ポンコツあくま~おまえなどひらがなでじゅうぶんだ~
よくある?ポンコツな悪魔の物語だとおもうよ?と、言う話です。
「悪魔『リリス』よ。貴様のその怠慢、もはや看過できぬ」
薄暗い瘴気に満ちた魔界の謁見の間。
玉座から見下ろす魔界の王の低い声が響き渡り、ひれ伏していた少女の姿をした悪魔――リリスは、ビクッと肩を震わせた。
「た、怠慢とは心外な! 我は日々、人間どもに恐怖を与えるための特訓を……!」
「特訓だと? 貴様、先日人間界に召喚された際、生贄の山羊の血を見て『ひぃぃ血ぃ出てる! 痛い痛い!』と泣き叫び、あろうことか全力の回復魔法で山羊を蘇生させたそうだな?」
「うぐっ……! そ、それは……!」
「おまけに、拷問器具の手入れ中に自分の指を挟んで痛がり、腹いせに器具を全て光の魔法で浄化・消滅させたという報告も上がっている」
魔王は深く、本当に深くため息をついた。
リリスは悪魔の分際で、他者の痛みや苦しみを自分のことのように感じ取ってしまう「超絶エンパス体質」だった。他人が傷つくのを見ると自分も痛い。だから自分が嫌な思いをしないために必死で治癒魔法ばかり練習した結果、本職の高位聖職者すら凌駕する【聖属性・回復魔法のエキスパート】になってしまったという、悪魔にあるまじき大ポンコツである。
「おまえ、ポンコツすぎて悪魔としての威厳が全くない。よって、真名『リリス』は没収だ」
「なっ!? そ、そんな! では畏れ多くも『悪魔』という種族名を名乗れと!?」
「いや、漢字を使うのもおこがましい。今日からただの『あくま』として生きろ」
「あ、あくま……?」
「そうだ。おまえなど、ひらがなでじゅうぶんだ。」
魔王が指を鳴らすと、リリス――いや、「あくま」の足元に人間界へと通じるゲートが開いた。
「とりあえず人間界へ行ってこい。立派な悪逆非道を働き、漢字の『悪魔』を名乗るに相応しい実績を上げるまで帰ってくるな」
「ああっ!? お待ちを、魔王様ぁぁぁーーーっ!!」
哀れな悲鳴を残し、ひらがなの「あくま」は人間界へと蹴り落とされた。
***
人間界。
スラムの片隅で、一つの命が消えようとしていた。
何かを食べたのはかなり昔、水を飲んだのは3日前。
既に限界だった。
「・・・」
声にならない言葉を残して、少女は力なく目を閉じた。
横たわる小さな者は物となり、朽ち行くときをただ待つだけ。
何処にでもありふれた光景だった……此処までは。
『ひ、ひぃぃぃぃっ!!? な、なんだこの強烈な苦しみは!!』
空からスラムの路地裏に落下してきた実体のない「あくま」は、地面をのたうち回っていた。
目の前に倒れている少女から発せられる「飢え」「渇き」「絶望」という強烈な負の感情を、エンパス体質によってモロに受信してしまったのだ。
『は、腹が減って死にそうだ……! 喉が渇いて喉仏が千切れそう! 痛い、苦しい、我が死んでしまうぅぅっ!』
あくまはパニックになりながら、瀕死の少女にすがりついた。
『おい人間の娘! 頼むから死なないでくれ! 貴様が苦しむと我まで超絶苦しいのだ!』
「……だれ……?」
『我は偉大なるあくまだ! ええい、こうなったら契約だ! 貴様の魂を対価に、この肉体を我が引き受けよう! さあ、何か望みはないか!? 我が(自分が苦しまないために)叶えてやる!』
薄れゆく意識の中で、少女は最期の力を振り絞って願った。
(……おいしいもの、いっぱい、たべたい……。たのしく、いきたい……)
『よし乗った! その前向きすぎる願い、確かに聞き届けたぞ!!』
あくまが叫んだ瞬間。
横たわる物(少女の肉体)から、眩い金色の光が発生した。あくまが放つ規格外の聖魔法が、少女の肉体を完璧に修復し、同時にあくまの魂がその器へと定着していく。
光が収まると、それは目を開けた。
起き上がったそれは、美しい人間の少女の姿をしていた。
スラムに似つかわしくない健康的なからだ、汚れ一つない真っ白なワンピース、金色に輝くブロンドの長いウェーブが掛かった髪。
瞳は翡翠を埋め込んだような、奇麗な宝石の様な瞳だった。
少女(中身はあくま)は自身の無傷の身体をペタペタと触り、安堵の息を吐いた。
「ふぅ……間一髪であった。あのような地獄の苦しみ、二度と味わいたくないわ」
立ち上がったあくまは、服の砂埃を払い、スラムの暗い道から大通りに向かって歩き出した。
この物語は、スラムで息絶えた少女の魂を対価として契約した悪魔の物語である。
ただし、この悪魔、もの凄くポンコツなのであった。
*
大通りに出たあくまは、行き交う人々を見下ろすようにふんぞり返った。
「ふはははは! 見よ、人間ども! 我は深淵の底より這い出でし、大いなる――」
ぐきゅるるるるるるるるぅぅぅ……!!!
