血吸鬼 参
もうこれからは、不定期投稿にしましょう、これ。
「師匠ッ 仕事ができたぜ!!」
勢いよく長屋の戸をあけた風天丸は、その途端顔を青くして冷や汗を流す。その場に白はいなく、いたのは同居人のお扇だった。お扇はキョトンと首をかしげ、その大きな眼で風天丸の顔を覗き込む。
「白さんなら、さっき出かけましたけど……風天丸ちゃん、お仕事ができたっていうのはどういうこと?」
「い、いや……南雲亭での仕事が上手くいってるって話さ……あはは」
「朔ちゃんみたいなお友達がいるし、水之介さんはいい人だもの。よかったわ」
二人に南雲亭を紹介した身としては鼻が高い、とお扇は白の着物のほつれを縫っている。どうやら、赤い花の刺繍を施すつもりらしい。風天丸の脳裏に、白の照れ笑いが浮かんだが、同時にお扇の着物の柄を選ぶ”目”が尋常ではないことも思い出し、白の苦笑も浮かんだ。この前はダルマ柄の着物を買ってこられ、白はヒョットコだった。
「白さん喜んでくれるかしら……」
そんなことを言いながら手を動かし続けるお扇だが、白に想いを馳せることで頭がいっぱいになってしまい、気づけば自分の手の甲にチクリと針を刺してしまう。これが、三回ほど続いた。
「お、お扇の姉ちゃん。何なら俺が代わってもいいぜ?」
「だ、大丈夫ッ これは私が白さんにあげるから……!」
風天丸は「お熱いこって」と頭の中でぼやき長屋の部屋を出ると、白を早く見つけてやろうとあたりをきょろきょろと見渡した。が、長屋の目の前を行き来する人々の中に、白の姿は見当たらない。
「大の大人が迷子、か……。いや、それとも、また植木の仕事かな」
おそらく前者ではあるまい。ならば、「近ごろうちの庭の木が伸びてきた」と話していた、向かいの屋敷に違いない。久しぶりにいい推理ができた、と足取りも軽い風天丸だったが、気づけばその足取りは、徐々に長屋の方へ戻っていく。それはまるで、見えぬ糸に操られるようだ。
そのまま風天丸は、いつもおぼろがいる長屋の開かずの間へ入って行かされた。
「なんだよお前たち、俺は今忙しいのさ」
部屋からあふれるのではないかというほどにギュウギュウにつまっている。そのうちの一人であるおぼろは、妖怪達の代表のように一歩前へ出て、風天丸の顔を睨みつけた。
「風天丸様は甲斐性なしなのですッ」
「な、なんだよ突然」
「だって、こんなに妖怪のみなさんがいるのに、この狭い部屋に押し込みっぱなしだし、ご飯だってまともに貰ってないし、何よりおぼろがお外で遊べないのですッ」
おぼろのその一言を皮切りに、次々に妖怪達が不平不満を垂らしだした。やれ入道がでかすぎて邪魔だの、やれ落ち武者の霊の刀が危ないだの、やれ九十九神が多すぎて、使うたびに文句を言ってきて煩いだの。
至極真っ当な意見である。
確かに、仕事をこなす度、捨て犬捨て猫を拾うようにおぼろが連れてくる妖怪を、結局は面倒を見てやっている風天丸だが、流石に長屋の一部屋に押し込むのはそろそろ無理がある。風天丸と白、そしてお扇が暮らす部屋でさえ、少々窮屈なのだ。
妖怪達の頭はおぼろであり、そのおぼろの主は風天丸。ならば、妖怪達が不平を言うのは、おのずと風天丸ということになる。いや、それはおそらくおぼろに文句を言うと泣きだすからだろう。
だが、風天丸も毎日のように不満を言われるのではたまらない。が、妖怪達の意見にも、同意の余地はある。
「仕方ねえ。今夜、久々に仕事が入ってる。その仕事が終わったら、結構な金が貰えるかもしれねえんだ。その金で、全員分の飯ぐらいおごってやるからよ」
風天丸がそう言うと、妖怪は輪になってひそひそと相談をし始めた。
