追い求めた先にあるのは
読みにくいかもしれません。
俺は走っていた。当てもなく、只々走り続ける。その後ろには、まったく同じスピードで追いすがる何かの姿がちらりと視界をかすめる。
ここは鬱蒼と茂る深い樹海の中。元々薄暗かったが、今は辺りが漆黒の闇に包まれていた。月明かりは一筋も差し込まず、普通の人間は目の前に手をかざしても何も見えないほどの闇の中。しかし、俺の目はその闇の中であってもしっかりと機能していた。しかも昼間よりはっきりと見える。
少し前に闇がこの地を覆い尽くし、それと同時に体中に力がみなぎるのを感じていた。そして急激に加速する。だが、追ってくる何かも同時に同じだけ加速する。互いに人の域を超えたスピードで、しかも歩くだけでも大変な樹海の中を延々と木や木の根、蔦を避けてそれでも俺が出しうる最高のスピードで獅子の如く駆けぬける。
何時間も走り続けて、有り余るほどあったはずの体力も限界が近くなり苦しさに喘いでいると、不意に後ろから殺気がほとばしった。嫌な予感しかしなかったが、その考えと共に微かな焦りを振り落とし走り続けようとする。しかし、その瞬間シュッという音と同時に腹部に激痛が走る。
消えゆく意識の中、黒い人影を視界にとらえる。その黒い人影も俺と同じように傾いでいた。脇腹の痛みに加え、疲労が俺の意識を刈り取る。そうして俺の意識は、底のない闇の中に沈んでいった。
虚脱感を覚え、俺は目が覚める。目を開けようとしたが、光の洪水が押し寄せ、思わず目
を閉じてしまう。目を光に慣らせるまで使えないので周りの気配を探ってみるが、小さな
生物の気配しか感じられない。その黒い人影はは必ず夜に攻撃を仕掛ける。よって、昼は
安全だ。だがそれでもやってしまうのだ。
とりあえず上体を起こそうとするが、脇腹に鈍い痛みが走りそれも間々ならない。仕方なく木陰まで体を引きずっていき、痛みが去るまでの間休んでいようと寝そべる。
虚空を見つめていると、いつの間にか今までの出来事とあの黒い人影――もう一人の俺が現れたときのこと、そしてもう一人の俺が生まれてしまった原因となる日を思い返していた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
あの日俺は大切な者たちを理不尽な理由で失った。
小さかった俺は村の外れで一人で遊んでいた。友がいない訳ではなく皆、何らかの用事があったからだ。
いつのまにか日が暮れ、急いで戻ってみれば村からは人影はおろか物音さえしなかった。不自然な静寂と、いつもは温かみをくれた火の明かりは俺の不安を煽っていた。恐ろしさに震えながら音をたてないように駆け足で家に戻った。しかしそこにあったのは、先ほどまで家族だったはずの大きな肉片の数々とおぞましいまでの血しぶき。辺り一面黒ずんだ赤色で、毎日過ごした家の面影は見る影もなくなっていた。目の前の現実を信じたくない俺は、友の家に助けを求めに行った。だがそこでも残酷な現実を目のあたりにしてしまった。それでも俺はあきらめず、あるかもわからぬ希望を信じて村中の家々を訪ねて行った。しかしどこにも俺以外の命あるものは存在しなかった。
俺は悲しみのあまり発狂もした。その時の喪失感は今でも時折思い出してしまう。だが発狂していた時間はあまりにも短く、正気に戻るとすぐそれらを失った理由を考えた。そして俺は大切なものたちを奪ったやつらに復讐すると己に誓ったのだ。
幾つもの時が過ぎ、子供とも大人ともとれる年齢になったときついに復讐を実行した。しかし俺だけの力では歯もたたず、逆に馬鹿にされ返り討ちにあった。
幸か不幸か、簒奪者は俺を殺しはしなかった。簒奪者は身も心も粉々に砕き反抗の意志さえ握りつぶしたつもりだったのだろうが、俺の負の感情は消えるどころか何倍にも膨れ上がった。負け犬よろしく逃げ帰ってきた俺は我を忘れ、憎悪に支配されて俺は犯してはいけない禁忌を破ったのだ。それは、
『力と引き換えに闇神に魂を売る』
というものだった。つまり、力を得る代わりに闇神の手足となって働かなければならない。まあとくに命令がないのであれば、自由に動くことができるのだが。そして魂を失うということは命を失うと同義であり、不老不死――生ける屍と化す。
