血吸鬼 壱
初めて僕が、とあるサイトでミステリーを書いて早くも二年……。
行きついたのは、「妖怪」「歴史物」「ミステリー」をごちゃまぜにしたものになりました。
週一ぐらいのペースで更新していこうと思っているので、皆さま応援よろしくお願いします。
居待ち月は叢雲に隠れ、朧月世となっている。その雲の裏で白く光る月は、影に潜む彼らの目を煌めかせていた。そして、それから幾年の月日がたった今、まさに同じ朧月夜。お江戸の山の中で、黒い影が風のように走り去る。
忍。この平和となった江戸の世では、無用となった組織だ。その技は時代とともに衰えていき、民に溶け込んだとも、まだまだ影で刃を磨いているとも言われている。だが、真相は彼ら以外、誰も知らぬ。
忍達は、来るべき乱世のために、未だに己の刃を磨いていた。民に溶け込みながら。下手をすれば将軍をも暗殺する忍は、その出身によっては、存在が知られただけでもお縄にかかることになる。それゆえに、影として生きているのだ。
そして今、人通りの少ない山道で、息を切らせながら走る少年もまた、その一人。先ほど奴らに切り付けられた左腕を押さえながら、夜道で目を光らせていた。後ろを向けば、追手達。だが、そのむき出しの牙に、鋭い爪を見れば、人間ではないことは明らかだ。
「ったく……餓鬼ってのはなんでこうしつこいんだッ 俺が忍じゃなきゃ、とっくにお陀仏だぜ」
口に出せるほど暇なわけでもなく、頭の中でそう言った風天丸は、懐に素早く右腕を突っ込み、振り向きざまにいくつもの鋼色を夜空に放った。背後では餓鬼共が「ギィッ」と悲鳴を上げ、草場に倒れる音がした。大きな木箱を背負っているにもかかわらず、この身のこなし。少年とはいえ、忍だ。
「投げたのが十、悲鳴は四……クソッ」
山中を、大きな荷を背負って走りまわって餓鬼共と追いかけっこをするはめになった少年は、舌打ちをして枝を蹴る。その直後、その枝に三匹ほどの餓鬼が群がった。
少年は、目にはいる汗を振り払い、左腕からかおる血の匂いで口をゆがませながらも、走った。
が、その朧月は彼を見放した。少年が開けた川原に出ると、追いかけていた餓鬼の倍はある餓鬼達の目が、怪しげに光っていた。
少年は逃げるのを諦め、その場で立ち止った。己が運命をさとったのだろう。
「キキ、近ごろのガキは逃げるのが早ィ……だが、ガッカリだ」
餓鬼の一人がそう言うと、皆が耳が痛くなるような声で笑い出す。少年は黙って、大きな木箱をドスンと隣に置いた。
「逃げ回ってるだけじゃ、オレ達は喰えねえぜ。キキキ……」
そう言った餓鬼に対し、少年は、この状況にはふさわしくない、笑みを浮かべた。
「……いいや、死ぬのはあんたらだ。チビ共」
餓鬼の眉がピクリと動き、その地獄の炎のように光る目が、少年を睨みつけた。
「……後悔するぜ、糞ガキがッ」
一匹の餓鬼が、少年に向かって飛び出した。狼のように牙を剥き、鷹のように眼を光らせ、少年の喉に向かって、その鋭い爪を突きたてた。
鈍い音がして、その場に肉片が落ちる。皆は「それみたことか」と笑った。それと同時に、気づいた。
落とされたのは、飛び出していった餓鬼の、腕。
その餓鬼は、唖然として無くなった腕を見つめた。するとその刹那、首が飛んだ。餓鬼が薄れる意識の中、最期に見たのは、少年の青い忍装束ではなく、赤い、花柄の着物。そして、こちらを睨む、紅くて大きな目だった。
仲間が骸となってその場に崩れ、餓鬼達の背筋に悪寒が走った。少年を見れば、先ほどと同じ不敵な笑みを浮かべたまま、目の前に現れた小さな少女の後ろで、指を構えている。すると少女は、ぐるりと後ろを向いて少年を大きな目で睨みつけた。
「風天丸様は嘘吐きなのです!」
「嘘、嘘なんてついてないだろ。ほら、周りを見ろ。鬼ばっかりじゃねえか」
「鬼の大群なんていうからせっかく気を引き締めてきたのに、周りにいるのは小物ばかり……これじゃとんだ骨折り損なのです!」
少女の言葉に、餓鬼達に青筋が浮かび上がった。
「このガキども……!」
「言わせておけばッ」
