忘れるという罪
魔王という名のセイレーン
-忘れるという罪-
01
(ない…ない!)
一人の女が早朝の街で何かを探していた。
女は、昨日ここにいたという確信を持っていた。
だから、ここに落したはずのそれを探していた。
(あれがないと私は…)
手を口にあて、無駄にうろうろする。
もう一度、ないとわかっていながら同じところを探す。
「…レティ、さん?」
「!」
青年の声がして、女は振り向く。
そこには二人の青年が立っていた。
眼鏡をした、二人の青年だ。
もう暖かい時期だというのに一人の青年はマフラーで口を隠していた。
先ほど女の名を呼んだ青年が、もう一度女に話しかける。
「このメモ帳、かな?」
「…そうです」
憮然とした態度で女は答えた。
「拾ってくださって、ありがとうございます」
女は二人の青年の元へ歩いていく。
そして、メモ帳を受け取ると、青年たちに問いかける。
「あなた方は…?」
「ミュージ。作曲家。こっちはシュベルツ。そして…」
空は段々と白み始める。
「僕たちは、君の作った詩に興味がある」
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02
「最近、この辺に女の幽霊が出るんだってねぇ」
僕がそんな噂を聞いたのは、久々に街に出た時だった。
(…ユウ、レイ?)
あまり聞きなれない言葉に思わず耳を疑う。
大して広くもない街だ。
街の外れに住んでいると言っても、大体の事件は知っている。
「それって、どういう?」
聞き手になっていた街の女性が、同じく街の女性に聞いた。
「結構目立つところにいると…」
例えば、あそことか、と女性が指で示す。
確かに彫刻が立っていて、待ち合わせにはもってこいの場所だ。
「女の人が、話しかけてくるんだそうよ」
「それだけ?それだけで幽霊って…」
「まだ続きがあるのよ」
女性がもったいぶったように話す。
「それで、話しこんで、結構仲良くなったなぁと思う頃に」
思わず僕も聞き耳を立てる。
聞き手の女性も真剣に聞いている。
「ちょっと目を離したすきに消えちゃうんですって」
「へぇ…」
「で、おんなじ場所に次の日に来ても、会えないんですって」
「でも、それぐらい普通じゃない?」
「でもね、でもね」
話している女性が興奮気味に言う。
「同じようなことを何人も言ってるのよ」
「ふーん…」
気にはなるが、とりあえず僕は帰路につく。
そろそろ荷物で手が疲れてきた。
家に入ると端正な顔つきの青年が言った。
「おかえりなさいませ、ミュージ」
そして次に聞いた声に僕は、思わずヒヤリとした。
「ミュージ?何か…ついてますよ?」
03
「つ、憑いてる?何が?まさか、女の」
「女?」
僕にそう言った青年は僕に近寄ってきた。
「ゆ、ユウレイ?」
「ユウレイ…?ってなんですか?これは…メモ?」
「なんだぁ、びっくりさせないでよシュベルツ」
シュベルツと呼ばれた青年が僕のマフラーに手を伸ばす。
シュベルツは、紙きれを取って、眺めていた。
「でも…僕メモなんて持ってってないけど」
「…随分つれてきましたねぇ」
「だからその言い方止めてって」
そのメモというものは、確かに何枚もの量があった。
僕はその紙を受け取った。
引き換えに、シュベルツが僕の持って帰ったものを受け取った。
「メモっていうか、いや、メモ…か、でも」
「ミュージ…これは?」
僕の言葉を遮って、シュベルツが思わず聞いた。
その手には、赤い液体が入った瓶が握られていた。
「ああ、それはなんか最近街で流行ってる、食べるソース?とかって」
僕はメモに夢中になって、話半分で答えた。
そしてふと思い出して、言った。
「あ、直接食べるものじゃなくて、主食と一緒に…って」
(遅かった、か?)