だが、儀式の途中に光神の騎士の邪魔が入った。幸運なことにほぼ終わりかけていたので、儀式を終え騎士どもを難なく殲滅できたのだが一つ、手違いが生まれた。それは貢ぐべき最後の魂の欠片が空へ散ってしまったのだ。闇神はそれでも俺に力をくれたから、その時は特に問題がなかった。
だが、今ではそうはいかない。
復讐を終えたと同時に大切なものという唯一の光、心の支えを失った。復讐に囚われていた間はあいつらが心の隅でいつでも輝いていた。復讐の原動力となって俺を励ましてくれた。それは復讐が終わっても心の隅で存在していてくれると思っていた。だが、復讐と共に消え去ってしまった。消えてしまった理由を探した。探して、見つけ出して取り戻そうとした。だが、見つける代わりに知ってしまったのだ。俺の本性という残酷で、まぎれもなく偽りのない真実を。
昔の小さな俺は新しい世界を求めていた。こんな変哲もない世界に飽き飽きしていたのだ、毎日同じことを繰り返しているだけの小さな世界に。そして新しい世界が俺の元に転がり込んできた。あいつらの死と引き換えに。俺は復讐という大義名分を掲げて、あいつらの事は唯のちょうどいい理由にした。ようやく自分で俺という悪魔を知り、そんな俺を嫌悪した。
あいつらのためと言っておきながら、結局は自分の快楽のためにあいつらを利用していたのだから。
あのあとはもう光を探さなかった。見つけるのが怖くなったから。だから俺はこの時も今も、心の中に闇しか存在しないのだ。あいつらという名の光を失ってしまったために。しかし本性というものを変えられるはずもなく、喜んでいる俺自身もいた。そんな己を呪い続け、恨み、憎んだ。そんな日々が続き、いつしか考えることをやめ、本当に生ける屍になってしまうそんな一歩手前のとき。黒い人影が俺の前に姿を現した。
ゆっくりと虚ろなその目を前に向ける。視界に入ったその人影は何をするでもなくその場で佇んでいた。俺はそいつを観察すればするほど驚きで目を見開く。その目には微かに生気が戻っていた。何せその人影は俺と瓜二つの姿をしていて、その身に纏っている闇は、神聖な闇といっていいほど神々しかった。だがそんなことは俺にとってはどうでもよかった。闇神に与えられることもなく、空へ消えていったはずの俺の魂の欠片が人の形をして現れたことに比べては。しかもその中には消えていったはずのあいつら、光があった。
そいつは自分自身の体を形造るその神々しき闇の一部を剣の形に変え、俺に襲い掛かってきた。初めは俺に対する復讐だと思った。あいつらには、俺の本性が見えていたはずだから。しかしそいつは俺に隙が生まれても突くようなことをせず、只々打ち合ってくることを求めた。
長いようで短い時間がたち、だんだんと心が落ち着いていくと思考する余裕が生まれた。ふと、交差されている互いの剣を見比べてみる。俺の剣はどこまでも深淵なる禍々しい闇で造られていて、そいつ、もう一人の俺は月のように美しく、かつ聖なる輝きを放っている闇の剣。まるで互いのその心を表しているかのようで、実際にそんな風に思われ、ひどく負けたように感じた。
あいつは俺で、俺はあいつで。姿かたち、実力、癖、思考回路。あらゆるところで同じであるはずの俺たちの心がここまで違ってしまったのはなぜだろうか。いったい俺はどこで間違えてしまったのか。そこで間違えさえしなければもう一人の俺のようになれたのだろうか……。
疲労感に包まれながらも俺の頭の中をぐるぐると廻る様々な考え。しかし、あいつは気にすることもなく、ひたすらに剣を俺に向かって打ってくる。それを打ち返しながらまた思考の海に溺れる俺。互いが疲労で動けなくなるまでずっと続くと思っていた。だがあいつの行動が少し変わったことで俺の頭の中に別の思考をする必要が生まれた。別に攻撃パターンが変わったわけではない。ただ、その剣から暖かい何かが流れ込んできた。始めは毒が流れてきたと思って警戒する。しかし、それは俺の心を優しく温めてくれた。困惑していると、何か聞こえてきた。
――生きて
少年のような声がそう囁く。これはそうだ、俺が小さかった時の声だ。
――生きて、生きろ、生きなさい、僕俺儂私たちは大丈夫だから。もう、私たちのことで自分を傷つけないで、責めないで。私たちはそれを望んではいない。自分がしたいように生きて。私たちはもう満足したから。君のことは恨んでなんかいないから。私たちは君に生きて幸せになって欲しいんだけなんだ。