あくまの腹の虫が、広場に響き渡るほどの轟音を立てた。
「……む?」
あくまは自身の腹をさすり、きょとんと首を傾げた。
(なんだ今の音は? 我の器の中に、凶悪な魔獣でも封じられているというのか……!? いや、それよりも何故か力が入らぬ。魔力もすっからかんだぞ?)
無理もない。元の少女は3日も水を飲まず餓死したのだ。あくまが強大な治癒魔法で肉体を修復・蘇生させたとはいえ、腹の中身のカロリーまで満たされたわけではないのである。
「おい、そこの娘。大丈夫か?」
「む、貴様は……?」
声をかけてきたのは、肉の串焼きを売る恰幅の良い屋台の親父だった。香ばしい匂いが、あくまの鼻腔をくすぐる。
その瞬間、あくまの口からだらしなくヨダレが垂れた。少女の「美味しいものがいっぱい食べたい」という願い(呪縛)が、あくまの食欲を限界までブーストさせていた。
「な、なんだその魅惑的な香りを放つ供物は! 貴様、この偉大なる我への生贄としてそれを捧げるというのだな? よかろう、その忠誠心に免じて――」
「いや、売り物だよ。1本、銅貨3枚だ」
「どうか? どうかとはなんだ? 我に許しを乞うための呪文か?」
「お金だよ! お金! 無一文ならしっしっ! 邪魔だよ!」
親父にシッシッと手を振られ、あくまは絶句した。
「な、なんだと!? 我を誰だと思っている! 魔界を統べる(予定の)大悪魔だぞ! 貴様のような下等生物、我が恐ろしい名を知れば恐怖にひれ伏すであろう!」
「へえへえ。で、名前はなんていうんだい?」
「ふん、よくぞ聞いた! 我の名は――」
そこで、あくまは口をつぐんだ。
脳裏に、先ほどの魔界の王の呆れ果てた声が蘇ったのだ。
『おまえなど、ひらがなでじゅうぶんだ。あくまな』
(ぐぬぬぬ……! 忌まわしき記憶が……!)