シュベルツは悶絶してむせていた。
「…セイレーンでもこんなことあるんだなぁ…」
そう、シュベルツは、人外のもの。
魔王と呼ばれていたセイレーンだった。
「ミュ、ミュージそういうことは早く言ってください…ゴホっ」
04
「で、メモじゃないって?」
私は一通りむせて、水を飲んで落ち着いた後にミュージに聞いた。
「あ、うん。これ見て」
ミュージは一枚の紙切れを私に渡した。
そこには綺麗で、それでいて切ない言葉が書いてあった。
確かにメモという味気ないものには思えない。
「手ですくった砂が…さらさらと、落ちる」
メモ、というよりは、詩のひとひらのようだ。
いつもは文字が読めないのに、何故か素直に声に出すことが出来る。
(これは…)
「なんだか、不思議です。私にも読めるし、何より…」
「うん、なんか、僕も魅力がある言葉だなって思って」
ミュージは空になったコップに水をそそいだ。
私のコップと、それと自分のコップにもそそいで、肘をついた。
「この人に…会ってみたい、かな。でも」
「でも?」
「いや、その…ユウレイか、も、って」
ミュージは街でユウレイなるものの、噂を聞いたらしかった。
詳しい話はよく分からないが、いわゆる実体のない魂の話らしい。
だけど、私がこのメモを見る限りでは。
「これ…何か、魔力を感じます」
「…え?」
「死の影は感じませんし、多分」
05
「生きて、る?」
私はうなづいた。
「だったら、だったらね!」
それを聞いてミュージは顔色を一変させた。
すごい変わりようだ。
「僕、この人に会ってみたいんだ!」
キラキラと瞳を輝かせて言う。
どうやら随分と興味を持っているらしい。
「えと…一応理由を聞いても?」
「いい詩を書いた人に、興味があるし」
ミュージは興奮して言った。
「僕、この人の詩に曲つけてみたい!」
「…なるほど。ちなみにミュージ、今日はどこに?」
「住宅街を抜けて、市場だけど」
私はメモに目を落とし、ひとつの結論に達した。
「じゃあ、もう一度市場に行ってみましょう」
「え?なんで?」
「ほかのメモを見る限り、彼女は多分これがなくて困ってます」
外を見ると、ちょうど日が落ちてきていた。
「多分行ったほうが早いです。それに」
(若干ミュージの興奮が、飛び火したようだ…)
私は微笑んで言った。
「私も彼女に興味があります。この、名前の主…レティに」
メモの端に『私の名前はレティ』と書いてあるのを私は見逃さなかった。
06
レティという女性は、シュベルツの言うとおり市場で見つかった。
日が昇ってきたので僕とシュベルツと彼女は僕の家に移動した。
改めて、レティは言った。
「メモを拾ってくれて、感謝している。本当にありがとう」
「ううん、いい詩に会えて僕も嬉しかったし」
そういうと、彼女は少し顔を赤らめた。
うつむいたその視線がメモに移った時、彼女は思い出したように言う。
「あ、名前、もう一度聞いても?」
レティはどこから出したのか、鉛筆を手に持っていた。
「僕はミュージ。こっちが、シュベルツ」
「ミュージと…シュベルツ」
繰り返して、メモに書き込んでいく。
「…あの…なんで、こんなにメモを?」
少しその手が止まった気がした。
「あ、答えづらかったら答えなくていいよ」
レティは少し考えて、じゃあ、と言った。
「今は…答えない。答えられない…」
「…そう。話したくなったら話してね」
「すまない」
レティはその体に何を抱えているのだろうか。
大量のメモ用紙を持っている様子は、正直尋常だと思えなかった。
「ところで」
レティは紙に文字列を書き終わって、言った。
「シュベルツは、何故話さない?」
07
シュベルツは彼女に指摘されて、目を泳がせた。
「…」
シュベルツはセイレーンだ。
その声はおそらく彼女にダメージを与えるだろう。
だけど、それも話していいものだろうか?