今度は小さな俺だけではなく、老若男女の様々な声が温かく俺の心を満たす。この声は、かつて村の皆の声だ。懐かしさが込みあげてくる。だが、逆に罪悪感も一緒に押し寄せてくる。いくら許しをもらおうとも、俺自身が俺を赦す気がないからだ。
――だからね、お願い。生きて・・・そして、幸せになって・・・
最後は母親の声。慈愛に満ちていて、愛情がひしひしと感じた。涙がこみ上げてきて、俺の目から零れ落ちる。だがその間ももう一人の俺は無言かつ無表情で俺に剣を撃ってくる。しかし、心なしか口元が微かに微笑んでいる気がした。声は途絶えてしまったが、温かさは未だに流れ続け、どこか安心する。
やはりそいつは俺で、俺はそいつで。疲労で腕がもう持ち上がらなくなったとき、そいつは剣を振るわなかった。闇神との契約で力が大幅に上がった俺についてくるとは。どこまでも俺の分身ということか。そいつは身をひるがえすと森の中に消えていく。まるで溶けていくかのように。
一人になり、立っているのも疲れたので地べたに座り込む。温もりが去っていく寂しさを覚えながら、考え事をする。
あいつらが俺を赦さない。それが今まで恐れてきたことだ。だが、赦しをもらってしまった。だからもう、うじうじと悩む必要はなくなったはずだ。だというのになぜ、悩んでいるのだろうか。なぜ許しを拒もうとするのだろうか。俺の本性は変わらない、変われないというのに。
ああ、そういうことなのか。俺は自分が憎いんだ。だからあいつらから赦しをもらっても、俺自身が俺を赦さないんだ。そう俺は納得する。だったら俺は、俺を赦せるようにならなきゃいけないのか。あいつらがそう望んでいるから。だが、俺は許せない。まだ、赦せないんだ。心の整理がしたい。今は無理だけど、でもいつかは赦せるようになりたいんだ。
俺はそう決意し、そのまま深き眠りの中に落ちて行った。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
いつの間にか寝てしまったらしく、長々とした回想になってしまった。数多の感情が胸の中で渦巻いているが、それを押し殺し平静を保とうとする。痛みはとれたらしく、立ち上がって体を動かし、確かめてみる。
もう一人の俺はあれからも定期的に攻撃をしてきた。大きな傷は避けていたが、小さな傷に関してはたくさんできた。しかし、それはもう一人の俺も同じだが。
あれから、何度も打ち合ってきたが声は幾度も流れてきた。しかし、録音のようにあの時と同じ言葉を何度も繰り返していた。
先ほど逃げていたのは光神の騎士に追われ傷つき、とてもじゃないが剣が振るえる状態ではなかったからだ。だからこそ、もう一人の俺もタックルを使っていたのだが。致命傷は避けているのに、殺気だけは異常に多い。少し不思議である。愛情の裏返しと言うやつだろうか。
あれからずっとずっと悩み続け、やっと答えが出た。それをあいつらに報告するために、伝えるために俺は走り出す。少し遠いが二、三日あればすぐに着く。あいつらの為に、そして俺の為に。俺は最善の選択をする。光神の騎士共は皆殺した。だから、俺を邪魔するやつらは誰もいない。これはあいつらの為じゃない、俺の為だ。もう二度とあいつらと言う免罪符を使わないと決めたんだ。俺の赦しについては別だが。この罪は俺だけが背負っていればいい。あいつらは頼れと言うんだろうがな。俯いていた顔を前に向かせ、スピードを上げる。忌まわしくて、懐かしくて、全てが始まった地に。
最低限の休憩をだけを取り、ずっと走り続けた。そして今、ずっと動かしていた足を止めた。そこは崩れ落ちた納屋や、腐った小屋が点々とあって、立っているのはほとんどなかった。しっかりと中を見てみればところどころくぼんだ白骨死体がごろごろ見つかるだろう。ここはかつて俺が住んでいた村の成り果て、廃村だった。ここから俺の復讐は始まった。だからここで終わらせるのが 一番いいと思ったのだ。
今は逢魔ヶ刻。もうすぐ日が落ち、完全な暗闇が訪れる。少し拓けた場所にたどり着くとそこにはもう一人の俺が立っていた。正面にくるように俺は立つと、そいつの顔を見つめる。いつもは不意打ちだったのでこうして待っていることは一度もなかった。つまりはそいつも終わりが近づいていることに気づいているということだろうが、相変わらず無表情だった。しかしそれでいい、それでこそ俺だ。