「どうした? 名前、ないのか?」
「……あ、あくまだ……」
「ん?」
「ひらがなの、『あくま』だ……文句あるかぁっ!」
なぜか半泣きでヤケクソ気味に叫ぶ美少女を見て、親父は憐れむような目を向けた。
見た目はとんでもなく綺麗なのに、頭のネジが数本飛んでいる迷子なのだな、と。
「……ほらよ、売れ残りだ。食いな。あくまちゃん」
「はっ! 恐怖に慄き供物を……って、ちゃん付けで呼ぶな! ――あむっ。うっ、うままままま!! なんだこれ美味すぎるぞ人間!!」
あくまが串焼きに無我夢中で齧り付いていた、その時だった。
屋台のすぐそばで、走っていた小さな少年が派手に転んだのだ。
「うわあああんっ! 痛いぃぃっ!」
少年の膝は大きく擦りむけ、血が滲んでいる。
それを見た瞬間、あくまの顔色が変わった。
「ひぃぃぃっ!? い、痛い! なんだこの幻痛は!? 我の膝が削れたような恐ろしい感覚が……っ!」
あくまは自身の無傷の膝を抱えて、少年よりも大きな声で涙目になりながら叫んだ。
「いやだ! 血ぃ出てる! 痛い痛い痛い! 早く治せ! 頼むから治ってくれぇぇぇっ!!」
あくまは半狂乱になりながら、少年に向かって両手をかざした。
その瞬間、彼女の手から神々しく眩い金色の光が放たれた。光が少年の膝を包み込むと、擦り傷は一瞬で塞がり、痕形もなく消え去った。
「……へ?」
泣き止んだ少年が不思議そうに膝を見る。
幻痛が消え去り、あくまは「ふぅ……助かった」と安堵の息を吐いた。
しかし、周囲の空気は凍りついていた。屋台の親父も、道行く人々も、信じられないものを見るような目であくまを見つめている。
「お、おい……今の光、教会の高位神官様しか使えない『奇跡』の聖魔法じゃないのか……?」
「あんなに透き通った白い服に、金糸の髪……間違いない、天から舞い降りた天使様だ!」
「おお、なんという慈愛に満ちた御方……!」
人々があくまの周りに集まり、次々と祈るようにひざまずき始めた。
「は? て、てんし? 聖魔法? ちがう! 我は深淵より這い出でし恐るべき悪魔で……!」
「ああ、天使様! どうか私の腰痛も診てください!」
「私の畑にも祝福を!」
「違う! 違うと言っておろうが! あと腰痛はお前が姿勢悪いだけだ!!」
これが、魔界を追放されたひらがなの「あくま」が、なぜか人間界で「天使(または聖女)」として熱狂的な信仰を集めてしまうことになる、輝かしくも不本意な伝説の始まりであった。
*
『この街に、自らを悪魔と名乗る不届きな輩が潜伏しているらしい』
教会の命を受け、その不穏な噂の真相を確かめるべく街を訪れた男がいた。
神の敵を絶対に許さない冷徹なる男、教会のエリート異端審問官・クラウスである。
「悪魔め……。この私が必ずや探し出し、浄化の炎で焼き尽くしてくれよう」
クラウスが街の広場へと足を踏み入れた時、そこは異常な光景に包まれていた。
広場の一角が、即席の戦場病院(野戦治療所)のようになっていたのだ。街の自警団と近隣の森の魔物との間で小規模な衝突があったらしく、切り傷や打撲を負った怪我人が次々と運び込まれていた。
そして、その中心に『彼女』はいた。
「ぎゃああああっ! 血ぃ出てる! 血ぃ出てるぞ! 痛いぃぃっ!!」
「え、あ、いや、そんなに大袈裟に泣かなくても……」
「黙れ! 我の目の前で血を流すな! 痛いのだ! 我が!!」
純白のワンピースを血と泥で汚し、ウェーブの掛かった金色の髪を振り乱しながら、一人の美しい少女がボロボロと大粒の涙を流していた。
彼女は運ばれてきた怪我人にすがりつき、わんわんと泣き叫びながら両手をかざす。
すると、眩い神々しい光が放たれ、兵士たちの傷が嘘のように瞬時に塞がっていくのだ。
「ふっ、ふえぇぇん! 次から次へと……痛い、チクチクする! 頼むから我を休ませてくれぇぇっ!」
「ああ、天使様! 私たちの痛みを身代わりになって受け止めてくださるなんて……!」
「おおお……なんという慈悲深き御方だ!」
治癒された兵士たちは、涙を流す少女の姿に感動し、その場に平伏して祈りを捧げている。
(……なんという事だ)
遠くからその光景を見ていた異端審問官クラウスは、衝撃のあまりその場に立ち尽くしていた。
他者の傷みに寄り添い、自らも涙を流しながら、身を粉にして高位の回復魔法を使い続ける少女。その姿は、教会の教典に描かれる『神の使い』そのものであった。
(あのように美しく、そして自己犠牲の精神に溢れた方がいらっしゃるとは……。私としたことが、悪魔探しなどという血生臭い任務で心が荒んでいたようだ。この日、私は本物の『聖女様』に出会ったのだ……!)
