鬼一口 下
林の中から物音がして、二つの頭が飛び出した。
「陸奥、帰るぞ!!!」
「まだ何も見つけてない」
「だから帰るんだよ!!! 何も無いからな!!!」
どれだけ雨の降る中探しても、鬼どころか生き物一匹見つからない。まさか地面を這う虫やトカゲがさらったはずもなく、また人通りも少ない山道なので、誘拐犯とも考えがたい。
風天丸はきょろきょろと手がかりを探す細い背中にべーっと舌を出す。するとすぐさま振り返った陸奥が、風天丸の胸倉を掴み上げた。
「……後ろだから見えないと思ったら、大間違い」
「は、はい……」
普通は見えないだろう。と風天丸は再び舌を出した。心の中で。
しかし何故、真後ろにいた風天丸の行動が陸奥には分かったのか。それは、陸奥の持つ傘に秘密があった。
「ちぇッ 相変わらず陸奥にべったりで、気味悪い傘だぜ」
風天丸がそう言うと、傘はぐらぐらとゆれたかと思うと、風天丸に向かって赤い目玉がギョロリと現れた。
「気味が悪いとは何でござるか風天丸殿!!」
「お前のことだ佐門。相変わらずのその目つき、どうにかなんねえのか?」
佐門は否定代わりに赤い目の下からべろりと舌を出した。
陸奥は佐門を握り締め、風天丸と彼のいざこざには一切興味が無い、といった風である。
佐門は陸奥と風天丸が二人で仕事に向かった時に手に入れた、いわゆる「唐傘お化け」である。
しかし、佐門はただの傘ではない。陸奥が常日頃から彼を持っているのも、そこに結びつく。
風天丸はそのことを思い出し、陸奥に自分の笠をかぶせると、佐門をひょいと手にした。そしてもち手の先端をつかみ、ぐいと引っ張ると、そこから一筋の月明かりのような輝きが放たれた。
「にしても、仕込み刀の付喪神ってのは珍しいな。なあ陸奥、こいつゆずってくれよ。代わりに青柳と赤鬼をやる」
「駄目」
「某も嫌でござる。お主の家来の家来など」
「ちぇッ 朧はあんなうるさい刀を持つより、こっちの方が絵になると思ったんだけどなぁ」
こんな世の中に少しぐらい風情を求めてもいいじゃないか、と風天丸は言う。
だが当然、陸奥が承諾するはずも無かった。
「にしても、本当に佐門を使う時がるのかよ。小鬼一匹、悪霊一匹見つからねえよ」
「でも手がかりが無いわけじゃない」
そういって陸奥は二人から4メートルほど離れた地面を指差した。そこにあったのは、いくつもの足跡。
「……だいぶ前の足跡らしいな」
「業麻呂の言うことと合致するかも」
「その辺のやつが芝刈りに来たんじゃねえのか?」
そういってみたが、このあたりが人通りが少ない場所ということを思い出して口をつぐんだ。
「しかし、こりゃあ別に鬼の足跡ってわけでもなさそうだぜ。……いや待てよ、そうするとこの人間の足跡はいったい誰が?」
思い当たる節といえば、当然あの業麻呂。そして彼がこの山へ共に来たという女のものだろう。
しかしそれにしても足跡が多すぎる。
「……鬼も草履を履くのか?」
「朧ちゃんにも、着物を買ってあげてたでしょ」
「それをこれとは、違う気がするけどなぁ……」
だが、もしそうだとすれば一大事である。
それまで「適当なことを言う業麻呂の話に付き合ってやる」という馬鹿みたいな仕事だったというのに、それが一変して「四匹以上いる人喰い鬼退治」という仕事になるのだ。
まさか、今日という雨の日に緊張感に見舞われるとは、誰が想像しただろう。
雨の感触が突然冷たく背中を伝った。
「……さっきも言ったけどさ、今日は朧がいねえ。俺はろくに戦えそうにねえから、負けるなよ」
「おや、まるで陸奥殿が風天丸殿より頼りにならないような口ぶりでござるな」
「そんなつもりは無いぞ……手首を切り落とされそうで怖いから、変なこと言うな」
むしろ朧のいない自分が、陸奥より劣っていることは分かっている。しかし、それでも男とは見栄を張って生きねばならぬ生き物なのだ。そんな男の姑息な見栄を鼻で笑って吹き飛ばすのが、女というものだが。
陸奥の長い髪が雨でしっとりと艶やかに黒ずみ、鼻の先で風になびく柳のようにゆれている。
無性に顔が火照るのは、雨のせいだろうか。
「陸奥、そこの石にけつまずくなよ」
「……何、突然」
「いいや。お前がこけて泥まみれになると、俺だけ小奇麗な格好で帰るわけにはいかなくなるだろ」
「素直に「足元に注意を引かせておくから、その隙に佐門をよこせ」って言えばいいのに」
風天丸は「ばれたか」と舌をだした。雨は、鉛のように降ってくる。
