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妖江戸!  作者: 平蜘蛛
風月
10/12

値打坊主

 はいよ。分かってるって、いつもの酒だろう? ……全く、せっかくウチは酒屋なんだから、もっと高い……いや、いろんな酒を飲んでもらいたいもんだけどねぇ。陸奥、早くそこのとっくり持ってきな。

 なんだいお前さん、何か聞きたそうな顔してるねぇ。……ああ、こないだの皿の件で聞きたいことがあるって? 嫌だねぇ、身内以外にこういう話をするってのも。まぁ、常連のお前さんだから、かまわないさ。

 さて、どこから話そうかねェ。どうせなら、頭から話しちまおうか。


 ○


 水無月下旬。段々と日差しは白光を増し、ちらほらと蛙や蝉の鳴き声も聞こえてくる。額の汗をぬぐって向こうの山を見れば花の色どりは無く、深い緑の奥で山が笑っているようにも見えた。お江戸の朝は早いが、夜中にちらほらとしか客の来ない火島屋の朝は遅く、のそりと身を起こした辰子は、自分よりねぼすけの陸奥を起こすために隣を振り返る。すると布団の中で丸くなる陸奥の向こう側に、見知らぬ男が座っている。

 年齢は六十ほど。つるりとハゲあがった頭に袈裟姿を見れば、どこかのお坊様なのだろう。子供程度しかない身長で座禅を組みこちらをうかがう男は、辰子を見るとにんまり笑った。

「ワシは値打坊主(ねうちぼうず)じゃァ。お前さんに、憑かせてもらうぞォ」

「はぁ? 爺さん、こんな朝っぱらから酔っ払ってんじゃないよ。ほら、さっさと帰んな」

 辰子はそう言って陸奥を起こす。起きかけの陸奥は目をつぶったまま、ふらふらと頭を揺らして目を覚ました。

「陸奥、陸奥。あそこの変な爺さんを追っ払っておくれよ、勝手に上がりこんで来てるのさ」

 陸奥は眼の色を変えて辰子の指さす方を睨みつけたが、すぐにまた眠そうな目になり辰子に向かってむくれっつらを向けた。

「……誰もいない」

「いないって、あんたねぇ……。目の前にいるだろう? いつまでも寝ぼけてるんじゃないよ」

「女将が寝ぼけてる……。誰もいない……」

 陸奥はそう言うと再び布団の中に潜り込む。辰子は「本当に見えていないのか」とギョッとして、袈裟姿の老人を見つめなおした。老人は背中をバリバリと掻きながら「じゃから、言うたじゃろォ」と笑っている。

「ワシはお前さんに憑いた妖怪。お前さん以外には見えんわィ」

「憑いたって……な、なんでまた、風ちゃんとかじゃなく私なのさ」

 そう言うと老人は「これじゃよ」と人差し指と親指で輪をつくり、それを上に向けた。

「金じゃ、金。お前さんの金に対する気持ちが、ワシと似ておったからのォ。へっへっへ」

「金って……アンタも金が好きなのかい? とはいっても、あたしゃ隣で寝てる娘と違ってね。ただ金が欲しいわけじゃないのさ」

「ああ、わかっとるわかっとる。お前さんは“金の使い方”がよぉくわかっとる。金っちゅうのは、自分の欲を満たすためにあるんじゃ。それが良かれ悪かれ、使う理由は全て“己が欲”。それを素直に受け止めて、なおも金を欲しがるお前さんは、ワシによう似とるんじゃ」

 辰子は初めて心の奥底をのぞかれた気がして、まるで自分の祖父を前にしたような気分になる。が、よくよく考えるとこの老人は妖怪。そう考えると肩の荷も再び重くなった。

「なるほどねぇ、馬は合いそうだ。……でも、どうせ私は何かしら損をするんだろう? 妖怪に憑かれちまったんだからさ」

「損、と言わば損よな。なに、病に伏せるようなもんじゃない。ただ“物の価値”ってのが分かるようになるだけよ。ワシが教えてやるんじゃがな」

 なんでも、目の前にあるものがなんであれ、安物か、はたまた上物かを選別することが出来るらしい。試しに自分がいつも使っている皿を取り出し、値打坊主に見せつける。すると値打坊主は「ううん?」とそれを見つめた後、ポンと手を打った。

「どこにでもある安物じゃ!」

「当たり。高級な皿を安い飯なんぞで汚してたまるかい、高いモンは、全部しまってんのさ」

「流石、ワシがとりついただけはあるぞい、へへへ。宝っちゅうのは、さっさと手に入れ、自分が楽しむのが一番さね」

 そう言って笑う値打坊主を隣に、辰子は何かを思いついたように紙の束を取り出した。

「爺さん、どんなものでも価値が分かるんだろう? それなら一つ、この依頼の値打ってもんを見ておくれよ」

「ううむ……? こんな使い方をされたのは初めてじゃ、じゃが面白そうじゃな」

 値打坊主はそう言うと「これは上物」「これは安物」と紙を仕分けて行く。安物として分けられた依頼はデマや大げさなもの。上物とみられたものは本物。しかしこうして見ると、依頼のほとんどが安物の烙印を押されている。

