくさん……!」
「変態がッ やっぱり血吸鬼ってのは、変態だったじゃねえか、おぼろッ」
「ただの変態さんじゃないですッ 妖怪の変態さんですッ」
おぼろの言葉にカチンと来たのか、血吸鬼は次に、朧に向かって牙を走らせた。空中を滑るようにして、おぼろに向かって飛んでいく血吸鬼は、準備と言わんばかりにその大きな口をガパリと開き、匕首のような牙をむき出しにした。
「まずは……! そのガキの頭を噛み砕いてあげる……!」
風天丸は急いで腕を引き、おぼろを戻そうとしたが、間に合わない。血吸鬼の鋭い牙が、おぼろの頭に突き刺さる。
が、その時。
ガリッ
という音と共に、血吸鬼は硬直した。そして、次の瞬間。
「いだあああああああッ!!」
血吸鬼はもだえながら、屋根の上を転げまわっている。全員、それをポカンと眺めるしかなかった。今目の前で起こっていることの意味が分からないのだ。
「い、痛いわッ!! 牙が折れちゃったじゃないのッ これじゃ血を吸えないわッ!!」
そう言って涙目で朧の頭をぽかぽかと殴る鬼をみて、白はハッと我に返り、「と、とにかく捕まえよう」とだけ、風天丸に命じた。こうして、世間を一時騒がせた血吸鬼は縄で縛られ、火島屋まで連れて帰られることになった。
「な、なにすんのッ 可憐な乙女になにすんのよッ」
「何が”乙女”だッ お前男じゃねえか!!」
世間を騒がせた血吸鬼は、俗に言う”カマ”であった。
火島屋に着き、明るいところでそいつを見ると、気持ち悪さが倍になる。美しいとはいえない顔に、化粧をしているその顔は、夜中に見れば卒倒しそうだ。先程白く見えた顔は、化粧をしていたからだった。
「何よッ! ほどきなさいよッ! 若い女に手を出すなんて、あんたたち最低よッ!!」
「男だよね……。赤鬼……?」
「オう。ソれモ、気持ち悪イ」
「ああん!? 気持ち悪いってなんじゃあッ!!」
そう言った男の高い鼻先に、 ジュッ と熱い物が落された。辰子がキセルの灰を落としたのだ。
「熱いッ 熱いわッ と、とんでもねぇ国にやってきちまったもんね……!」
異人特有の高い鼻に乗せた灰を払いながら、男は怯えて震えている。散々人々を脅かしたのはどっちだ。
「……それにしても、何で人の血なんて吸ってたんだい? ええと……変な人」
辰子の言葉に、男は折れた牙をむき出して赤い舌を出し、威嚇するように辰子に向かって怒鳴る。
「変な人って何よッ!! 私は人間じゃなくて、ヴァンパイアよ!!」
「ばんぱゐあ……? おぼろ、知ってるか?」
おぼろは青柳と赤鬼を背負ったまま、火島屋のおにぎりをもしゃもしゃと食べている。そのおにぎりを口に含んだまま、風天丸の元へ歩いて行った。
「しってまふ。南蛮の妖怪でふ」
おぼろの頭は、人形ゆえに石のように硬く、ばんぱゐあに噛まれても傷一つついていない。それどころか、相手の牙を折ってしまうとは。風天丸は、おぼろの頭で人が殺せるのではないか、と考えてしまった。ばんぱゐあは牙を折られたからか、おぼろが来ると顔を真っ青にして怖がっている。よほど、おぼろが恐ろしい妖怪に見えているのだろう。
「で、ばんぱ……ばん……。ばんばんとかいうやつ」
「ヴァンパイアよッ!! 「ば」じゃなくて「ヴァ」よッ」
「うるさいですねぇ……」
ばんぱゐあは、風天丸に噛みつきそうな勢いだったが、おぼろの言葉に「あ、あらごめんなさいッ」と、押し黙った。気絶したお扇を長屋に送ってきた白は、説教でもするような眼で男の高い鼻を見る。
「そもそも、なんで日ノ本に来たんです? 住んでいるのは南蛮でしょう」
「この国の”ニンジャ”っていう超人の血が吸ってみたくなってねぇ。ほら、私ってグルメじゃない?」
風天丸は「知らねえよ」と発言を一蹴した。
「とりあえず、罪は償ってもらわないとな。死んだ人たちが可哀想だぜ」
