表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

忘れるという罪

魔王という名のセイレーン

-忘れるという罪-


01

(ない…ない!)

一人の女が早朝の街で何かを探していた。

女は、昨日ここにいたという確信を持っていた。

だから、ここに落したはずのそれを探していた。

(あれがないと私は…)

手を口にあて、無駄にうろうろする。

もう一度、ないとわかっていながら同じところを探す。

「…レティ、さん?」

「!」

青年の声がして、女は振り向く。

そこには二人の青年が立っていた。

眼鏡をした、二人の青年だ。

もう暖かい時期だというのに一人の青年はマフラーで口を隠していた。

先ほど女の名を呼んだ青年が、もう一度女に話しかける。

「このメモ帳、かな?」

「…そうです」

憮然とした態度で女は答えた。

「拾ってくださって、ありがとうございます」

女は二人の青年の元へ歩いていく。

そして、メモ帳を受け取ると、青年たちに問いかける。

「あなた方は…?」

「ミュージ。作曲家。こっちはシュベルツ。そして…」

空は段々と白み始める。

「僕たちは、君の作った詩に興味がある」


---------------------------

02

「最近、この辺に女の幽霊が出るんだってねぇ」

僕がそんな噂を聞いたのは、久々に街に出た時だった。

(…ユウ、レイ?)

あまり聞きなれない言葉に思わず耳を疑う。

大して広くもない街だ。

街の外れに住んでいると言っても、大体の事件は知っている。

「それって、どういう?」

聞き手になっていた街の女性が、同じく街の女性に聞いた。

「結構目立つところにいると…」

例えば、あそことか、と女性が指で示す。

確かに彫刻が立っていて、待ち合わせにはもってこいの場所だ。

「女の人が、話しかけてくるんだそうよ」

「それだけ?それだけで幽霊って…」

「まだ続きがあるのよ」

女性がもったいぶったように話す。

「それで、話しこんで、結構仲良くなったなぁと思う頃に」

思わず僕も聞き耳を立てる。

聞き手の女性も真剣に聞いている。

「ちょっと目を離したすきに消えちゃうんですって」

「へぇ…」

「で、おんなじ場所に次の日に来ても、会えないんですって」

「でも、それぐらい普通じゃない?」

「でもね、でもね」

話している女性が興奮気味に言う。

「同じようなことを何人も言ってるのよ」

「ふーん…」

気にはなるが、とりあえず僕は帰路につく。

そろそろ荷物で手が疲れてきた。

家に入ると端正な顔つきの青年が言った。

「おかえりなさいませ、ミュージ」

そして次に聞いた声に僕は、思わずヒヤリとした。

「ミュージ?何か…ついてますよ?」


03

「つ、憑いてる?何が?まさか、女の」

「女?」

僕にそう言った青年は僕に近寄ってきた。

「ゆ、ユウレイ?」

「ユウレイ…?ってなんですか?これは…メモ?」

「なんだぁ、びっくりさせないでよシュベルツ」

シュベルツと呼ばれた青年が僕のマフラーに手を伸ばす。

シュベルツは、紙きれを取って、眺めていた。

「でも…僕メモなんて持ってってないけど」

「…随分つれてきましたねぇ」

「だからその言い方止めてって」

そのメモというものは、確かに何枚もの量があった。

僕はその紙を受け取った。

引き換えに、シュベルツが僕の持って帰ったものを受け取った。

「メモっていうか、いや、メモ…か、でも」

「ミュージ…これは?」

僕の言葉を遮って、シュベルツが思わず聞いた。

その手には、赤い液体が入った瓶が握られていた。

「ああ、それはなんか最近街で流行ってる、食べるソース?とかって」

僕はメモに夢中になって、話半分で答えた。

そしてふと思い出して、言った。

「あ、直接食べるものじゃなくて、主食と一緒に…って」

(遅かった、か?)