クラウスは静かに胸の前で十字を切り、熱い涙を零した。
(あくまの内心:『いい加減にしろ人間どもォ! 我のエンパス体質を舐めるな! 腕が折れた奴を近くに連れてくるな、我が痛いだろうがァァーッ!!』)
***
後日。
聖女様の尊い姿を胸に刻みつつも、クラウスは本来の任務である「悪魔を名乗る少女」の噂の聞き込みを実施していた。
「――というわけで、その『悪魔』とやらを見かけなかっただろうか?」
クラウスは、街角で肉の串焼きを売っている屋台の親父に尋ねた。
「ん? ああ、『あくまちゃん』のことかい? なら、毎日うちの屋台に串焼きを食いに来るぜ。今日もそろそろ来る時間だ」
「なんと! 毎日来るというのか! まさか、人間の魂を狙って……!?」
「いや、ただの食いしん坊のアホの子だよ。ほら、噂をすれば来たぞ」
親父が指差した先。
人混みをかき分けて、一人の少女が小走りでやってきた。
「親父! 今日も串焼きを寄越せ! 肉だ肉! 我の胃袋が荒ぶっておるのだ!」
「はいはい、毎度あり。顔パスでツケにしとくから、後で自警団のおっさん達に奢ってもらいな」
少女は両手に串焼きを持ち、幸せそうに「あむっ、うままま!」と頬張っている。
その少女の姿を見たクラウスは、全身を雷に打たれたように硬直した。
ウェーブの掛かった光輝く金髪。
汚れ一つない真っ白なワンピース。
そして、翡翠のような奇麗な宝石の瞳。
(はて? どこかで見たことがあるような……。いや、どこかでどころか……)
つい数日前、戦場病院で涙を流しながら人々を救っていた、あの『聖女様』その人ではないか!
「な、なんだ貴様は。我の顔をジロジロと見て。さては我の真の恐ろしさに気づき、魂を差し出したくなったか?」
口の周りにベッタリと串焼きのタレをつけた少女が、クラウスを見上げてふんぞり返った。
クラウスは震える声で問いかけた。
「あ、あなたが……まさか、噂の『悪魔』と名乗る少女、なのですか……?」
「いかにも! ふははは! 驚いたか! 我こそは深淵より這い出でし、恐るべきひらがなの『あくま』である!」
ドヤ顔で言い放つ少女。
教会の異端審問官として、ここで浄化の魔法を打ち込むのが本来の使命である。
しかし、クラウスの頭脳は、恐るべき速度で(間違った方向への)解釈を弾き出した。
(こ、この方は……あのような奇跡の御業を持ちながら、自らを『悪魔』と名乗り、人々から距離を置こうとされているのか……!)
思い返せば、あの時も「天使様」と崇める人々に対し、彼女は泣きながら何かを叫んでいた。(※「痛いから寄るな」と言っていただけである)
強すぎる信仰は、時に争いを生む。彼女は自身の持つ聖なる力の影響力を危惧し、あえて「悪魔」という忌み嫌われる名を騙ることで、人々が狂信に走るのを防ごうとしているに違いない!
(ご自身を悪魔と蔑んでまで……なんという、なんという自己犠牲の精神……っ! 口の周りのタレすらも、親しみやすさを演出するための計算だというのか!)
「ああ……っ! 尊い! 尊すぎます!!」
「ひぃっ!? な、なんだ急に泣き出して!? 気味が悪いぞ!」
「聖女様! このクラウス、あなたのその崇高な御心に、一生ついていく覚悟を決めました!!」
その場で感極まってひざまずき、あくまの手(串焼きの脂でギトギト)を両手で握りしめるクラウス。
「はぁ!? せいじょ!? 違う、我はあくまだと言っておろうが! ていうか串焼きが潰れる! 離せぇぇっ!!」
悪を憎む冷徹な異端審問官と、恐るべき(ポンコツな)あくま。
二人の間に、海より深く山より高い「激しいすれ違い」が誕生した瞬間であった。
これは、異端審問官とあくまの、心温まる(?)エピソードである。
……え?