そよ風も吹かぬ静寂の中、互いに同じタイミングで剣を生み出す。片や禍々しき漆黒で、片や聖なる闇で。同じようで何か違う剣が互いの手の中に生まれ出る。瞬きをするまもなく、ふっと二人の姿が消えた。そしてちょうど真ん中あたりで剣が交差される。闇神の力はいとも簡単に人外の力を生み出す。二人が本気になればこの程度のスピードではすまないだろう。その後も何度も剣を合わせるが、双方ともゆっくりとした動きで様子見というか、準備運動と見えた。少しずつ剣速が上がっていき、力が篭っていく。いよいよ本戦に入ったと言うことだろう。しかしその戦いはとても異質だった。互いにまったく同じ動きをしているのだ。猿真似とは比べ物にもならないほど精緻で、同じタイミングで寸分の狂いもなく同じ動きをしていた。どちらがオリジナルと言うわけでもなく、どちらも本物だった。しかし、このままだと勝敗がつくわけでもなく引き分けに終わることは明白である。が、突然二人が距離をとった。しかし片方は何かを決意した表情を浮かべ、白い何かが体からあふれて出ていた。これは、戦況を変える鍵になるであろう。そう思える雰囲気をかもし出していた。
俺はいつものように戦えば、絶対に勝てないことは分かっていた。そいつは俺だが、少し違う。昔の俺なのだ。いくら俺が強くなろうとも、本性は昔から変わっていない。だが、本性を変えることは不可能だ。ではどうするか。俺が導き出した答えは否定するのではなく、受け入れることだと俺は思う。認め、受け入れたうえで制御をする。そうして俺は成長するのだ。俺の本性は外の世界への好奇心。ただ、利用できるものは利用するというだけだ。そう思えば、いくらかは楽になれた。だがそれだけでは足りない。器が大きくなっただけで、力自体は変わらない。だから求めるんだ、光を。今なら手に入る気がする。あいつらのような他人の光じゃない、俺自身の光だ。それは、希望。生きたい、世界を見て回りたい。本性を受け入れたが故に手に入る希望。俺だけの希望だ。そして、これが俺の答えだ。
俺の体から白い光が漏れ出る。それは希望を得た証。もうあいつらを頼らなくてもいい証。これからは、共に歩んでいくという証。今度は俺があいつらに想いを届ける番だ。その想いに呼応するように、白い光は剣の周りを縁取るように現れる。ふと、今わかったことがあった。それは、希望を手に入れさせるために、ずっと攻撃されていたのだと今更だがわかることができた。
いくら聖なる闇であろうとも、闇は闇でありそれは変わらない。昔の中から出られないそいつは、俺が変わろうともそこに届かない以上、変わらない。俺は闇と光が混じった、しかし混沌とはしていない己の剣を手にもう一度走り出す。二つの相反した属性は新たな力を生み出す。先ほどとは比べ物にならないほどのスピード、パワーで切りつける。そいつは旨くさばけず、体制を崩す。しかし俺は攻撃をしない。目的はあいつらに想いを届けることだからだ。
そのまま、ずっと心いくまで切り結んでいたいと思った。だが、そんな時間はないのだ。あっという間に時間は去ったのか、もう空が少しずつ明るくなっていた。俺は渾身の力でそいつの剣に俺の剣を叩きつける。思わず放してしまったのか、剣が宙を舞う。グサ、と地面に刺さる音がしたのを確認し、俺はそいつのほうを向く。そいつはもう黒い人影などではなく、幼き俺の姿をしていた。そして満面の笑みを浮かべていた。しかし足のほうは光の粒子となって消えていた。幼き俺は手を伸ばし、その小さな手に握られているものを差し出してきた。俺は受け取り見ていると、溶けて俺の中に吸いこまれていった。その直後俺の中で何かが弱弱しく躍動する。そして気づいた。これは俺の魂の欠片だということに。俺のほほに温かい何かが流れる。それに恐る恐る触れてみると涙だった。やさしい波場を流せることを知り、思わず笑みを浮かべる。笑みもあの日より後にはできずにいて、とてつもなく久しぶりだった。前を見ると幼き俺は見えるか見えないほど消えていた。しかし、消える瞬間に放った声だけははっきりと聞こえた。
ありがとう、と。
消え去った瞬間朝日が昇る。まるであいつらと俺の出発を祝うかのように。片や天国、片や未知なる世界へ。俺は自由に生きる。そのためには、闇神から魂を取り返さなければ。今では魂の欠片がある。これは反抗するカギとなるだろう。いくら年月がかかろうとも自由をあきらめない。俺はそう決意し、朝日に背を向け森の中に消えていった。