さて、そろそろ歩き続けて四半時(三十分)になる。しかし、未だに鬼の手がかりになるような物は、足跡を除いて存在しない。
その足跡をたどって行くうちに、いつの間にやら周囲の木々は姿を見せなくなっていった。
そしていつしか二人と一本は、木漏れ日のように小さく開けた場所へと足を踏み入れており、そこにはいまどき珍しい、古風な屋敷が一軒だけ孤独にたたずんでいる。
門番もいないその屋敷へ、足跡は向かっているようだ。
緊張で肩が一瞬震える風天丸をよそに、陸奥はそっけなく屋敷へ歩いていった。
「おい、金棒にひき潰されても知らねえぞ」
「佐門がいる」
「へえ、そりゃ随分と役に立つ唐傘なこった」
「フン、まあ見ているといい、でござる」
陸奥は風天丸を置き去りにすると、門の前へ歩いていった。そしてスラリと刀身を抜くと、まるで虚空を斬るように軽々と佐門を振り回す。
「一丁、あがりにござる」
佐門がそう自身の傘をパッと開くと同時に、目の前の門は細切れになり崩れ落ちた。
「どうでござるか、風天丸殿? このような動きが、お主にできるとでも?」
そう言うが早いか否か、陸奥の目の前に熊のような大男が跳んで出てきた。男は門の惨状を見るとあんぐりと口を開け、次に陸奥をにらみつけた。
「こ、こんの野郎!!! お屋敷の大切な門をまな板みてえにしやがって!!!」
大岩ほどもあるその腹に、陸奥のもつ佐門の持ち手がめりこんだ。男は青い顔をして、その場に崩れ落ちる。
「……おい、陸奥」
「峰打ち」
「打ってねえじゃねえか」
風天丸が言いたかったのは、そんな語弊ではない。風天丸は白目をひん剥いて倒れる男の顔を覗き込んで、男のように顔を青くした。
「……この兄ちゃん、人間だぜ」
「…………峰打ち」
「関係ねえよ」
二人は顔を見合わせて、すぐさま帰ろうと踵を返したが、その直後背後で甲高い声がした。
「な、何事ですか!? 兄様、兄様!?」
それでも帰ろうとする陸奥の肩をつかみ、風天丸は謝罪すべく振り向いた。少女は二人を見るなりおびえた様子でしりもちをつき、再び悲鳴をあげる。
その声を聞き、さらに屋敷から四人ほど、屈強な男が跳び出して来た。
「どうした周防!? こんどはどんな阿呆が来やがった!?」
「あの業麻呂とかいうやつか!?」
その言葉を聴き、風天丸は「ああ!」と声をあげ、少女を指差す。
「あんたか!! 業麻呂の兄ちゃんの恋人ってのは!!」
○
風天丸と陸奥は頭を下げた。当然、先ほど気絶させてしまった男への詫びである。
「いんやいんや、浮世に誤解はつきものだで」
「大五郎は間抜けだからなぁ! こんな子供に負けちまうんだよ」
見た目に反して、以外と温厚なようである。
風天丸は顔を上げると、視線を隣で苦笑する周防に向けた。
「で、周防だったか? 業麻呂の兄ちゃんが探してたぞ、鬼に食われたんじゃねえかってな」
そう告げると、男達が血相をかえて風天丸に詰め寄った。
「おいがきんちょ!! その男ってなぁ、あのひょろひょろして声が妙に高いやろうか!!」
「顔を真っ白にしてるやつだろう!!?」
周防がどうにか皆をなだめ、風天丸にことの経緯を話す。
「実はここにいる皆さんは、私の兄なのです」
一番背が高いのが源一郎。目に傷があるのが平次郎。髷を結っているのが卯三郎。髭を生やしているのが徳四郎。そして、一番口が大きいのが大五郎。
それ以外の見た目は、全て同じである。
よくまあ、こんな相撲部屋のような兄弟たちから、こんな華奢で色白な周防という妹が産まれたものである。
まじまじとその顔を見ていると、陸奥が風天丸の耳を引っ張った。
「大切に育ててもらいましたから、兄達は私と業麻呂様が結ばれるのをよく思わなかったのです。それで……」
「なるほど、それで奪い返したんだな。……だけどなぁ、そりゃあ末っ子の妹ってのは可愛いもんだが、それだけに、人生の大事な決断は、本人に任せるべきじゃねえのか? 兄の出る幕じゃねえよ」
すると周防の兄の一人、源一郎が首を横にふった。
「俺達は、別に周防が結ばれることに反対なわけじゃない。当然、幸せになってもらいたいと思っている。だがそれならば、周防に見合った男で無ければならない。そこで試したのさ、業麻呂が周防をさらわれた時、しっかりと血眼になって探しに来るかをな」
すると源一郎は眉をひそめ、ため息混じりに言った。
「だが、ヤツは来なかった」
「待て待て、ちゃんと業麻呂の兄ちゃんは俺をよこしたろう?」
「駄目だ。本人が来なければ意味が無い」