*
異端審問官のクラウスを謎の勘違いにより半ば強引に「仲間(という名の信者)」にしたあくまは、順調に本来の業務である魂の回収に精を出していた。
対象となるのは、数十年前、魔界の別の悪魔と魂の契約を行い、その寿命がいよいよ尽きようとしている者たちだ。
いずれも名を馳せた歴戦の戦士や、大魔法使いなどであり、その魂の価値は計り知れない。
悪魔にとって、人間の魂とは「食料」である。
ただ腹を満たすだけでなく、己の魔力を高め、より強力な存在へと至るための純粋なエネルギーの塊なのだ。この強力な魂を喰らえば喰らうほど、悪魔は恐るべき力を手に入れる。
「ふははは! 見よクラウス、ついにあの歴戦の老魔導士の寿命が尽きたぞ! これで極上の魂は我のものだ!」
病床の傍らで、あくまは亡くなった魔導士の体からふわりと浮かび上がった光の玉(魂)を両手でガッチリと捕まえた。
「聖女様……。迷える魂を自らの手で掬い上げ、直々に天界へと導いてくださるとは。その慈悲深さ、私の胸を熱く打ちます……」
「天界? 何を言っている。これは我の胃袋に導くのだ。あむっ!」
あくまは、躊躇することなくその光の玉を丸呑みにした。
(うむ! 歴戦の魔導士の魂は、長年熟成された芳醇な魔力の香りがして美味いな!)
あくまは満足げに腹をさすった。
強靭な魂を取り込んだのだ。本来ならば、これで恐るべき闇の魔力が膨れ上がり、雷や地獄の業火を放てるようになるはずである。
「おおおお! 来るぞ、力が……! 我の内に秘められし、強大な魔力が……!!」
あくまが両手を天に掲げた瞬間。
彼女の体から、眩いばかりの神々しい後光がパーァァァッと射し込んだ。
「……え?」
あくまはポカンと口を開けた。
闇のオーラなど欠片もなく、部屋中が暖かく優しい光に包まれている。
そして、その光を浴びた途端、隣のベッドで苦しそうに咳き込んでいた不治の病の老人が、むくりと起き上がったのだ。
「おお……? なんということじゃ、胸の苦しみがすっかり消えた! 息が吸える! 体が軽いぞ!」
「なっ……!?」
あくまは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ぎゃああああ! なんで病気まで治せるようになっているのだ!? 魂を食えば食うほど、我の『信仰』ステータスが上がっているではないか!!」
そう、このポンコツ悪魔に関しては別だったのだ。
他者の痛みに寄り添いすぎるエンパス体質と、契約した少女の「楽しく生きたい」という願いが混ざり合った結果、魂というエネルギーを取り込んでも、神聖なる回復術の威力と範囲が拡大するだけだったのである。
「これではただの歩く万能薬ではないか! 違う、我はもっとこう、ドカーンと邪悪な炎とかを出したいのだ!」
「ああ……なんという事でしょう」
嘆くあくまの背後で、クラウスはボロボロと感涙を流しながら羊皮紙にメモを取っていた。
「自らを取り繕うための『悪魔の力』など不要……。天に召された者の魂を糧とし、残された生者に奇跡と癒やしを与える……。これぞまさしく究極の自己犠牲。私は今、神話の体現者を目の当たりにしているのですね……!」
「だから違うと言っておろうが! 頼むから話を聞いてくれ!」
***
その日の夜。
「あー、今日も疲れた。美味しい魂も食ったし、そろそろ寝るぞクラウス」
「はっ、聖女様。お部屋はこちらに手配しております」
クラウスが恭しく案内した先は、街で最も巨大な『大聖堂』であった。
神を祀る大聖堂は、何重もの強力な聖なる結界が張られており、本来ならば悪魔にとっては息をするだけでも皮膚が焼け焦げるような猛毒の空間である。
高位の悪魔であっても、侵入には多大な苦労を伴うはずなのだ。
しかし。
「おお、ここは広くていいな! 装飾もピカピカだ!」
あくまは、鼻歌を歌いながら大聖堂の正面扉をスルーッと素通りした。
結界が弾くどころか、規格外の聖属性を持つあくまに対し、むしろ**「お待ちしておりました大天使様!」**とばかりに全力で歓迎し、同調していたのである。
(ふふん、教会の結界など我にかかれば紙切れ同然! やはり我は、魔王すら凌ぐ恐るべき大悪魔なのだな!)