五十以上の餓鬼は、一勢に二人に飛びかかった。二人は気づいていないのか、まだギャアギャアと喧嘩をしている。
「だからッ 俺は依頼通りに聞いてきてるんだから知らねえってんだよッ!」
「ふんッ そうやって風天丸様はすぐにおぼろに嘘をつくのですッ!!」
「ついてないって言ってるだろ!!」
二人の首筋に、幾本もの鋭い爪が迫った時、風天丸は、自分の指をクイと動かした。すると、つながっているように朧の右腕が、背中にくくられた二本の刀のうちの一本を手に取り、その餓鬼を斬りつけた。
「ひとまず、この話は後だぜおぼろ。コイツらぶっ倒した後に、いくらでも聞いてやんよ」
「む、今度は本当なのですね?」
そう話している間にも、風天丸は指を巧みに動かし、おぼろに舞を舞わせるように餓鬼どもを切り刻んでいく。小さな体に似合わず、肩手に一本ずつの刀を持つ二刀流で戦う朧は、風天丸の指が奏でる旋律に合わせ、高く跳躍し、餓鬼の顔を踏みにじる。
あっという間に、残る餓鬼は数匹になってしまった。
「ば……化け物か、こいつら……!?」
「ええ、化け物なのですよ。おぼろはお人形さんなのです」
川原の意思を蹴って駆けだした朧に、餓鬼の悲鳴が聞こえることはなかった。悲鳴を上げようとしていたときには、もう首がなかったのだ。
倒れた餓鬼達の死体は、徐々に白くなっていく。完全に色が抜けた時、その体は風に吹かれた砂のように、消えて行った。
風天丸は布で左腕をくくると「よくやった」とおぼろの頭を撫でた。人形とは信じられぬほど、その反応も、肌のぬくもりも、人間さながらのさわり心地とぬくもりを持っている。
「風天丸様に褒められたのです。明日は御褒美が貰えるのです」
ルンルン気分であたりを兎のように跳ねるおぼろをよそに、風天丸は川原に座り込んだ。
「……まぁ、依頼はこなしたし、金も弾むかな」
おぼろに目をやれば、朧は自分の刀を鞘ごと手に取り、刀に向かって話しかけている。常人がみれば、不気味がる光景だろう。だが、二本の刀はカタカタと揺れながら、何とおぼろと話しているのである。
「御褒美かぁ……。僕、歌舞伎を見に行きたいなぁ……」
と、白い刀。
「クだラん。ソれヨり砥石デ磨いテくレ」
と、黒い刀。
二本の刀は、喧しいほどに朧と話し、揺れている。朧は「心配ないのです」と刀に向かってふんぞり返った。
「風天丸様は鳩っぱらなのです! きっと、青柳さんと赤鬼さんの両方の願いを聞いてくれるのです!」
おぼろの頭に、風天丸の拳が振り下ろされた。人形でもいたいことは痛いのか、頭を押さえて涙を浮かべている。
「そんなに金を使ってたまるかよ、それに、下手に使いまくると怪しまれる……あと、それを言うなら”太っ腹”だ」
「あうう……この事を江戸のみなさんに話せば、風天丸様もおぼろも英雄さんなのに……」
「いいや「妖怪を手駒に持つ怪しげな少年」だろ……。奉行所に連れて行かれるのは、ごめんだろ?」
おぼろはコクリと頭を両手でさすりながらうなずき、それと同時に二本の刀もカタリと揺れる。
風天丸は全ての餓鬼が消えたことを確認すると、これまでにたまっていた呼吸を一息で吐き出し、その肩からは力が抜ける。
「帰るぞ」
「はいなのです」
手をつないだ二人は、自分たちが住む、灯りの消えた江戸の町へ歩く。おぼろは手をつないで、散歩でもしているように上機嫌だ。だが、空を見た途端、その顔が曇る。
「む、お月さまが隠れてしまっているのです。綺麗なお月さまが見えないのです」
風天丸もつられてそれを見て、そして笑った。
「こういう夜のことを、”朧月夜”っていうんだぜ。お前と出会った日も、こんな夜だっただろ」
それを聞くと、がっかりしていたおぼろの顔が、隠れた月が顔を出したように明るくなった。
「そうなのですか! おぼろはこんな夜が好きなのです!」
人の子のように笑うおぼろは、街が見えてくると、風天丸の手をグイと引いた。風天丸はそれに「ああ」とうなずき、おぼろを抱きかかえ、背中の大きな箱にしまう。
おぼろはしまわれながら、しょんぼりと下を向いた。