シュベルツは悶絶してむせていた。

「…セイレーンでもこんなことあるんだなぁ…」

そう、シュベルツは、人外のもの。

魔王と呼ばれていたセイレーンだった。

「ミュ、ミュージそういうことは早く言ってください…ゴホっ」



04

「で、メモじゃないって?」

私は一通りむせて、水を飲んで落ち着いた後にミュージに聞いた。

「あ、うん。これ見て」

ミュージは一枚の紙切れを私に渡した。

そこには綺麗で、それでいて切ない言葉が書いてあった。

確かにメモという味気ないものには思えない。

「手ですくった砂が…さらさらと、落ちる」

メモ、というよりは、詩のひとひらのようだ。

いつもは文字が読めないのに、何故か素直に声に出すことが出来る。

(これは…)

「なんだか、不思議です。私にも読めるし、何より…」

「うん、なんか、僕も魅力がある言葉だなって思って」

ミュージは空になったコップに水をそそいだ。

私のコップと、それと自分のコップにもそそいで、肘をついた。

「この人に…会ってみたい、かな。でも」

「でも?」

「いや、その…ユウレイか、も、って」

ミュージは街でユウレイなるものの、噂を聞いたらしかった。

詳しい話はよく分からないが、いわゆる実体のない魂の話らしい。

だけど、私がこのメモを見る限りでは。

「これ…何か、魔力を感じます」

「…え?」

「死の影は感じませんし、多分」


05

「生きて、る?」

私はうなづいた。

「だったら、だったらね!」

それを聞いてミュージは顔色を一変させた。

すごい変わりようだ。

「僕、この人に会ってみたいんだ!」

キラキラと瞳を輝かせて言う。

どうやら随分と興味を持っているらしい。

「えと…一応理由を聞いても?」

「いい詩を書いた人に、興味があるし」

ミュージは興奮して言った。

「僕、この人の詩に曲つけてみたい!」

「…なるほど。ちなみにミュージ、今日はどこに?」

「住宅街を抜けて、市場だけど」

私はメモに目を落とし、ひとつの結論に達した。

「じゃあ、もう一度市場に行ってみましょう」

「え?なんで?」

「ほかのメモを見る限り、彼女は多分これがなくて困ってます」

外を見ると、ちょうど日が落ちてきていた。

「多分行ったほうが早いです。それに」

(若干ミュージの興奮が、飛び火したようだ…)

私は微笑んで言った。

「私も彼女に興味があります。この、名前の主…レティに」

メモの端に『私の名前はレティ』と書いてあるのを私は見逃さなかった。


06

レティという女性は、シュベルツの言うとおり市場で見つかった。

日が昇ってきたので僕とシュベルツと彼女は僕の家に移動した。

改めて、レティは言った。

「メモを拾ってくれて、感謝している。本当にありがとう」

「ううん、いい詩に会えて僕も嬉しかったし」

そういうと、彼女は少し顔を赤らめた。

うつむいたその視線がメモに移った時、彼女は思い出したように言う。

「あ、名前、もう一度聞いても?」

レティはどこから出したのか、鉛筆を手に持っていた。

「僕はミュージ。こっちが、シュベルツ」

「ミュージと…シュベルツ」

繰り返して、メモに書き込んでいく。

「…あの…なんで、こんなにメモを?」

少しその手が止まった気がした。

「あ、答えづらかったら答えなくていいよ」

レティは少し考えて、じゃあ、と言った。

「今は…答えない。答えられない…」

「…そう。話したくなったら話してね」

「すまない」

レティはその体に何を抱えているのだろうか。

大量のメモ用紙を持っている様子は、正直尋常だと思えなかった。

「ところで」

レティは紙に文字列を書き終わって、言った。

「シュベルツは、何故話さない?」


07

シュベルツは彼女に指摘されて、目を泳がせた。

「…」

シュベルツはセイレーンだ。

その声はおそらく彼女にダメージを与えるだろう。

だけど、それも話していいものだろうか?