誰もツッコまない(気づかない)ことをいいことに、あくまは盛大な勘違いをしてドヤ顔をキメた。
「さあ、案内しろクラウス! 今日もあのフカフカの寝床が良いぞ!」
「はっ。一番奥の賓客室をご用意しております」
あくまは大聖堂の奥深くへと進み、賓客室の最高級の羽毛ベッドにダイブした。
「うおー! この綿の詰まった布、最高だ! 魔界のゴツゴツした岩のベッドとは大違いだな! すー……すー……」
あくまは秒で眠りに落ち、幸せそうにヨダレを垂らし始めた。
その寝顔をドアの隙間から見守りながら、異端審問官クラウスは深く、深く頷いた。
(悪魔が、この大聖堂の聖なる結界を素通りできるはずがない。ましてや、神の御膝元であるこの場所で、あのように無防備で安らかな寝顔を見せるなど……絶対にあり得ないことだ)
クラウスは、自身の胸の内にあった「もしかしたら本当に悪魔なのでは?」という一ミリの疑念すらも、完全に宇宙の彼方へ放り投げた。
(やはり、あの方は悪魔の皮を被った、天から遣わされた本物の聖女様! このクラウス、もはや一片の迷いもございません!)
「むにゃむにゃ……親父……串焼き、もう一本……」
静寂に包まれた神聖なる大聖堂の夜。
世界で一番恐ろしい(はずの)悪魔の寝言と、世界で一番悪を憎む(はずの)異端審問官の熱烈な祈りが、奇跡的なハーモニーを奏でていた。
*
雲海がどこまでも広がる、神聖にして不可侵の領域――『天界』。
その最奥に位置する神殿で、神々しい光を放つ三つの影が、水鏡のような水晶玉を囲んで覗き込んでいた。
「ふふっ。今日も可愛い寝顔ですね、あくまは」
「ええ、そうですね姉様。ヨダレを垂らしているお顔もまた尊いです」
微笑ましく水鏡を見つめているのは、純白の翼を持つ双子の大天使、リリエルとルリエルである。
そして彼女たちの中央で、ひときわ眩いオーラを放つ女神アルテイシアが、深く頷いた。
「リリエル、ルリエル。下界の報告によれば、彼女はあの恐るべき魔界から追放された身でありながら、我が天界の高位天使すら凌ぐほどの『聖属性』と『慈愛(※本人は痛いだけ)』を振りまいているとのこと。やはり、悪魔にしておくにはもったいない存在です」
「はい、女神様! あの大聖堂の結界が、彼女を『大天使様』と誤認して大歓迎したと聞いた時は驚きました!」
「我々、天界の者が正しく導かねばなりませんね。誰かを下界に派遣しましょう」
女神アルテイシアの提案に、双子の大天使はピシッと背筋を伸ばし、勢いよく手を挙げた。
「「私が行きます!!」」
「ダメです。あなたたちのような高位の大天使が下界で直接動いては、人間たちに無用な混乱を招きかねません。しかし、下っ端の天使では、彼女の規格外の力には役不足……」
女神は少し顎に手を当てて考え込み、やがてハッとしたように顔を上げた。
「……やはり此処は、私自らが赴くしかありませんね!」
「「女神様は、もっとダメです!!(下界がパニックになります!)」」
天界のトップ層までもが、すでに一人のポンコツ悪魔に骨抜きにされ、過保護な親戚のおばちゃんのようなわちゃわちゃを繰り広げていた。
***
一方その頃、下界の大聖堂。
賓客室の最高級羽毛ベッドで、あくまはパチリと目を覚ました。
「ふぁぁ……よく寝たぞ。やはり人間の作る布は最高だな」
大きく伸びをしたあくまは、ふと天井を見上げた。
そして、何を血迷ったのか、天井(空)に向かってビシッと指を突き出し、不敵な笑みを浮かべた。
「ふっ……おぬしら、みておるな!?」
(あくまの内心:『ふはは! 一度こういうセリフを言ってやりたかったのだ! 魔界の幹部とかがよくやる、見えない監視者に向かって牽制するやつ! 超カッコいいぞ我!』)