結ばれない恋とはこのことだ。周防もその兄達も、おそらく業麻呂も困っている、だが同じくらい風天丸も困っていた。
まさかこのまま帰れるはずも無い。できれば業麻呂に加担してやりたいが、どうみてもこれは業麻呂の努力不足である。
すると風天丸の様子を見た陸奥が、ひそかにその耳に口を近づけた。
「……帰りましょ」
「そういうわけにもいかねえだろ……」
「どうして。私達の仕事は、あの貴族の恋人が生きているかどうか探すこと。で、探し当てた」
「でも最後まで仕事が終わったわけじゃねえ。最後まで見届けねえと、仕事をしたことにはならねえのさ」
陸奥は風天丸がくさい台詞を吐くのがすさまじく気に入らないらしく、いつもの感情の無い彼女とは思えないような不機嫌な顔になった。
「…………で?」
「……だから、なんとかする」
風天丸はそういうと、源一郎に切り出した。
「なあ兄ちゃん、自慢じゃねえが俺とコイツは、江戸では名の知れた人探しの稼業をしてるんだ」
「それがどうした」
「つまり、それなりに金がかかる仕事をやってんだよ」
すると隣の平次郎が、風天丸をにらみつけた。
「……周防を探すのに金をかけてるんだから、許してやれってのか?」
「へへ、まあな」
聞いたことの無いような話だ。当然、兄達がそれで納得するはずも無く、卯三郎に至っては、風天丸に今にも掴みかかろうとしている。
源一郎は立ち上がると、壁のような巨体を風天丸の前にズンと近づけた。
「そんな屁理屈で、俺達が納得すると思ったのか」
「屁理屈っつったらそっちも屁理屈だ。「助けに来ないから向こうに覚悟が無い」ってのは、ちょいとばかしいきすぎだぜ」
「いきすぎなものか。そのくらいでなければ、周防を嫁にやるわけにはいかんッ ましてや自ら探さずに、金を払って探させるなど……」
「それも立派な覚悟と選択だろうが!!!」
源一郎から目をそらさず、風天丸は立ち上がる。
「アイツがお前らのところに現れねえからって、それは周防の姉ちゃんのことを心配してない理由にはならねえ!! ましてやアイツは周防の姉ちゃんが鬼にさらわれたと思ってたんだ、それを助けるために、大枚叩いて俺らを雇ってんだよ!! それでも覚悟がない臆病者だと決め付けんのか!!」
源一郎も他の兄弟も、何も話さない。すると今まで風店丸以外と話さなかった陸奥が口を開いた。
「……本人が決めるのが、一番いい」
その言葉に、源一郎はうなずいた。
「そうだな……相手に覚悟があるかどうかは、周防が決めればいいことだ」
「ああ、その通りだ」
「おう」
「確かに」
「そうだでな」
皆の視線が周防に注がれる。その言葉に周防はしばらく目をつぶり、決意をしたように目を開けた。
「……業麻呂様のことですが」
風天丸も源一郎も、笑みを浮かべてその返答を待った。
「……顔があまり好みじゃないので、婚約はお断りしようと思っておりました」
○
雨の降る中、風天丸と陸奥は江戸へ向かっていた。
「……なんかアレだなぁ、こう……恥ずかしいな」
「決まってた」
「やめてくれ」
佐門は目をギョロリと出すと、風天丸の方を見る。
「いや、中々に天晴れでござったぞ風天丸殿、見直し申した」
「お前に見直されたって、嬉しかねえよ。……肝心の見直して欲しいやつは、今頃魚でも捌いてんだろうなぁ」
風天丸がそういうと、陸奥は雨の中、佐門をたたんだ。
そして風天丸のほうをじっと見つめる。
「な、なんだよ」
「……忘れてない?」
言葉の意味をよく分からないままうなずくと、陸奥は突然風天丸を突き飛ばし、背後の水溜りに背中から落としてみせた。背中から水溜りに飛び込んだ風天丸は、唖然とした表情で上体を起こす。
「な、何すんだよ陸奥!!!」
起き上がると、陸奥は珍しく笑みを浮かべ、風天丸に佐門を手渡した。雨は、いつの間にかやんでいた。
小さくなっていく陸奥の背中を見て、風天丸は首をかしげる。
「……結局、アイツの荷物持ちかよ。しかし、なんでアイツ俺を突き飛ばしやがったんだ?」
「風天丸殿、先ほどおぬしは申したではないか。陸奥殿が汚れると、自分も汚れねばならぬと」
「……アイツといいさっきの姉ちゃんといい、女ってのは屈強な男より怖いもんだぜ」
佐門も同意したように「ううん」とうなると、ハッとした顔で風天丸の方に目玉をむけた。
「しかし朧殿は、そんなことはござらぬであろう?」
「ああ、そうだな。やっぱり女は妖怪の方がいい」
的外れなことを言いながら、風天丸は桃色の背中を追っていった。