07.「見えぬ敵すら傷つける」
「──ジル! ジル!」
肩を掴まれ揺り動かされる。それによりハッとしたジルが見たのは、不安げな顔のミーリャの姿。
その背後にはオルラッドと、床に尻餅をついたジルを呆然と見下ろす、受付嬢の姿もあった。
何が、起こった……?
頬を伝う汗を拭うことすらできず、ジルは考える。しかし、今まで停止していた思考で、その疑問の答えを導き出せるわけがない。
「ジル! ……駄目ね……オルラッド、頼んだのよ」
「ああ、任せて」
目の前にいたミーリャが退き、オルラッドが近づいてくる。
肩を掴まれたのをどこか他人事のように見つめるジルに、オルラッドは微笑んだ。
「──わ!」
発されたのはただ一言。しかし、今のジルには効果的だったようだ。
ビクッと肩を震わせたジルに、「大丈夫そうだね」とオルラッドは笑う。だが、その笑みもすぐに消え去った。
「ジル、いきなりどうしたんだい? 君の様子からただ事でないのはなんとなく察することができるが……」
どうした?
そんなの自分が聞きたい。
そう返そうと開かれた口から発されたのは、別の言葉。
「──しゃがめっ!!」
焦りと混乱を含んだ声は、間違いなく驚く受付嬢に向けられていた。
「え? い、いきなり何を言って……」
「いいからしゃがめ! 今すぐ! 立ってたらだめだ! 死ぬぞ!!」
「え、え~っと……」
どうもおかしいジルの様子に恐怖を抱いたのか、女性はそろそろと膝を折り、カウンターに手を付きながらしゃがみ込んだ。眉は八の字に、強気な瞳は混乱に揺れている。
──バキンッ
ふと、何かが割れるような音が聞こえた。かと思えば、女性の頭上の壁に大きなガラス片が突き刺さっているではないか。
「……え」
赤い瞳が揺れ、白い肌から徐々に血の気が引いていく。
立っていたままだったら、確実に首が飛んでいた。
それを悟り、彼女はあまりの恐怖にその場で硬直。震える体は、間一髪免れた死に怯えていた。
「……なるほどね」
頷いたオルラッドが剣を引き抜きジルの背後へ。目に見えぬ速度で飛んできた、小さなガラス片を弾き飛ばす。驚くジルを、ミーリャが引きずりカウンターの近くへ追いやった。
未だ座り込んだままの彼をその背に庇うように立ち上がりながら、彼女は辺りを見回す。
「……またいきなりなのね」
そんな声と共に、ゆっくりと消えていく室内の電気。
明るい店内から一転、いきなり不穏になったその空間で、聞こえるのは人数分の息遣い。
ジルの獣耳が小さく動いた。その顔は噴水の方へ向けられている。
「オルラッド!」
張り上げられた声に反応するように、オルラッドは懐から取り出した小型のナイフを勢いよく放つ。同時に駆け出す彼の瞳は、獲物を見つけた獣のように爛々と輝いていた。
「チッ!!」
聞こえた舌打ち。存外大きく響いたそれは、敵の居場所を正確に教えてくれた。
弾き飛ばされたナイフを避け、オルラッドは剣を振るう。横一線に薙ぎ払われたその切っ先に、確かに何かを切ったような感触が走る。
肉の感触ではない……となると、布か。
「――左」
驚異的な集中力で相手の位置を把握した彼は、ズレた軌道を修正するように片足を軸に体を反転させた。そこから再び剣を振るい、相手に攻撃を仕掛ける。
一瞬の迷いもない斬撃。容赦なく見えぬ敵の体を傷つけたそれに、当然、傷つけられた本人は短い悲鳴を上げてその場から退く。
「なにこれぇ、聞いてないんですけどぉ!?」
姿は見えないが声は聞こえる。
これでもかと言うほどに不満を含んだその声は、幼い子供が駄々をこねるように文句を紡いだ。