考えていると、シュベルツは困ったように僕を見た。
「シュベルツは…ちょっとワケを抱えていてね、今は話せない」
「今、は?」
「うん。ワケって言うのは…そうだね、秘密。今はね」
レティはそれを聞いて自嘲気味に笑った。
「交換条件?」
「そういうつもりはないけど、それでもいいね」
「…わかった。私が答えなかったことを、答えたら。話せるときに」
レティはそう言って席を立とうとした。
そういえば、と不安になる。
噂通りで言うと、彼女にはもう会えないかもしれない。
「また、会える?」
「…何故?」
何故と聞かれると、少し決まりが悪い。
「会いたいから、じゃダメかな?それに、君の詩に興味があるんだ」
「そう、か…」
レティはそういうと、さらさらと一枚の紙に何かを書いた。
「これ、持っていてくれ」
「え…これ、さっきの詩?僕が持ってても大丈夫なの?」
「移したから…それを見せてくれればミュージとシュベルツだと分かる」
そして彼女は、少し微笑んで言った。
「きっと…ミュージとシュベルツは、忘れない。私の詩を誉めてくれたから」
その笑顔に、僕は何か儚いものを感じた。
08
「ミュージとシュベルツ…ミュージとシュベルツ…」
彼女が、うわごとのように呟いているのを私は見ていた。
何回か彼女と会う内に、彼女が異常なメモ魔であることが分かった。
でも、それだけじゃないような気がしていた。
それをミュージに尋ねると、ミュージも気になってはいるようだった。
『だけど…レティが話してくれるまで待とうよ』
そう言われると、私は何も言えない。
私がセイレーンであることも黙っていたから。
『それに、なんとなく僕は分かった気がした』
言ったミュージは今はピアノに向かっていた。
自分の詞ではないものに曲がつけられると聞いて、はりきっていたのを私は見た。
(しかし…)
彼女と二人きりも、同然のこの状況。
会話がないのが不自然すぎる。
(ああ、こんなことならミュージから文字を習っておけばよかった…)
悔やんでみても、それこそアトノマツリというやつだ。
彼女の方はあまり気にしてないようだが。
それどころか、メモを一枚一枚読んでは紐でくくる、その作業を繰り返していた。
ふと、その内の一枚がひらりとこちらに飛んできた。
(あ…)
彼女は気付いていないようだ。
(渡すだけ、渡すだけ、だから、大丈夫だ…)
少し緊張してメモを取った。
その時、その文字列が音となって私の中に入ってきた。
「忘れたくな…い…?」
思わずそれを口にしてしまって気がついた。
レティと、ミュージがこっちを見ているのを感じた。
(…!しまった)
レティは、無事だろうか?
すぐにはメモから目を上げられなかった。
「シュベルツ…大丈夫みたいだよ?」
09
ミュージから声をかけられ、私はゆっくりと顔を上げる。
レティが、私のことを見ていた。
驚いた顔をしていたが、無事なようだ。
「え…」
「…いい声だな…何故今まで喋らなかった?」
「何故って…大丈夫、なのですか?」
「ああ…どういう意味だ?」
聞かれて、少し戸惑う。
けれど、このメモの意味が、事実だったら。
そして、このメモが私に与えたことを考えると。
「もしかして、魔力、が?」
「マリョク?」
レティは聞き返したが、私は確信していた。
ミュージの一族は、形のないものに魔力を込めることが出来た。
もしかしたら、レティも。
「まぁ、とりあえずその辺にしといて、これ見てよ」
ミュージが私たちの会話に割って入った。
その手には、ガクフ。
「これ…私の、詞に?」
「うん。出来たよ」
「ありがたいが…」
彼女はそう言って私の顔を見た。
「分かったのだろう?シュベルツ…今のメモで」
「大丈夫。これ、君の分」
ミュージはそう言ってレティにガクフを渡す。
「これを見せてくれれば、僕は君を忘れない…君が忘れても」
レティの目が見開かれた。
ぐらりと肩が揺れたのを、私は素早く支えた。