「あ、ありゃりゃ……風ちゃんもだいぶ苦労してたみたいだねェ」

「お前さんの目も、まだまだ未熟じゃなァ。お前さんに使われるモンは、さぞ苦労人だろうよ」

 値打坊主の話を聞いていないのか、辰子は「そうだ、今日は用事があったんだ」と、いつものように髪を後ろでくくりだす。目にもとまらぬ速さで花魁(おいらん)のような着物を引っ張り出して身を包み、ガチャガチャといつものかんざしとキセルを手にした。

「ついといで爺さん。今日は大事な用事があるのさ」

「用事かィ、今度ぁなんだ? ワシがなんかせにゃならんモンか?」

「当然さ。何とも言えない宝が手に入るのかもしれないからねェ」


 ○


 辰子が値打坊主を引き連れてやってきたのは骨董品の()(いち)。立地が食い物を売る店が周りのあちらこちらにある場所なので、陸奥は置いてきた。

「ほォ、ワシが今まで憑いたやつなんぞ、家にある高そうな物の値段を調べるだけで終いじゃったが、やはりお前さんは、ワシのみこんだとおりじゃのォ」

「そりゃどうも。それが良い品なら、教えとくれよ」

 値打坊主は「それはいいんじゃが……」と、ちらちらと辰子にかかる視線を気にした。

「どうもお前さん、周りからジロジロ見られとらんかィ?」

 それもそのはず。辰子の名をこの競り市で知らぬ者など一人もおらぬだろう。自分が狙った品はどれだけ高額を積んでも、そのさらに上の額でねじふせ、手に入れる。いつしか辰子に買い取ってもらうためだけにこの競り市へ足を運ぶ者もでるくらいだった。それは辰子にとっても、上物が向こうから歩いてくるので問題ではない。が、その分安物を高額で売ろうとしてくる輩も増えたのだ。

「良い機会さ。アンタがいりゃ、安物掴まされることもないからねェ」

「へへ、そらそうさね。……ちなみに、買っちまった安物はどうしてんだい?」

「確か、向こう町の与太郎ンちの猫が使ってるね」

 そうこうしている間に競りが始まった。骨董店奥峰堂(おうほうどう)の主人は、辰子の顔を見てにんまりと笑い品を取り出した。

「へいこちら、かの有名な唐木創介の作った茶碗。まずは二両からでござい」

「……へん、安物じゃよ。創介の作ったモンが、あんなにできが寒いはず無かろう」

「へぇ、偽物にしちゃぁ凝ったもんだね。騙されるところだったよ」

 いつもはどんな値段であれ、自分が気に入った買っていく辰子が全く動かないのには、皆がギョッとした。辰子は「どうしたんだい? 続けなよ」と奥峰堂の主人をせかす。主人は生半可な返事を返し、この茶器に金を乗せるものがいないか見渡したが、あの辰子が微動だにしない茶器など、皆も怪しんで手を挙げようとしない。

「……つ、続きまして」

 競りが終わり、皆がその場を離れて行く。辰子の手元にはいくつかの箱が積まれており、辰子の顔も満足げに赤くなっていた。

「いやぁ、地元の茶器でしかも高価なのってのは、どうにも欲しくなるもんだねェ!」

「そりゃ、何よりじゃ。ワシも久々に目を使ったわい!」

 上機嫌の辰子が江戸の町へ出ると、突如後ろから肩を力強く掴まれた。掴まれた痛みで顔をゆがませて背後を見ると、でっぷりと腹をこさえた団子鼻の男が辰子を頭一つほど上の高さから睨み下ろしている。

「火島屋ッ 今日こそはワシの皿、買ってもらうぞッ」

「アンタもしつこいねェ、あーんな趣味の悪いケバケバしたモン、誰が大枚はたくってんだィ」

 値打坊主が「なんじゃ、知り合いか」と聞くと、辰子は眉間にしわを寄せて「成蔵(せいぞう)っつう近くで陶器を作ってるジジイだよ」と呟く。次に肩に乗る成蔵の太くて毛むくじゃらの手を振り払い、その眼を睨み返した。

「アンタの皿は気に入らないのさ。色を塗りたくってりゃ良く見えるってもんじゃないんだよ、上物ってのはさ」

「わ、わしの作品を馬鹿にしよったなァ!?」

 今にも掴みあいの喧嘩が始まりそうになり、周りには野次馬が「喧嘩かい?」「喧嘩だ、喧嘩だ」と集まってきた。こうなってくると面倒くさいとため息をついた辰子だったが、突如その人ごみの中から一本の小さな手が挙がった。

「待ってくださいッ 火島屋の辰子さんですよね、僕の皿を買ってくださいッ」

 現れたのは、風天丸と同じか、それより小さいくらいの少年。茶色がかった短い髪は栗のようにばさばさと付きだしているが喧嘩好きには見えず、その腕には成蔵が持つものと同じくらいの箱がしっかりと抱えられていた。