考えていると、シュベルツは困ったように僕を見た。

「シュベルツは…ちょっとワケを抱えていてね、今は話せない」

「今、は?」

「うん。ワケって言うのは…そうだね、秘密。今はね」

レティはそれを聞いて自嘲気味に笑った。

「交換条件?」

「そういうつもりはないけど、それでもいいね」

「…わかった。私が答えなかったことを、答えたら。話せるときに」

レティはそう言って席を立とうとした。

そういえば、と不安になる。

噂通りで言うと、彼女にはもう会えないかもしれない。

「また、会える?」

「…何故?」

何故と聞かれると、少し決まりが悪い。

「会いたいから、じゃダメかな?それに、君の詩に興味があるんだ」

「そう、か…」

レティはそういうと、さらさらと一枚の紙に何かを書いた。

「これ、持っていてくれ」

「え…これ、さっきの詩?僕が持ってても大丈夫なの?」

「移したから…それを見せてくれればミュージとシュベルツだと分かる」

そして彼女は、少し微笑んで言った。

「きっと…ミュージとシュベルツは、忘れない。私の詩を誉めてくれたから」

その笑顔に、僕は何か儚いものを感じた。


08

「ミュージとシュベルツ…ミュージとシュベルツ…」

彼女が、うわごとのように呟いているのを私は見ていた。

何回か彼女と会う内に、彼女が異常なメモ魔であることが分かった。

でも、それだけじゃないような気がしていた。

それをミュージに尋ねると、ミュージも気になってはいるようだった。

『だけど…レティが話してくれるまで待とうよ』

そう言われると、私は何も言えない。

私がセイレーンであることも黙っていたから。

『それに、なんとなく僕は分かった気がした』

言ったミュージは今はピアノに向かっていた。

自分の詞ではないものに曲がつけられると聞いて、はりきっていたのを私は見た。

(しかし…)

彼女と二人きりも、同然のこの状況。

会話がないのが不自然すぎる。

(ああ、こんなことならミュージから文字を習っておけばよかった…)

悔やんでみても、それこそアトノマツリというやつだ。

彼女の方はあまり気にしてないようだが。

それどころか、メモを一枚一枚読んでは紐でくくる、その作業を繰り返していた。

ふと、その内の一枚がひらりとこちらに飛んできた。

(あ…)

彼女は気付いていないようだ。

(渡すだけ、渡すだけ、だから、大丈夫だ…)

少し緊張してメモを取った。

その時、その文字列が音となって私の中に入ってきた。

「忘れたくな…い…?」

思わずそれを口にしてしまって気がついた。

レティと、ミュージがこっちを見ているのを感じた。

(…!しまった)

レティは、無事だろうか?