「レティ…君は、『忘れてしまう』んだね?」
ミュージの声が静かな家に響いた。
10
「私は…数ヶ月前から、物覚えが悪くなった」
レティは僕たちに話をしてくれていた。
おそらく、彼女が隠していたことを。
「最初は、ただ物覚えが悪くなっただけかと思った」
レティの声は震えていた。
聞いていると少しつらい。
だけど、受け止めてあげなければいけない。
「異常なほどメモを取った。でも、忘れるのは止められなかった」
たくさんのメモの意味。
やはりそこには彼女が抱えているものの重みがあった。
「何かを好きになれば、関われば、忘れた時のショックが大きい…」
忘れたことも。そして…。
「忘れられたモノの、計り知れないダメージは、私には分からない」
「だから、この町にも現れては消えてを繰り返した…」
僕の言葉にレティはうなずいた。
「でも、人々の記憶から完全に消えることは出来なくて」
気がつけば、ユウレイと言われていた。
そういうことだろう。
「私はもう、忘れたくない…」
「そうだね…でも、忘れたって、また繰り返せばいい」
僕は言った。
「君は、また一からかもしれない。でも、僕たちは一からじゃない」
シュベルツも、僕も。
シュベルツが視界の隅で微笑んだのが見えた。
レティに安心してもらいたいから。
また、会いたいから。
11
「また…会えるよね?」
「…」
「今度は、僕らの秘密を話さなきゃいけないし、ね?」
レティは、笑わなかった。
暗くなった外まで僕たちは出たけれど、最後まで笑わなかった。
また明日、と僕は言ったけれど、次の日、レティは来なかった。
そわそわと家を歩く僕。
シュベルツは何度落ち着いてくださいと言っただろうか。
「もしかして…家の場所分からなくなっちゃったのかなぁ…」
「町まで出てみますか?私はこの天気では出れませんが」
今日に限って太陽は嫌なほど輝いていた。
僕でさえ、外出するのに躊躇する眩しさだった。
「いい。僕一人で行ってくる」
それでもじっとはしてられないから。
家のドアを開けたその時だった。
「…ミュージ!」
「…分かってる…レティのメモだ」
ドアを開くと落ちるようになっていたようだ。
何枚も、何枚も。
まるで雨のように落ちてきた。
それはレティの涙のようだった。
12
『やっぱり忘れるのは怖い』
その一文からメモは始まっていた。
『忘れることは止められない。
もしも、あなた方が覚えてくれていても。
そのつらさを消すことは出来ないから。
それに、忘れたくないと…思ってしまった。
あなた方を、いとおしいと、思ってしまったから』
その文のすぐ後に、何かのシミがあった。
きっと、それは涙だろう。
『きっと忘れた時…私はもう自分を保ってられない。
自信が、ない…。
そんなところを見せたくもないから』
「私は去ります…か…」
家に響いたミュージの声は、今にも消え入りそうだった。
「忘れたって、よかったのに」
ミュージは私を見た。
その表情は、そうだねって言って欲しいと語っていた。
「自分を保ってられなくても僕たちがなんとか出来たかもしれない」
(…私たちの、歌で)
「レティ…まだ、シュベルツの歌聞いてないよ」
「…そうですね」
「僕たちの秘密も言ってないよ」
「…」
「僕たちは…忘れてないよ…」
「ミュージ…」
私はその震える手に手を重ねた。
「彼女の…レティの歌を、歌わせてください」
涙さえ見せなかったが、その震えを少しでも和らげられるように。
私には、歌しかないから。
「うん…歌って?」
机の上に揃えられたガクフに私は手を伸ばす。
彼女はまだこのガクフを持っていてくれるだろうか。
もしも、失くしてしまっても、私たちはこの歌を歌えるから。
忘れないから。
「『喪失恐怖』…か」
『忘れたくない』…彼女の言葉が、胸に刺さる。
この歌にも乗せられた、その言葉が。
私は音に乗せ言葉を紡ぎ、その歌を耳に、心に焼き付けていった。
20100720