当然、あくまは天界から見られていることなど微塵も感じ取っていない。ただ単に、朝のテンションで「悪魔っぽいカッコいいセリフ」を言ってみただけの中二病発言である。
しかし。
水鏡越しにその姿を見ていた天界の三人組は、文字通り飛び上がった。
「「「なっ……!?」」」
「き、気づかれました!?」
「神の奇跡を用いた最高精度の天界の覗き見(千里眼)を、あっさりと見破るなんて……!」
「なんと恐ろしい子……いえ、やはり只者ではありませんね! ますます天界にスカウトしたくなりました!」
あくまの何気ないアホな行動が、天界側の「あくま=超すごい存在」という勘違いをさらに加速させていた。
***
「おはようございます、聖女様。本日のご予定は?」
あくまが大聖堂の扉を開けると、そこには洗いたてのパリッとした法衣を着たエリート異端審問官・クラウスが、当然のようにひざまずいて控えていた。
「うむ、大儀であるクラウス。まずは広場の屋台に行って親父の串焼きだ! その後はお菓子屋のクッキーが良いな!」
「はっ、承知いたしました。すべて私が手配いたしましょう。さあ、こちらへ」
あくまは、この自分を「聖女」と勘違いしている面倒くさい男のことを、実はかなり気に入っていた。
何故なら、クラウスは最高の『財布』だからだ。
どれだけ串焼きを食べても、偶にショーケースに並んだ高いお菓子をねだっても、クラウスは嫌な顔一つしない。
むしろ、「おお……聖女様が、この卑小な私の金貨で施しを受けてくださるなんて! なんという誉れ……!」と涙を流しながら喜んで支払ってくれるのだ。
あくまにとって、こんなに都合の良い存在は他にいない。完全に餌付けされた子供状態であった。
「あむっ、うままま! 串焼き最高! クラウス、次はあっちの甘いパンの匂いがするぞ!」
「はい、お供します聖女様。足元にお気をつけください」
平和な食べ歩き。
しかし、あくまのそんな穏やかな日常は、だいたい長くは続かない。
「きゃあああっ! 誰か! 荷馬車が暴走して、子供がっ……!」
ドンッ! という鈍い音と、痛ましい悲鳴が通りに響き渡った。
その瞬間。
「ぎゃああああああっ!? 痛い! 痛い痛い痛い! 腕の骨がバキッて折れるような幻痛がァァァ!!」
誰よりも大きな悲鳴を上げて、串焼きを放り投げたあくまがその場にしゃがみ込んだ。
「だれか! 早く、早くあそこの子供の怪我を治してくれ! 我が超絶痛いのだ!! ……ええい、誰も治せる奴がいないなら、我がやるしかないではないか!」
あくまは涙とヨダレ(串焼きの)を撒き散らしながら現場に猛ダッシュした。
そして、倒れた子供にすがりつき、泣き叫びながら眩い金色の光――神聖・大回復魔法を放つ。
「おお……見よ、潰れた腕の骨が一瞬で治っていくぞ!」
「天使様だ! また天使様が奇跡を!」
「違う! 我は恐るべき悪魔だ! 自分がいってぇから治しただけだ!!」
「ああ、さらにその隣で寝込んでいたお婆さんの腰痛と風邪まで治ってしまった! なんという広範囲の奇跡!」
「だからそれは魂を食いすぎて魔法のレベルが上がってしまったせいで……ええい、もういい!!」
あくまの一日は、だいたい誰かの悲鳴から始まり、ケガ(や病気)の治療で終わる。
「なぜだ……我は恐怖を振りまく大悪魔になりたいのに……」
夕暮れ時。
感謝の印として街の人々から果物や野菜を大量に押し付けられ、涙目でトボトボと歩くあくま。
その横で、荷物持ち(財布兼任)のクラウスは、今日も「素晴らしい奇跡でした」と敬虔な祈りを捧げている。
不本意ながら。本当に不本意ながら、そういう星(人助けの運命)の元に生まれてしまったあくまだった。
如何でしたでしょうか?