「へぇ、あの火島屋さんが、どっちの品が良いもんか見極めるんだとさ」

「そんなの、成蔵のジジイにきまってらぁ」

「いんや、まだ分からんぞ。あの子がもしかすると、もしかするやもしれん」

 よくわからないが周りも異様に盛り上がってきた。辰子は頭をぼりぼりと掻き「こうなりゃあ、やってやんよッ」と帯を締めなおす。値打坊主も「その意気じゃ、へへ」とやる気満々のようだ。

 いつの間にか競り市から奥峰堂の店主が躍り出て、実況の席を陣取っている。

「さあさ皆さんお立会いッ 目利きの中の目利き火島屋の姉御が、成蔵の旦那と……ええと」

宗作(そうさく)です」

「宗作の小僧の作った皿のどちらが上物か、見定めてくれるんだとよお!」

 皆の期待が高まる中、成蔵は自信満々に自身の皿を取り出した。金だの朱だの、色で飾っているのは良いがどうにも辰子の趣味ではない。対して宗作が取り出したのは、真っ白で色など何一つついていない皿。物の良さを分からぬ周りは当然「こりゃ、勝負あったね」と口にする。

 辰子はこっそり値打坊主に「どっちが上物だい?」と聞くと、値打坊主は目を丸くして片方の皿を指差した。

「侮っておったが……あの成蔵とかいうジジイ、腕は確かじゃ。あのさら、二十両はかたいのぉ……」

「に、二十両だって!? 風ちゃんでも、長屋の一つ、買えちまうじゃないか!!」

「ちなみに、隣のガキの皿。ありゃぁ安物じゃでな。あのできから見るに何年も練習してきたんじゃろうが……売れるような代物じゃないのォ」

 値打坊主の言葉を聞いて、辰子の中で何かが決まった。そして二人に歩み寄ると、片方の皿に手を伸ばす。辰子の顔は、この上なく満ち足りた表情だ。

 辰子が手に取ったのは、成蔵の作った皿。満足気に皿を眺める辰子を見て、周りも「そりゃぁそうだ」とうなずいている。

「ハーッハッハッハッ 当然じゃ、その皿の良さを、お主もようやく、理解したようじゃなァ」

「そんな……!」

 二人の中でも勝負が決まったと思われた時、辰子は皿を持ったまま、二人の方を見てにんまり笑った。

「……フン、何度見ても趣味が悪い。誰がこんな皿買ってやるって言ったんだい?」

 そう言った途端、辰子は皿を持った手を高く上げると、それを地に向かって振り下ろした。皆が何も言えずに口をあんぐりと開け、宗作も成蔵も一言もしゃべれない。皿は、バラバラになってしまった。

 辰子は疲れを取るように鼻から息を抜くと、力の抜けた宗作の腕から皿をひったくり、懐からドスンと金子を投げ渡した。

「そんじゃね。勝負あったようだし、あたしゃ帰るよ」

「待て、待たんかッ 何故わしの皿を割ったッ 何故、そんな小僧の皿を買うッ こちらの方が、品として申し分なかったはずだッ」

 辰子は確かにと笑い、続いて「けどねぇ」と再び二人を振り向いた。そして、受けとった宗作の皿をなめるように、その細部までも見渡した。

「……随分と練習したんだろう、この形、色を出すのに」

「は、はい。……火島屋さんの話は田舎でもよく聞いてましたから。貴方に買ってもらえれば、家族の生活も当分助かると思って、何年も練習したんです。……人生をこの皿に賭けたつもりです」

 それを聞き、辰子は「これが答えさ」と笑った。

「片方は、この子が自分の人生を賭して、私に買ってもらうためだけに創り上げた皿。もう片方は、私の目を侮った自惚れたジジイが、金だけのために創り上げた皿。世間での価値なんて知ったこっちゃない。私のモノサシで計った値打は、こっちの方が何倍も高い上物なのさ」

 皆がぽかんとした静寂の中、奥峰堂の主人が手をたたいた。それを合図に、野次馬の皆も次々と手をたたき、いつしか皆が辰子に拍手を送っていた。成蔵はバツが悪そうに逃げるように帰っていき、宗作は何度も辰子にお礼を言っている。辰子は「堅苦しいこと言うんじゃないよ」と、陸奥の寝顔を想像して火島屋へと帰って行った。


 ○


 ってね、当然の話さ。私の目はね、金だけで物事を計るようにはできちゃいないのさ。当然、アンタの助言が無くたって、宗作(あのこ)の皿を買うつもりだったよ。

 で、良いのかい? ……何がって、アンタ私に憑いたんだろう? あれからめっきり会わなくなっちまったけど、何やってんだい。

「へへへ、何。ワシが見てきたモンは、所詮は世俗(せぞく)の価値じゃと思う手のォ。初心に帰るべく、旅をしようと思ったんじゃ」

 そりゃ何よりだ。そんじゃ、アンタの出発祝いに酒でも出してやるよ。陸奥、高いの持ってきな。

「ま、まっとくれ。ワシは金なんぞ持っておらん」

 なにボケたこと言ってんだい爺さん。酒のお代は、もうあんたからもらったようなもんさ、ほら。

「……へへ、自慢げに飾りおって。よほどあの皿がお気に入りのようじゃな」

 当然さ。私の宝だからね。

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