「楽勝な仕事で報酬も弾む! だから引き受けてやったのに意味わかんないってーの! こんなの全然楽勝じゃないじゃんバカじゃんマヌケじゃん!」
やれやれとため息を吐き出し、「おー、いててっ」と声は言った。耳に届く衣ズレの音を聞くに、恐らく傷つけられた箇所を摩っているのだろう。大したダメージは負っていないようだ。
オルラッドは無言で床を蹴る。
「はぁ!? ちょっ、待てよバカ!!」
そう言って待つ奴はいない。
正確に振るわれる剣の切っ先。顔に似合わず好戦的なオルラッドに恐れ慄いたのか、敵は床を蹴り跳躍。そのまま店のショーウィンドウを破壊し、外へと逃走する。
「……オルラッド」
「ああ、わかっている」
手にした剣を振り、付着した血液を床に飛ばしながら、彼は言う。
「追いはしないさ」
どうせ敵はまたやって来るのだから……。
「ちょちょちょっ!? な、何!? どういうことなの!?」
騒ぐ受付嬢に、「見たままなのね」とミーリャ。
「この店に泥棒が入ったってことなのよ」
「どどど、泥棒――ッ!?」
驚く受付嬢。ミーリャが「うるさい」とピシャリと告げる。
「……それにしても、ジル。なぜあの攻撃がわかったんだい?」
今回一番の功労者であろうオルラッドが、辺りに視線をやりながらジルに問うた。ジルはその問いに対し、少し悩んだ後に真実を告げる。
「……見たんだ」
そう。見た。
暗闇の中、受付嬢が絶命するその姿を、確かにこの目で見た。
震える両手を握り合わせながら、ジルは顔を伏せた。その双眼は恐怖に震えている。
「どうして、とか、なんで、とかはわからない。ただ、あの人が死ぬその瞬間を、確かに俺は目にした。電気ついてたし、違うとことかも多少あったけど、でも、まさか本当に……」
ダメだ。混乱してて何をどう説明したらいいのかわからない。
徐々に焦り出すジルを落ちつかせるように、彼の小さな肩を叩くミーリャ。回数こそ多くはないものの、それでも十分な動作である。
伏せていた顔を上げたジルを前、ミーリャは何かを考えるように己の顎へと片手を添える。一度、二度、呼吸を繰り返し、それから瞳を伏せた彼女は、己の中にある一つの答えを口にした。
「……ジル。お前は予知夢を見たのかもしれないのね」
──……なんだって?
いきなり何を言い出すのかと思えば……。
眉を顰めるジルに、ミーリャは説明を続ける。
「不特定のちょっとした未来を・現実を・過去を見る。予知夢はそれだけの能力なのよ。でも、やり方によってはとても強い力になるものなのね」
「よ、予知夢って……俺、別に寝てないけど?」
「寝てても起きてても見る時は見る。そういうものなのよ」
「さ、さいですか……」
そんな能力今まで聞いたことありませんけど!
心の中で叫んでおき、「凄いじゃないか」と自分のことのように喜んでいるオルラッドに苦笑を向ける。
確かに凄い能力かもしれないが、あんなグロテスクなシーンを見せつけられるなんてもうごめんだ。そんな能力を貰うくらいならばオルラッドと対峙する方が幾分かマシである。
…………。
いや、全然マシじゃない。今の戦闘で分かった。アレは口先だけではない実力者だ。
ジルは落胆する。
「予知夢は鍛えれば鍛えるほど使える能力になるのよ。弱いお前が強い敵に対峙しても、勝てる可能性すら出てくる。ミーリャはその力を鍛えることをオススメするのね」
「へー……それ習得したら、俺だってオルラッドに勝てると思う?」
遠い目で問うてみる。
「……世の中には勝てない敵もいるのよ」
笑顔で小首を傾げるオルラッドを見つめ、ミーリャもジルと同じく遠い目をしながら呟いた。