「おぼろは、お江戸の街も歩きたいのです……」
いつも彼女の無理難題に付き合わされている風天丸だが、こればかりはどうしようもない、と苦い顔をする。一人長屋の部屋で待つ朧の唯一の楽しみは、格子戸から外を歩く人々を眺めること。そして、赤鬼青柳、他の妖怪達と遊び、暮れに風天丸が帰ってくるのを待つ。
「風天丸様、夜でも開いているお店はないのですか。おぼろと一緒に行きましょう」
「ねえよ。江戸っ子の朝は早いのさ。だから皆早く寝ちまうんだ」
蓋が閉められると、箱の中から「つまんないのです」と、おぼろの声がする。「我慢しな。俺の相棒だろ」と箱を背負うと、風天丸は静まり返る江戸の街へ歩いて行った。一緒にしまわれた青柳と赤鬼は、馬鹿に不満そうだ。
風天丸が古い長屋に着くと、一人の男が腕を組み、夜空の下で、こちらの様子をうかがっている。風天丸は男に気付くと、少し駆け足になった。
「師匠、帰ったぜ。依頼屋の女将のやつ、”鬼の大群が出た”なんて言いながら、行ってみれば餓鬼が五十とちょっといたくらいだったさ」
男は風天丸の武勇伝については何も聞かず「入れ」と困り顔で長屋の戸を開いた。中では、若い娘の寝息が聞こえる。
「お扇さんのやつ、いつみても寝つきがいいみたいだな、師匠。俺達は夜更かしなのにさ」
「忍は夜に動くもの。当たり前だ」
風天丸に「師匠」と呼ばれる男は、朧の入った箱を持ち、押し入れにしまった。が、しまわれた先は押し入れの中ではない。
その押し入れの壁に箱が触れた途端、箱は吸いこまれるように、壁の向こう側に堕ちて行った。二人によって開けられた穴を通し、隣の「でる」と噂の部屋に行ったのだ。向こう側では、落ちた箱のふたを開けた朧と、二本の刀の声がする。
「いたた……風天丸は乱暴だなぁ……」
「酷いのですッ 風天丸様、こんなことしたら「めっ」なのですよッ」
赤鬼は慌てておぼろと青柳に「黙レ、聞かレでモしタらドうスる」とその黒い鞘の中で揺れ、おぼろもそれに気付いたのか、ハッとして手で口をぐっと押さえる。
「……妖怪退治も良いことだが、お扇が心配するから早く帰ってこい」
向こうの騒ぎ声が収まったのを確認した風天丸の師は、そういって風天丸の額にピンと人差し指を突き刺した。
「そんなこと言っても、妖怪退治のできる忍なんて、俺くらいなものだろう? 並みの忍じゃ、餓鬼一匹にだって勝てねえよ」
「さあな、おぼろがいるものの、お前本人は、忍の中でも下のほうじゃないか」
風天丸の口から「ぐ」と苦い声が漏れる。手裏剣の腕前を見てもわかるように、風天丸の忍としての腕はお世辞にも「優れている」とは言えぬものだった。
「全く、江戸に来たんだからちゃんと江戸の民としても暮らさないとダメだろう。里長が言ってたろう? 民に溶け込みつつ、刃を磨けってな」
それは、平和な世になった故、必要とされなくなった風天丸達の暮らす忍里、”八影”の長が、里を解体するときに言った言の葉。その日以来、日ノ本各地に散らばった八影の者たちは、民の顔と忍の顔の二つを持ち、暮らしていた。
”八影の天才”と謳われた風天丸の師、狗神白も、今となっては江戸で植木職人を営む一人の男。忍としてはたらくことなど、めっきり無くなってしまった。それゆえに、今でも、形は違えど忍として夜を跳ぶ風天丸には、ついつい説教口調になってしまうのだった。
「そもそも、お前が私に弟子入りしたんだろう、お友達と一緒に。なら、私の言うことを聞くのが当然の……」
白が説教の目を風天丸に向けると、風天丸は正座をしながら、赤べこのようにこっくりこっくりと寝息を立てている。白は沈黙の後、風天丸を抱きかかえ、川の字に並べられた布団の真ん中に寝かせた。
「……世話が焼ける、お前達二人はな」
開かずの間で壁に寄りかかって眠るおぼろの顔を、雲の隙間からの月光が青白く照らした。その寝顔を見ながら、その部屋の住人達は「寝ているな」「良い寝顔だねえ」と笑っている。
江戸の世にやってきた忍、風天丸と、その相棒であり、風天丸の武器でもあるおぼろ。
これは、浮世お江戸の物語。