風天丸がそう言うと「死んだ人って何よ」と男は首をかしげた。
「とぼけるんじゃねえよ、この町の人の血を全部吸って殺したんだろッ 俺と白さんの恩人を殺そうとしてたのが、何よりの証拠だぞ」
「な、なによそれッ 私はただ、道に迷ってたあの娘を家まで送ってあげようとしただけだし、他の人のだって、夜道で出会った途端に気絶するから、ついでにちょっと貰っただけよッ!! なんでこの国の人はすぐに気絶するのかしら?」
火島屋にいる皆が「お前の顔だ」と口にした。
「なら、どうして俺達を見て襲いかかったんだ。家まで送ろうとしてくれる顔じゃなかったぞ?」
すると男は顔を赤くしてくねくねと気味悪くうごめいく。
「だってあんなに綺麗な顔の人初めてですもの……吸いたいじゃない?」
白の背に冬の風と同じような寒さが走った。
○
南雲亭では、いつものように食材を刻む音が響いていた。だが、今日は風天丸は来ていない。
いつも風天丸が立っている場所には、ひょろっとした不気味な男が立っている。
「ふんふふ~ん、新鮮な血がたっぷり入った魚を毎日くれるなんて、私ったらなんて幸せ者なのかしら……!」
厨房ののれんから男を覗く朔と水之介は、不思議そうに顔を見合わせた。
「……あの人、仕事はしてくれてるのよね」
「あ、ああ、そりゃぁちげえねェ。……おまけにさばくのも、なかなか上手いと来たもんだ」
朔はおそるおそる男に近づき、声をかける。
「が、がすけさん……でしたっけ?」
これは朧がつけた偽名だ。男の本名は、異国特有の長々しく覚えにくい名前の為、その長かった牙からとって「牙助」と名付けたのだ。
牙助は「はぁい!」と元気よく振り返り、その見る者を卒倒させるような笑顔を朔に向ける。
「ほ、本当にお給料は、魚で良いの……? お金じゃなくても……」
「あぁん! いいのいいの! お金なんて使い方よくわかんないし!」
牙助は南雲亭での仕事が気に入ったらしく、これからは風天丸とともにここで働くつもりのようだ。金のかからぬ働き手が来てくれて、水之介達も大いに助かっている。
だが、朔はなんだか寂しそうにきょろきょろとあたりを見渡した。
「ねえ、水之介さん……フウは、今日は来ないの?」
「らしいな。なんでも、そばを食いに出かけるんだとさ」
その頃、そば屋ではなく、火島屋は、珍しく昼間からにぎわっていた。
「な、なんでうちにそんな奴ら連れてくるのさ……!」
「仕方ないじゃないかよ。妖怪の大名行列作ってそば屋にいったら、卒倒されちまうぜ」
「風天丸様が大名様なら、おぼろはお姫様なのですよ!」
辰子は、風天丸の予想以上の金をくれた。「人殺しはなかったにしても、一応本人だからね」と言って、約束通り、依頼主からもらった金を辰子と分けたが、分け前の少ない風天丸でも、中々の額だった。
「本当、依頼主のおっちゃんには感謝だぜ。お前ら、当分その人の店には化け出るんじゃないぞ!」
火島屋に所狭しと陣取る妖怪達は、辰子と陸奥が目を回しながら作ったそばを上手そうに食べている。
そのうちの一人の妖怪が言った。
「俺たちゃ、良い主を持ったもんだぜ。皆、これからはお礼として、風天丸を御守しねえか。一日中、傍から放れるんじゃねえぞ!」
おぼろは「大賛成なのです!」と手を上げたが、風天丸は「勘弁してくれよ」と苦笑した。
吸血鬼ドラキュラ。初めて知ったのは、小学生の頃の図書室でした。クールな紳士のドラキュラは、仲間のミイラ男やフランケンよりカッコよく見えたのを覚えています。
もし、江戸に西洋の妖怪があらわれていたら、何と呼ばれていたんだろうか。という考えから書いた今回のお話。やはり“吸血鬼”というだけあって、“鬼”という単語はあるだろうと思い、並べ替えて“血吸鬼”と命名しました。
ですが、やっぱり某怪物アニメの影響か、ダンディな紳士とは、面白く書こうとするとオカマになってしまうんですね(笑)