すぐにはメモから目を上げられなかった。

「シュベルツ…大丈夫みたいだよ?」


09

ミュージから声をかけられ、私はゆっくりと顔を上げる。

レティが、私のことを見ていた。

驚いた顔をしていたが、無事なようだ。

「え…」

「…いい声だな…何故今まで喋らなかった?」

「何故って…大丈夫、なのですか?」

「ああ…どういう意味だ?」

聞かれて、少し戸惑う。

けれど、このメモの意味が、事実だったら。

そして、このメモが私に与えたことを考えると。

「もしかして、魔力、が?」

「マリョク?」

レティは聞き返したが、私は確信していた。

ミュージの一族は、形のないものに魔力を込めることが出来た。

もしかしたら、レティも。

「まぁ、とりあえずその辺にしといて、これ見てよ」

ミュージが私たちの会話に割って入った。

その手には、ガクフ。

「これ…私の、詞に?」

「うん。出来たよ」

「ありがたいが…」

彼女はそう言って私の顔を見た。

「分かったのだろう?シュベルツ…今のメモで」

「大丈夫。これ、君の分」

ミュージはそう言ってレティにガクフを渡す。

「これを見せてくれれば、僕は君を忘れない…君が忘れても」

レティの目が見開かれた。

ぐらりと肩が揺れたのを、私は素早く支えた。

「レティ…君は、『忘れてしまう』んだね?」

ミュージの声が静かな家に響いた。


10

「私は…数ヶ月前から、物覚えが悪くなった」

レティは僕たちに話をしてくれていた。

おそらく、彼女が隠していたことを。

「最初は、ただ物覚えが悪くなっただけかと思った」

レティの声は震えていた。

聞いていると少しつらい。

だけど、受け止めてあげなければいけない。

「異常なほどメモを取った。でも、忘れるのは止められなかった」

たくさんのメモの意味。

やはりそこには彼女が抱えているものの重みがあった。

「何かを好きになれば、関われば、忘れた時のショックが大きい…」

忘れたことも。そして…。

「忘れられたモノの、計り知れないダメージは、私には分からない」

「だから、この町にも現れては消えてを繰り返した…」

僕の言葉にレティはうなずいた。

「でも、人々の記憶から完全に消えることは出来なくて」

気がつけば、ユウレイと言われていた。

そういうことだろう。

「私はもう、忘れたくない…」

「そうだね…でも、忘れたって、また繰り返せばいい」

僕は言った。

「君は、また一からかもしれない。でも、僕たちは一からじゃない」

シュベルツも、僕も。

シュベルツが視界の隅で微笑んだのが見えた。

レティに安心してもらいたいから。

また、会いたいから。


11

「また…会えるよね?」

「…」

「今度は、僕らの秘密を話さなきゃいけないし、ね?」

レティは、笑わなかった。

暗くなった外まで僕たちは出たけれど、最後まで笑わなかった。

また明日、と僕は言ったけれど、次の日、レティは来なかった。

そわそわと家を歩く僕。

シュベルツは何度落ち着いてくださいと言っただろうか。

「もしかして…家の場所分からなくなっちゃったのかなぁ…」

「町まで出てみますか?私はこの天気では出れませんが」

今日に限って太陽は嫌なほど輝いていた。

僕でさえ、外出するのに躊躇する眩しさだった。

「いい。僕一人で行ってくる」

それでもじっとはしてられないから。

家のドアを開けたその時だった。

「…ミュージ!」

「…分かってる…レティのメモだ」

ドアを開くと落ちるようになっていたようだ。

何枚も、何枚も。

まるで雨のように落ちてきた。

それはレティの涙のようだった。


12

『やっぱり忘れるのは怖い』

その一文からメモは始まっていた。

『忘れることは止められない。

もしも、あなた方が覚えてくれていても。

そのつらさを消すことは出来ないから。

それに、忘れたくないと…思ってしまった。

あなた方を、いとおしいと、思ってしまったから』

その文のすぐ後に、何かのシミがあった。

きっと、それは涙だろう。

『きっと忘れた時…私はもう自分を保ってられない。

自信が、ない…。

そんなところを見せたくもないから』

「私は去ります…か…」

家に響いたミュージの声は、今にも消え入りそうだった。

「忘れたって、よかったのに」

ミュージは私を見た。

その表情は、そうだねって言って欲しいと語っていた。

「自分を保ってられなくても僕たちがなんとか出来たかもしれない」

(…私たちの、歌で)

「レティ…まだ、シュベルツの歌聞いてないよ」

「…そうですね」

「僕たちの秘密も言ってないよ」

「…」

「僕たちは…忘れてないよ…」

「ミュージ…」

私はその震える手に手を重ねた。

「彼女の…レティの歌を、歌わせてください」

涙さえ見せなかったが、その震えを少しでも和らげられるように。

私には、歌しかないから。

「うん…歌って?」

机の上に揃えられたガクフに私は手を伸ばす。

彼女はまだこのガクフを持っていてくれるだろうか。

もしも、失くしてしまっても、私たちはこの歌を歌えるから。

忘れないから。

「『喪失恐怖』…か」

『忘れたくない』…彼女の言葉が、胸に刺さる。

この歌にも乗せられた、その言葉が。

私は音に乗せ言葉を紡ぎ、その歌を耳に、心に焼き付けていった。


20100720

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