「どうするのです? 風天丸様はああ言ってるのです」
「わしらは「部屋が狭い」と言うとるんだぜ。飯なんぞで、片付けられたくはねぇなぁ……」
「つっても、風天丸の働き先は、売れない飯屋と、どケチな口入れ屋だぜ? 九十九神共も合わせて二十はいるオイラ達が全員、まともな飯を食えれば、十分だろうよ」
「私は風様のご意見に従うのみですから、構いませんよ」
いくつか風天丸の心に刺さるような意見も出た後、妖怪達は再び風天丸に顔を向けた。
「いいのですよ! 皆さんでおそばを食べに行くのです!」
「そ、そりゃよかった……今回はキツネそばでもいいぜ……」
己の甲斐性のなさを実感し、少々胸が痛む。それによくよく考えれば、あの辰子が、全員分のそば代を払ってくれるとも限らない。そんなことも知らず、妖怪達は嬉々としてそば屋に行くのを楽しみにしている。
「へへ、こないだの飯なんて、一匹の魚を全員で分けてたもんな。ようやくまともなもんが食えるってもんだぜ!」
「アタイも助かるねェ。空腹ってのは肌に悪いのさ」
「俺たちゃ、いい主を持ったもんだぜ」
風天丸はたらたらと汗を流しながら「そ、そうだろ?」と作り笑いを浮かべる。
おぼろは意気込みながら、青柳と赤鬼を縛る布に力を込め、「妖怪一」と書かれた鉢巻きを額に巻きつける。
「風天丸様、朧は準備万端なのですよ! 早く血吸鬼を退治して、皆さんでおそばを食べましょうなのです!」
「馬鹿、外を見て見ろ」
まだ辺りは日が高く上っており、鬼なんぞ出てくるはずもない。それに、出たとしても人目につく。
おぼろは「それじゃあ!」と手をポンと叩くと、押し入れの中に潜りだし、昼間だと言うのに布団の中にくるまった。
「お昼寝をして、夜中でも大丈夫なようにしておくのです。おやすみなさいなのです!」
おぼろはそう言うと胸からほどいた二本を隣に置き、頭から布団をかぶって丸まった。
どうやら是が非でも、風天丸は今夜の依頼で、大金を持って帰らねばならぬようだ。そうしないとおぼろに泣かれ、さらには妖怪達からも恨まれ、下手すると呪い殺される。
「こんな日に限って、秋みたいに日が落ちるのは早いんだよなぁ……」
風天丸は、無慈悲に西に向かって進む日を、目を細めながら睨みつけた。既に押し入れからはおぼろの寝息が聞こえ、風天丸は一度寝息が聞こえるたびに「今回の依頼は、でたらめじゃないだろうな」と心臓が跳ね上がる。
願わくば、今日に限って鬼が出てくれますように、と、トンチンカンなことを祈る風天丸だった。
押し入れの中はおぼろが「もう食べられないのです……」と寝言を言っている。風天丸は、少なくともただのそばぐらいは食べさせてやれるよう、今から南雲亭に行き、働いてくることにした。
妖怪達に勘ぐられぬようにそっと長屋から抜け出すと、丁度仕事を終えた白が帰ってきたところだった。風天丸は白を捕まえ、長屋の裏に引っ張り出した。
「なんだ、今仕事が終わったところだぞ」
お扇が買った金魚の柄をした手ぬぐいを肩から下げる白の手を固く握り、風天丸はありあまった元気を晴らすように数回跳びはねた。
「久々にでっかいしごとがやってきたんだぜ師匠! なんだと思う? なんと、あの血吸鬼を退治するんだぜ!!」
「血吸鬼? ……そんなもの、辻斬りに斬られた奴の血が流れただけだろう」
「そんなわけないだろ? だとしたらその辺りに、真っ赤な池ができてらァ」
たしかに噂では「青くなったその顔には血の気がなく、刀で切った痕もない」とささやかれている。となると、本当に鬼が人の血をすすったのだろうか。白も風天丸より数年は永く生きているし、雑学にも詳しい。だが、そんな妖怪の話は一度も聞いたことがない。
おぼろ曰く「妖怪も進化するのです」と言うことらしいが、年々人に害をなす妖怪が増えられてはたまらない。しかし、白が聞いたこともない妖怪となると、やはり風天丸とおぼろだけでは荷が重い。
「いいか、風天丸。血吸鬼を退治するのは今夜だろう。その時は、必ず私もついていく。いいな」
「師匠が? いいけど、忍術が効くような相手かどうか、わかんないぜ?」
「わからなくても、だ」
白は念を押すと「お扇を待たせているから」と、長屋に去っていく。風天丸は手柄が減ったような顔で「ちぇっ」と吐き捨てると、白の後に続いて部屋に入った。
「あ、二人して帰ったんですか。丁度よかったです」
そういうお扇は、風呂敷にいくつか荷物をまとめているところだった。
「今日は遠くの市へ買い物に行くんです。白さん、私がいないからって、何も食べないのはナシですからね。いつもそうなんですから」
「……そう言う君も、方向オンチなんだからお気を付けて」
お扇は赤くなって「分かってます!」と声を荒げると、水玉模様の風呂敷を背負って「では、行ってきますね」と出て行ってしまった。家事役のお扇がいなくなると、部屋の中は空気しか詰まっていないようにガランとしてしまう。こうしてみれば、いかにお扇がよく喋っているかがよく分かる。
「さて、風天丸。お扇さんがでていったから、私達だけが残ったわけだが……」
「分かってるぜ師匠、姉ちゃんがくたびれて家に帰って、寝たところを見計らって出て行くんだな!」
「今度は物音を立てるなよ? こないだは、忍のくせに皿にけつまずいて……」
白がトカゲのような目で風天丸を見ると、風天丸は赤くなって「あ、あれは周りが暗かったんだ」と後ろ髪をいじった。
すると、押し入れの中から何かがトントンと、内側からふすまを叩いている。二人がそれを開くと、そこには青柳と赤鬼が丁寧に置かれていた。
「おぼろちゃん寝ちゃってるよ……。本当に今日、出かけられるの……?」
喧しい刀達に、風天丸はあいまいに「ああ、もちろん、もちろん」と返事する。この二本は、風天丸が飼っている付喪神の中でも特におしゃべりで、二本一緒に置いておくと休みなく話し続けている。
「風天丸は僕らの扱いが雑だよ……。僕、柳生家の宝刀だよ……?」
「俺ハ、真田信繁が使ッてイた刀ダぞ!」
二言目にはいつもこれだ。揃って「自分たちは名刀だ」と主張する。二本とも、誰が作ったのかは分からないが、少なくとも柳生家の刀でも、真田信繁の刀でもないだろう。そんな名刀が、こんな下町でぞんざいに扱われているはずがない。最初は風天丸も「そんなわけないだろう」と一々ツッコミを入れていたが、今となっては「ああ、そうだな」と相槌を打つばかりになってしまった。
そんな二本は、風天丸と白が今宵、鬼を退治しに行くことを聞いていたのか、はるばる隣の部屋から穴を通して転がってきたのだ。
「当然、俺タちモ行くンだロう?」
「ああ、そりゃそうだ。おぼろの武器なんだからな」
「そうだよね……。僕ら四人で、一組だもんね……」
青柳の言葉に「冗談じゃない」と風天丸は渋い顔をする。白は「賑やかに越したことはないだろう」と笑い、最後に「お前の仕事が忍以外ならばな」と付け加えた。
日が傾くまで、各々が別の仕事をこなし、その空に星が光るのを待つ。
暮れ時の、まだ山の向こうに夕陽の赤が残る刻。おぼろは寝床から起き出して、道具をまとめる風天丸の背中に飛び乗った。
「風天丸様、出発の時間なのです」
「ああ、皆でそばを食おうじゃないか」
隣の部屋からは、妖怪達の舌舐めずりが聞こえた。